49: 英雄のいない戦場
国境を挟み、連合軍とフィードニア軍が睨み合っていた。
連合軍の数は想像以上に多く、フィードニアは現存する兵力の半分をこの戦いに注ぎ込んだというのに、それでも連合国軍兵士の数はフィードニアを遥かに上回っていた。
二ヶ国の連合とはいえ、ボルテンとグイザードの総面積を足しても、フィードニアの半分にも満たない大きさの国である。恐らくこの戦いにほぼ総兵力をぶつけて来ているのだろう。空になった国内は、更に隣接するコルヴァス辺りの連合加盟国が守ってくれているという事だ。
かたや多方面からの攻撃に備えなければならないフィードニアは、どうしても兵力を分散せざるを得ない。
これが連合国と戦うということなのだと、今更ながらにロランは思った。
「凄い人数だ、これだけ大きな戦いは初めてだぜ。英雄もいねえし、この俺が活躍してみせる絶好の舞台ってやつだな」
ユリア様も後方にいる事だし、とアレクが愉快そうに言う。この状況でのこの良く分からない自信が、一体どこからでてくるのか不思議である。
「若…いえ、アレク様。そろそろ隊列へ戻りませんと……」
ハーディロン領兵軍時代のアレクの側近であり、目付役であるユーグが見かねたように窘めに来たが、この我儘男は一向に聞く気配をみせない。
「大丈夫だ、着いた早々始まるかよ。お前こそとっとと自分の隊に戻れ、第四小隊長殿」
「アレク様……!」
ユーグは第四騎馬中隊、第四小隊長になった。アレクも同じく第四騎馬中隊の第二小隊長である。
この国王軍では二人の立場は同等となるが、それでもユーグは未だアレクの側近であるという姿勢を崩してはいなかった。自分だったらこんな我儘男のお守から解放され、せいせいするというものだが。
「ユーグの言う通りだ、早く自分の隊へ戻れよ」
しょうがなく、ロランもユーグに加勢する。
ロランの所属する第二弓騎馬中隊と第四騎馬中隊は、今現在確かに隣接する形の陣形を取ってはいたが、しかしアレクが己の隊を放っている事に変わりはない。
開戦までまだ間があるならあるで、己の隊士達に心を配るなり、隊の動きを確認するなりやるべき事があるのだ。
「なあ、それよりライナス殿が最近通い詰めてる娼館の話、知ってるか?」
「――――は……?」
唐突な話題展開に、ロランは思わずぽかんとした。
開戦前のこの緊迫した雰囲気の中、何故いきなり娼館などという話題が出てくるのか。この男の頭をかち割って中身を覗いてみたいと、ロランは心底思う。
「あの面倒臭がりなライナス殿が通い詰める女だぜ、相当な美人に違いないよな。なあ、この戦いが終わったら俺達も行ってみようぜ」
ロランの肩へ腕をかけ、にやにやとアレクは笑う。この男がハーディロン領兵軍の副軍隊長の座に居たのは、親の七光以外の何物でもないに違いなかった。
「お前は今の状況が分かっているのか? 馬鹿な事を言ってないでさっさと自分の隊へ戻れ!」
流石にロランの堪忍袋の緒が切れた。
「そうです、このような時になんと浮ついた事を言われるのです、さあ、そろそろいい加減になさいませ」
二人に同時に叱られ、アレクは仏頂面になる。
「ち…ハーディロン領を出りゃあこ五月蠅いお前とおさらばだと思ったのに、これじゃあ前と変わらねえよ。あーあ、堅物ばっかで嫌になるぜ」
アレクは大仰に溜息を吐いて見せると、ロランの肩を叩いた。
「お前も老人みたいなこと言ってねえで、もっと楽しく生きようぜ。この戦いが終わったら―――お互い生きて帰れたら。行こうぜ、美女を抱きによ」
アレクは片目を瞑ってみせると、にやりと笑った。
――――お互い、生きて帰れたら。
「アレク様、さあ早く」
ユーグに腕を掴まれ、アレクは第四騎馬中隊へ引きずられるようにして戻って行った。
(――――生きて帰れたら、か……)
もしかするとあの男なりに、緊張しているのかもしれないと思った。
それもそうだろう。ここから先の戦いは、今までのような一国同士の小競り合いでは有り得ないのだ。フィードニアは倒れるか、それともこのハイルド大陸東の地の覇国となるか―――そのどちらかでしか、これから続く戦いに終止符が打たれる事は無いのだ。
ロランは後方に据えられた天幕を仰ぎ見た。
負ける訳にはいかない。何があっても、負ける訳にはいかないのだ。
二リュード(約2.5キロ)先に並び立つ連合軍を、ロランは睨みつけた。
じりじりと両軍が間を詰めて行く中、最初にしかけたのはフィードニア軍だった。
弓騎馬部隊は馬から降り、大きな弓を手に最前列で一列に並ぶ。
この初手となる攻撃は正確さは求めない、ただ敵よりも長い飛距離を出せれば良いと、クリユスが散々兵士達を鍛え上げたのだった。
クリユスの課した訓練は過酷なものだったが、お陰で兵士達の腕回りは見るからに厚くなり、以前は手に余る程であった大きな弓も苦労する事無く扱えるようになった。
故に敵がまだ射程範囲外であるこの距離も、こちらにとっては範囲内となるのだ。
クリユスの掛け声のもと弓兵部隊が一斉に弓を放つと、連合軍の前列にいる兵士達が次々と倒れて行った。
これをきっかけに、今まで徐々に歩を進めていた連合軍が、堰を切ったようにフィードニア軍へ向かい駈け出した。 こちらが連合軍の射程範囲に入ると、クリユスは部下に今まで手にしていた弓を放棄し、馬へ騎乗するよう指示する。
新たに手にした弓はいつもの使いなれた弓。敵味方を区別し射抜けるよう、こちらは正確性が重視される。
先程までの大きな弓よりも先に、さんざんクリユスに鍛えられた物だ。ロランは今や弓に関しては、クリユスやバルドゥルに次ぐ腕を持っているという自負が、己にあった。
連合軍とフィードニア軍という、二つの大きな塊がぶつかった。
交差され入り乱れる両軍の間を縫い、クリユスが次々に矢を放って行く。この混乱の中、その腕はあくまでも冷静かつ正確に、敵を馬から打ち落として行く。
ロランも彼に負けじと矢に手を掛けた。
幾人もの兵士を次々に倒して行く。だがどれだけ射抜いても、一向に兵士の数は減る事が無いように思えた。
自軍より遥かに数の多い敵軍と戦うことなど、フィードニアにとってはいつもの事であるというのに、今回は嫌に息苦しさを感じる。
敵の数も多いかもしれないが、今回はフィードニア軍だとて何時もの出兵時の倍以上もの人数が集められているのだ。だがそう思ってはみても、敵から受ける圧迫感のようなものは消えなかった。
「怯むな…! ジェド殿がいなくとも我らのやる事に変わりは無い。敵軍の将を打ち倒す、たったそれだけの事だ……!」
ライナスが叫んだ。
総指揮官がいない。たった一人、あの男がいない。――――ただそれだけなのだ。
そう自分に言い聞かせ、ロランは弓を放ちながら辺りを見回した。
たったそれだけのことで、フィードニア軍は確かに精彩を欠いている。ロランの目にも、それは明らかだった。
日が沈み、両軍はそれぞれの陣営に引き上げた。
ロランが部下達に夜営の指示を飛ばしていると、幾分疲れは滲ませながらも、やはりにやけた笑顔のアレクが近づいてくる。
「よう、生きていたか」
「まあ何とかな」
言いながらロランはコップに酒を注ぎ、アレクへ手渡す。 受け取ると、アレクは旨そうにそれを口にした。
この男の戦いぶりも、中々たいしたものだった。 上官の指示に的確かつ迅速に反応し、部下を動かしていくアレクの姿を横目で見ながら、自分も負けていられないとロランは思ったものだった。大口を叩くだけの力はあるということか。
とはいえ、「やるではないか」などという言葉は、口が裂けてもこの男に言うつもりは無いのだが。
「お前、どう思う。 この戦い勝てると思うか」
火の前に座り、干し肉を炙りながらアレクは呟いた。
終始連合軍に押されて終わった。開戦初日を言い表すのなら、その一言に尽きるだろう。 かつて無い規模の戦いの中、これまで心の拠り所にしていた総指揮官がいない。兵士たちの心に不安が巣食っており、それがそのまま戦いに現れている。
あの非道で傲慢な男が軍へもたらす影響が、それ程までに大きいのだと認めたくは無かったが、それは紛れも無い事実なのだと認識せざるを得なかった。
「正直こちらの分が悪いな。―――だが負けるわけにはいかない」
ロランは干し肉にかぶり付く。
「そうだ、何としても勝たねばならん」
後ろから放たれた声に振り返ると、そこにはクリユスが立っていた。
「あ…隊長、どうぞ」
ロランは少し横にずれ、席を譲る。炙った肉と一杯の酒を差し出したが、クリユスはそれには手を出さず、ばちばちと爆ぜる炎をじっと見詰めていた。
「―――この戦いだけは何としても、どんな手を使ってでも勝利を手にするのだ。万に一つも我が軍が敗走する事などあってはならない」
「は………」
ジェドがいなくとも我が軍は磐石だという所を、他国のみならずフィードニア兵士達にも知らしめなくてはならない。恐らくそうクリユスは考えているのだろう。
いずれジェドを失脚させる日の為に、フィードニアはあの男の手を離れなければならない。そう言う事なのだ。
英雄と持て囃される陰で、何の罪もない弟を切って捨てたあの冷酷な男が、その座から引きずり降ろされ惨めな姿を晒すのを、この目で見てやりたかった。
そしてそれが叶った時、イアンの魂はやっと救われ神の国へ行けるのだと、ロランはそう頑なに信じていた。
「この戦いが幾日続こうと、我が軍が勝つまで俺は戦いぬいて見せますよ。―――ほら、隊長も飯を喰って下さい。まだ先は長い、喰わなきゃ体力が持ちませんよ」
ロランは無理矢理クリユスの手に肉とパンを持たせると、再び己の肉にかぶり付く。
その願いはクリユスに付いて行けばきっと叶うだろう。この男の近くで働いて来て、それは今や確信に変わっていた。
この国の軍を変えるなど正直最初は半信半疑だったが、金のかかる国王軍強化について王を説き伏せ、広く入軍試験を行う事により閉鎖的な国王軍の門を開き、更には敗国の兵さえ招きいれ、あっという間に国王軍強化に着手してみせた。
目的の為には手段を選ばぬ良くも悪くも冷徹な男だが、そのくせ表立って動き回っている訳でもない為、無用な敵を作る事無く涼しい顔をしている。
怖い男だ、と思う。だが凄い男だとも思う。
以前はあの大国ティヴァナの弓騎馬隊大隊長だったという。戦いに出るたびに、その聡明さや強さを目の当たりにしてきた。
部下には厳しいが、それ以上に己にも妥協を許さぬ男だ。
初めは英雄への復讐の為、犬にでもなんでもなってやろうという気持ちでクリユスに使われていたが、いつの間にか彼を尊敬する気持ちがロランの中に芽生えていた。
英雄が失脚するその日がくるまで―――いや、この男が行き付く所まで、己はクリユスの手足となり、どこまでも付いて行こう。
揺らめく炎に照らされたクリユスの横顔を眺めながら、ロランは酒杯を握りしめた。