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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第二章
41/187

41: 覚悟

「――――――私に、戦場へ行けというのか」

 国王軍からの正式な使者としてフィルラーンの塔へ現れたクリユスに、一体何事かと面会してみれば、彼が告げた話の内容はとんでもないものだった。

「戦場と申しましても、後方で待機し兵士達を見守っていて頂けるだけで良いのです。神の子であるフィルラーンのユリア様が傍に居るだけで、兵士達の心は支えられるのですよ」

「馬鹿なことを言うな、戦場へ出るフィルラーンなど、聞いたことも無い」

「前例がないからこそ意味があるのです」

 クリユスはユリアの手を取ると、にこりと微笑んだ。

「戦場などと聞いてご心配なさるのも無理はありません。ですが警護の者は充分付けますし、何よりこのクリユスが、命に代えても貴女をお守り致します…」

「だが、しかし………」

 ただの試合でさえ戦いなど見ていたく無いというのに、戦場になど行ける訳が無い。戦場という殺し合いの舞台へこの身を置く事を考えると、それだけでユリアは眩暈を起こしそうだった。

 そんな彼女の心を知ってか知らずか、クリユスは彼女の手を離すと、自身の額に軽く指を当て、小さく溜息を漏らす。

「フィードニア国王軍を大きなものとし、統制の取れた軍へと成長させる為には、ユリア様のお力が必要なのです。―――それは貴女がお望みだった事である筈ですが……そこまでのお覚悟はありませんでしたか」

「クリユス」

 狡い男だ。そう言われてしまったら、ユリアの性格上なおも嫌だとごねられる訳が無かった。

「―――剣を習えと言ったのも、試合を最後まで見ていろと再三言っていたのも、この為か」

 その問いに、クリユスはただ笑顔を見せただけだった。 だが恐らくはその通りなのだ。かなり初期の頃から―――ひょっとすると、クリユスが入軍試験を受けていた時から既に、ユリアを戦場へ出す事を考えていたのだろう。

 ラオとライナスが試合を行っていた時、ふと死んだイアンを思い出し青ざめたユリアに、クリユスは塔へ戻るなと言い放ったのだった。先の国王軍入軍試験もまた、しかりである。

 試合観戦ごときで気分を悪くしていては、戦場になど行ける筈が無い。 戦いにユリアを慣れさせようとしていた訳だ。

 クリユスがこうと決めたのなら、ユリアにそれを逃れる術があるとは思えなかった。

 元々国王軍強化はユリアが望んだこと。もしユリアが戦場へ行く事を拒否したなら、彼はもう自分に二度と協力してくれないかもしれないのだ。


 だが、それにしても戦場へとは――――。

 己にはそれしか道が無いのだと、頭では理解してみたものの、感情が付いていかない。

 分かったと、その一言をユリアは直ぐには言えずにいた。


 その時、扉の向こうでずかずかと足音を立てて歩く音が聞こえた。

 フィルラーンの塔で、こんな無遠慮に我が物顔で歩く無礼者など、一人しかいない。

 間もなくしてユリア達の居る面会の間の扉が、ノックも無く開かれた。現れたのは、やはり予想通りの男である。

「おい、この女を戦場へ連れて行くなどと、くだらぬ策を考えたのはお前だな。この俺に報告も無く決定とはどういうつもりだ……!」

 部屋へ入るなり、ジェドが吼えた。

「これはジェド殿……申し訳ありません。いつものように、好きにしろと仰られるかと」

「ふざけた事を言うな、このような策許可は出来ん。女など戦場に連れていけるか……!」

「しかし…王には既に許可を取っておりますが」

「何だと?」

 先に王から口説くとは、相変わらずの用意周到さである。

 だが明らかに怒気を帯びたジェドに対し、良くもそれをぬけぬけと言えたものだと、ユリアは感心をした。ぴりりと張りつめた空気の中、彼女は息をする事さえはばかられる気持ちであったというのに、である。

「小賢しい男だな。この俺に逆らうか」

 ジェドは威嚇するようにクリユスを睨みつける。

「いえ、そのような」

 取り成そうとするクリユスに対し、ジェドは顎を動かし扉を指し示した。

「――――もう良い、お前にはこれ以上用はない。さっさとここから立ち去れ」

「ジェド殿、ユリア様の件でしたら」

「――――聞こえ無かったのか。この俺が消えろと言っているのだ……!」

 ユリアとジェドの間を遮るように前に歩み出たクリユスに、ジェドの怒号が走った。それは雷鳴を思わせるような怒号だった。

「は……」

 流石のクリユスも、こうなったジェドに逆らえる筈も無い。ユリアに何か言いたげな視線を寄越したが、諦めたように踵を返し一礼すると、部屋を出て行った。

 

「………まさかのこのこと戦場へ出て行こうなどと、思ってはいまいな」

 二人残された部屋で、ジェドが冷たい視線をユリアへ寄越す。

「無礼な言い方をするな。私だとて、行きたくて行く訳では無い。……だが王が許可を出したというのなら、最早私が行く事は決定なのだろう」

「フィルラーンが戦場に出るなど有り得ぬ話だ、断れない筈が無いだろう。足手纏いを連れて戦場へ行くなど俺は御免だ、付いてくるな」

 ユリアだとて、心の底から行きたくないと思っているのだ。だというのに彼女を責めるような口振りのジェドに、ユリアは腹が立った。

「戦場へこの私が赴いて役に立つ事があるなどと、私だとて思ってはいない…!だが私が兵士達の為に祈る事で、兵士達の心が安らぐのだと、クリユスが……」

 ユリアの台詞は、叩き割られた花瓶の音によって遮られた。面会の間に飾られていた花瓶を、ジェドが突然床に叩きつけたのだ。

 驚きの余りその場で固まるユリアを、ジェドは睨みつける。

「――――クリユスクリユスと五月蠅いのだ、お前は……! お前はあの男が言えば何でもやるのか……!死ねと言えば死ぬのか、抱かせろと言えばあの男に体を預けるとでも言うのか……!」

「な………」

 よりにもよって、何という下世話な事を言い出すのだ、この男は。

「愚かな事を口走るな。クリユスが、そのような事を言い出す訳がない…!」

「口にせずともそう思っている。男など皆同じだ」

「何という事を―――」

 彼を侮辱するこの男が許せない。怒りの為、ユリアの体が小さく震えた。

 知らずのうちに、掌をジェドの頬へ向け放っていた。この男を引っ叩いてやりたかった。

 だがすんでの所でその手はジェドに掴まれ、それは叶わなかった。


「――――離せ……!」

 振りほどこうとすると、ジェドが手に力を入れた。締め付けられる手首の痛みに、ユリアは顔を顰める。

「振りほどいて見せろ」

 言いながら、ジェドは薄く笑う。

 からかっているのか―――。

 ユリアはジェドから離れようともがいたが、その手を振りほどく事は出来なかった。

「――――掴まれた腕を振りほどく事も出来ない。そんなお前が戦場でどうやって身を守るのだ。戦いが始まれば戦士は皆、お前になど構っていられぬぞ」

「そ……そんな事、分かっている……! いい加減離さないか……!」

「離せと言って素直に離す敵がいるのか?」

 ジェドが馬鹿にしたように鼻で笑った。

「お前は何も分かっていない。戦場で敵に捕まれば、どのような事になるのか―――」

 ユリアを掴む反対の手が、彼女の顎を掴み上を向かせる。


「あっ―――」


 ジェドの唇が、ユリアのそれを塞いだ。

「い、やだ………!」

 あらがって敵う筈が無いのは分かっていたが、それでも抗わずにはいられなかった。

 一度ならず二度までも、この男にこのように好きにされようとは―――。

 愛などという物は存在しない、相手を屈服させる為だけの口付けに、屈辱と怒りが彼女を支配する。ジェドに対する憎しみで、胸が潰れそうに苦しかった。


「お前を殺してやりたい」

 ジェドを睨みつけるユリアの瞳から、一筋の涙が流れた。

「やってみろ。俺を殺す事が出来るなら、戦場へ行っても兵士として十分戦えるであろうさ」

 くく、とジェドは笑う。

「―――だが神の子で無くなったお前を、戦女神などとはやす事も出来なくなるであろうがな」

 再びユリアに口づけると、ジェドはやっとユリアを解放した。

 力が抜け、少女は床へと崩れ落ちる。

 

 何故涙が流れるのだろう、とユリアは思った。

 怒りの感情が溢れて泣くのか、それとも己の不甲斐なさが悔しくて流れ落ちるのか。もうそれすらも解らなかった。

 ただ、こんな男の為に、こんな風に泣く事は二度としたくなかった。

 


 戦場へでもどこへでも、行こうとユリアは思った。

 この男から逃れられるのならば、この苦しみから解放されるのならば、どんな事でもしてみせよう。

 クリユスの指し示す道が己の進む唯一の道。後戻りする道など、既に残されてはいないのだ。


 ――――――覚悟は出来た。






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