〈episode1〉 もうひとつの世界
「どこだっ!!一体どこへと行ったというのだっ!!!」
野太く、地震のように将軍の声が城内を揺らす。
俺の傍らにあった鳥籠からは、甲高く鳴き声を上げる一羽の白い鳥。暴れて怪我をしないように鳴き声を口笛で真似て宥めてあげた。泣く子は黙らない将軍様らしい。
その声は城内だけに留まらず城下に広がる魔導師たちの住む街まで届いたようだ。家という家からランクによって棲み分けされた魔導師たちが出てくる。皆、慌てた様子はない。むしろ落ち着いていると言ってもいいだろう。そろそろ、頃合いか・・・。
俺の部屋の扉が吹き飛んだ。最近、修理したばかりだというのにこういちいち破壊されていては修理屋にも申し訳が立たない。扉を引くことも押すことも知らんのか、あの将軍様は。窓のない部屋から外を眺めていた俺が将軍の方に向き直るとそれはそれは、血相を変えて息も絶え絶えになりながらそこに立っていた。
「これはこれは、エッフェンバルト大将軍様。どうかなさいましたか?」
「どうもこうもあるかっ!貴様こそなぜそんなに落ち着いていられる、フューリ」
将軍ともあろうお方がそんなことではとも思ったが、多分気に障るだろう。辞めておくことにした。それよりも扉の事が気になったが、それも今はまぁ、良しとしよう。
将軍は、俺の方へとその2メートルはあるであろう巨体と長く蓄えた髭を揺らし、ノッシノッシと向かってくる。鼻先がくっつきそうなところでようやく止まってくれた。
「アーフェンは、どこだ?」
「知らないですよ。僕はずっとここに居たんですから」
居た、というよりも幽閉に近いのだが俺は事実を述べた。アーフェンは一昨日の食事当番でここに来たっきり見ていないとも付け加えた。
「アーフェンが城から居なくなった。俺の〈傀儡〉を一体連れて」
「…それはなんとも穏やかではないですね」
俺の部屋の扉を破壊した将軍も充分に穏やかではないが。
まあしかし。慌てても仕方がない。居ない者はいないのだ。
どこに行ったかくらいなら見当もつくけれど。
「そういえばリロウスも居なくなりましたね」
「ああ。だがアイツの場合は…」
将軍はしまった、という表情をして言葉を濁す。
何がそうさせたのかも俺は知っている。噂という物は耳に入る。千里でも万里でも超えてくる。幸いか生憎か、俺が幽閉されているこの部屋は城の一番高い位置にある。なのでとてもとても静かなのだ。だから目を閉じて耳を澄ませば魔導師たちの心臓の音さえ聞こえてくる。生きているということは、誰かに知られているということでもあるのだ。
「きっと、あちら側に行ったのでしょう。リロウスを追って」
「なにっ!?追っていっただと!?」
俺は「ええ」と言い、将軍は深く考えた様子だった。
エッフェンバルト大将軍様。
この方もこちら側の世界ではトップクラスの魔導師。通名は泣く子も黙るエッフェンバルト大将軍様。
「でも、リロウスは〈傀儡〉を持たないままあちら側に行ったのでしょう?」
「そのようだが。…貴様、何か知っているのか?」
ああ、知っている。知っているが、
「いいえ、何も。空の色が変わらないことしか知らないですよ、僕は」
と、空を見て言った。
乾いた荒野をそのまま天に置いたような、どこまでも続くくすんだ、濁った空。
空と聞けば誰もが青を思い浮かべるだろう。どこまでも続く透明で、澄んだ空を。
でも、こちら側の空は濁ってしまって空に手が届きそうなほどだ。
あの濁りを手に出来てしまいそうだ。
「とにかく、緊急事態である。準備をしろ。貴様も魔導師ではなく俺の〈傀儡〉として連れて行く」
「それもまた、穏やかではないですね…」
「冗談だ。貴様はあの方のお気に入りだからな」
俺は否応なしに立ち上がらされると、着替えを放り投げられ着る。こうして立って見ても将軍の顔を見るには首が疲れる。「早くしろ」と言われたので、吹き飛んだままの扉を元あった場所に立てかけてその部屋を出ることに。
「おっと、忘れ物です」
「なんだっ!?」
俺は、鳥籠から白い鳥を解き放った。羽を伸ばし、元気よく濁った空へ飛んでいく。名も付けていない鳥。
俺も、彼も、もうここには帰ってくることは無い。
お互い、感謝も別れの言葉もなく、見届けたあと、腕を組み片足を貧乏揺すりしている将軍の元へ駆け戻った。
「しかし、僕が将軍様の〈傀儡〉ですか」
「なんだ。先の冗談の話か。仮にもしそうなったら嫌なのか」
将軍は、真っ直ぐ前を見て答えた。
「貴様は、あの方の〈器〉でもある。俺には扱えんよ」
「滅相もない。将軍様と違い〈傀儡〉を扱えぬ僕です。〈器〉とはいえそんな僕が将軍様の〈傀儡〉になれる日が来るとなればそれは、1人の魔導師として幸せな事。そんな日が来ることを夢見ていますよ」
いや、この世界では夢は見ない。幻想も無い。
空も、歌も、希望も、絶望も、あちら側にある「俺の欲しいもの」は何もない。
だが、こちら側には「魔導師の能力」がある。
「テトラ様は、リロウスをあちら側に追放して何をするおつもりなんでしょうね」
「貴様、やはり追放の事を知っておったのか。…あの方のやらんとしていることを我々は知らんでよい。全てはあの方の思うがままにすればよいのだ」
その後、俺と将軍の間に会話は無くなり、二つの足音を広い、広すぎる城内に響かせながら、
〈彼女たち〉が待つ、円卓へと向かった……。