第2話 「理不尽な彼女の言い分」
リロウス。
俺の目の前に居る髪の長い傷だらけの女はそう名乗った。
続けて、「魔導師に追われている」と意味不明な事を言った。
さらに付け加えて、「君の体を貸してはくれないか?」と要求してきた。
状況を整理する時間が欲しい。が、猶予はないらしく女は鬼気迫る表情でさらに時間がない、と迫ってくる。
その時だった。バスが止まったのだ。ここまで運よく信号に捕まらず進んできたバスもついに赤信号という道路交通法に則り停車した。俺は、この瞬間を待っていたのだ。バスの運転手も、自動ドアを開き逃げるように、バスを乗り捨てるかの如く降りて行った。女はその動きに目を取られ僅かに隙が出来る。その隙を狙って俺は、後部座席から女を跳ね除け自動ドアへと向かう。
「ハア、ハア、逃げなきゃ・・・っ」
たった数メートルなのに息が上がる。
あと一歩、という所だった。
「行くなっ!!」
叫びと共に、俺の体が硬直する。固まって動けない。思考は止まっていないので完全な制止とは言えないものの、どう足掻いても体が動かない。いつも無意識に行っている動作をまるでマニュアル操作に切り替えるかのように意識して四肢に意識を伝えるが、まるで効果がないのだ。空間が切り取られたように、写真のように、俺はその場に固まったまま。
「時間を止めた。だが、あまり長く持たない。今はこの窮地を脱する為に君の体を貸してほしいと言っているんだ」
俺は、しゃべることもままならない。
だが、このままこんなよく分からないことに巻き込まれるわけにはいかない。
俺は、めちゃくちゃに力を四肢に込めるようにイメージした。
「……っ」
「…まさか、私の防衛魔法を…?」
上手くできているか分からない。それでも俺は、食いしばれない歯を食いしばるような歯がゆさの中、ひたすら動こうと力を込めた。
「ま、まてっ!血が出ているっ!やめるんだ!」
女は焦ったように言う。血が出ているのか。あとで痛くなるパターンのやつか?
女は舌打ちをした後、腕に何やら巻きつけたようだった。
あと・・・、もう少しっ
手を叩く乾いた音が聞こえたかと思うと、走っていた勢い余って前方にのめり込み、フロントガラスに激突しそうになったがほぼ同時に左腕に激痛が走り、俺はその場に尻餅をつく。慣性の法則が同時に働いた奇跡の瞬間でもあった。
痛む左腕を見ると俺の鞄の肩掛けが手すりと左腕を巻きつけている。さっき女はこれを施していたのか。
「逃げるな」
冷たい声だった。名乗ったときの温さはなかった。
「なんなんだよ、これっ」
「今は君を私の時間の中で存在させているに過ぎない。だがもうすぐこの防衛魔法も解けてしまう」
「そういうことじゃなくて!」
もちろん、そういうことに納得したわけではないが、今の状況からして女が俺にこだわるのには理由があるらしい。それに、さっき「見つけた」と言っていたのを思い出した。この女は俺を探していたということになる。話を聞かなければ何も飲みこめない状況だけに俺は、矢継ぎ早に今一番の疑問を投げかける。
「魔導師って何!?あんた誰!?魔法ってなんだよ!?俺の事探してたのか!?何がどうなってんのか説明してくれよっ!」
・・・結局全部だった。
「説明している暇はないんだっ!」
「ふざけんなよっ!暇なら作れっ!」
俺は拘束された左腕を必死に振りほどこうと手を暴れさせる。
もがいていると、頬に生温かい液体が伝う。
「…血…?」
「言っただろう。血が出ていると。このままでは、私も君も助からない。私は為す術なく魔導師に殺され、君は失血死だろう」
死・・・?
殺される・・・?
・・・冗談じゃないっ!
俺が何をしたっていうんだ!思い返しても人に恨まれるようなことをした覚えはないし、罰や制裁を受けるような生活をしてきたことは無い。強いて言うなら遅刻をしまくっているということぐらいだが、しかしそのくらいで失血死に値するとは思えない。思いたくない。誓えばいいのか?もう遅刻はしませんと?
今まで生きてきて初めて湧き起こる死への恐怖。
まだ高校生の自分には無縁だろうと思っていた死という現実をいきなり突きつけられ俺はもうパニック寸前だった。気が付けば左腕からも大量に出血が。
「いやだっ!いやだっっ!!!」
つい先ほどまで、楽しく仲良く、誕生日会をしていたというのに、それはもうほど遠い記憶の彼方のような気分だ。
のたうちまわる俺に、傷だらけの女は手を差し伸べる。べっとりと血の付いた両頬へ両手を包むように宛がう。その手のひらは氷のように冷たかった。
それは妙に心地よかった。
「落ち着いて。いいかい。気を確かに。巻き込んでしまったのはこちら側だ。それは謝る。でも、私たちに残された選択肢は2つしかない。このまま死を待つか、手段を手に取るか、だ」
それはもう選択肢にすらなっていない。2つに1つなのだ。
女はさらに続ける。
「私は、魔導師リロウス。訳あって追われている身だ。私は魔導師だが、君の体が無ければその力を発揮することが出来ない。だから、今、この瞬間だけでいい。君の体を使わせてほしい」
使わせてほしい。女は確かにそう言った。貸してほしいという言葉から使わせて欲しい、か。女は真に迫った表情を変えない。
殺気ではなく誠意を感じた。
俺は、泣きそうになりながら女に聞く。
「なあ…、これは…、夢…なんだよな…?」
女は、目を丸くして俺の顔を見た後、俺を抱きしめた。とても強く。そして優しく。
「…ああ。悪い夢だ。すぐ終わる。目が覚めたら、君はふかふかのベッドで目を覚ますさ」
俺は、布団派だったがもうツッコむ気力なんてない。
夢なら、覚めてしまえばいい。そうすればまた何事も無い一日が始まるはず。
俺の求める、普通の毎日が待っているはず。
俺は、抱きしめられたまま、「好きにしろ」と呟いた……。
それから女が何か呟き、俺の体がめちゃくちゃに熱くなったのを感じたが、
あっという間に、意識が遠のいた。
*****
俺は、澱んだ空の下に居た。
何もない枯れた大地。たった一人で、ただ何もすることも無くまんじりともせずに立っていた。空は厚い雲に覆われていて、とても濁っていた。
一筋の光も差さないような、汚れた空。
手を伸ばすと、それは確かにそこにあって、届きそうで届かない。
伸ばした手のひらの先に、一羽の真っ白な鳥が羽ばたいていたのを見つけた。
楽しそうに、生き生きと飛んでいた。俺を見下しているようにも思えた。
その鳥だけが色を持っているようにも感じた。
羨ましかった。飛べることが。色を持っていることが。
俺は白い鳥に向けて手を伸ばす。捕まえようと。
鳥は、鳴いた。大きく、強く、甲高く、
鳴いた。
*****
ピピピピピと目覚まし時計のアラームが高速で音をたてている。
何とも不快な音だ。止めようと体を動かしたが、あちこちが激痛を伴い一瞬にして覚醒する。
・・・起きたとき、必ず見上げている天井だった。染みの数もピッタリだ。
俺はどうにか不快な音の根源である目覚まし時計を手に取ると停止ボタンを押した。
特に痛みのある左腕を見ると、包帯が巻かれていてついでに右腕にも巻かれている。頬を触るとざらついていて、どうやら体全体に巻かれているようだ。
…一体なぜだ?俺は寝ていただけのはず。
昨日は遅めの登校で、鳴海と出会い、枝紡と机をくっつけて、栞菜が企画した誕生日会で盛り上がった。その後は・・・
その瞬間に、激しく頭痛が襲う。バスに乗って・・・それから・・・。
頭痛は増すばかり。やがて考えることを諦めると頭痛は嘘のように引いた。
「やっぱり、変な夢見てたんだな」
ぽつりと俺しかいない部屋で呟く。独り言なんて滅多にしていないつもりだがこういう時は声が漏れてしまう物らしい。包帯の謎は置いておくことにする。
そう思った時の事。俺の布団の中で何かが動いた。
柔らかい事は確かだ。右側に居る。間違いない。ラノベとかアニメとか、あまり見ないけどこれはよくある展開のやつだと思った。ということは、この布団をめくるとそこには、裸の・・・?
いやいやいやいや、ないないないない。やっぱり昨日どこかで頭を強く打ったんだな。きっとそうだ。そんな都合よく、裸の女の子が寝てたらやばいでしょって話っ!
俺は強引に掛布団を引きはがした。無論、邪な気持ちなんて微塵も無い。
無かったけれど、目の前の光景というか人物にいろいろとショックと驚きは隠せなかった。
「栞菜・・・?」
栞菜はしっかりと服を着て、すやすやと眠っている。
いや別に期待したわけではないけど。一瞬、この状況が理解できなかったがどうやら包帯を巻いたのは栞菜のようだ。しかしなぜ栞菜が・・・?
健やかな寝息を立てていた当の本人は、掛布団を剥がされたことで寒そうに縮こまる。このまま寝かせておきたいところだが今日も学校だ。俺は栞菜の肩に手を置き、その小さな体を揺さぶる。
「ん・・・」と声を漏らした後、栞菜はうっすらと瞼を開き俺と数秒目を合わせてきた。
「ん・・・?あれ?・・・なんでリクがここにいるの・・・?」
それはこっちのセリフだ。
「・・・っ!!!!!」
俺の顔と、自分の体を何度か交互に見た後なぜか物凄い勢いで掛布団を奪い取り、顔以外の体全体を隠す栞菜。
「ああああああんた・・・ももももももしかしてっ!!!」
「心配するな、俺も何が何だか分かっていない」
「あああああたしの・・・は、は、はじめてを・・・?」
「待て!何もしていないっ!分かっていないっていうのはそういう意味じゃない!」
いや、まあ確かにお前俺に初めてをあげるとかなんとか言ってたけどそれはあのライオ・・・、ケルベロスの事だろ!?
「ともかくとして、お前どうしてここに?」
「あんたが呼んだんじゃない!夜中に何かしらと思ったらあんた・・・」
そこまで行って栞菜は泣きそうになる。相変わらず情緒不安定だと思ったが・・・
「あんた、ち、ちだらけで・・・。救急車呼ぼうとしたら止められるし…」
俺を心配しての不安定だった。そりゃ血だらけで幼馴染が倒れていたらそうなるよな。また、栞菜に迷惑と心配を掛けてしまった。
「悪い…。俺も昨日何があったのか、憶えていないんだ…」
「あたしとバスで別れた後に何かあったって事よね?」
「…多分」
「ていうのもね。あたしたちが乗ってたバス、ニュースになってたの。昨日の夜の事よ。窓ガラスが大破して、車内は血だらけ。運転手はひどく疲弊しきった様子で…って」
それを聞いた途端、俺の頭が割れるように痛む。というかむしろ割ってしまいたいほど脳本体が痛い。
「ちょっ、リク!?」
「ああああああああああああっ」
『・・・つけ』
直接、脳に響く声。うまく聞き取れなかったが確かに聞こえた。
「誰だっ!!!」
「リク、どうしたの!?」
栞菜は必死に俺を押える。
『私だ。落ち着け、陸斗。静まれ。頭痛は今に無くなる』
ふわふわとおぼろげな声は、語りかけるように脳に響く。
言葉通り、頭痛はなくなり、同時に昨夜の出来事が鮮明に思い出されていく。
「女・・・。栞菜!傷だらけの女を見ていないか!?」
「女・・・?みてないよ」
そんなはずない、確かに女も重傷を負い、そこに居たはずだ。
女は俺に体を使わせてほしいと要求し、それから、俺は・・・。
そこから、俺の記憶はあり得ない映像を残していた。
大きな鎌のようなものを持った女が目の前に居て、そいつは俺めがけてその鎌を容赦なく振るう。だが俺は、簡単にかわし、すぐさま鎌女の首を片手で締めるとそのまま握りつぶして鎌女の首と胴体が切り離された。
沢山の血しぶきがあがり、俺に浴びせられていた。
「お・・・おれが・・・ころした・・・」
「な、なにいってんの?リク、今日、変だよ?」
俺が、俺がこの手で人を殺した・・・のか!?
俺が・・・!?
『違う。君の体を使って私があの魔導師を殺した。君は悪くない』
「どこだ・・・。どこにいる!?り・・・、リロウス!!!」
もう俺は半ばやけっぱちだった。栞菜はもう止めもせず俺を見つめているだけだ。
『ようやく、その名で呼んでくれたな。私はここだ。君の中に居る』
「俺の・・・?どういうことだっ!夢じゃなかったのか!?」
『あの時はそういうしかなかった。きちんと説明する。だから、二人きりになれないか?』
ふと、栞菜を見やると呆然として、泣いていた。
俺が狂ってしまったと思ったのだろう。
〈あの時〉のトラウマが過っているのだろう。
俺は、リロウスとの会話を辞めて栞菜を抱き寄せる。
「栞菜、大丈夫だ。俺はここだ」
「…陸斗…。どこにも行かないよね…?」
栞菜の声は、懇願に近いものだった。
「ああ、行かない。心配するな。安心しろ」
「約束だよ・・・」
栞菜は、しっかりと俺を抱きしめる。
「約束したもんな。守るから。栞菜も、約束も」
俺は、栞菜を連れて矢薙沢家に向かう。
歩いて。とてもゆっくりと、時間をかけて。
家に着くころには、栞菜も少しばかりいつもの栞菜に戻っていた。
「ごめんね。ちょっと混乱して・・・」
「俺もだから。何がなんなのか・・・」
「説明できる時が来たら、してね…」
ああ。と俺は告げて、栞菜に見送られながら来た道を戻る。
見送る栞菜の表情は、とても寂しそうだった。
*****
帰宅。もうとっくに登校時間は過ぎている。2日連続の遅刻は、学生生活始まって以来の暴挙だ。栞菜がいつもの調子を取り戻せば電話がかかってきて「殺す!」と言われるところだろう。さすがに今日は言ってこないと思うが・・・。
俺は、両親が居ないことも確認して、部屋に戻り鍵をかけてリロウスを呼び出す。
「おい、今なら二人きりだぞ」
『随分と遅かったな。まあいい。それでは話そうか。まず・・・』
「ちょっと待て、出てこいよ。これじゃ話づらい」
相手の顔を見ずに話すというのは意外と難しい事なのだ。
『いや、それは出来ないんだ』
リロウスは、平然と言ってのける。
「は?」
当然の疑問符だ。
『だから、私はもう2度とお前の体から出ることは出来ない。と言っている』
さも当然のように、リロウスは宣言した。
『私たち、魔導師は戦う際に〈傀儡〉と呼ばれるカラの素体を使うのだが、こちら側にはそのような物はない。だから、〈器〉を探していた。それが君だった』
話が飛躍しまくっている様子。落ち着け、俺。
『〈傀儡〉は精神を持たないから、自由に出入りできるが、君のような人間は当然だが精神を持っているだろう?一度一つになった精神は、離れることが出来ないというわけだ。私はそう習った』
習ったってなんだよ。必修科目みたいに言うんじゃねえっ!
「じゃ、じゃあ、あのときのお前の体は…?」
『君を使った際に燃やした』
躊躇もなく言う。自分の体を燃やすなんて、人間業じゃないな。
『何度も言うが誰でもよかった訳じゃない。君でなければ私の力は使いこなせなかっただろう。〈器〉としてのポテンシャルは最高レベルだ』
最高と聞くと、男なら誰しも舞い上がるが今はそんなことで喜べない。
「本当に出られないのか?」
と、俺は聞く。リロウスは厳密には不可能でもないという。が、それはあまりにもリスクが大きいとも付け加え、今はこのままの方が都合がいいと締めくくった。
「とりあえずの事情は分かったことにする…。お前の目的と、その…魔導師ってやつの目的はなんなんだ?」
俺は、核心が知りたかった。もちろん、まだ聞きたいことはたくさんあるし、聞いたことに納得はしていない。でも今は情報が必要なんだ。
『それも含めて、今から話そう。長い話になる寝るなよ。いつまた魔導師が襲ってくるか分からないから』
まだ襲ってくるのかよ・・・。
トホホと溜息をついて、俺は机の椅子に腰掛ける。パソコンを立ち上げ、ワードを開いた。てっとり早くメモをする為に。
「いいぞ、話してくれ」
『ああ。まず初めに、この世界とは別の世界がある。私はそこから来た。魔導師の住む世界だ』
いきなり、俺のワードがファンタジー小説の出だし文句のようになった。
…to next story is