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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
82/187

82: 終日の灯2


 一日経ち、処刑の刻限が迫る夕刻、再びロドリグは処刑台へやってきた。

「結局来なかったなあ、やっぱり女より自分の方が大事だってことか、冷たい奴だ」

 詰まらなそうにも、楽しそうにも取れる顔でロドリグは言う。

「ライナスがここへ来ることは無いと、初めから言っていただろう」

 エルダは男から、ふんと顔を背けた。

 戦いに出る前に、『もしお前に危害が及んだとしても、俺が助けに行く事は無い』と既にライナスに宣言されている。国王軍副総指揮官が勝手な行動を取れる訳が無い、無論そんな事は百も承知だったし、エルダ自身助けに来て欲しいとは、微塵も思わなかった。

 マリーが語る夢物語のような、どこかの王族の姫でもあるまいし、王子の助けなど必要であるものか。

 そこまで考え、エルダはふとどこぞの王子のような格好をしたライナスの姿を想像し、くく、と笑った。むさ苦しい王子もあったものだと、当の本人に聞かれたら顔を顰めるに違いない事を考える。

 あの男は飄々と、そして「面倒だな」とでも呟きながら、国王軍の総指揮官として剣を振るっている姿が一番相応しい。

 今エルダが欲っしているものは、自分に差し伸べられる誰かの手などでは無く、たった一本の剣、それだけだった。それさえあれば、ロドリグの罠に嵌りむざむざと処刑を待つだけのこの状況を打破し、せめて自由の為に戦う事が出来るのだ。

 勿論エルダ一人の剣で処刑台の周りを取り囲む、このトルバ兵士達から逃れられるとは思っていない。いないが、それでもフィードニアに、ユリアの元へ戻る為の、僅かな希望を持つ事は出来るのだ。


(ユリア様………)

 エルダはユリアの顔を思い出した。必ず帰ると約束したのに、違えることになってしまった。自分の死を知ったユリアが悲しむのではないかと思うと、心が痛む。あの時エルダをマリーの下へ行かせた事で、彼女が自分を責めなければいいのだが。

 エルダ自身は罠だと分かっていてマリーの下へ走ったのだが、ユリアはエルダが元々フィードニアと敵対するトルバ軍の兵士だった事も、暗殺部隊に所属していた事も知らなかったのだ。勿論エルダが部隊から追われる身だったという事など知る由も無いのだから、その死にユリアは何の関わりも無い。

 だがあの心優しい人は、自分のような者の死でさえも、きっと心を痛めるのだろう。

 そんな事にも思い至らず自分勝手に彼女の元を離れ、だというのにマリーの命も助ける事が出来なかった。己の愚かさや至らなさが、悔しく、情けなくてならなかった。

 ―――彼女の想いが、ジェド殿に届けばいいのだが。

 ライナスに自分の想いを伝えることが出来なかった事を、今になって深く悔いる自分と同じ想いを、ユリアに味わわせたくは無かった。

 例え余計な事をと咎められても、彼女の気持ちを唯一知るこの自分が、彼女の想いをジェド殿に伝えるべきだったのだ。『良くない風が吹く』という先読みの言葉に、真っ先にユリアの身を危惧したジェドなら、きっと彼女の想いを受け止めてくれると、そう信じるべきだった。

 そしてユリア様にも、恐れなくともいいのだとお伝えするべきだった。ジェドを国王軍総指揮官という責務から解放し、両親の元へ返そうとする贖罪の気持ちを無下に撥ねつける方では無いと、そう信じるべきなのだと。少なくともそれを伝えたことにより、二人の関係が今までよりも悪化してしまうという事にはならない筈なのだから。

 せめて。せめてそれを彼女に伝える事が出来たならば。

「残念、期限切れだ」

 ロドリグが夕日を見ながら言った。

 刑の執行人が大きな斧を手に処刑台へ上がってくる。

 兵士の一人が昨日と同じ口上を述べ、今ここに刑の執行が成される旨を宣言した。

 首と腕に付けられた枷が外され、後ろ手に紐で縛られる。罪人が動かぬよう二人の兵士が後ろから彼女の腕と肩を抑えた。

「女、最後に述べておきたい言葉はあるか」

「わ―――私は」

 エルダは処刑台を取り囲む群集を見据えると、叫んだ。

「私は祖国トルバよりも、あの男を愛した。その事を悔いることも、恥じることも何一つ無い……!」

 ライナスへは己の気持ちを、ユリアへは己の気持ちに悔いることの無いようにと、そう想いを込めエルダは叫んだ。

 万に一つの可能性でも構わない、この言葉が何らかの形で二人に届けばいい。そう願いながら。

「裏切り者」「恥知らずが」という無数の言葉がエルダに投げつけられる。だがその言葉に臆することなく、エルダは前を向いた。

『暗闇の中、前を向くエルダが眩しかった』とマリーは言った。そうだ、何も己に恥じる事など無いのだから、私は前を向くのだ。

『笑って、エルダ』

 笑っているよ、マリー。

 私たちは出会うべきでは無かったのかもしれない。けれど私はお前と出会えて良かったと、心から思っている。

 ライナスにも、ユリア様にも。ほんの少しではあったけれど、私は皆と出会えて幸せだったんだ。

 だから私は笑っているよ、マリー。

 死の瞬間私が笑っていたと、彼らに伝わればいい。

 私のこの想いが、どうか皆に届くように。



「―――俺を愛していると、やっと言ったな、エルダ」


 ふいに雑踏の中から、よく知った声が響いた。

「――――え……」

 聞き間違いか。いいや、あの男の声を、自分が間違う筈が無い。

 にわかには信じれない思いで、エルダは群集を喰い入るように見詰めた。

 唐突に人混みの中から悲鳴が起こる。剣を抜いた男が身を翻し、民衆の前に躍り出た。それは現在リュオードの地で戦っている筈の、ライナスだった。

「ほらな、やっと面白くなってきた」

 指をばちんと鳴らし、ロドリグが言う。

「な―――なぜ……」

 驚愕で動けずにいるエルダに代わるように、トルバ兵士の一人が叫んだ。

「ライナス……フィードニア国王軍副総指揮官のライナスだ、捕まえろ……!」

 処刑台の周りを取り囲むように配置していたトルバ兵士達が、その声を機に今度はライナスを取り囲む。

 ライナスは向かってくるトルバ兵士の一人から剣を奪うと、それを処刑台の方へ槍を扱うようにして投げた。

 剣はエルダの目の前に突き刺さる。

「構うな、女を早く処刑しろ……!」先程口上を述べた兵士が、慌てて叫ぶ。

 だがエルダはそれより一瞬早く、自分を取り押さえていた兵士に体ごと体当たりして突き飛ばすと、処刑台に突き刺さったその剣に飛びつき、縛られている腕の紐を切り裂いた。

 はらりと紐が落ち、両手が自由になる。

 その手で剣を引き抜くと、エルダはそれを振り回し、再び捕らえようと伸びてくる複数の手を薙ぎ払う。そして剣の柄で、足の枷を壊した。

「―――ライナス、何故ここへ来た……! お前にはお前の役目があるだろう!」

 処刑台の上から飛び降りると、下に居る兵士数人を蹴り飛ばし、地面にくるりと着地する。倒れた兵士が腰に付けている短剣を奪い、向かって来ようとする他の兵士の喉元へ投げつけた。そして更にその脇に居る兵士を長剣で突き刺す。

「仕方が無いだろう。俺もお前と同じだ、フィードニア国よりお前を選んじまったんだ」

 剣を振るいながらライナスは叫ぶ。ジェド殿と、フィードニアの行く末を見守って行く事よりも、お前と共にいる事を選んだのだと。

「何を言っている――――この、馬鹿……!」

 この私の為に、ライナスという男をフィードニアから奪う訳にいくものか。

 肩に衝撃が走った。振り返り、エルダの血が付着した剣をその手にする兵士の首を、瞬時に切り裂いた。

 兵士が多い、ライナスまで辿り着けない。

「ライナス……!」

 何としても、ライナスだけでもここから返してやらなくては。

 だがエルダに向かってくる兵士よりも、敵軍の副将であるライナスに群がる兵士の方が遥かに多い。一人でも多くトルバ兵を倒し、早くライナスの元へ―――。

 今度は脇腹に激痛が走る。だが、まだ倒れる訳にはいかないのだ。

 ただただライナスを見詰め、エルダは剣を振るった。

「ライナス―――――」

 ライナスがエルダに向かい手を伸ばす。

 あと、少し――――。

「エルダ……!」

 ライナスが剣を振るう度に、二人の間に居る兵士が一人二人と消えて行った。ああ、やはりお前は凄いな。


 エルダは手を伸ばす。

 ライナスがその手を掴んだ。

「面倒臭がりなこの俺が、折角こんな所まで駆けつけたんだ、馬鹿は無いだろう」

 笑うと、ライナスはエルダを引き寄せる。

 一瞬の抱擁、そして直ぐに二人は背中合わせになると、お互い目の前の敵と剣を合わせる。

「馬鹿は馬鹿だ、助けになんか来たら殴ってやると言っただろう」

「おいおい、怖い女だな」

 ライナスは背中で笑った。

「――――だが悪いな、俺はお前を助けに来た訳ではない。ジェド殿ならこの状況でお前を助け出し、フィードニアに連れ戻す事も出来るだろうが、残念ながら俺はそこまで非凡な男では無いからな」

 彼の身体も既に無数の傷を負っている。それらは一見するだけでも深く、今この場に立っていられるのが不思議な位だ。

「お前と共に戦い、そしてお前と共に死ぬ、俺がしてやれる事はそれだけだ」

 エルダも笑った。

「――――――やっぱり、お前は馬鹿だ……」

 たったそれだけの為に、全てを捨て私の元へ駆けつけたのか。独りで死なせない、それだけの為に。

 何て馬鹿な男だろう。私の愛した男は、こういう男だったのか。

 どんな愛の言葉を貰うよりも、こうしてこの男の背中を任され戦っている、それがエルダには何より幸福な事に思えた。


『エルダもライナス様と幸せになってね』

 ――――ああ、私は幸せだよ、マリー。

 故国よりも何よりも大切な人が、今私の背中に居るのだから。







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