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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第三章
74/187

74: 自分の居場所

 フィルラーンの塔で働く侍女から来客を告げられ、エルダは塔の一階広間へ向かった。

 ライナスだろうかと思ったが、あの男だったらわざわざ侍女を通さずとも、エルダの部屋までずかずかとやってくる筈である。けれどあの男以外にエルダを呼び出す者も思い浮かばなかった。

 訝しく思いながら入口前の小広間へ向かうと、そこで待っていたのは以前一度だけここで会ったことのある、茶色い髪の男だった。名を、確かロランといった筈だ。

 男はエルダの顔を見るなり仏頂面になったが、それはこちらも同じこと。眉間に皺を寄せながら、エルダは形だけ挨拶の言葉を述べた。


「――――お前、トルバの暗殺部隊の人間だそうだな」

 エルダの挨拶を遮る形で、男は唐突にそう言う。

「――――な………」

 何故、分かったのか。驚き目を見開くエルダを眺め、男は舌打ちした。

「やっぱりそうなのか。トルバからの刺客がライナス殿を騙して、まんまとここへ潜り込んだという訳だ。――――言え、何が狙いだ」

 腰に佩いた剣をすらりと抜くと、ロランは剣先をエルダに突きつける。暗殺部隊に居た事に確証があった訳では無く、カマを掛けられたのだ。それにうっかり反応してしまった己の愚かさをエルダは呪った。

「……狙いなど無い。そこから逃げ出した私を、ライナスがここに匿ってくれただけだ」

「それをどうやって証明出来る? お前がユリア様に害を成す事は無いと」

「私が、ユリア様に?」

 馬鹿な、と言いたいところだが、逆の立場であったなら自分もそれを一番に危惧するであろう。敵国の暗殺部隊の人間が、国の中枢に近い所に潜り込んでいるのだ、それを知って安穏としていられる者などいる筈が無かった。

「ユリア様は得体の知れぬ私を無条件で受け入れて下さった。それを裏切るような真似など決してしない。―――だが、幾ら口でそう誓った所で、お前は信用などしないだろうな」

「勿論だ、口だけなら幾らでも偽りを語れる。その言葉を証明する事が出来ぬのなら、お前を切り捨てる。万が一にでもユリア様を裏切る可能性のある人間を、捨て置くことは出来ない」

 ぎらりと目を光らせるロランを、エルダはどこか羨ましい思いで眺めた。

 自分が心から仕えたいと思える存在が居るという事は、軍人にとってなんと幸せであることか。トルバではそう思える存在についぞ出会う事が叶わず、そして今や逃亡者であるエルダには、もう望むべくも無い事なのだった。


「――――ならば剣を持てぬよう、私の腕をやろう。それで足りぬのなら、私の足も共にくれてやってもいい。それならばユリア様に害を成す事も、逃げる事も出来まい」

「……本気で言っているのか?」

 ロランは探るような視線をエルダに寄こす。

「冗談でこんな事を口にはしない」

 軍人として生きる事ももう無いのであれば、戦う為の手足など必要では無い。それで他意など無い事を証明出来るのならば、悪くない取引だと思えた。

 元々一度死を覚悟した身である。このままこの男に切り殺されたとしても、それはそれで構わないとも思ったが、ただ、もう少しだけ、ほんの少しだけでいいから、ユリアの傍に居て、彼女の話を聞いてあげたかった。他の誰にも心内を打ち明ける事が出来ず、独りで戦う彼女の心を。

「ふん……ではお前の利き腕をもらおうか。言っておくが、俺はお前を女だとは思っていない。ただの脅しとは思わぬ事だ」

「分かっている」

 エルダに突き付けていた剣を鞘へ戻すと、そのまま背を向ける。

「付いて来い、兵舎にある鍛錬場へ行く」

 フィルラーンの塔で血を流す訳にもいかない。頷くと、大人しくエルダはその背に従った。







 訓練場は王都の外に有るが、それとは別に国王軍兵舎の一角に据えられている、鍛錬場と呼ばれる屋根付きの建物があった。

 軍隊としての訓練を行う訓練場とは違い、ここは個人が自主的に鍛錬を行う為の場所らしい。だが今この場には、誰もいなかった。昼間なのだから、皆訓練場の方へ行っているのだろう。

「―――――さあ、いつでもいいぞ」

 エルダはその場に跪くと、右腕を真横に差し出した。

「……言っておくが、片腕を落としたところでお前に付けた監視は無くならないぞ。利き腕が無くとも、まだもう一つの腕がある。幾ばくかの時間をやるだけだ」

 ロランは言いながら、再び鞘から剣を抜いた。

「それでいい、充分だ」

「そうか、では行くぞ――――――歯を、くいしばれ………!」

 エルダはスカートの裾を噛みしめる。

 剣が頭上高く上げられ、そして振り下ろされた。


「―――――――――!」


 覚悟した痛みは、エルダを襲わなかった。

「ち……少しは顔色くらい変えやがれ」

 勢いよく振り下ろされた筈の剣が、エルダの腕からほんの指一本の所で止まっている。

「……何故、止めた」

 ロランは剣を下げると、代わりに指をエルダに突きつける。

「――――馬鹿か、お前は。片腕を切り落としたお前の姿なんぞを見たら、ユリア様が卒倒されるではないか。しかもユリア様に責められるのは、この俺だぞ。何で俺がそんな事をしなくてはいけないんだ……!」

 ひとしきり怒鳴ったあと、ロランは深い溜息を吐く。「何が腕をやるだ。全く、怖い女だな」

「……裏切らないという証拠が欲しいと言ったのはお前ではないか。私には他に思い浮かばなかったのだ」

「思い浮かばなかった、ね……」

 言いながら、馬鹿にしたような顔になる。

「その愚直さといい、暗殺部隊という言葉に迂闊にも反応してしまった事といい、お前、暗殺者としては三流だな」

「余計な世話だ」

 確かに自分は暗殺者には向いていないと自覚はしていたが、この男に言われると妙に腹が立った。

「お前が暗殺部隊で使われていた理由は、その綺麗な容姿と、そして少しばかり使える剣の為だけだろう。そんな女を、俺だったらフィルラーンの塔へ送り込むなんていう重要な仕事は与えない。 ―――まあ、それが証拠って所だな」

「―――――え?」

 どういう事だと聞き返す言葉を無視し、ロランは鍛錬場に置かれている剣を掴むと、エルダへ放った。剣先が潰された、訓練用の剣だ。

「お前の腕前を見せて貰う」

 同じ剣を抜くと、ロランは問答無用でエルダに向かい切り込んできた。

 とっさに手にした剣でそれを払い、後ろに飛び退くと、相手に向けて剣を構える。

「何の真似だ…!」

 問うたが、やはりロランはそれには答えない。次の攻撃を交わすと、エルダは仕方無く反撃に出た。

 放った剣を、ロランの剣が受け止める。キン、と音が響き、易々と弾かれた。体勢を整える暇も無く、次の剣がエルダを襲う。

(――――強い)

 少し手を合わせただけでも分かる。かつてエルダが所属していた、あのトルバの領兵軍にいた一般兵士達とは、やはり格が違うのだ。

 伊達に国王軍の小隊長ではないという事か。

(――――けど、戦えない訳ではない……!)

 エルダは再び剣を振るう。

 ライナスと対峙した時の、あの圧倒される程の威圧感は、この男には無い。この強さは、まだ手の届く距離にある。

 数度剣を交じわせた時、一瞬ロランの左脇に隙が見えた。

 放とうとしていた剣をとっさに軌道修正させ、エルダは彼の左脇を思い切り突いた。だがロランはそれを紙一重で避けると、そのままエルダの懐に入る。

 慌てて体を捻り、ロランの剣を避けようとやみくもに振った剣が、彼の剣のつばに掠った。欠けた破片がロランの頬を切る―――。

「あ………」

 次の瞬間には、ロランの剣がエルダの首に宛がわれていた。

 やられた。

 エルダは剣を地面にことりと落とすと、両手を軽く上げる。

 一瞬見せた隙はわざとだったに違いない、そこに自分はまんまと誘い込まれたのだ。

「ち……やっぱり安物だな」

 ロランは欠けた剣の鍔を眺めそう悪態づくと、頬ににじむ血を拳で拭う。

「だが女にしては中々やるではないか」

「負けて褒められても厭味なだけだ」

 エルダはふん、と顔を背ける。悔しい。だが楽しかった。

 強い者と戦うのは楽しい。暗殺などやはり性に合わない。こういう剣のやりとりこそが、自分が求めるものなのだ。

「お前の剣は暗殺者のものでは無いな。暗殺部隊に入る前は軍隊にいたのか」

「………そうだ、トルバの領兵軍にいた」

「軍人か。……軍人ならば、仕える人間が欲しくは無いか」

「それは……」

 当然だ。国の為でも、誰の為でもなく振るう剣など、何の価値も無い。だが、もう私には。

 俯くエルダの前に、ロランは立った。


「―――――ユリア様の為に、働かないか」

「―――――え……?」

 エルダは顔を上げ、ロランの顔を凝視した。

 僅かな期待が頭を過ぎり、胸の鼓動が速くなる。 

「剣を合わせて、お前は小細工の出来る女では無いと思った。剣の腕も立つ。それに何より、お前は主の為に命を捨てられる人間だ」

 ロランはエルダの右腕を掴む。

「一度捨てたこの腕で、ユリア様をお守りしろ」

 掴まれた腕を眺めながら、エルダはゆっくりと瞬きをした。

 ――――私が、ユリア様を。

 心の中に光が差す。

 ただ生きる為に剣を持った。けれどただ闇雲に振るう剣は、生きる糧には成りえなかった。国王軍へ入りたいと願ったのは、エルダを虐げた人間を見返してやりたかっただけで、国の為に仕えたいと思った訳ではない。

 心はいつもかつえていた。自分の居場所を求めていた。



『この話は、今まで誰にも話した事は無い。けれどお前になら、話せるかもしれない』

 そうして心内を吐露した、あの少女の姿を思い出した。

 ああそうだ、私以外に彼女の本心を知る者は、誰もいないのだ。あの孤独な少女を、私以外の誰がお守り出来るというのだ。

 私の主。私がお守りするフィルラーンの少女。


 やっと自分の居場所が見つかったのだと、エルダは思った。







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