〈episode14〉北へ
剣のように切り立った岩肌。見渡す限り一面の真っ白。
険しい山道には雪が行く手を阻むように積もり、吹き荒れる吹雪は時折私の体をよろめかせた。立ち止まることさえ許されない。目元まで深くかぶっていたフードを少しあげて前方を確認する。遠くのほうに微かな光が見えた。それが極限地帯での幻覚でない事を祈りながら今は進む。分厚く積もった雪は私が一歩を踏み出すことを恐れているかのようにまとわりついてくる。どうか行かないでくれ、とせがむみたいに。
さて、目的地まで残りはあとどのくらい?
~数時間前、クリア・セントラル~
「オリオン、少しばかりよいか?」
長い廊下を歩いていると後方からよく響く声が届いた。声の方向に振り返るとのっしのっしと歩いてくるのはエッフェンバルト。彼とは古い仲で、私が城住みの魔導師になる前からお互いのことは知っていた。私に起きたことも、彼に起きたことも。それはお互いにとって結び付けのようなもので、助け合って生きてきた、とは言い難いがそれなりの尊敬しあっている仲ではある。
立ち止まった私の目の前まで来ると、エッフェンバルトは言葉を続けた。
「実は折り入って頼みたいことがあるのだ」
昔からこの男からの頼み事というのは碌なものであった試しがない。
私は怪訝そうな表情を向けてみる。なぜか彼は微笑んだ。
「今は忙しい。知っているだろう、事態が芳しくないことくらい」
私の脳裏にはイルヴァナと、彼女の親友だったレイティアの姿。
仲間が死んだのだ。いや、殺されたのだ。あろうことか人間に。リロウスとアーフェンの反逆により我等しか持ち得ないはずだった〈力〉を使って。
私の思考が読めたのかエッフェンバルトはまあまあ、と私の肩に手を乗せる。
「わかっておる。これは由々しき問題だ。だが、仲間が死ぬことは今に始まったことではないだろう。我々は幾多の戦争に身を運びそして生き残ってきた。それが幸か不幸かは分からん。俺にとっても、お前にとっても、この世界にとっても、だ。かつてのお前の・・・」
そこまでエッフェンバルトの話を聞くと私は彼の襟を掴み、それ以上先は話させなかった。私の腕は無意識にそれを掴んでいた。「・・・何が言いたいんだ」
「〈イースト〉と〈ウェスト〉が近々衝突するかもしれん」
彼は臆することなく平然と腕を組み考え込むようにして言った。
「先日の報告書に記したとおり内乱に見立てた暴動を起こす者や、それすらも政治に利用し国家元首の、いや、父親の椅子を奪った者もいた。あの〈イースト〉でだ。結果として俺はそれを手助けしたということになるんだがな。今回は公国同士での争いで済んだが、物事の始まりは小さなことからだ。この事件は後々、この世界に大きな影響を与えかねん。そうなる前に手を打とうと思ってな」
そこまで聞くと私は彼の襟から手を離した。お互いが一息つく。
「いや、公国同士での争いは日々絶えないではないか。それについては残念なことだが。何か気になっている点がほかにもあるのだろう?」
エッフェンバルトはそれまでの表情を一変させ、険しくなる。
私が知らないことを知っているときの顔だ。それは大抵、よくないことでもあった。
「今回の場合、〈イースト〉内部で起きたというのも問題だが、俺は時期が気になっているんだ」
時期?と聞き返すと、彼は前方へと歩き出し私に背を向ける形になりながら話を続けた。
「〈イースト〉の公国、〈イースト・シェイヴ〉ではこれから一月後に任命式が行われるはずだったんだ。何者かに殺された国王、エミュークスから側近であり息子のエミルへと国王の座を引き継ぐためのな。エミルは黙っていても国王につくはずだった。しかし、〈イースト・シェイヴ〉内にいた〈ウェスト〉の民による内乱の混乱に乗じて一月早くエミルは国王の座につくことになった。つまり・・・」
「これは国王の座を巡ってエミルが起こした内乱ではないと言うこと、そういいたいんだろう。これは何者かが情勢を混乱させるために引き起こしたものだと」
彼は、察しがいいな、とつぶやくとこちらに振り向いた。外から雨の音が聞こえてくる。強まってきているようだ。
「もうひとつ。なぜ、〈今〉なんだろうな」
彼からの言葉に、私の背筋に嫌な寒気が走った。鼓動も強くなる。
そうなのだ。内乱や国家反逆ならこの時期でなくてもできただろう。エッフェンバルトの話を要約すると、恐らく〈ウェスト〉の民たちは〈イースト・シェイヴ〉に何らかの形で協力し、茶番を作り上げる為の道化だっただけ。報告書には彼らに〈朽体病〉が現れていたとあった。最早死を待つだけの彼らに内乱を引き起こさせ国家の情勢を狂わせ、戦争にまで発展させるのが目的というのが世間から見た筋書きになるだろう。彼が言うように、戦争は小さないざこざから始まることも多い。
でも本質はそこではないとしたら・・・。
仮にもし、我々〈クリア・セントラル〉に向けられているものだとしたら・・・。
「エミルを国家元首に仕立て上げた奴がどこかにいるはずだ。そして、エミュークスを殺した奴も。それは大体見当がついているがな。今、我が子たちに調査させている」
私の脳裏に仄暗い渦が巻き出すと、彼は私に向けて例の頼み事をしてきた。
「北へ、つまりは〈ノウス〉の地に向かってくれないか」
「〈ノウス〉・・・?なぜそんなところに?」
「オリオン、君の傀儡を解放して来るんだ。そしてあの鍛冶屋に伝えてきてほしい。イルヴァナが死んだことと、大量の武器が必要になるかもしれないことを」
2人の間に沈黙が訪れる。相変わらず雨音は強さを増していく一方。
たぶん、お互いの考えは一致している。
”何かがこの世界の裏にある”と。
その結末は、最悪なものであると。
「あちら側の世界のこともあるが、我々が生きているのはこちら側の世界だ。また、あんな〈大戦〉規模の殺し合いが始まったら、もうこの世界はおしまいだろう」
エッフェンバルトは雨が強くたたきつける窓辺により、下界を見渡した。灰色が覆い、街は見渡せない。でもそこには我々のように力を持つものが守らなければならない民がいる。
「・・・たくさんの仲間が死んだな。お前が愛した者も・・・。俺の家族も・・・」
その声にいつもの威勢は無いように思えた。
あれは、この世界全てが引き起こした過ちだった。
生きる術を得るための殺し合い、とは過ちと言わずして何と言えるのだろうか。
「お前は、どこへ向かう気だ?」
大きな背中に向けて問う。
「俺は〈ウェスト〉に向かうことにする。3番目の子がどうやら手掛かりを掴んだらしい」
「・・・ルナ、か。なあ、エッフェンバルト、お前はもう怖くないのか」
その質問は私自身の弱さを教えているようなものだった。
でも、たとえそうだとしてもいい。
私には彼の泣き叫んでいた姿を思い出せずにはいられない。世界を憎み、敵を憎み、己の弱さを憎んだ彼の姿が。
戦い、傷つけることを恐れた彼の優しさ。それが、彼から大切なものを全て奪い去ったのだから。
小さかった背中は、今はこんなにも大きい。
エッフェンバルトは再度振り向き、私の問いにこう答えた。
「今は守れる力と守りたいものがあるからな」
~現刻~
先ほどまで豆粒のような光も近づくにつれて大きくなり、人影が確認できた。
手を振っているように見える。ほんの少し足が軽くなった気がした。
ここは〈ノウス〉の山脈地帯にある部族の村。私の故郷、〈ステア村〉。
吹雪は止み、村民たちが藁で組まれた家から次々と出てくる。何人かの老婆が私の顔を見るとすぐさま駆け寄り、よく帰ってきたねえ、と手を握られた。その手は極寒であるこの地でもとても暖かい手だった。
「単なる里帰りではないんだ。クーに用があってきた。今もあいつは生きているか?」
私が老婆たちに聞いたその時だった。
「やーだねェ、オリオン。まるでわしが生きているのが嫌みたいな口ぶりじゃないかァ。かわいいかわいい孫娘よォ」
私は声が聞こえたのと咄嗟に弓矢を構えた。ほぼゼロ距離の位置にその男はいた。目の前に弓を引かれ、今にも放たれそうな矢にも顔色一つ変えない。周りにいた老婆たちは一斉に私と男から退き、囲まれる形となった。
「おいおい、その指は離すなよォ。結構本気でビビッてるからさァ」
「・・・クー、か。お前、また傀儡を使ったのか?」
「仕方なかったんだァ。じゃなきゃ体は木っ端微塵よォ。〈朽体病〉ってのは何度も現れるもんなのかねェ」
彼の体はその口ぶりに似合わず若い風貌だった。以前彼を見かけたときは相応の体をしていたと言うのに。
私は弓矢を消し、一言謝ってからクーと抱擁した。
「てなわけで、おかえりィ、オリオン。ゆっくりしてけェ」
「悪いが、そうもしていられないんだ。詳しく話すが、その前に」
「なんだァ?」
私は、ステア村の切り立っている岩壁に開いていた洞穴を指差した。それはかなり高い位置にある。
「あれを、解放してもいいか」
私が指差したほうを村人たちが見る。
さっき吹雪は止んだ。そのはずなのに、私の耳にはひゅうひゅうと、呼吸のような音が聞こえた。
洞穴の暗黒は、見ている者達全てを飲み込もうとしている。
このときを待っていたぞ、と言わんばかりに。




