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『te:tra』  作者: 坂江快斗
37/100

〈episode18〉ウィザード 中編

――[旅路]――


クリア・セントラルを出発して1日。

私と〈サウス〉国王の娘は、1つ目の山の峠にいた。〈サウス〉まではこれから5つの山を越えなければならない。送り届ける期日はないから急ぐ必要もなかったが、日が経つにつれて状況がよくなるわけでもない。早く到着するに越したことはないのだった。幸い、娘の体力も今のところ衰えることなく進めている。自分から物を言わないため、私はさっさと先に行ってしまうがそれでも娘はついてくる。根性は見据えたものだが所詮は子供。2日目以降の体力が残ってなければ初日の頑張りなど虚勢でしかない。私の予定している工程では5日をかけて〈サウス〉に到着することだから程よいタイミングで休息をとることにした。今日の工程としては満足だった。

私が今日はここで休む、と告げると娘は少しだけ安堵したようにふうっと息を吐いた。やはり子供だ、と思った。


私は娘に木の枝や落ち葉を拾ってくるように言った。娘が拾いに行っている間に直径20メートルの結界を張る。下位の魔導師ならこの結界に触れただけで消し飛ぶだろう。しかし、上位となってくると感知センサーにしかならない。だが、結界を越えてきたところで相手は私だ。どんな相手だろうと手は抜かないし、私に触れることさえも許さない。


結界を張り終えると、娘が結界の外から私を見てきた。どうやら結界の中に入れなくて困っている様子だ。よく気づいたな、と思いつつ部分的に結界を解き、中に入れてやる。娘は抱きかかえるようにいっぱいの木の枝を拾い集めてきた。


すこし疲れたのか、木片を地面にばら撒くとそばにあった岩の上にちょこんと座る。

私は木片を適当に積み上げ、息を吐く程度の魔力で火をつけた。パキパキと音をたてて燃え上がる。私と娘の顔がオレンジ色に染まった。


何を話すわけでもなく、ただ火を見つめていた。これからの旅路のことを考えていた。娘が何を考えているのかは知らないが、次第にうとうとと頭が揺れる。

疲れていたことさえ、口にしない娘。いったい〈ノウス〉で何があったというのだ。


〈サウス〉と〈ノウス〉は、対立国家だった。

表面上は互いに手を取り合い、外交に精を出すなど協定を結んでいたが内情はそうでもなかった。その理由はこうだ。


かつて、

延々と極寒が続く〈ノウス〉。彼らが欲したものは「温もり」だった。

延々と猛暑が続く〈サウス〉。彼らが欲したものは「冷涼」だった。


この世界の創世記。

まだ、互いがなんなのかさえ分からなかった彼らは、時にその寒さに苦しみ、時にその暑さに苦しんだ。そして、互いの国を欲した。


奪い合うことしか出来なかった時代だった。あのときに、手を取り合えばもしかしたらこの世界に争いはなかったのかもしれない。ただの「温度」を奪い合う殺し合い。自分たちが生きやすい世界を作るための利己的な奪い合い。

その結果は未だにでていない。遺伝子に組み込まれた互いへの嫌悪は世代を超えて今日までに至る。


私は今回の経緯を考え直してみた。

〈サウス〉が〈ノウス〉に歩み寄った形だ。国王自身の娘を差し出すという手段には素直に頷けないが、政治である以上私はそこまで気に留めない。

しかし、〈サウス〉の娘が逃げ出してしまった。当然、〈ノウス〉側は協定破棄と見なすだろう。〈サウス〉側が喧嘩を吹っかけた形になる。


いくつか疑問があった。


なぜ今、協定を結ぼうと思ったのか。まあ、これは悪いことではないが。

それと、なぜ娘は逃げ出したのか。こうなることも予想はしていたかもしれないが、娘にもある程度の説明はあったはず。もしそうじゃなかったら自分の娘じゃなくてもよかったはずだ。

一番の疑問は、娘がいとも簡単にクリア・セントラルに逃げ込んできたことだ。

〈ノウス〉はほぼ毎日吹雪が舞い、幾手にはいくつもの山脈地帯がつづく。さすがの私でさえ装備は整える。〈サウス〉に行くより〈ノウス〉に行くほうが至難である。

娘は、決して十分な装備をしていたとは思えなかった。あの山脈地帯を追っての目を掻い潜りながらどうやって私たちの元まで辿り着いたのか。この道中、ずっと気になっていたことだった。


今回の事件は、腑に落ちない点が多すぎるのだ。


考えにふけていると、火の勢いが落ちてきた。木片が燃え尽きようとしていたので、近くの木の枝を折り、火の元へ投げ込む。火は再び燃え上がった。すうすうと寝息を立てている娘。

この子は全てを知っている。


何が起きたのか。

これから、何が起きるのか。


この子が口を開かない理由もきっとそこへ行けば分かるのだろう。

口を割らないのなら、言って確かめればいいとさえ思いはじめていた。

むしろ、しゃべらないガキでよかった。いちいちガキのしゃべり相手なんてしてられない。気が狂うだろうな。

果たして私はウィンディの子供に優しくしてやれるだろうか・・・。

子供は私に懐こうとしてくるのだろうか・・・。


両腕に双子を抱きかかえる妹の姿を空想して、なんとなく可笑しくなった。


空想と共に火が消えて、辺りが静寂に包まれると、私もほんの少しだけ目を閉じることにした。


*****


漆黒が去り、ぼんやりと明るくなってくる。


出発の時だ。


「おい、行くぞ」


私は結界を解除すると歩き出す。娘は眠気眼をこすりながらついてくる。

まだ日も昇らないうちに出発するには理由がある。〈サウス〉に近づいていくと気温が上昇してくるため、進めば進むほど体力の消耗が激しくなる。できるだけ日が高くないうちに進んでおこうというのが私の考えだった。


程なくして1つ目の山が終わる。しばらくは平坦な道が続いていた。

今日もまた、娘は小走りするように私の後を追って来る。大して早歩きはしていないが歩幅の問題だった。私の1歩は娘にとっての3歩。


娘は自分のタイミングで立ち止まり、息を整え、また小走りする。

そんなことを繰り返すものだからさすがの私も立ち止まる。


「なあ、私の歩くスピードは早いのか?」


娘は火照らせた顔を左右に振った。


「でも、疲れるだろう?」


娘の反応は同じだ。


「何を意固地になってるんだか」


私はまた前を向き歩き出す。ちょっとだけ歩幅を意識して。

娘のことは何も分からないが、ここまで必死さを出されると大人気ないことも出来ない。リージャックをからかうのとはやはり訳が違うんだな。


日が昇り始めて、徐々に体温が上がるのを感じる。まだ大丈夫だ。それに山に入れば木が影を作り幾分涼しくもなる。

完全に日が最高到達点に昇った頃、私たちは2つ目の山に挑むことになる。


まったく整地されていない山だった。鋭利な刃のごとく岩肌を剥き出し、私たちが転げるのを待っているようだった。私と娘は山の中腹まで歩むと休憩することにした。


娘は前日のごとく丁度いい岩を見つけるとちょこんと座った。昨日よりも座りやすそうな岩だった。


私はトゥちゃんからもらっていた地図を確認する。道のりの長さを改めて感じた。

相変わらず娘は目線を下にしたままうんともすんとも言わない。ただ呼吸を整えるだけ。この山もまた、静かだった。そう思ったときだった。


・・・っ!


気配と匂い。

3人。いずれも男。武器は太刀。

私は娘に目配せする。娘もあの国で感じた狂気と似たものを感じ取ったのか岩から立ち上がる。私は娘を左に寄せた。


向こうはこちらの出方を伺っているらしい。気づいたことが気づかれたようだが、それは問題にもならない。勝敗は目に見えている。

しばらく待ってみたが向こうは何もしてくる様子がなかった。私のほうがさきに痺れを切らし娘の歩くスピードに合わせながら歩き出すことにする。この状況ではなれることはしない。

欠伸が出た。無駄な時間を費やしてしまったと思ったからだ。


理由は明白。道中には、太刀を持った男の魔導師が泡を吹いて倒れていた。

おそらく他の2名もこの山のどこかで泡を吹いているに違いない。


「私もお前たちみたいに眠ってみたいものだ」


もう一度欠伸をして、横たわる男を跨いで山中を進んでいく。


*****


前日同様、結界を張り火を炊いた。娘は辺りをきょろきょろと警戒していた。


「安心しろ。さっきの奴らはもう追ってこない」


もし追ってきたところあの程度の実力じゃ二の舞になるだろう。それを分かっていて追ってくるのなら正真正銘の馬鹿だな、と思った。


私の言葉を聞いて娘はようやく安堵した。その目は火を見つめるものに変わる。


「そういえばお前、よく気絶しなかったな」


私は追っ手に囲まれたときのことを思い出した。大の男が3人、泡を吹いて倒れたのに私の一番近くに居た娘には何も起きなかった。むしろあっけらかんとした表情をしていた。当然、娘からの返事はなく一瞬私を見ただけだった。


「…ガキの癖に。今日はとっとと休んでおけ。明日は長くなる」


そういうと、娘はゆっくり立ち上がり持ってきていた布を枕にして横になる。

間もなくして寝息が聞こえてきた。

こういうところは、子供らしい。

私はなぜかじっとその寝顔を見つめていた。目が離せなかった。

どういうわけか、分からない。

ただその寝顔を見つめていたかった。この娘のことは別に好きでもなんでもない。無愛想で喋らないし、歩くのは遅いし、私の魔力で気絶しな・・・、まあこれはいいか。

私はただこの娘を〈サウス〉に送り届けるだけなんだ。その道中を見張るだけ。残りたった3日の付き合いなんだ。今まで任務を失敗したことはない。今回もそのひとつになるだろう。送り届けた先に真実があるのだとすれば上等だ。

必ず送り届ける。何人追っ手が来ようとも。


私に敵う者など、今のこの世界には唯一しかいない。


・・・忌まわしき始祖〈テトラ〉だけだ。

それだけは認めざるをえない事実だった。


思い出したくもないあの顔が頭に浮かぶと私の心情に炎が呼応する。

一瞬、業火のごとく燃え上がると瞬く間に鎮火した。蝋燭の火を消すようにふっと消えた。闇に包まれ、明日の道程を想像しながら眠りに落ちた。



*****


幼いとき、いや、生まれたときから私は異端だった。そう母から聞いた。

存在しているだけで万物が呼応する。触れることなく、時に草花を咲かせ、時に枯らせた。わたしの意思や気持ちが物質に影響を及ぼす。小さな体に似つかわしくない魔力が備わっていた。もちろん、当時の私にそんなこと分かるわけもなく、まして力のコントロールもままならなかった。だから私は触れることを許されなかった。

相貌の眼と軽蔑の眼を浴びた。私にとってどんな眼も同じに見えた。汚い大人たちの眼。ただ、両親の眼だけは違って見えた。優しい眼。私を見てくれる眼。

私は両親のことが大好きだった。

自分なりの幸せのあり方を知ったとき、私に妹が出来た。妹は普通の女の子だった。私に比べたら、という意味だ。むしろ平均値以下の魔力しか受け継がなかった。天才であり異端である姉と平凡であり無害な妹。世間がどちらを愛するのかは明白だった。体も小さかった妹は両親からの愛も存分に受け、たくさんの愛を注がれて育っていく。妹が生まれてから私はひとりになっていった。私は妹に触れてみようと思った。別に妹のことが嫌いだったわけじゃないし、私に対する「眼」については気にしていない。私の妹だから大丈夫、そう思っていた。

両親と妹が寝ている間にそっと、赤い頬を指先で触れてみた。やわらかかった。

もっと触れていたかった。この子が私の妹。私自身がこう在りたかった者。そのとき、気がついた。私は、ひとりではなく、孤独なんだと。不意に押し寄せた悲しみと寂しさが妹に伝わったのか、妹はその夜から3日3晩泣き止まなかった。

両親以外のみんなが私を責め立てた。


「この子は体が弱い子なんだ」

「お前の魔力この子を苦しめるんだ」

「妹になにをしようとしたのかねえ・・・」


気がつくと、遠い場所にいた。

妹の泣き声が頭から離れない。私は耳を澄ませばどんな声も聞くことが出来る。私だけが知っている。妹が泣いた理由を。妹も寂しかったのだ。ようやく触れ合うことが出来た姉のことを待っていてくれた。でも、そんなこと言っても誰も信じてくれないだろう。それでいい。

妹が元気に育ってくれるなら、私はどこまでも遠くに行こう。この力があればどこででも生きていける。私に与えられたのは〈神様〉の力だ。

妹を両親を守るためにこの力を使おうを思った。


そして、それは突然現れた。

まっしろなその姿はまさしく〈神様〉だと思った。


*****


・・・・・・。

・・・・。

・・。


木の枝が焼け焦げた匂いが鼻をつき、現実に帰ってきたのを実感する。

嫌な夢を見た。酷く醜いお話だ。


まだ日は昇っていない。どうやら娘は先に起きていて出発の準備を済ませたらしい。

いい心掛けだ、と感心しながら3日目の朝を迎える。


昨日に比べて雲が厚い。雨は降らなさそうだった。しかし今日のうちに進めるだけ進んでおかなければ明日は大雨だろうなと思った。



ひたすら黙々と歩く。追っ手の気配はない。娘も慣れてきたのか歩き方も工夫し初日に比べると私と離れる距離が短くなった気がする。

だが、予想に反して歩けば歩くほどに雲の色が黒味を帯びてきて、遠くから雷鳴さえ聞こえた。今まで私の予想が外れることはなかったのだが、今朝あのような夢を見た影響もあるのだろう。そう思うことにした。


なんとか雨が降り出す前に山をひとつ越えた。麓で一息つくことに。残りは2つ。道のりは険しいし、雨が降ってしまうと険しさは何倍にも増す。娘が山を越えられるのか、気がかりだった。

雷鳴は確実に近づいてきている。今日のうちにあとひとつ、山を越えると提案すると娘は表情を変えずに頷いた。


4つ目の山の中腹に差し掛かったとき、私は頬に水滴を感じる。やがてぽつぽつと雨が落ちてくると一気に大粒の雨が降り注いできた。土砂がぬかるみ、足元を取られそうになる。私は地面に対し僅かに力を込めた。すると、私が踏み込んだ位置が見る見るうちに乾いていく。そのあとを娘が歩く。雨は降っているがこれでぬかるみの心配がなくなった。娘が近くにいる以上、あまり力を行使したくなかった。どんな影響を娘と、その他の生物に与えるか分からないから。

いずれにせよ、この山は10年持たずに朽ち果てるような気がした。


雨音が足音もさえかき消す。雷鳴は真上から聞こえるまでに近かった。それでも娘は無表情で私についてくることだけを考えている様子だ。

ようやく頂上に辿り着こうとしたときに、微かながら足音を感じた。それは娘のものではない。山に潜む獣たちのものでもない。足音で分かる。


――こいつ、できる…。


私は娘に岩陰に隠れるよう合図する。なるべく自然な形で。


一歩。

二歩。

三歩・・・。


振り向きざまに抜いた太刀筋は空を切る。旋風が木々を大きく揺らした瞬間、私の懐にまで接近してきたのは獣の頭骨をかぶった男だった。

私は右足で地面を叩き、後方宙返りすると着地した左足を機転に一気に踏み込み、刺客と太刀を交えた。金属同士がぶつかり合う鈍い音が雨音を切り裂いた。


「私の剣を受けるとは、名誉だと思え」

「・・・・・・」


私は一歩弾いて刺客の姿勢を崩すとすぐさま太刀を上段から振り下ろす。思いのほか俊敏なヤツだった。背後、斜め上から飛び掛ってくる刺客に対し私は片手で太刀をかざし斬りかかるのを防いだ。それを振り払うようにして刺客を山道へと叩きつける。刺客は怯むどころかぬかるんだ泥を握り締め思い切り私の眼にむけて投げつけてくる。予想通りだった。泥は私の眼の直前で静止し、地面に還っていく。

一瞬の出来事。刺客は娘に切りかかろうとしていた。

そう、こいつらの目的はこの娘なのだ。

元から私に適わないと分かっていて飛び込み、この一瞬の隙を狙っていたのだ。


「くそっ!!」


間に合うか・・・っ!?


――ッ!!!!!

振り下ろされた太刀筋は私の左手が握っている。血が滴り、じんじんとする感覚が痛みだと思い出すまで時間が掛かりそうだった。随分とこの痛みを忘れていたように思える。だが、私にとってこれは不覚ではない。むしろ好転だった。娘は私の後ろで驚いた表情をしている。久しぶりに違う表情を見た気がした。

私は太刀を握ったまま、右手で刺客の首を喋れる程度に絞める。


「おい、お前、〈ノウス〉の刺客だな」

「・・・・・・」

「知っていることを話せ、そうすれば動けなくなるが命は助けてやる」

「・・・・・・」


刺客は沈黙を貫いた。


「あああっ!!!どいつもこいつもしゃべらねえっ!!言葉忘れちまうだろっ!」

私は左手で太刀を破壊すると、刺客がつけている獣の頭骨を無理やり引き剥がした。


「・・・なんだ、こいつ・・・」


刺客の眼は虚ろ、まるで意識を感じない。

すでに息絶えていた。私は右手の感覚を思い出す。掴んだだけでさほど力は入れてなかったはずだ。私が手を離すと刺客はぬかるみに顔を埋めるようにして倒れた。死んでいた。


「いったい、なにがどうなってんだ・・・」


雨が、私から流れる血をにじませていった。


*****


横たわる刺客の死体を調べたが何も分からなかった。それ以上に気になるのは左手だった。血が止まらない。傷が治らない。こんなことありえなかったはずだ。尋常じゃない回復力ゆえに恐れられていたこともある。傷が瞬時に治らないなんて私の過去に当てはまる事例がない。

私はコートの端を千切り、左手に巻きつける、血が止まらないがいずれ回復するだろう。致命傷にもならない。

娘は岩陰からじっと刺客の亡骸を見つめている。死体を見るのは初めてなのだろうか。いつまでもこうしているわけにもいかないので、とにかく前に進むことにした。娘に促すと、こくりと頷いてから歩き出した。


雨はすこし弱まり、視界も開けてきた。とはいえ、ぬかるんだ下り道を歩くのはなかなかの手間で時折、木の枝や岩を掴んで転げないように注意した。触れるたびに岩や枝が呼応する。左手の痛みは引かなかった。

それから数刻かけ、4つ目の山越えを果たす。さすがの私も木にもたれて呼吸を整えた。力を使い、この娘もいなければ一日と掛からない道中なのにな、と思ったがすぐにその考えを頭から消した。


麓からしばらく歩いたところに依然誰かが住んでいたと思われる古い小屋があった。今日はそこで一夜を明かすことに決めた。雨はまだ降っている。雨の真夜中に外で過ごすなんてことにならなかったので小屋を見つけたときは安堵した。


私は裸になる。服が濡れたままだと気分が悪い。小屋の中には薪が置いてあったのでそれを燃やした。その近くに衣服を置いて乾かすことに。


娘にもそう促すと、娘はすこし躊躇ったあとに全裸になった。

女2人、山の麓のぼろ小屋で裸なんて、ウィンディが聞いたら大笑いするだろうな。

燃え滾る火を見つめていると、考えにふける癖がついてしまったようだ。


左手に巻いた切れ端も解く。傷は小さくなっていたが完全に塞がってはいない。筋肉に力を入れるとじわりと血が滲み出てくる。私が左手を見つめていると、娘が不意に私の左手に触れてきた。突然の行動に私は驚き、ついその小さな手を振り払ってしまう。


「触らないほうがいい」


娘は驚いた様子もなく、また手を伸ばしてくる。触れてはいけない。そう強く思いながらも私は抵抗しなかった。左手を差し出してさえいた。どうしてか分からないままに。

娘が両手で左手を包むと、温かい力が私に流れ込んでくるのを感じた。左手の痛みがなくなり、傷も痕すら残さず綺麗に回復していた。


「おまえ、治癒ができるのか・・・?」


娘は首を傾げる。よくわからない、といった表情だ。

改めて左手をみても、完璧な治り具合だった。娘は特に満足した様子もなくさっきまで座っていた位置に戻り、火に両手を近づけて暖を取っている。


「すまない、感謝する」


小屋の屋根に打ち付ける雨音が弱くなるのを待って、私は言った。

娘はまた、こくりと頷くだけだった。


その夜、私は眠ることができなかった。

左手に感じた温もりばかりを思い出して。


*****


服はまだすこし濡れているが、歩いていれば乾くだろうと思い気にせず着る。

外は晴れていた。旅路の終わりも近い。


残すところあと一山。

当然、刺客の襲来も気に掛かるがもう昨日のようなヘマはしない。同じ過ちを繰り返すほど私は落ちぶれてはいないのだ。


緑がざわめくなかをひたすら歩いた。晴れてはいるが雨の影響で暑さは感じない。たまに木の葉から落ちてくる水滴がより一層の涼をもたらしてくれた。


「見えた、〈サウス〉だ」


山頂にて南の国の一端を視認する。酷暑による蜃気楼でないことを祈るばかりだが、陽炎に揺れる大国はまさに眼と鼻の先だ。ここから真っ直ぐ突き進み、王宮まで届けて任務は終了となる。娘ともあと数刻ばかりで別れだ。途中トラブルがあったものの久しぶりに骨のある任務だった。しばらくはまた退屈な日々を過ごすことになるだろう。ふと、ウィンディのことを思い出す。来年の今頃に彼女は双子の母なのだ。きっと忙しない毎日になる。きっと私にも手伝えといってくる。退屈な日々は束の間かもしれないな。


「よし、帰るぞ、お前の国に」


私はこれから始まる日々のことを思いながら前に進んだが、娘がついてくる気配がない。振り返ると、娘はそこに立ち止まったままだった。


「おい、どうした。もうすぐで到着だ。歩くぞ」


娘は俯いて動かない。行きたくないようにも見える。

私は踵を返し娘のもとに寄る。


「なんだ、お前。もしかして私と離れ離れになるのが嫌なのか?」


自分でも浮ついたことを言っていると思った。ガキ嫌いがなくなればウィンディも子供を抱かせてくれるかもしれない。胸のうちにはそんなことを考えている。


娘は、小さく頷いた。口元が動いて見えたがなんと言ったのか、何を言いたかったのか分からなかった。ここにきて初めて見せた反応にすこし戸惑ったが娘のほうから歩き出したので私がついていく形に。すぐさま追い越した。


*****


――[帰還]――


5つ目の山を越え、ついに〈サウス〉への入り口。

末端の公国に入国する。

簡単な入国手続きを済ませたあと、門兵に問う。


「ここから王宮までは真っ直ぐか?」

「はい。道なりにお進みください。陛下にはクリア・セントラルからウィザード様がお見えしました、と伝えます」


そうしてくれ、と言い私と娘は〈サウス〉末端の公国、〈フレア〉の街を歩く。

しかし、様子が変だった。

誰も、いないのだ。

閑散とした街には、風だけが通り抜ける。誰かの気配すら感じない。私は門兵のところまで戻るが、門兵さえも消えていた。


「どういうことだ・・・?お前、知っているか?」


娘は何も知らないと首を横に振る。仕方がなく王宮に向けて真っ直ぐ進むことに。まあ、目的地は王宮だからそこまで辿り着けばさすがに魔導師はいるだろう。もしかしたら王妃であるこの娘の帰還を国民が待ち構えているのかもしれない。やはり私の心は浮ついたままだった。


〈フレア〉の街を歩いていると、行く手に佇む者が現れた。誰もいないとばかり思っていたので突然の出現に右手が太刀に伸びる。しかし、よく見るとそいつは老人だった。この街の長老だろうか。

老人の下に歩み寄ると、老人は顔を上げた。かなり年を召している。


「おまえさんら、どっからきたで」

「クリア・セントラルだ」

「そりゃまた遠いとこからおいでなすった。で、何の用だい」

「あんた、この娘を知らないのか?国王の娘だ。この子を送り届けにきたんだ」

「ほほぉ、それはまたけったいな。王様の娘は〈ノウス〉にいったでな。ここにはおらんよ」

「いや、だからここにいるのがその娘だ。色々あって今、ここにいる。私も聞きたいことがある。なぜ、あんたしかいない?」


老人は開いているかどうか分からない眼を伏せ、近くの段差に腰を下ろした。


「おまえさんら、こっからでてったほうがええどぉ。何かが起こるかもしれん。みんな、遠くにいっちまったぁ。王様の娘、〈ノウス〉に行ったと同じ頃にぃ。こんだけ生きてれば悪い予感もあたるべなぁ」


何がおかしいのか、言い終わると老人はほっほっと笑った。


「とにかく王宮には誰かいるな?」

「そりゃあ、王宮さ王様いねば王宮じゃねえ。いかねえほうがいいとおもうがぁ」


行かなければこの娘をどうしろというのだ、と聞き返したかったがこれ以上の情報は得られそうになかった。私は老人に会釈して娘と共に王宮へと向かう。


振り返ると、老人の姿はもう見当たらなかった。


*****


王宮に辿り着くまでそんなに時間は掛からなかった。あの老人以降、本当に誰ともめぐり合わなかったのだ。〈サウス〉から魔導師がひとり残らず消えたのではと思うほど国内は静かで気配も匂いもしない。


王宮の中へと進んだが、やはり誰もいない。国王を守るはずの兵士の姿すらないのだから驚きだった。足音だけが王宮内に響く。娘に道順を尋ねると娘は指をさして進むべき方向を示す。やがて最深部、王殿の前に辿り着いた。この扉の向こうには果たして〈サウス〉国王・リーゼナードは待っているのだろうか。


「それじゃ、開けるぞ」


私は扉に手をかざし、触れることなく扉を開けた。


広がっていたのは王の間。一番奥に玉座があり、たったひとりリーゼナードがいた。


「おかえり、ナキハ」


リーゼナードは玉座から立ち上がる。そしてこちらに向けて3歩進んだところで止まった。


「任務ご苦労だった、〈テトラ〉の兵隊よ」


私の中で何かが音を立てたがその思いは飲み込む。聞きたいことがあった。


「この国で何が起きている?誰もいないぞ」


リーゼナードは鼻で笑った。「俺がいるじゃないか。それで十分とは思わないか?」


「〈ノウス〉との協定はどうした?」

「さあな。娘が帰ってきてしまった以上、また考えねばなるまい」


リーゼナードが手を伸ばす。「さ、こっちにおいで、ナキハ」


さっきも口にしていた名前、ナキハ。それがこの娘の名前らしい。娘は私の顔ばかり伺っている。動こうとしない。


「どうした、今日は動かないばかりだな。ここがお前の家だ。ここまで送り届けるのが私の任務だったんだ。それ以上はない。ほら、父親のもとに帰るんだ」


ナキハは俯く。何かを伝えようとしている素振りだ。しかし、その心は読み取れない。

私は、ほんの少しだけ後ろめたさを感じながらも、自分から出て行くことにした。ナキハが父親に歩み寄る場面を見なくとも私が去ればいいだけの話。


任務は完遂したのだ。


「・・・それじゃあ、私は帰るよ。達者でな」

私は俯いたままのナキハのあとにリーゼナードのほうを見る。


「ひとりにするなよ。ショックで物が言えなくなっている。親としてきちんとケアしてやれ。〈ノウス〉との件はクリア・セントラルに任せろ」


じゃあな、と扉に向けて踵を返した。


帰り道は1日がけの飛行だな。やれやれ、と溜息を吐いた。


・・・ッ!!!!!


どうして体が動いていたのかあまりにも一瞬の出来事で私自身のことなのに理解できなかったが、目の前にあるリーゼナードの狂気に満ちた顔でこれが正しい判断だったと思えた。


「なにやってんだ、お前・・・。これで自分の娘殺そうとしたのか?」


私が抑えている手にはナイフが握られている。ナキハは腰を抜かしていた。


「さすがの反応だな。もうちょっと先に進ませてからやるべきだったよ」

「そんなの意味ねえよ。どこにいようがお前の動きを止めることはできる。よくもまあ殺気を押し殺したもんだ」


言ってから私はリーゼナードの腹部を蹴りこみ、玉座まで吹っ飛ばした。玉座は粉々に砕けていた。


「へへ・・・へへへ・・・。まあいい。いずれにしても計画通りに物事が運ばれた・・・。あとは、我慢比べだなぁ」

「どういうことだ・・・?」


たちまち、大量の殺気を四方八方から、いや、〈サウス〉全域から感じる。それは紛れもなく私とナキハに向けられているものだった。


「ウィザード、おまえさっき聞いてきたな。自分の娘を殺そうとしたのかって」


リーゼナードは呼吸荒く話す。口からは血がこぼれている。

声をかすめながら続けた。


「違うなぁ。俺は、」


気力を振り絞り立ち上がるリーゼナード。気がつけばどこに隠れていたのかと不思議に思うほど大多数の兵士が私たちを包囲していた。


周囲を見渡したあと、再度リーゼナードを見る。悪意に満ちた表情で言った。



「お前を殺そうとしてんだよ、ウィザード」

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