〈episode22〉西の国の女王
久しくその地に足を踏み入れたとき、懐かしいと思えるその地独特の匂いが鼻をくすぐった。
ここに来るのは何時以来だろうか。
調査、という名目が無ければ2度と足を踏み入れることは無かったのかもしれない。
しかし、もしかしたら本能が〈調査〉という名目を求めていたのかもしれない。
俺は・・・確かにここにいたことがあった。
いや、俺と、あいつは・・・か。
たった1歩踏み入れた場所からどうにも動けないでいる自分が滑稽だった。
ここにいたい気持ちと、ここに留まっていてはいけないという気持ちが混在しているからだ。
関所で仁王立ちしている俺に対し、ひそひそと話しながらこっちを見てくる者もいればそそくさと家の中に入っていく者もいる。
溜息もつきたくなるが、そんな風に思われるのも仕方ないとさえ思っている。
俺は、この国では〈嫌われ者〉だからだ。
〈嫌われ者の、エフ〉そう呼ばれていたからだ。
幾年の月日ぶりの〈ウェスト〉は平和に見えた。
〈イースト〉への奇襲を企てそうな反抗勢力がいるとは今、俺の眼に見える範囲には感じない。
立ち止まっていても仕方が無い。
俺は俺の役割を果たすのみである。
ようやくの2歩目を踏み出したとき、前方から馬車がやってきた。
どうやらその馬車は俺を迎えに来たわけではないらしく、スピードを上げながら俺の横を駆け抜ける。土煙が大きく舞った。
「――エフッ!?」
馬の足音、車体の軋む音、それらに混じって確かに聞こえた俺の過去の名。
その声に聞き覚えがあった。
その声は、あいつに似た声だった。
「・・・セネ・・・?」
馬車が急と言っていいほどの勢いで止まり、馬が嘶くと同時に車体のドアがこれまた勢いよく開け放たれた。
馬車から飛び降りてきたのは、あの頃のあいつにそっくりな女性。
〈ウェスト〉の現・国王セネだった。
*****
「久しぶりね・・・、エフ・・・。髭なんか生やしちゃって」
「その名はやめろ。嫌いなんだ」
関所の前での再会。俺の知る限り、小さな女の子だった女性は今はたくましくも一国を担う女帝となり、あの当時持ち合わせていなかったであろう上品さを手に入れている。
セネは純白のドレスを身に纏い頭には鍔が大きいハットを被っていた。
〈白色〉は、俺に〈主様〉の姿を思い浮かばせた。
「エフ・・・、そうだったわね。あなたにとってこの呼び名は・・・」
「わかってくれたならいいんだ、セネ。・・・久しいな、元気だったか」
セネは、一度眼を伏せたあとにこくりと頷いた。風でハットが落ちそうになったのを両手で押さえた。
「ええ、変わらずよ。あなたも元気そうで何より。体が随分と大きくなっていたから一瞬見間違いかと思ったけれどあなたもまた、変わらないわね」
「何も変わらんさ。それより、俺はお前に用があってきたんだが、これから所用か?」
馬車のほうを見やると運転手がちらちらとこちらを伺っている。
急ぎの用事なのかもしれない。国王は忙しいものなのだ。
「私に用?手短に済むのなら今、ここで聞くけれど?」
「込み入った話でな。できればゆっくり話がしたい。端的に言えば厄介な話だ」
セネの反応を見る限り、厄介な話になりそうな気がしたから俺はそう言った。
彼女には、〈企み〉が見えないからだ。
「なら、あの中で話を聞きましょうか」
彼女は馬車へと目配せしながら言う。
「調度いいわ。今から向かおうと思っていたところはあなたも行くべきよ」
きっと、セレンがあなたを呼んだのかもしれないわね、とセネは言い加えた。
*****
「つまり・・・、〈イースト〉への侵略を〈ウェスト〉が進めていると、そう言いたいのね」
がたがたと揺れる馬車の中は狭かった。俺の背丈にはまるで合わないので俺は首をすぼめる形で座らざるをえない。当然だが心地のいい移動ではなかった。
〈イースト〉での一件のことを一頻ひとしきり話し終えた後、セネはさぞ不機嫌そうに言った。「私は何も知らないわ」
「だが、彼らは『国から追い出された』と言っていた。本当に何も知らないのか」
彼女は、ええ、と頷く。やはりセネからはあの〈ウェスト・サイド〉にいた民が言うような横暴さを感じない。
ということは、あの事件は〈イースト〉による自作自演なのか?
しかし、いくらエミルが国王に就きたいからといってわざわざそんなことをするメリットがどこにあるというのだ。結局、エミュークスも死んだ。あの事件の裏は誰が操っている・・・?
「随分と、難しい顔をしているわね。・・・確かに父上が例の病で亡くなってから〈ウェスト〉の情勢もやや不安定なときがあった。でも、私なりにたくさんの協力を経て統治しているつもりよ。〈ウェスト〉の民は〈朽体病〉を患う者への迫害などしていない。病を恐れてはいるけれど皆が病に向き合って精一杯生きているわ」
彼女の言葉には、力強さがあった。現に彼女の額にはじわりと汗が見える。
両膝の上で握り締められた拳は、かすかに震えていた。父親が死んでから壮絶な時代を生きたのだろう。
〈大戦〉後の、激動の時代を。
「実は、俺もおかしいとは思っているんだ。辻褄の合わないことだらけでな。〈イースト〉の自作自演の説が強くなってきたが、知ってのとおり〈イースト〉は5大国の中で最も小さな国であり、民も少ない。〈大戦〉時に国土の殆どが死地になり、復興を遂げつつある今でも国の多くは密林のまま、魔導師が住める環境ではない。わざわざ喧嘩を吹っ掛ける意図が分からんのだ」
しばらくの沈黙。馬の足音がリズム良く地面を蹴っている。
すると、先に口を開いたのはセネのほうだった。
「仮定の話をするとしたら、〈イースト〉がそうしたのではなく、〈イースト〉にそうさせたことに意味があるんじゃないのかしら」
「どういうことだ?」
「あなたが言ったとおり〈イースト〉が戦争を起こすメリットは無いし、勝ち目も無い。命と資産の無駄遣いね。だから、こう考えてみたの」
セネは人差し指を立てて、言った。
「〈イースト〉で問題を起こし、中立である〈クリア・セントラル〉に注目させる」
・・・〈クリア・セントラル〉に注目・・・つまり俺たちに意識させる・・・?
「各国で大きな問題が起きたらあなたたちは向かうことになっているわよね。〈調査〉という名目で。あなたたちの役割は戦争を未然に防ぐことだから現地に足を運ぶ。もし、この〈調査〉を逆手にとって〈イースト〉に足を運ばせること自体が目的だとしたら・・・」
セネの話を聞きながら俺は〈ウェスト・サイド〉の民たちのことを思い出した。
彼らがもし、自作自演を演じた〈イースト〉の民だったとしたら・・・。
”簡単な話さ、正義を演じればいい”
「あの男・・・、エミリア・・・っ!」
それこそまさに、簡単な話だった。
今も行方知れずの男が何かを知っているに違いない。俺は奴を探すべきだったのだ。
俺が逡巡していると、さらにセネが続けてくる。
「あなたも勘付いているとは思うけど、ブラフだったようね。あなたが〈ウェスト〉に調査に行く、というのも計算の上で。今、クリア・セントラルには誰がいるの?」
「・・・フューリとウィズとウィードのはずだ」
「オリオンも、いないのね。アーフェンも失踪したと聞いたしリロウスも・・・。抑止力が弱まっている。まるで、〈伝説〉が〈災厄〉になったときのように」
俺たちが生まれる前に起きた、凄惨な事件。いや、戦争のこと。
俺の頭の中で、様々な最悪のパターンが形取られていく。
〈クリア・セントラル〉が危ない・・・!
考えはまとまらなかった。しかし、危険が近づいているという勘だけが敏感に働いた。俺はすぐさま国へ帰ろうと馬車を降りようとする。調度その時、馬車は目的地に辿り着いたようだった。
「まあ、焦ることは無いわ。あなたが優秀なのも分かるけれど、そんな簡単に国が落ちる、なんてことはない。どんな連中だって〈主様〉に対しては無力だし。私の今の望みを言っていいのなら、私はあなたにセレンの眠る場所へ顔を出してほしいのよ」
到着したのは、墓地だった。
*****
俺は逸る気持ちを抑えつつ、妻だった者が眠る場所へ来た。
ここへくるのは、埋葬したとき以来だった。
〈ウェスト〉の街が見渡せる国で1番高い山の頂上にある墓地。たくさんの墓石が並ぶ中、セレンの碑は中でも1番高いところにあった。
埋葬したといってもここに妻の亡骸はない。ほんの少しの妻の破片が埋まっているだけ。
セレンは、俺が生涯唯一愛した女性だった。
故に、俺は嫌われ者のエフと呼ばれることになる。
「私の姉は、どんな方でしたか」
セネが俺の表情を伺うように聞いてくる。「私、小さかったので・・・」
「俺を、愛してくれた優しい女性だった。俺が彼女を殺したも同然なんだ」
「どうして、そんなことを・・・?」
「そう思っていたほうが、楽になる」
自分の弱さを知ったあの日から、俺はただ強くなるために生きてきた。
俺が失ったのは、彼女だけではなかったから。
「なぜだろうな、ここにはもう来ないと思っていたのに俺はここに居る。仕組まれたことだと知ったのに、俺はセネが言った言葉を思い出しているんだ」
「・・・セレンがあなたを呼んだのかもしれないわね・・・」
セネは呟く。そして、右手でセレンの墓標を撫でた。
「本当に、そうであったらいいのに。この世界から、争いなんてなくなってしまえばいいのに。5つの国の境目が無くなって、みんなで生きていけたらいいのに」
それは彼女から出た悲痛の想いに聞こえた。
セネは父親である国王が死んで王家、唯一の生き残りなのだ。
彼女は1人きり。でも、今の彼女には守らねばならない家族同然の国民がいる。
切なる願いは、〈大戦〉の地獄を知る俺に痛いほどに伝わった。
そのとき、風が強く吹いた。セネが被っていたハットが遥か彼方へと飛んでいく。
「やっぱり今日は風が強い。嵐が来る前みたい。でもみて、あのハット」
俺とセネは空へと舞い上がり小さくなっていくハットを見上げた。
「空を自由にとぶ、鳥のようね。羨ましいわ」
しばらくして、風が止む。静けさを取り戻した墓地は夕日の色に包まれた。
「そろそろ、行かねばならん。罠だったと知った以上、長居もできん」
「そう・・・。お城でもう少し別のお話がしたかったわね」
「俺としては、関所で立ち止まっていて良かったと思っている。この国にはセレンとの思い出が多すぎる」
それに、〈ウェスト〉の女帝が危険思想を持っていなくて安心した。
「また、いつでも来て。何かあったら応援も遣すわ」
「それには及ばんよ。セネ、君はこの国をさらに良くする事だけを考えていればいい。お前が民を守るなら、お前を守るのが我々の役目だ」
そういうとセネは、ありがとう、と俺に抱きついた。
俺は抱き返すことなく、セネの頭にぽんっと手を置いた。
*****
「それでは、気をつけて」
「ああ。事件が解決したら連絡する」
俺は関所でセネに見送られて〈ウェスト〉を後にする。
鼻腔に残っていた懐かしい匂いは段々と森の匂いにかき消されていく。
深呼吸をして、完全に懐かしい匂いとやらを消した。
セネのほうへは振り返ることなく、俺はただ道なりに歩みを進めた。
考えたいことが山ほどあった。
とにかく、あの男を探し出すことが最優先に思える。
エミリア、貴様一体何者だ・・・。
何が目的だ・・・。
俺は少し駆け足になって一路、クリア・セントラルへと向かう。
*****
「ああ、上手くいっている。エッフェンバルトは計画通り〈ウェスト〉に辿り着き内情を知った。ついでに妻の墓場にも行った」
「そうかい。それはまた粋なことをするね、セネ様は。それで君はどこからみていたんだい?魔力も感知されずにさ」
「馬車の運転手」
「馬車の?よくもまあそんな危険なことを」
「魔力を似せることなんて容易いさ、変装並みにね」
「さすがだね。君が生まれてこなければこの計画は頓挫するところだったよ」
「お前、言っていたじゃないか。全てにおいて〈主様〉が書いたシナリオだと」
「そうだな。事は、終結へと動き出している。終わらせるんだよ、全てを」
「その為に、俺はお前に作られて生まれてきたんだろう?なら、俺はお前の為に生きるだけだ」
「そうしてくれ、お前にはまだやってほしいことがある」
「ああ、何でもやるさ、次はなんだ」
「時が来たら、お前の力であちら側からこちら側へと繋がる門を開いてほしい。エッフェンバルトの動向も気になる。お前はしばらくあちら側で過ごし、〈器〉の少年を見張りつつ門を開く準備をしていてくれ」
「了解、あちら側から門を開くとなると大変だな」
「できるだろ、お前なら」
「やってみるだけさ、フューリ」
「頼んだよ、エミリア・・・ってこれは架空の名前だったね。では改めて、頼んだよ、ユーマ」
そこまで話し終えると通信を切る。
魔力を通わせての会話は、少々疲れる。俺はふうっと息を吐いた。
「全ては君のためなんだ、テトラ。俺にはもう君しかいないから。君が望む世界を俺は作る。君と俺だけの、2人きりの新しい世界を」
だから、誓うよ。俺が必ず、必ず・・・、
2つのこの世界そのものを消し去ってあげるから。




