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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
89/187

89: 暗殺


 かつてライナスがそうしていたように、メルヴィンもまたジェドの代わりに戦略会議を取り仕切った。

 いや、取り仕切るというよりは、戦略会議という名の元、終始メルヴィンの演説を聞かされていると言った方が正しいだろうか。

 内容は主に己の今までの功績についてである。

 延々と続く長演説に、それより他に話し合わねばならぬ事は山ほどあるだろうという言葉が、皆の顔にはっきりと書かれていたが、それに気付くメルヴィンでは無かった。

 少々困った顔をしたブノワがちらりとクリユスに視線を送ったが、彼は小さく首を横に振った。既にクリユスは三度程、今後のフィードニアの執るべき軍略についての話し合いへと、この演説を軌道修正させるようと試みている。結果それはことごとく失敗に終わっているのだ。こうなったらもう、語りたいだけ語らせるしかないだろう。

「なあ、いつになったらこれは終わるんだ?」

 ラオが小声で言いながら、肘でクリユスの腕を小突いてくる。

「俺が知るか、いいから聞いているふりだけでもしていろ、機嫌を損ねてこれ以上長くなって欲しくは無いだろう」

「うはあ……」

 只でさえじっとしている事が苦手なラオは、見るも悲痛な顔になった。


「あの、失礼します」

 その時、軍務室の扉が叩かれるのと同時に、一人の兵士が顔を覗かせた。

「何だ」

 気分良く話していたメルヴィンは、邪魔をされたと顔を顰める。

「会議中の所申し訳ありません、先日の戦いに対して、労いの酒を配るようにと仰せつかったのですが……」

「王からか、それはありがたく頂かなくてはなりませんな、メルヴィン殿……!」

 これでやっと長演説から解放されると、ラオが嬉々としてその場に立ちあがる。

「うむ……戦勝の祝いならば受けねばなるまいな」

 彼自身も己の武勲による勝利を祝いたいという気持ちがあったのだろう、すんなりと演説を止めた事に、皆一様に安堵した。

 酒はその場で皆に配られた。軍務室にいる上級将校以外の兵士にも、勿論配られている筈である。

 戦いの後に労いの酒が配られるのはいつもの事、メルヴィンの演説に辟易していた皆は、戦略会議の最中に唐突に配られた酒に、何の疑問も覚える事が無かった。

「いやあ、助かったな」と酒瓶を片手にラオは笑った。

「声がでかいぞ」とそれを軽くたしなめ、クリユスは己に渡された葡萄酒の入ったグラスを口に付ける。

 その場は和やかな雰囲気に包まれていた。


「―――――――飲むな………!」


 その空気を破るように、突然大声で叫んだ人物が居た。ジェドである。

 彼は己の口に指を突っ込むと、飲んだものを吐き出した。

「ジェド殿……!?」

 ラオが慌てて彼の元へ駆け寄る。崩れ落ちるように膝を床に付けたジェドの顔は、蒼白を通りこし土気色になっており、額には脂汗が滲んでいた。

「………! 毒だ、酒に毒が入っている。皆飲むな……!」

 クリユスもまた皆に向かって叫んだ。その声に、既に酒を口にしてしまった者は慌てて吐き出す。

「他の兵士達にも、酒を飲むなと伝えろ、急げ!」

 ハロルドが声を上げ、指示通りに数名が兵舎へと駆け戻った。先程とは打って変わり、辺りは不安と恐怖で騒然とする。またか、これも裏切り者の仕業なのか。そんな陰鬱な空気が皆の中に流れた。

「ジェド殿、駄目です、動いては毒の回りが早くなるかもしれません。今医者を呼びましたから、ここでじっとしていて下さい」

 ラオの肩に掴まりながら兵舎へ戻ろうとするジェドを、クリユスは慌てて引き止める。

「………俺は、大丈夫だ」

 掠れた声でジェドはそう言ったが、ラオに支えられやっと立っているその身体が、大丈夫な筈が無いではないか。

 こんな弱ったジェドの姿を見るのは初めての事だった。死という一文字が頭にちらつき、クリユスは目の前が闇に包まれていく恐怖を感じた。

「駄目です。ライナス殿亡き今、ここで貴方まで失ったら、フィードニアはどうなるのですか……!」

 今この男に死なれる訳にはいかない。そうなったら、もうフィードニアはお終いだ。

 止めようとするクリユスの手を、ジェドは弱々しく振り払う。

「だ……大丈夫だと、言っている。俺は毒では死なない。昔飲んだ時も、死ななかった……」

 ジェドは僅かに口の端を吊り上げた。

「俺はこれ位では死なない……大丈夫だ」

「そんな、戯言を……」

 毒が効かない人間などいる筈が無いのだ。現に今、毒は彼の身体を蝕んでいるではないか。

 だがジェドは頑として兵舎へと戻ろうとする。弱っている所を他人に見せようとしない、獣のようだとクリユスは思った。

「クリユス、問答していても仕方が無い。俺がジェド殿を兵舎まで連れて行く」

「ああ――……いや、ならば俺も一緒に行く」

 嫌な予感がした。辺りを見回すと、同じように酒を口にし吐きだした者もいるというのに、彼らはジェドのような症状をみせてはいないのだ。

 もしかするとこの毒は、無差別な相手を狙って酒に入れられたものでは無いのかもしれない。だとすれば、これだけで終わるとは限らないのだ。




 そして、やはり嫌な予感は当たったのだった。

 ジェドを支えながら、三人が王城の軍務室から兵舎へと戻る途中、裏庭に差しかかった所で数人の男に囲まれたのである。彼らは一様に白い仮面を被り、顔を隠していた。

「クリユス、ジェド殿を頼む」

 そう言いラオは剣を引き抜いた。同じように剣を抜こうとするジェドを、クリユスは必死で押し留める。

 普段であれば、クリユスが制止した所で抑えきれる人ではないが、今はクリユスの手を振りほどけずにいた。それ程に彼は今弱っているということなのだ。

 周りを囲む人数は八人。だが彼らはラオの相手になる者達では無かった。

 同時に襲い来る二人の仮面の男を、一人目をひらりと軽くかわし、二人目を一太刀で地面に沈めた。そしてそのまま振り返ると、まだ体勢を立て直せずにいる男を、返す刃でそのまま斬り捨てた。

 それに続く男たちもまた、同じように一人、二人と次々に地面に倒れこむ。五人を倒した所で、敵わぬと知った残りの刺客は、早々に逃げ去って行った。

「くそ。……すまん、取り逃がした」

 後を追いかけたラオが、暫くしてばつの悪そうな顔で戻ってくる。

「まあ、いいさ。彼らは連合国の刺客という訳ではないからな」

 クリユスは地面に伏している男の仮面を剥いだ。その顔を見、ラオは顔を顰める。

「……どういうことだ?」

「見ての通りだよ。毒も刺客も、連合国の仕業ではない。勿論彼らが内通者だという訳でもない」

 仮面の下のその顔は、フィードニア国王軍の兵士のものだった。

「……どういうことなのか、俺にはさっぱり分らん」

「彼らは旧体制を支持する尊貴派の兵士達だ。つまりは、首謀者は王族に連なる者か、貴族の身分を持つ者だということさ」

 クリユスは溜息を吐く。

 ――――メルヴィンだ。

 毒もこの刺客も、全てジェド暗殺の為にメルヴィンが仕組んだ事だ。そうクリユスは確信した。

 ジェドが死ねば己が総指揮官になれると思ったか。ライナスが死に、今またジェドが暗殺などされようものなら、どれ程兵士達が混乱する事か、それがフィードニアをどれ程窮地に立たせる事なのか、考えもしないのか。

 愚かだ。何という愚かさだ。使い道があるからと、あの男をここまで放置した己も愚かだ。

「ラオ、兵舎に戻るのは止めだ」

 ジェドは既に意識を失いかけている。早く解毒剤を飲ませなければ、死ぬかもしれない。

 怒りで手が震えた。それを抑えるように、ぎゅっと掌を握りしめる。

「じゃあ、どこへ」

「フィルラーンの塔へ………ユリア様の所へ連れて行こう。敵は内部にいるのだ、兵舎でまた襲われぬとも限らん。安全な場所は、あそこだけだ」

 クリユスは顔を上げると、王城の隣にひっそりと立つ、フィルラーンの塔を仰いだ。

「ああ、そうだな。分かった」

 ラオはジェドを担ごうとし、だが本人に拒否される。意識が朦朧としているというのに、それでも他人の成されるままに身体を預けるのは嫌らしい。

 困った人だとラオは苦笑し、再び彼に肩だけを貸す。

「ここに転がっている奴らはどうする、捕らえておくか」

 まだ生きている者もいる。だが放っておけとクリユスは答えた。

「メルヴィンが首謀者だという確たる証拠がある訳ではないのだ。彼らを捕らえた所で、メルヴィンにはこの男達が勝手にやった事だと、そう逃げられるだけだ」

 それに反逆罪などという罪でメルヴィンを放逐するつもりもなかった。彼はクリユスを怒らせたのだ、軍人として、そのような尤もらしい罪で許すつもりなど、微塵も無かった。



 




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