〈episode8〉イルヴァナの夜
初めて降り立ったそこは、鼻がねじ曲がりそうなほどひどい異臭を放っていてこれが人間共の臭いだと分かったとき、アタシはあからさまに落胆し、失望した。
自身にもその遺伝子が今も僅かながら組み込まれているからだ。
アタシは眼下に広がる点々とした光の中にリロウスの姿を探す。
まだ遠くへは行っていないだろう。魔力も殆ど搾り取られ、体の方も限界のはず。
耳を澄まし、目を凝らし、異臭の中に漂う同族の匂いを感じ、意識を辿る。人間とは違う波長をくまなく探す。時間をかけることも無い。今夜でリロウスの首を取り、あらゆる〈可能性〉を排除するのだ。
やがて微弱な魔力を察知すると、意識内にリロウスの姿を確認する。隠れても無駄だと心の中で囁く。リロウスはとある廃ビルの一室に身を潜めているようだ。
座り込み、壁にもたれ血を流しながら肩を上下に揺らしながら呼吸を整えている。
疲弊しきったリロウスの表情にアタシは苦笑を浮かべる。
「お前は愚か者だよ」
独り言。元仲間の哀れな姿を見て呟かずにはいられない。
魔力を使い、瞬時にリロウスの居る座標まで飛ぶのはこちら側の世界でも造作は無かった。
「・・・よう、リロウス・・・っ!!!」
アタシは大剣を正面に構え、一瞬で振り下ろす。
その間際、驚くという余裕を見せたリロウスは自身の右側に身を翻し避けてみせた。
当然ながらリロウスがへたり込んでいた壁は木端微塵に砕け、粉塵が舞う。アタシは、すかさずリロウスが避けた方向へと大剣を大振りした。が、アタシが切り裂いたのは虚空だった。風圧により、廃ビルの窓ガラスが一斉に弾け飛ぶ。月の光が砕けた破片に反射し、殺風景な空間を瞬く間に彩ってみせたがそれも刹那。
アタシは、力任せに大剣を振りおろし廃ビルごと破壊してみせた。
〈敵〉に逃げられたこと、一撃で仕留められなかったこと、それはアタシにとって同義にして初めての事だった。
すぐさま、匂いを辿る。血の匂い。魔力の跡。どこに逃げようとも死なない限りアタシは追うことが出来る。
途端、大きな音が近づいてくるのが分かった。赤い光を点滅させてこちらに向かってくる機械。あれが〈車〉という乗り物か。
アタシはその場を離れリロウスを追う。やはり遠くへは行けてないようで、アタシはリロウスの前に立ちはだかった。
「逃げんなよ、リロウス。仲間だろ、アタシら」
「…元、仲間だ」
明らかな憔悴。すでに傷だらけのリロウスは敵を目前にして両膝に手を置きまっすぐ立つことさえままならない様子。あちこちから滴る血と、〈欠片〉。
「〈朽体病〉か」
「…関係ない」
「関係あるさ。それはアタシたちにとって唯一の病にして不治の病。傀儡によって逃げることしかできない永遠の病。お前は体を求めてここに来たんだろう?」
「…そう思ってくれても構わん。いずれお前たちもそうするつもりなんだろ…」
なるほど。つまり目的は別にあるということか。
こうしている間にもリロウスの体から落ちていく欠片。ぼろぼろと朽ちていくリロウス。
「聞きたいことが山ほどあるが、アーフェンはどこだ」
「…アーフェン…?なぜ彼女の名前が出てくる…?」
リロウスは面食らったようにアタシへと表情を上げる。そんなのは知らないといった様子で。
「お前を逃がしたのはアーフェンだろ。そしてそのアーフェンもエッフェンバルトの傀儡パクって居なくなった。お前の目的も含めて何がどう関係している?」
リロウスは何も知らんと強く答えた。同時に困惑の色を隠せず彼女の顔で汗と血が混ざりあう。淡い色合いのそれが地面へと滴る。
「そうか。なら、お前を殺せばアーフェンは出てくるか」
「…っ!…イルヴァナ、君だって感じないだろう?彼女の巨大な魔力を。彼女はここに居る筈がない」
「決めつける権利はお前にない。それは、」
アタシは大剣を右手一本で天へと掲げる。
「アタシが決めることだ」
雷の如く、一閃。
地面に大穴が空いたことだけを確認すると、アタシは舌打ち。
逃げ足だけは元気なようだ。
アタシは再び高い所から探す。
月が照らすこの世界。
太陽が輝くこの世界。
アタシが知らない世界。
アタシが生きている世界とは全く違う色をした世界。
この世界とアタシらの世界が一つになったとき、何が起きるのだろう。
「…争い、だろうな」
握った大剣に目をやる。磨き抜かれた剣筋は鏡のようにアタシを写す。
アタシの頬に一筋の亀裂。
それは、首元まで連なっている。
「まだ、あれを使う訳にはいかない」
アタシは大剣を背中の鞘に納め、意識を集中させる。
1秒、2秒、3秒、4秒、と・・・・・。
眼を閉じていたアタシはその脅威に気付くことが出来なかった。
その突然現れた膨大な魔力に気付くことすら敵わなかった。
アタシは亀裂の入った頬を力の限りに打ち砕かれ、地面へとめり込む。
とてつもない爆裂音に周囲の人間がざわめき始める。
だが、気にする間もなくアタシの喉元に手が伸び締め付ける。
「っ!!!!」
「ここじゃあ、人目が多い」
奴はそう呟くと瞬間的に場所が移動したことが分かった。森の中だ。
首を絞めている手が圧迫を増していく。鞘に納めた大剣は抜くことが出来ない。アタシは奴の両手首を握り返し、力比べに出る。力に関してアタシに敵う魔導師はいない。奴もその一人だった。
「くっそ、なめんなぁっ!!!」
ムリくり奴の手を引き離すと亀裂が拡がったのを感じた。
息も絶え絶え、奴の姿をようやく視認するとそこに立っていたのは髪の短い姿。
「…傀儡、か?」
「いや、〈器〉を見つけた。この世界に傀儡はない」
「…精神の癒着が起きるぞ」
「それが目的でもある」
それも厭わないということか。さしずめ、その〈器〉は隠れ蓑ということ。
アタシは大剣を抜くと同時に爆発のように駆ける。
振るった大剣は木々をいとも簡単に薙ぎ払う。が、目標は背後に居る。
あざ笑うかのようにアタシの背中を蹴り下し、アタシは大剣を支えに使わざるを終えない。
一撃を食らうたび、アタシが大剣を振る度、体が軋む。戦況は一瞬で逆転してしまった。
未だ慣れない新地での戦い。空気も空間も何もかもがリロウスの味方をしているように思えた。アタシは狂ったように大剣を振り回す。唸りを上げて。
それも刹那の事。親指と人差し指で止められた大剣はびくともしない。
気がつけばアタシの右頬に一撃。
アタシは吹っ飛び、大木に背中を預ける。めり込んでいくのが分かるが大木はアタシを受け止めてくれた。そのまま、大剣がアタシに突き刺さるまでは。
「っかはッッッ!!!」
情けない声、いや、空気が漏れる。
返り討ちも甚だしい。突き刺さった大剣により大木と一体化せざる負えなくなったアタシの体はもうほぼ全身にまで亀裂が走っている。このままではまずいと思った時だった。
リロウスが倒れる。魔力が著しく消えていくのを感じると、リロウスは気力を振り絞って立ち上がりアタシの前に来る。
「イルヴァナ…、君ももうおしまいだな。放っておいても死ぬだろう」
「どう・・・かねぇ」
リロウスは消えた。
アタシは敗北を知る。
負けるはずなかった。
だが、リロウスの切り札によって戦況が一転し、今アタシは呼吸さえきつい。
〈器〉…。
なぜそんなものが、この世界に・・・?
そしてなんだあの力は…。あの魔力はまるで…
血が口から吐き出される。自身の鮮血で大剣は真っ赤に染まっていた。
月がアタシだけを照らすスポットライトのよう。
でもその姿はアタシを見下しているようにも見える。
「くそがああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
アタシの声が森中を駆け巡るのを知って、
アタシの意識がぷつりと途絶えた。




