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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
93/187

93: 同盟の使者


「そんな、馬鹿な」

 話があるとユリアに集められた一同は、揃って目を見開いた。

「貴女がティヴァナへ行くなどと、何を仰られているのです、ユリア様……!」

 初めに口を開いたのはクリユスだった。

 ラオはこの参集には応じていない。この場にいるのは、他にダーナとロランのみである。

「私はもう決めたんだ、クリユス。同盟の使者としてティヴァナへ行く。この戦いを早く終わらせるには、それが一番良いんだ」

 淡々と言うユリアに、クリユスはかぶりを振る。

「無駄です、確かに貴女ならばティヴァナと交渉を持つことは可能でしょう。ですが恐らく、同盟を結ぶことは出来ない」

「それは、確かに私では力が足りぬかも知れないが…」

「いいえ、そういう事ではないのです」

 そう言ったきり、クリユスは考えるように黙り込んだ。


 ユリアが行っても同盟は成らない。その理由を、ロランは知っていた。

 以前フィードニアがティヴァナと同盟を結ぼうとした時、ティヴァナへ使わされた使者は矢に倒れ、書状は紛失した。その書状は他でもない、ロランが燃やし灰にして捨てたのである。そして代わりに、別の書状をティヴァナへ届けたのだ。

 そう、かつてティヴァナの王を怒らせ、処刑寸前で祖国を逃げ出した、クリユスからの書状を。

「止めても無駄だ、クリユス。もう既にこの事は王に話しているんだ、私のティヴァナ行きは、じきに王の命として公表される」

 皆が止めることを見越して先手を打っておいたのだ。王の命となったら、もう誰も反論など出来ない。まるでクリユスの遣り方のようだった。よく彼を見ていると思わずロランは感心しそうになったが、それどころでは無いと思い至る。

「では王の命が下る前に、急いで撤回するべきです。俺もティヴァナが同盟を結んでくれるとは思えません。ただ人質になりに行くようなものです」

「もう決めたといっただろう、ロラン。何と言われようと、私はティヴァナへ行く」

「ユリア様、ですが……!」

 必至でユリアを説得しようと努めるロランの横で、クリユスが諦めたように溜息を一つ吐いた。

「―――分かりました、では私もティヴァナへ同行します」

「な……」

 目を丸くしたのは、今度はユリアの方だった。

「何を言っているんだ、クリユス。ティヴァナを出奔したお前がのこのこと国に戻ってどうする。再び捕らえられるだけではないか」

「国を出たのはもう一年半も前の事ですよ、ユリア様。今更こんな卑小な私の存在など、誰が気にするでしょうか。まあ、流石に王城の中まではご一緒できませんが」

「隊長!」

 呑気に言うクリユスに、堪らずロランは声を上げた。そんな簡単な話では無い、それはクリユスが一番良く分かっている筈なのだ。

「私を同行させること。それを了承して頂けないのであれば、私はどんな手を使ってでも、貴女をティヴァナへは行かせません」

 そう言い放つクリユスの言葉は、有無を言わせぬものだった。



 ロランはフィルラーンの塔を後にするクリユスを、慌てて追いかけた。

「隊長、待って下さい、ティヴァナへ行くなんて、本気ですか」

「当然だ、冗談でこんな事を言う訳が無いだろう」

 足を止めたクリユスが、ロランの方へ振り返る。その顔は普段と何一つ変わらぬ、穏やかな顔だった。

「そんな、だって、隊長。隊長がティヴァナへ行って無事で済む筈が……」

 かつてクリユスがティヴァナの王へ出した書状は、フィードニアとティヴァナ間の同盟を求めるものだった。

 処刑寸前で国から逃げ出した男が、敵国の国王軍へ入軍し、そればかりかのうのうと同盟を求めて来たのである。その書状はティヴァナの王を間違いなく怒らせている筈なのだ。万が一ティヴァナがフィードニアと同盟を結ぼうなどという気を起こさぬよう、クリユスがわざと送った書状だった。

「隊長は――――死ぬ気なのですか」

 言いながら、ロランは確信した。同盟と引き換えに、彼は己の首を差しだすつもりなのだと。

「馬鹿な事を言うものではないよ、俺だって命は惜しい」

 クリユスは笑って見せたが、それを信用する事など出来なかった。

 自分の存在が同盟を結ぶ足枷になる。だからその憂慮を少しでも消す為に、ティヴァナへ自ら掴まりに戻ろうとしているのだ。それ以外にクリユスがティヴァナへ行こうとする理由など、ロランには思い浮かばなかった。

 ティヴァナへ行けばクリユスは殺されるに違いない。同盟が成ったとしても、恐らくユリアは人質にされる。そんなのは、とても我慢がならなかった。

「ティヴァナと同盟なんて結ぶ必要ありません。ティヴァナの力なんて借りなくとも、連合国を倒す事は出来る筈です。俺はトルバの暗殺部隊の尻尾を掴みかけています。そいつを崩せば、トルバの力を削ぐことが出来る。俺が、必ず崩してみせます……!」

 そうすれば、二人がティヴァナなんかへ行く必要など無くなるのだ。

 今はアレクの事を疑いたくないなどと、甘い事を言っている場合では無い。相手が誰であろうと、女神フィリージュに誓って俺はトルバ暗殺部隊の尻尾を掴んでみせる。

 ロランは決意と共に、拳をぎゅっと握りしめた。










 ユリアがティヴァナ国との同盟の使者となることが、王の勅命により公表された。

 フィルラーンが外交に関わる事は異例中の異例である。国王軍内はその日、その話で持ち切りになっていた。

 来るだろうと予想はしていたが、勅命の公布から少しして、やはりジェドはユリアの元へやってきた。

 その顔は同じく予想通りに、憮然とした表情をしている。

「―――なんのつもりだ」

 それが開口一番の台詞である。何の事だととぼけてみても無駄だろうと判断し、ユリアは大人しく答えることにした。

「勅命通りだ、私はティヴァナへ同盟を結びに行く。今のフィードニアにはティヴァナとの同盟が必要なのだ」

 その言葉に、ジェドは腹立たしげに舌打ちする。

「そんな事を聞いているのではない、何故お前がティヴァナに行くのだと聞いているのだ。同盟を結ぼうが結ばなかろうが、フィルラーンがでしゃばる事ではない」

「いいや、フィルラーンの私だからこそ出来ることもある。今回のティヴァナとの同盟はまさしくそれなのだ。私は私のやり方で、この国を、皆を守りたいのだ」

「お前が、この国を?」

 ジェドは馬鹿にしたように、ふんと鼻を鳴らす。

「それこそお前の出る幕などではない。ティヴァナなぞと同盟を結ばぬとも、この俺が全ての戦いを勝たせてみせる。そしてフィードニアを覇国と成らせる、それだけの事だ」

「それでは駄目なんだ、ジェド」

 ユリアはジェドを見詰め、必死に彼に語りかける。

「それではこれからも多くの血が流れることになる。私はもうこれ以上無駄な血が流れるのが、我慢出来ないんだ。大勢の命を犠牲にして勝利を得て何になる、ティヴァナと手を取り合うことで剣を手にする必要がなくなるのなら、その方が良いに決まっている」

 その言葉に、ジェドの目ががすっと冷たくなるのを感じた。

「甘い事を言うな、戦いで血を流したくないなど戯言に過ぎん。幾らお前が血に濡れた勝利を望まなかろうとも、国や民はそれを望んでいるのだ」

「ではお前は、勝利の為に人の命が犠牲になるのは仕方がない事だと言うのか。そんなの……!」

「俺だとて、殺したくて殺している訳ではない……!」

 腹の底から搾り出すように吐き出されたその言葉に、ユリアは突然冷水を浴びせられたような感覚に陥り、身体を固まらせた。

「ジェド……」

 彼自身もまた己の言葉に驚いたように目を見開き、そのままユリアから目を逸らした。

 ああそうだ。これが思わず吐き出した、ジェドの本音なのだ。ゆっくりと瞬きをしながら、そうユリアは思う。

 人を殺したくて殺している訳ではない。そうだろう、彼は行きたくて戦場へ行っている訳ではないのだから。

 ジェドが元々心優しい人間なのだということは、誰よりも私がよく知っている。だというのにそんな彼を戦場へ行かせているのは、この私自身なのだ。

 だから私は、ティヴァナへ行くのだ。


「兎に角、お前がいくら止めようとも私の意思は変わらない。私は……」

 ジェドは少しの間黙ってユリアを見詰め、そしてついと手をユリアの頬に伸ばした。

「……お前は、昔と何も変わらないな。残酷な程に、無垢だ」

「ジェド……?」

 何が言いたいのか分からず、ユリアは目で問い返したが、彼はそのまま手を離し背を向ける。

 そしてただ一言、「好きにしろ」と呟くと、部屋を出て行った。






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