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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
97/187

97: 友の声1


 静かだった。

 国王軍兵舎の一角にある、そう広くも無い救護室の中に、ハロルド、フリーデル、クリユス、バルドゥル、ユーグと、大の男が五人も揃っているというのに、まるでそこには誰も存在しないかのように静かだった。

 勢い込んで駆け付けたアレクの方を、誰一人として見ようとはしなかった。ただ先に来ていたユーグが、彼に悲しそうな顔を向けただけだ。

 救護室に数台並ぶ寝台の一番奥が、まるで隔離するかのように衝立で仕切られている。その向こう側に置かれた寝台の上に、ロランが横たわっていた。

 ロランの身体には毛布が掛けられ、青白い顔だけがそこから覗いていた。生気を感じないその顔に足が竦む。寝台へ辿り着くまでのあと数歩が、途方も無く遠く感じた。

「―――――どういう事だよ」

 アレクは掠れた声で呟く。

「何寝てるんだよ、起きろよ。なあ」

 寝坊している友を叱咤するかのように、アレクは横たわるロランへ話しかけた。

 今朝は生きていたのだ。

 食堂で会って、お互い憎まれ口を叩いて別れた。それが半日も経たないうちに、こんな突然に死んだなんて聞かされても、納得する事が出来なかった。

 こんな事は何かの間違いなんじゃないかと、ただ寝たふりをしているだけなんじゃないかと、そんな風に思えてならなかった。

「おい、何黙ってんだよ、ふざけんなよ。いいから起きろよ……!」

 悪い冗談だ。こんな悪ふざけをしやがって、到底許せねえぞ。

「ほら、起きろって……!」

 ロランの着ている服の襟を掴み、大きく身体を揺さぶると、ユーグに止められた。

「止めて下さい、アレク様……!」

 そう言うユーグの目からは、涙が滲んでいた。何泣いてるんだ、こんなのこいつの悪ふざけなのに。

「だってよ、こいつ……」

 引き攣った笑いを口に浮かべ皆の方を振り返ると、皆一様に深刻な顔で下を向いていた。嫌だな、何皆騙されてるんだよ、馬鹿じゃないのか。

 アレクはロランの襟から手を離すと、今度は毛布に手をかけた。こいつをひっぺがして起こしてやろうと思ったのだ。

 だがそれより早く、その手はハロルドに掴まれ止められた。

「―――――止めたほうがいい、お前は見るな」

 ハロルドはゆっくりとかぶりを横に振る。その髪と同じく赤みを帯びた瞳が、アレクを見下ろした。

「な……何言ってるんですか」

「いいから見るな」

 有無を言わさぬその口調に、アレクは毛布から手を離す。

 その時、その自分の手が赤く染まっている事に気付いた。鉄が錆びたような臭いがする。

「ロラン……」

 それはロランの襟を掴んだ時に付いたものだった。揺さぶって少しはだけた毛布の下に、血に赤黒く染まった肩が見えた。 

「何だよ、ロラン」

 急に足の力が抜け、がくんと床に膝を付ける。

 俺に見せられねえ程、何をされたんだよ、お前。どんな殺され方をしたって言うんだ。

「馬鹿野郎、お前勝手に死にやがって。ふざけんなよ、お前がいなくなったら、俺は誰と喧嘩すりゃいいんだよ。馬鹿野郎、馬鹿野郎が……!」

 悪態をついているというのに、ロランは反論一つせず、静かにそこに横たわるだけだった。

 目から溢れる涙をアレクは必至で拭う。埃が目に入っただけだ、お前の為に誰が泣くもんかよ。

「お前何泣いてんだよ」なんて、茶化すこともしない。何も語らない。だがロランは皆に伝えたい事があった筈だ。

 ――――お前、内通者を見つけたんだろ。だから殺されたんだろう。

 語れないお前の代わりに、俺がそいつを見つけてやるよ。お前を殺した奴を、俺が見つけてやる。

 だって俺は、お前の相棒なんだから。


 

 アレクは目を拳でごしごしと擦ると、その場に勢いよく立ち上がり、皆の方へ振り返った。

「こいつ、どこで殺されていたんですか」

 その問いに、皆が顔を上げアレクを見た。

「遺体は西門から西北に三リュード(約3.6キロメートル)行った辺りの、街道から少し外れた場所で見つかったが」

 フリーデルが眉間にいつもより一層深く皺を刻ませながら答える。

 死んだのは王都内では無い。では外に誘き出されたというわけだ。

「だから一人で無茶をするなと言ったんだ……」

 苦悩するように片手で己の額を抑えていたバルドゥルが、息を深く吐きながらそう呟いた。その通りだ、とアレクは思う。一人で動かず、俺に声を掛けてくれていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。

 喧嘩なんかするんじゃなかった。アレクはぎゅっと掌を握りしめる。

 謝る機会は何度もあったのに、不貞腐れ、意地を張って、結局一度も頭を下げる事をしなかった。

 最後に笑いあったのはいつだっただろう、最後に交わした言葉は何だっただろう。己はなんと餓鬼だったのだろうか。

 いくら後悔しても足りやしない。だがどれだけ後悔した所で、もうロランは戻っては来ないのだ。

「クリユス、ロランの後任に第一小隊を任せられる人物を、至急選出してくれ」

 ハロルドが重々しく言い、クリユスが頷いた。

「は……しかし、正直ロランの後を任せられる奴となると、少々厳しいですね」

「そうだろうが、今はこれ以上軍組織に穴を開ける訳にはいかん。頼む」

 只でさえライナスの死により副総指揮官の座が不在なのである。いや、実質ハロルドがその役割を担ってはいるのだが、つまりは彼が一人で副総指揮官と騎馬隊大隊長の役割を兼務しているということなのだ。

 早々に何とかするべき問題なのだが、元々シエン国の軍人だったハロルドをすんなりと副総指揮官に据える程には、まだ軍の古狸共の頭は柔らかくなってはいなかった。

 現状の厳しさは皆充分分かっている。承知しました、とクリユスは再び頷いた。


「その代わり…と言っては何ですが、皆にお願いがあります」

「何だ」

「この事を…ロランの死を、暫らくの間伏せていて頂きたいのです。正確に言いますと、ユリア様がティヴァナへ発たれるまでの間は、何としても黙していて頂きたいのです」

「え……」

 アレクはクリユスの方へ顔を向ける。

「ちょっと待って下さい、どういう事ですか」

 それはつまり、ユリア様にはロランの死を知らせるなということなのか。

「彼女は今、ティヴァナとの同盟の使者という大事なお役目を背負っておられるのだ、そんな時にそのお心を動揺させるべきではない」

「ティヴァナとの同盟の前に、こいつの死なんて瑣末さまつな事だとでも言うんですか」

「おい、落ち着け」

 思わず喰ってかかったアレクの肩に、ハロルドがぽんと手を置く。

「ロランはユリア様のお供をする事が多かった、それだけ彼女と近しかったということだ。しかもユリア様は護衛役を失ったばかりだ、更にお心を痛めるには忍びないと、そうクリユスは言っているのだ」

「それは……ですが」

 けど、そんなのあんまりだ。

 好きな女に花も添えて貰えず、誰にも知られず葬られるなんて、こいつが可哀想じゃないか。

「今回の暗殺という死は、兵士達にも動揺を与えます。せめて彼の後任が決まるまでは内密にしておく方が良いと、私も思います。分かりました、この事は時が来るまで口外致しません」

 フリーデルが同意し、バルドゥルも同じく頷いた。

「それが、いいのでしょうね。私も口外しないと誓います、アレク様も……」

 ユーグがアレクにも同意をするよう促してきた。

 確かに、毛布の下に隠されたロランのその無残な殺され方には、内通者が軍内の動揺を誘おうとしている意図が含まれるのだろう。今は口外しない方が良いというのは、正しいに違いなかった。

「………分かりました………」

 アレクは頷くと、ロランの顔に目を落とす。

 お前は馬鹿だ、その死を悼んでも貰えない女に惚れるなんて、馬鹿な奴だ。

 その辺の飯屋のねーちゃんとか、機織りの女とかにでも惚れとけばよかったんだ。そうしたら何としてでもお前の前に連れて来て、涙の一つも流して貰ったってのに。

 お前の為に涙を流すのがむさ苦しい男だけって、そりゃ無いよなあ。俺がお前の立場だったらと思うと、しょっぱい気分になるぜ。なあ。

 はは、とアレクは口だけ動かし笑ってみせた。

 報われない相手を愛して、その気持ちを告げる事も出来ない存在に想いを募らせて、お前は幸せだったんだろうか。

 せめてそれだけでも知りたいと、アレクは思った。






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