第9話〈炎禍ノ章〉「彼女の名は炎の禍」
意識が吹き飛び、舞い戻る。
俺の体はギリギリのところで真っ二つを免れた。しかしそれも首の皮ではないが一枚繋がっている程度らしく依然として、流血、痛覚は留まることを知らない。
薄れゆく意識の中。枝紡を逃がさねばという思いが先走る。思いだけでは体が動かない。動けばいとも簡単に俺の体は二つになるだろう。
魔導師の顔を見上げる。狂気に満ち、言わずもがな俺と枝紡を見下した眼は漆黒を潜め、トカゲの眼のような鋭さをこちらに向けている。仕留め損ねたと思っていないだろうが金色の髪を揺らすそいつは、両手で巨大すぎる剣を構え、振り下ろしてきた。
しかし、血まみれに倒れる俺と枝紡が大剣の剣筋に触れることは無い。
赤い結界のような半円の膜が俺たち二人を包み、守っている。敵は一心不乱に大剣を振り回し、振り下ろしているのが見える。
「防衛魔法・・・っ!!まだそんな力をっ!!!リロウスっ!!!」
この世の怒りをすべて集約しているような喉も擦り切れそうな声。
奴の体もまた傷、というよりヒビが入っている風に見える。
「り・・・式瀬くんっ!!しきせくんっ!!!!!!」
『陸斗!しっかりするんだっ!!お前は生きている!!』
生きている…?嘘だろ…。こんなに痛いんだぞ…。
枝紡は俺を抱き抱え、ひたすらに俺の名を呼んでいる。涙を伝わせて。
一体何が起きているのかも把握できていないはずなのに。自分の危機でもあるというのに俺の名を呼ぶ。
あぁ、逃げてくれ、枝紡…。頼むから…。
『どうして気配が…。後ろを取られるまで気付けないなんて、ありえない』
リロウスは焦りと動揺が隠せない。
「リロウスっ!やはり精神の癒着が発生してるみたいだな。でも聞こえているよ、お前の声は。どうして気配が分からなかったかって?そんなもん決まってんだろっ!!」
イルヴァナという名の魔導師は休むことなく結界に対し大剣を振るい続ける。
怒号は止まらない。
「お前の魔力はカラッカラなんだよっ!どうせこの結界も寿命削ってんだろ!お前が使えるもんはせいぜい自分の命くらいだもんなぁっっっ」
強まる打撃。結界は徐々に脆さを見せ始め、ヒビが広がっていく。
「アタシをっ…、アタシにあんな屈辱を味あわせてくれたお礼をしてやるさ。初めて『死』を感じさせてくれた礼をなあっっ!!!」
『くっ…。このままでは、まずい・・・っ。防衛魔法が…持たない…っ』
リロウスは声を絞り出す。疲弊が俺にも伝わる。だが、未だに俺は枝紡に身を委ねたまま動けない。
彼女の真っ白なチュニックが俺の血で赤く、黒く染まっていく。
俺のせいで。
そう、俺のせいで彼女は泣いている。
俺のせいで彼女は見てはいけない光景を見ている。
俺のせいで巻き込んでしまっている。
それにここは海岸。駅も近い。それなりに人通りもあるはず。
こんな状況、この世界では有り得ちゃいけないんだ…。
全部、俺のせいじゃないか・・・っ
『違う。君のせいじゃない。これは私たち魔導師側のせいだ。だから君自身を責めるな。希望は、まだ残っている』
希望?何のことだよ…。
『枝紡ふたば、と言ったな。おい、枝紡ふたばっ!』
リロウスは俺の心の中から枝紡に向けて問いかけている様子で枝紡は聞こえていないのか泣くこと、俺の名を呼ぶことを止めない。
『泣くなっ!落ち着くんだっ!!枝紡ふたば!!!』
「ぅ、えっ‥あ……し、式瀬くん…?」
彼女は嗚咽を漏らし、鼻水をすすり必死に呼吸の仕方を思い出す。
そうしてかすかに聞こえたはずの声に耳を傾けている。
『聞こえるな?』
「…し、きせ…くんのこえ?」
『いや、違う。私はリロウス。陸斗の体をとある事情で借りている。その説明をしている暇はない。分かるな?』
リロウスは言い聞かせるように優しく枝紡へと語りかける。結界の外では凄みと強みをさらに増して大剣が振るわれている。結界の異様な硬さに奴も躍起になっている。
「りろ、うす・・・?…リロウス!私はどうすればいいの!?」
枝紡はとにかく俺を助けられるならと、リロウスの存在を否定しなかった。
その口調に、迷いはない。恐らく、彼女が言っていたカンが当たったことも理由だろう。一体、何が彼女に働きかけたのか。俺は知る由もないけれど。
俺は必死にリロウスから意識の優先権を奪おうと試みる。このままでは枝紡の力を使ってしまうことになる。阻止して、何が出来るのか分からない。でも、力を使うことだけは避けたかった。その一心だった。
・・・・・やめ・・・・、いや・・・・だ・・・・っ
『私の言うとおりにしてくれ。君の中に眠るとある力を強制的に目覚めさせる』
「・・・う、うん。分かった。言われた通りにする。でも、これが落ち着いたらきちんと説明して」
俺の声は届かない。
『陸斗の額に君の額を当てるんだ。そして陸斗の心に触れるイメージをする。最後に陸斗に対して、こう言うんだ』
愛している。と
俺は意識の中でもがく。やめろやめろやめろやめろっ!!!!!!!!!!
やめてくれ、やめてくれ・・・。
枝紡は多分、何が起きるのかも何をしようとしているのかも分かっていない。
彼女にあるのは、俺を救いたい一心だけ。
俺の事なんて、いいから…。だから、お前が傷つくことはしないでくれよっ!!!
枝紡!!!!!!
額に温もりを感じた。
「ごめんね、式瀬くん。全部聞こえてるよ。でもね、これが私が感じていたことなんだね」
彼女の涙が、俺にも伝う。
「もう、大丈夫だから。何が起きても、私は大丈夫だよ」
優しい声は、暖か過ぎる。ぼんやりと枝紡の顔が浮かぶ。
「私には、やっぱり普通っていうのが似合わないみたいだ」
そして、枝紡ふたばは笑顔を見せてくれた。
「式瀬くん」
やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!
あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
「あいしてる」
爆発。
俺たちを守り続けていたリロウスの結界はガラス片みたいに砕け、一心不乱に大剣を振り込んでいたイルヴァナもろとも爆風が吹き飛ばす。
大剣を盾にし、こちらを窺う姿勢を見せるイルヴァナ。
「な、なんだ!!!お前はっ!!!だれだっ!!!!」
俺は大剣が反射する自分の姿をみて、言葉が出ない。
赤茶色の長い髪が爆風に揺れ、背中には炎でできたおよそ翼とは言えないようなものを背負い、体を包む赤い着物は所々切れていて四肢の動きに支障がない。
そして何より、顔面は枝紡ふたばそのものだった。眼球はイルヴァナ同様で、鬼気を感じさせる。枝紡ふたばであって、枝紡ふたばではない。
「炎、禍」
勝手に口が動く。途端に意識が混濁しはじめ目の前が暗くなる。
俺を優先としていた意識が切り替わったのだと分かった、その瞬間だった。
~~~~~~~~~~~
っ!!!!
精神の中で枝紡が俺の首を絞めつける。どうしてかは分からない。
ただ確実に俺を殺そうとしているのは理解した。
『まずい、意識が全て炎禍に乗っ取られる!陸斗を離せっ!!』
リロウスが必死に枝紡を引きはがそうとするがしかし、リロウスも疲弊し切りびくともしない。
首を絞められながらも、視界が戻ってくる。目の前にはイルヴァナ。大剣を構える。
俺はそれを見ているだけ。体は勝手に動いていた。
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「ぅらぁっ!!!!」
イルヴァナは細身に関わらず軽々と大剣を振り回す。まるで重力を感じさせない。
炎禍は、両手を叩き辺り一帯に火の壁を作る。イルヴァナを逃がさない為か、人に見られない為か、それは俺の意識ではない。
炎禍は即座にイルヴァナの首を左手一本で握ると、とてつもない高熱を発する。
「ああああああああああああっ!!!」
みるみるうちに焼け焦げていくイルヴァナの首。しかし、イルヴァナは屈せず大剣を握り変えると、そのまま天へと振り上げる。炎禍の左手は切れ味鋭く切り離され炎と化す。気がつけば再生していた。気がつけば再び目の前にイルヴァナを迎えて腹部に右で一撃。怯むイルヴァナは腰を引き、前傾姿勢になる。そこへ先ほど切り離されたばかりだった左で後頭部を殴りつける。砂浜とはいえ、隕石が落下したような窪みが生まれたと思えば砂が原型を取り戻そうとアリ地獄のように流れ込んでくる。イルヴァナが埋まったことを確認すると、炎禍は左手に炎の塊を作り出し、それは徐々に大きくなっていく。やがて自身の顔くらいの大きさの玉を作ると、それこそまるで隕石同然の如くイルヴァナが埋まったばかりの地点へと叩きつけた。
着弾と同時にそそり立つ炎の柱。その火柱の中から現れるイルヴァナ。
大剣は持っておらず、肉弾戦となる。
「アタシに、力で勝てるなんて思ってんなよっ!!!」
ヒビと煤だらけの体から滲む狂気。左の頬に一発が入ると精神の中で首を絞められている俺にも痛みが生じた。
イルヴァナは連続して打撃を打ち込んでくるが炎禍はものともせず、拳に空を打たせる。子供をあやす親のようにまるで相手にしていないといった様子で。それにも飽きたのか繰り出された右手を自身の右手が掴むと再び熱を発し、今度は焼き落とした。炎はイルヴァナを蝕み、消えない。イルヴァナは海へと逃げようとしたが炎の壁に阻まれる。
「どうなってんだよ、これはああああああああああああっ!!!!」
イルヴァナは砂浜に突き刺さる大剣に思いきり右腕を振り回し切り落とした。
切り落とされた右腕は一気に燃焼し、灰へと至った。
炎禍は攻撃の手を緩めない。
~~~~~~~~~~~~~
「枝紡っ!!はな・・・せ・・・っ。どう、したんだ・・・」
首を絞める両手が緩む気配を見せない。むしろ強くなる一方で、枝紡の表情も憎悪に満ちている。一体何が彼女をこうさせているのか。
リロウスは何度も枝紡を引き剥がそうと駆け寄るが上手くいかない。
『このままでは、制御できずに化け物になってしまう!』
化け物。あの時話していた、殺すのに10年かかった魔導師の事か。
俺はその惨劇がこの世界で起きる場面を想像する。
”魔導師1人の力は、地球に死をもたらすことが出来る。”
リロウスが言っていたことを思い出す。
魔導師でさえ10年かかる相手。到底、地球の戦力が敵うとは想像すらできない。
希望が絶望へと変わっていく。
枝紡は依然として、俺を睨む。
そうだよな。俺がお前をこんなふうにしちまったんだよな。
枝紡の深層心理が彼女を駆り立てているのかもしれない、と考えが浮かぶ。
できることなら彼女にこんな表情をさせたくなかった。
いつも笑顔で居てほしかった。太陽のように燦々と輝く笑顔を見ているだけで俺は良かった。
”式瀬くんっ!針に糸も通せないんじゃんっ!!!”
”式瀬くんはさー、なんか他の人とは違うよねっ”
どんな時でも笑っていてくれた彼女。
それが偽りでないことも当然知っている。
俺は、守られているんだ。今まさに。俺が痛い思いをしたことが彼女はとても痛かった。まるで自分が斬られたように痛んだ。だからもう、俺に傷ついてほしくない。
戦ってほしくない。
そうなんだよな、枝紡?
そう解釈してもいいよな?
お前が俺を守ってくれるのか?
逆だろ。俺がお前の日常を守るんだよ。
それが、俺の〈使命〉なんだよ。
お前が抱えた運命を俺が担わなきゃいけないんだよ。
俺は自分が〈器〉という存在であることを思い出す。
なるほど、そういうことかよ…。
俺は枝紡の頬に手を伸ばし、撫でる。怒りに満ちた眼から涙が溢れた。
とめどなく、それでも眼は殺意を抑えない。
俺はその涙を何度も何度も拭う。
「ぐ…うぅ、あぁぁぁ、ぅぅぅ…」
歯を食いしばり、枝紡は己と戦い、俺を守ろうとする。
もう、見ていることは出来ない。俺は決意する。
遅すぎた決意。でももう枝紡を泣かせる訳にはいかないんだ。
「・・・・・もう、泣くなよ」
枝紡の両手からほんの少し、気のせいくらいに力が抜ける。
「・・・ふたば・・・」
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イルヴァナは、大剣の支え無しに立てない。
体は音を立てて崩れ始める。限界だった。
「…殺してやる…。何もかも、誰もかも、全部っ!!!」
雄叫びに似た咆哮を月に向けると、イルヴァナは左手の人差し指と中指で空間を縦に一閃。暗闇が炎禍を覗く。イルヴァナはその空間の狭間から真っ黒な棺を取り出した。
「この体、気に入ってたんだがなぁ。できることなら、これは使いたくなかった。サンドロとの約束、守れなかった…」
棺が解き放たれると、中から人型の〈傀儡〉
「アタシの為に命はってサンドロが作ってくれた最高傑作。アタシの最後の〈傀儡〉!!!」
イルヴァナは傀儡の額に自分の額を当てる。
炎禍は、動かない。いや、動けなかった。
宿主が、戦っているからだ。
そして、イルヴァナが囁いた。
「〈レイティア〉、愛してる」
月の光を遮るほどの光が世界を包む。
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