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『te:tra』  作者: 坂江快斗
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第1話 「不器用な彼女からもらったもの」

例年よりも長かった梅雨が明け、雨があがった後の空はとても澄んでいて、夏の到来を予感させる風を運んでくる今は6月下旬。一学期も残すところあと20日と少しという6月下旬。


俺は戸惑っていた。

それは何気ない日常によくあるシーンで滅多なことがない限り戸惑う、などという思考には陥らないのだが、たった今、俺は戸惑っている。

時計の針は、登校時間の午前8時を大きく回り午前11時を指していた。

いつもよりも寝過ぎた結果である。俗にいう、遅刻確定という結果である。

俺の何気ない日常のシーンには遅刻はよくあることで別に焦ることは無かったし、仕方ないとさえ思っていたこともある。

しかし、今日は違う。俺は戸惑ったのだ。なぜか。それは、午前11時という時間のせいだ。今から真面目に登校しても学園に到着するのは正午を回るだろう。そして学園はお昼休みに入る頃だろう。ともすれば計算は簡単だ。俺が学園で費やす時間は3時間も無いのだ。これは、もう行っても仕方ないのでは?と俺の中の天使が囁く。

だがしかしだ。今日は午後の部活動に参加しなければならない日でもある。当然、部活動だけ参加するという行為は認められているわけもなく、午後からであろうが授業は受けなければならない。部活動くらい一日休んでも問題ないだろうと思うかもしれないがそうは問屋が卸さない。俺の所属する裁縫部には鬼のような幼馴染がいる。そう幼馴染。共に同じ病院で生まれ同じ地域で育ち同じ学校を歩んできた腐れ縁の幼馴染。口が開けば怒号が飛び出し、口が閉じれば目線を刃に変える幼馴染。一体俺が何をしたというんだと弁明の余地を求めてもその時には決まっていつもシカトを決め込むそいつの名は、矢薙沢栞菜。(やなぎさわかんな)

人数が足りないからと。お願いだから、と今も昔も変わらないまるで神を崇拝しているかの如くの上目づかいで責められたのが運のつき。署名したが最後。俺は毎日雑用に次ぐ雑用に宛がわれているのだ。

最初は幼馴染の好で付き合ってやるかぁなんて思っていたけど、それも段々と我慢の限界点を超えつつ、怒りの臨界点を突破しかけようとしていた。が、そんな時。

学園のアイドル的存在、枝紡しほうふたばが入部した。なぜなのか詳しい事は知らないが、本人曰く「苗字に紡ぐと入っているから」だそうだ。その日から俺は辞めることを辞めた。色んなことを諦めた。察することにした。

まあ、俺が辞めなかった理由は置いといて、今日は栞菜から必ず出席するようにと言われている。栞菜が「必ず」という単語を使うときはよっぽどの時だ。昔からそうだった。俺は、先ほどから気づかないふりをしていたバイブレータ機能により震え続けている携帯電話に手を伸ばし、画面を見るとやはりそこには『幼馴染1号』の表記が。通話ボタンを押そうとして、途切れる。すぐさま鳴り出す。どんだけ俺と話したいんだよ、幼馴染1号・・・。

仕方があるまいと、通話ボタンを押してみる。耳から20CMほど話して準備はOK。


「ちょっとあんた今何時だと思ってんのよーーーっ!!!!!!!」


・・・・・。

これだけ離したというのに耳の奥がきーんと嫌な感じがする。俺は条件反射的に「ちょっとお前声でかすぎるだろーーーっ!!!!!!」と突っ込もうと思ったが辞めておいた。こういうことも諦めているのだ。世知辛い。


「悪い、今起きた、ごめんね、栞菜ちゃん」

俺は、至って冷静に言う。

「殺すわよ」

彼女は、至って冷酷に言う。

「殺すなよ」

俺も負けてはいられない。

「死なすわよ」

彼女は、いつも強気なのだ。


それからの会話は、とにかく来い!の一点張りだったので俺の方が折れて通話を終えた。

溜息も去ることながら、時間はもうすでに正午を過ぎていた。最早遅刻ではなく重役出勤だ。惰眠を貪った結果、いつも以上にすっきり、すっかりリフレッシュした体に制服の袖を通し、身なりを整え、歯を磨いて、いざ魔王のいる城…ではなく我が高、私立藤咲学園へと向かう。


***


春には桜が咲き誇り、周囲には桜並木が連なる学園前。

今はさすがに桜も枯れ落ち、新緑が音をたててざわめいている。枝や葉の隙間からこぼれる木漏れ日は、見上げるほどに太陽の存在とその大きさを知らせてくれる。

いやだなぁ、行きたくないなぁ、なんて思いながら残りは100Mと行ったところ。

右肩にほんの少しの衝撃。両耳に「きゃっ!(どさっ)」という黄色いっちゃあ黄色い声。

そう、俺は上を見て歩いていた。だからその人には全く気が付かなかった。その人もまた俺には気が付かなかったらしい。どうやら本を読みながら歩いていた様子。転んだ手元には凶器にもなりえそうな分厚い本が転がっていた。


「ごめん、大丈夫?」

「えっ。ええ、平気です・・・。こちらこそごめんなさいです」


眼鏡をかけ、今時珍しくおかっぱ頭の女の子。学園指定のブラウスに黄色いカーディガン。リボンの色を見るからに一年生。見るからに小柄で見るからに勤勉そうな女子生徒。


「立てる?怪我、してない?」

「立てる…です。怪我…ないです」


それはよかったと俺は言い、彼女の手を取り立たせてあげた。彼女は「うんしょ」と言い、精一杯立ち上がり本と体に付いた汚れをぱさぱさと払った。やはり俺との身長差は20CM以上もありそうでとても小さな女の子だった。それに加えてあほ丸出しで上見ながら歩いていたら気づくわけないよなぁ。

俺はふと気になったことを聞いてみることにした。


「どうして本を読みながら歩いてたの?」

「本が、好きなので…です」

なるほど、それはそうだろうな。見るからに好きそうだ。

「どうして今時おかっぱなの?」

ここでなぜこれを聞こうと思ったのか。やはり俺は戸惑っていたのだろう。


「ちっ、ちがうです!!おかっぱじゃないです!ボブです!」

「君の名前?」

俺は面白くなっていた。俺自身がという意味ではない。この子の反応がということ。

「それもちがうです!!髪の形の種類がボブですっ!私の名前は、鳴海…」

「鳴海…?それは苗字?それとも名前?」

「鳴海は苗字です…。名前は…その…」


照れたような恥ずかしいような、言うのを躊躇うようなもじもじとした表情で彼女は口籠る。何か言いづらい理由でもあるのだろう。助け船を出すことにする。


「まあ、言いづらいなら無理に言わなくていいよ。俺も基本、苗字でしか人を呼ばないしさ」

「えっ、あっ、そうですか。それならそれで…いいです」

「そっか」


鳴海と俺はほんの少しの間見つめ合った後、気まずくなりお互いそっぽを向き鳴海はぺこりとお辞儀をすると少し離れたバス停まで行き、備え付けられているベンチにちょこんと座った。遠近感が崩壊しそうなくらい鳴海が小さく見える不思議。

俺は、鳴海が居るバス停まで行くことにした。


「いつもここで本を読んでいるのか?」

「…はいです。雨の日はしてないですけど。ここは落ち着くです」

「そうなんだ。難しそうな本だな」

「難しくないです、面白いです!…読んでみるですか?」


瞬間。鳴海の顔はキラキラと輝きを放ち、俺の興味度合いを気に掛ける。あろうことかこの分厚い凶器本を読む用、観賞(飾る)用、保存用と持っているらしい。

もう何回も読んだからと、手渡されたそれは華奢な女の子が持っていたとは思えないほど重く油断もあってすとんと腕が下に持って行かれた。鳴海はそれをみて、

笑っていた。


「そういえば、あなた名前はなんて言うです?見たところ、2年生のようです」

「俺は式瀬陸斗」

「珍しい苗字です。初めて聞いたです」

「鳴海も珍しいと思うけど」


彼女はそんなことないですと言い、なぜか顔を赤くする。それを見たところでポケットに忍ばせておいた携帯が震えだす。もちろん幼馴染1号からだった。


「あんた、いつになったら学校に到着すんのよーーーっ!!!!!!」


鳴海はあわあわと白目をむいていたため慌てて意識を引き戻してあげた。


「もうすぐ着くから、もう目の前」

「嘘ついたら殺すから」

「せめて針千本飲ますとかの情状酌量の余地ねえのかよ」

「なら針千本飲ませて殺す」


こえーよ、こいつっ!一体どこで何が間違ってこうなっちまったんだ。

小さい頃は俺に引っ付き虫だったくせにっ!


とはいえ、学園は目の前なので鳴海の邪魔をするのも悪いと思い、その場を後にすることに。鳴海は、またぺこりと頭を下げ眼鏡をくいっとあげたあと再び新たに鞄から取り出した分厚い凶器本を読みだした。

あいつの下の名前、結局なんだったんだろ。


***


午後13時。ようやく学園に到着した俺を待っていたのは容赦のない言葉責めだった。それも幼馴染1号の幼馴染1号による幼馴染1号の為の言葉責め。

しかも正座。想像してみてほしい。遅刻したからと言って衆人環視の中、仲のいい友達や学園のアイドル的存在が居る中、正座をさせられ「あんたは寝るのが遅いのよっ」だとか「あんたは起きるのが遅いのよっ」だとか「大体、起きてから学校行くことを戸惑うとか意味わかんないっ」などと言われ続ける醜態を。もうパワハラ。受けたほうもやる方もこの先全うな人生は送れない。まあそれは大人、社会人に限っての事だとは思うけど。思いたいけど。

程なくして、お説教という名の羞恥プレイは5限目のチャイムにより終わりを迎え俺は痺れに痺れた足で立ち上がり、自分の席へと着いた。ここでようやく、時間割を間違えたことに気付く辺り、お説教という名の羞恥プレイを受けるだけはあると自画自賛に近い納得を心得る。

それでも俺には希望があった。なぜなら俺の隣は…。


「教科書、忘れたの?一緒に見る?」


学園のアイドル枝紡ふたばである。端正な顔立ち、アイドルともモデルとも女優ともとれるそのルックスとキューティクルもつやつやの背中まで伸びた赤毛。おまけとってはあれだが性格もおしとやかで怒ったところどころか人の悪口さえ言ったところを見たことがない。間違いなく世の女子の敵になりうる危険性と、世の男子を虜にするスター性を兼ね備えた簡単な話がめちゃくちゃに可愛い女の子。

その子が俺の隣の席に居て、今日は机までくっつけてくれるというのだ。

俺は世の男子の敵になったな。


「ありがとう。助かる」

「どういたしまして」


机をくっつけた際、枝紡の右隣から熱い視線をキャッチしたが気にしない。

気にしたら、ダメなのだ。こういう時は。

バキィッとかがたがたがたがたとか、そういうの気にしないほうがいいのだ。


授業が進むと、枝紡が俺の机に何かを書きだした。


”部活、お楽しみに!”


あぁ、やることなすこと可愛すぎるだろっ!!でも、部活、お楽しみにってどういうことだろう。俺はその文言の下に付け加えた。


”何かあるの?”

すかさず枝紡が書き加える。

”ないしょ”


ひらがなというのがまた可愛いよなぁ、とか思いつつ俺は絶対にこの文言を消さないと心に誓った。


部活かぁ。裁縫得意じゃないし、お楽しみにの意味が分からないのだが…。

まさか本当に針千本…とか…!?

お楽しみに!のニュアンスの受け取り方俺が間違ってる!?


さまざまなドキドキが俺を悩ませて授業どころではなかった。



***


きたる放課後。俺は裁縫部の部室である家庭科室の前に来ていた。

いつもは扉の小窓から部室の様子を眺めて入ることにしているのだが、今日に限って小窓に黒いものが掛けられているようで中の様子はまったく見えない。分からない。

聞き耳を立てても、時折ひそっと声が聞こえるだけ。今日だけで何度ついたか分からない溜息をして、入ることを躊躇する。帰りたかった。栞菜の今日の機嫌の悪さは尋常ではない。いつも通りの栞菜ではないからこそこの扉を開くのは怖い。たかが女子生徒一人にビビっている俺も大概だが、あいつはやるときは本気でやる女だと知っているからこその恐怖心である。これはむしろ尊敬していると言ってもいいだろう。

意を決してドアノブに手をかけたとき、またしても携帯が震えだす。やっぱり幼馴染1号からだった。たった一言だけだった。


「さっさと入れ」


メールでよくないか?と思ったし言おうと思ったが、すぐ切れた。電話がね。

深く深く息を吸い、そして吐き出してから俺はパンドラの箱を開けるが如く家庭科室の扉を開いた。


「ハッピーバースデー!!りくっ!!」

「お誕生日おめでとうっ!式瀬くんっ!」


クラッカーの火薬が弾けた音と、その火薬の匂いと、飛び出た飾りと、目の前にテンション高めの女の子二人が俺に向けたであろう言葉に俺は一瞬思考が停止した。


「あれ?嬉しさのあまり言葉も出ない?」

「いや、その…」

「びっくりしたみたいだね!大成功だよ、栞菜ちゃん!」


先ほどとは打って変わって笑顔を見せる幼馴染1号こと矢薙沢栞菜。

先ほどと打って変わるどころかさらにとびっきりの笑顔を見せる学園のアイドルこと枝紡ふたば。

2人のきゃっきゃうふふが家庭科室に響いた。


***


ともあれ。

2人はプレゼントとケーキまで用意して俺をお祝いしてくれた。自分でも忘れていたし両親からも何も言われなかったのにこの2人が(厳密には栞菜)が誕生日を祝ってくれるとは言葉通り夢にも思わなかったわけで、俺は素直に喜び感動し、嬉しかった。


「それにしてもあんたのあの馬鹿面、写真撮っておけばよかった」

「うるせ」

「栞菜ちゃん、今日の朝とかねすっごくそわそわしてたんだよ?リクがこないーって。どうしようーって」

「そうなのか?」

「ちょっとそれは言わない約束っ!」


なんだ、まだ栞菜にも可愛らしい所が残ってて良かった。と俺は心の中でだけうんうんと頷いた。

今までデレがないツンデレだと思っていたけど。絶対本人には言えないけど。


「じゃあこれ、私からのプレゼント!」


そう言って枝紡から手渡されたのは丁寧にラッピングが施された細長い小箱。

開けてみてと言われ、丁寧なラッピングを丁寧に剥がしていく。すると中身は万年筆だった。どうしてこれを?と聞くと、「いつか箔がつくようになるから」と枝紡は言った。俺に何の箔がつくかはさておき、そのデザインには目を惹かれた。黒く光沢の見える塗りに金のラインが一本入っている。キャップには俺の名前も筆記体で掘られ色んな角度から見直した。確かに、これを持っている高校生がこ洒落た喫茶店なんかで勉強していたら出来る男に見られること間違いなしだろう。まあ、そもそも喫茶店に行ってまで勉強なんかしないけれど。俺は枝紡に感謝を伝えて大事に大切に万年筆を仕舞った。


「次は…あ、あたしから…っ」


渡されたのは、ラッピングも無いもちろん小箱も無い、おそらく手作りであろうライオンのような生き物の形をした手乗りサイズの人形だった。

形は成しているが、いろいろと不格好である。顔は愛らしさが身を潜めなんだか睨んでいるように見える。ライオンであるならばタテガミがトレードマークなのだが形が均等ではないギザギザである。そして尻尾がなぜか2本生えていた。


「け、ケルベロスよ」

「お前、それはいくらなんでも苦しいだろ」


まあ言われてみれば確かにそう見えなくもないが・・・。


「うっさいわねっ!初めて作ったの!少しふたばにも手伝ってもらったけどさ。あたし、初めてはリクにあげるって決めてたから」

「ぶほっ!!」


飲みかけていたコーラを明後日の方向にぶちまける。何ということを言うんだこの生娘はっ!

その表情は、真っ赤になり目線は下を向きっぱなし。本当にあの栞菜なのか疑いたくなる。


「け、ケルベロスだからあんたのお守りになると思って」

「な、なるほど…」

「肌身離さず持っていないと呪うから」

「お前がっ!?」

やっぱりいつもの栞菜だった。お前が呪ったらお守りの意味ないだろ…。


「でも、ありがとな。さっそく鞄につけるよ」

「いや、やっぱりだめ!!」

「どっちだよっ!!」


恥ずかしいんだもん、なんてこと言うもんだからさすがに俺も照れる。こんなに照れる栞菜はそう見れたもんじゃないから新鮮だった。それでも俺は押し切り、枝紡にストラップを付けてもらって登校鞄に付けた。そして栞菜に見せびらかした。


「だっさ」

「お前が作ったんだぞ」

「でももうあんたのでしょ」


そりゃそうだけど。心なしか、栞菜の頬が緩んでいたように見えた。

初めて自分の部活を持ち、初めて自分で作ったものをプレゼントとして渡す。

栞菜にとってかなりの大冒険をしたと思う。そう思うに至るには、これまでにいろいろあったってことで。

宴もたけなわ、突然始まった俺の誕生日会もあっという間に終わりの時間を迎え3人で後片付けをする。俺と枝紡が掃除、栞菜が洗い物を担当してくれた。

床を箒で掃いていると、枝紡が話しかけてきた。


「実はね、ここだけの話、栞菜ちゃん1か月以上も前から私に相談してたの」

「そんなに前から?」

割りと素直に驚いた。

「ケルベロスを可愛く作りたいんだけどってところから、今日の算段とかをね。絶対にばれないようにするの大変だったみたいで。それで最近はあんな感じだったんだと思う」

あんな感じとは、お昼休みの感じの事だろう。それに関しては、今に始まったことではないけど。

というかあの人形はライオンがうまくできなかったからケルベロスというわけではなくそもそもがケルベロスだったのか。


「大切にしてあげてね。ケルベロス」

「…そりゃもちろん。枝紡の万年筆もな」

「えっ。…ありがと」


枝紡は何か言いかけた後、洗い場の方にそそくさとまるで逃げるように向かって行った。

今日は、赤面をよく見る日である。


***


日没。家から迎えが来た枝紡を校門から見送り俺と栞菜は学園前の停留所でバスを待つ。昼休み、鳴海ほにゃららという女の子が座っていた位置に腰を下ろすと確かに落ち着いたように感じた。単に休憩という意味でなのかもしれないが、辺りが静かという効果もあって一息つくことが出来たのだ。

別にそうしたわけではないけれど、生まれてしまった沈黙を切り裂いたのは栞菜の方だった。


「迷惑だった?」

「何が?」

「誕生日会のこと。それと…」

多分、プレゼントの事を言いたいのだろう。言えないままに硬直する栞菜。

「迷惑なわけないだろ。すっげえ嬉しいに決まってる。こいつも」

俺はケルベロス(?)を撫でてやった。栞菜は「そっか」と言って携帯の画面を見る。どうやら新着のニュース情報を見ているようだった。


「…通り魔的犯行にご注意ください…か」

「通り魔?」

「うん。最近、よく出るんだって。女性ばかりを狙って怪我させるの。しかも犯人まだ捕まってないみたい」

「とんでもねえ屑野郎だな」

「一応、リクも気をつけなよ?」

「それはこっちのセリフだな。一応ってのは取り除いとく」


通り魔か。あまり縁のない言葉なだけに妙にざわついた感覚に陥る。

何だろうか。囁き程度でしか揺れていない木の葉が、嫌に大きく聞こえる。


「あたしは大丈夫。バス降りたらお家すぐだし」


気丈に振舞おうとする栞菜だがその手は少し震えていた。

再び訪れた沈黙を嫌い、俺はその手を握ろうとしたがバスが到着していた。

乗客は、俺と栞菜を含めれば6人。俺と栞菜は一番奥の席に座り、帰路に着く。

離れていく校舎。


一瞬。


ほんの一瞬。バス停に見えた人影。

鬼気迫る表情。何かを探しているような、訴えかける表情。

口元が動いたのも確認できた。そして瞬きの瞬間にその姿は消え失せた。まるでそこに誰もいなかったかのように。


「見つけた…?」

何を見つけたというのだろう?定かではないがそう言っているように見えた。


「どうしたの?」

栞菜が心配そうに尋ねてきた。

「いや、別に何でもないよ」

俺は心配をかけないように言う。


バスが停留所に止まる度、降りていく人々。

いつしか俺と栞菜だけになり、その栞菜も次の停留所でお別れだ。

バスに揺られること15分。栞菜と話す当たり前の風景であり日常。たまに彼女の事を人格破綻者と思うこともあるが、根は本当にいい奴だし、俺にとっては幼馴染であり一番の親友だ。栞菜と話している時間はあっという間なのだ。だからもう停留所。


「それじゃあまた明日」

「おう。気を付けてな。今日は本当にありがとう」

「あたしが誕生日の時、期待してるから」


そう言ってにやりと笑った後、栞菜はバスを降りてすぐさま自動ドアが閉まった。

バスに乗っている乗客はついに俺だけになった。


今日は、お昼からしか学校行ってないのに濃い1日だった。

お昼休みには一年生の鳴海に出会い、本を借りたな。おかげで鞄が重たい。帰ったら読んでみるか。感想とか聞かれそうだしな。

栞菜による羞恥プレイの後は、誕生日会か。うん、悪くない1日だった。


こうして毎日が過ぎていく。

これまでの日々もそうだった。

何気なく生きてきた。何気なく日々は通り過ぎて行った。俺の横をかすめる時もあれば俺に真正面からぶつかってくることもあった。決して平坦な、山も谷も無いような日々ではなかった。それでいい。いやむしろそれがいい。

退屈でもなければ満悦でもないこの日常が好きなんだ。その日々を過ごすうちに俺は大人になり、いつしか結婚もするだろう。子供も授かるだろう。家族を養うために働くのだろう。そして、老いぼれになって余生を静かに暮らすだろう。

神様は誰にだって平等に生きていく権利は与えてくれる。

人によってはそれが理不尽であることもあるだろうけど。

俺は、何気ない日常以外を求めることなんてしない。意味がないからだ。

刺激なんてなくたっていい。生きていることが何よりの刺激だ。

いいなぁ、何気ない日常は。いいよなぁ、普通って。ビバ☆ノーマルライフ。

俺は、んーっと両手を上げ背伸びをした。


!!!!!!!


刹那。俺の座る位置から見て左側の窓ガラスが四方八方に飛び散ったかと思えば耳に刺さるかのような甲高いガラスの割れる音が一瞬でバスの中を駆け回り、さらに言えば傷だらけの女がそこに横たわっていた。

年齢は30代くらいで、髪は足元まで長い。着ている衣服もズタズタに破れていて、血も滲んでいる。俺が何も言えず何もできずただ凝視することしかできなかった上での観察報告だ。

当然、バスの運転手は事態の重大さに気づき、バスを止めようとスピードを落とし始めた。が、女がドスのきいた声で怒鳴った。


「止めるなっ!!奴が来るっ!いいからそのまま走り続けろっ!!!」


俺は、固まったまま動くことも目線を外すことも出来なかった。

ようやく女と目が合うと、女は俺に近づいてくる。間違いない。

さっき停留所に居た女だ。


「…見つけた。やっと。器となる存在を」


俺は、固唾を飲む。心臓の動きだけが活性化していくのが分かる。


「聞いてくれ。信じてくれなくてもいい。そして頷いてくれればそれでいい」


俺はもう、泣き出したかった。たった今、目の前で日常が崩壊したのだから。

もうそれは戻ってこないのだと悟ったから。

失ったものはもう取り戻せない。知っている。


血まみれの女は、俺の顔数センチの所まで近づいて、はっきりとこう言った。



「我が名はリロウス。魔導師に追われている。君の体を貸してはくれないか?」



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