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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
78/187

78: 孤軍の第七騎馬中隊


 グイザード軍の攻撃に第二騎馬中隊が引いた事により、ラオ率いる第三騎馬中隊とハロルド率いる第七騎馬中隊が本体から分断される形となった。

 ラオは思わず舌打ちをする。

 第二騎馬中隊といえば、この前ハロルドに食って掛かっていたマルクという名の男の隊だ。

 第二中隊はグイザード兵の突然の攻撃を抑えられなかった訳ではない。旧シエン国の集まりであるハロルドの第七中隊と敵軍の間に挟まれる形となってしまい、だが背後を預ける程の信用を第七中隊に抱いていないマルクは、思わず後方へ下がってしまったのだ。

 そしてそのフィードニアの危うい部分は敵にも知れた所だった。だからその弱い所を叩かれた。そういう事だ。

 己の隊が孤立させられる事にはジェドの戦い方で既に慣れてはいたが、フィードニアは未だ一枚岩では無いと実感させられた。それはフィードニアの少ない戦力をどうこう言う以前の問題である。

「ジェド殿、我等以外に第七騎馬中隊も孤立しています」

 叫ぶラオに、ジェドは顔だけこちらに向けると頷いた。

「一度ここから抜ける。ハロルドに付いて来いと伝えろ」

「は……!」

 部下に伝令を出すのと同時にジェドは進行先を左方へ変えると、敵軍の中を強引に突き進み、道を作った。


「かたじけない。助かりました、総指揮官殿」

 敵軍を抜けると、ハロルドが駆け寄って来てジェドに頭を下げた。

「我らが総指揮官殿の援護に回らねばならない所を、逆に足手纏いになってしまうとは、なんとも不覚」

 詫びるハロルドの言葉を払うように、鬱陶しそうにジェドは手を振る。

「構わん。お前一人でも何とか切り抜けただろう、だがお前に少し役に立って貰おうと思い連れ出した。それだけだ」

「は……役に。この俺がお役に立てるのでしたら、何なりと」

「お前にはこれから、俺の指示だけに従って貰う。軍からの指示は一切聞くな」

「一切。ライナス殿の指示にも、ですか」

「当然だ」

 言いながら、ジェドはにやりと笑う。

「今度はこっちが奇襲攻撃をしかける。今から指示する動きはラオとハロルド、お前達にしか伝えん。誰に問い詰められようとも他言はするな、いいな」

「は……!」

 そしてジェドが口にした策を聞きながら、楽しくなってきたとラオの胸は躍ったが、ハロルドはどこか戸惑った顔になった。

「しかしそれは……この私にそのような大役をお任せ下さるとは。総指揮官殿は、この俺を…我ら旧シエンの第七中隊を信用して下さるのですか」

 この男にしては幾分弱気な台詞を吐いたものだと思いはしたが、思わずそう口に出てしまうのも無理はない話である。同じ余所者同士とはいえ、ラオやクリユスのように中隊の兵そのものは元々居たフィードニア兵で形勢されている隊とは違い、一個中隊丸々が旧シエン兵である第七騎馬中隊は、何かといえば避難の矢面に経ち易いのだ。そしてその不信から、先程も窮地に立たされたばかりなのである。

 だがジェドの出した策は正に第七中隊に背中を預ける行為であり、信用していなければ成り立たない策だった。いや、そもそも他の隊に他言無用と言っても、ハロルドの隊の中に裏切り者が居ればそれは全く意味を成さないのだ。それだけで既に信頼を示しているとも言えるか。

「ジェド殿は謂れの無い中傷を間に受ける方ではないのさ」

 幾分誇らしげになるラオに、ジェドはふんと鼻を鳴らす。

「俺は誰のことも信用などしていない。この俺の役に立つか、立たないか、それだけだ。その男はライナスとお前の次位には役に立ちそうだ」

 それだけを言うと、ジェドは再び戦場へ馬首を向けた。








 ジェドと彼の直属部隊である第三騎馬中隊は、先程から敵軍に突っ込んで行ったかと思えば引き、引いたかと思えばまた突っ込むという行動を繰り返していた。

 しかし彼の奇異な行動には慣れているのだろう、本軍は彼には構わず、ボルテンとグイザードの両軍に真正面からぶつかり合っている。

 ハロルドの隊はジェドとは敵軍を挟んだ反対側の、更に両軍から少し引いた位置で、こちらは敵にぶつかるでもなく引くでもなく、戦いを静観するかのようにじっと動かずにいる。

 単独行動を取っている第七中隊に、本軍からは持ち場へ戻るようにと指示が再三来たが、ハロルドはそれを全て無視した。

 恐らく本軍の者達は、シエンの人間がとうとう反旗を翻したと思っていることだろう。

 それは随分な屈辱ではあったが、彼はただ耐えた。

 ハロルドの軍がフィードニアを離反したと思い始めたのは、フィードニアだけでは無かった。本軍から離れて動かない一個中隊に、初めは警戒していたボルテン軍だったが、そのうち左程の注意を払わなくなっていったのだ。

 ハロルドの中隊が旧シエン兵の集まりである事は、敵軍に知られているに違いなかった。そしてフィードニア国王軍内で未だ信用されていないという立場もまた、相手の知るところなのである。フィードニアへの忠誠心はまだ薄く、更に先程の味方の裏切りにも似た行為に反発を覚えても可笑しくは無いと、そう判断したのだろう。

 それを承知の上で、ハロルドは己の立ち位置を迷い、ともすればボルテン側に付いても良いとさえ思っているような素振りを見せた。

 それは功を奏し、次第にボルテン軍の注意はハロルドの隊から削がれ、奇異な動きをするジェドの隊へと注がれていく。

 目障りなこの一個中隊を捕まえようと、今まで固く陣形を守っていたボルテンの国王軍が動く。

 ボルテンの陣形が、僅かに崩れた。

 その瞬間、ジェドはボルテン国王軍に猛烈な勢いで突っ込んで行った。片や無謀なその一個中隊を取り囲もうと、ボルテンは第三中隊を呑み込んでいく。

 ―――――今だ。

 ハロルドは第七中隊を、ジェドが突っ込んだ反対側からぶつけた。ジェドの隊に気を取られていたボルテン国王軍は慌てて迎撃してきたが、第七中隊の勢いを止める事は出来なかった。

 敵軍の中を突き進んでくる第三中隊と、第七中隊がぶつかる。ボルテン国王軍の、総指揮官直属部隊が分断された。

「――――やれ、ハロルド」

 ジェドがハロルドに顔を向け、にやりと笑った。

「――――は……!」

 ジェド率いる第三騎馬中隊は左右に伸び、たった一個中隊でボルテン本軍を抑えに掛かる。それを見たライナスはジェドの負担を減らす為、瞬時に陣形を変え、左右から攻撃をしかけボルテンに圧力を与えた。

 ハロルドは前方へ馬首を向けると、ごくりと唾を飲み込む。

 相手は国王軍の総指揮官。この俺に、倒せるのか――――。

 体がぶるりと震えた。恐怖の為ではない、武者震いだ。

 やれるか、やれないかでは無い。やらねばならないのだ。

 ここでしくじればもう己に明日は無い。しかしここで見事ボルテン国王軍総指揮官を下して見せれば、このハロルドという名を高める事が出来るのだ。

 高々と剣を上げ、ハロルドはボルテン国王軍総指揮官に向かい、馬を走らせた。



 持てる力を全て出し切るように、第七騎馬中隊はボルテン国王軍へぶつかって行った。

 流石国王軍総指揮官の直属部隊である、一人一人が精鋭ぞろいだ。ハロルドは何度も剣を振るったが、中々目指す首まで辿り着けなかった。

「隊長! 隊長は少し下がっていて下さい。総指揮官と戦う為の余力を残しておかなくては……!」

 部下の一人がそう叫び、その声と同時に数人の部下達がハロルドの前に出る。

「お前達………。分った、ここは任せた。何としても敵軍総指揮官を引きずり出せ!」

「は!」

 ハロルドは少し下がると、ふと後ろを振り返った。

 分断されたボルテン総指揮官の隊を助けようと、こちらへ戻ろうと躍起になるボルテン本軍を、ジェドが率いる第三騎馬中隊がたったの一個中隊で引き留めているのだ。その状態で長くはもたせられるものではない、決着を付けるまで、あとどれ程の時間が自分に残されているのかと思い振り返ったのだが、ハロルドがその目にしたのは、ボルテン本軍に全く押し負けていない屈強な一個中隊の姿だった。

 特にジェドの戦いぶりには目を見張った。押し寄せる敵を次々に倒していく姿は、皆が口にするように軍神ケヴェルを思い浮かばせた。

 凄い男だ。

 ハロルドは彼が英雄と呼ばれる所以を、その戦いを間近で見てやっと理解した。

「隊長、敵軍総指揮官です……!」

 部下が興奮気味にハロルドに告げる。見ると、ボルテン国王軍総指揮官が、僅か四ヘルド(約五メートル)の位置に居た。

 ハロルドは馬を駆けさせ、先陣に躍り出る。

「ボルテン軍総指揮官の首、このフィードニア国王軍第七騎馬中隊長ハロルドが貰い受ける!」

 目前の敵軍総指揮官の兜に向かい、ハロルドは剣を振り下ろす。ガキンと剣がぶつかり合う激しい音が響き、ハロルドの剣はあと少しの所で弾かれた。

「若造、たかだか中隊長風情が調子にのるな……!」

 男はそう声高に叫ぶと、反撃の剣をハロルドの首目掛けて突き出した。その剣先を避け、彼もまた叫ぶ。

「そうだ、たかが中隊長だ。この俺がそんなもので終わる訳にはいかん、だから貴様の首が必要なのだ……!」

 彼は国王軍中隊長の座という中途半端な地位などで満足してはいなかった。男と生まれたからには、やはり目指すものは頂点である。己の力で行きつく事の出来る限界まで、辿り着いてみせようと心に決めたのだ。

 二人の男は何度となく剣をぶつけ合う。左程大きくない国とはいえ、国王軍の総指揮官という地位は伊達では無い。無論負けるつもりは更々無かったが、それでも苦戦を強いられた。

 こちらも負けるわけにはいかないが、相手だとて負けるわけにはいかぬのだ、両者は剣と共に意地と矜持をぶつけ合う。

 激しい打ち合いの末、先に隙を見せたのは相手だった。

 ハロルドはその僅かな隙を逃さず、剣をそこに突き出した。それは相手の横っ腹を突き刺し、更に隙が生まれた。

 躊躇無く、彼は剣を振る。

 ボルテン国王軍総指揮官。その男のものであった首が宙を飛ぶのを、ハロルドは流れ落ちる汗に目を細めながら、感慨深げに眺めた。







 後陣に現れたグイザード軍を何とか撃退し、安堵に息を一つ吐くと、エルダは本陣に再び目をやった。

 ボルテンの総指揮官を倒したらしく、高々と上げられた敵将の首と、湧き上がるフィードニア軍の兵士達の姿が見て取れた。

 それでもボルテン軍は何とかこの戦場を死守しようとやっきになっているようだったが、国王軍総指揮官が打ち取られたのだ、王城を制圧するのも時間の問題だろうと思えた。

 ユリアの元へ戻ると、救護所となっている天幕で、必死に負傷した兵士の手当てをしている彼女の姿があった。

 血が苦手らしい彼女の顔色は幾分青褪めてはいたが、それでも笑顔を作る彼女に、兵士達は心の底から癒されているようだった。

 もっとも、その顔に似合わず随分不器用な少女の手当てを受けるには、それなりの覚悟が必要なようだったが。

 エルダは苦笑し、帰ったらもう少しきちんと手当ての法を教えて差し上げなくてはと思う。

 ロランが彼女を例える、美と癒しの女神であるフィリージュに完全に姿が被るのは、まだもう一歩といった所か。

 エルダは馬を下りると、ユリアに声を掛けようとした。

 だがその時目の端に映ったものに何か引っ掛かりを覚え、そちらへ顔を向ける。

「――――――――な………」

 彼女の顔から血の気が一気に下がった。

 視線の先にあるものは、木の幹に矢で縫い止められた、一枚の桃色のドレス。

 その衣服には見覚えがあった。

 忘れる筈が無い。エルダの初めてにして、唯一の友である少女のもの――――マリーのドレスだった。








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