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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第二章
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39: 幸と不幸

 ラオはクリユスに相談話を持ち掛けた事を、酷く後悔していた。

 全くあいつはろくな事を考えない男である。

 やはりこのまま帰ろうかと彼が足を踏み出した時、フィルラーンの塔の裏口からひっそりとユリアが出てくるのが見えた。

「ラオ一人か。お前が私を呼び出すなど、珍しいな」

 ユリアは笑顔を向けてくる。

 少女はラティを被ってはいなかった。余計な装飾など無い、簡素な白いドレスを身に着けているだけである。ここは塔の裏庭であり、塔の人間以外が立ち入る場所では無いのだから、ラティなど被る必要も無いという事なのだろう。

 ラオにとってはこの姿の方が馴染み深かった。ラティなどを羽織り祭壇に立つ“フィルラーン”のユリアは、彼にはどこか別人のように感じられてならなかった。

「悪いな、呼び出して……用件というのは、その……」

 ラオは言葉を切った。クリユスが提案した案を実行に移すかどうか、彼は未だ迷っていた。

「その……だな…」

「一体何なんだ」

 歯切れの悪いラオに対し、ユリアは怪訝な表情をする。

 実行に移すとしても、それをユリアにどう言ったらいいものか―――。 今すぐクリユスを殴りに行きたいと、彼は思った。


「―――――言っておくが、俺はお前に女を感じた事は無い」

「………………………………知っているが……」

 だから何なのだと、ユリアは眉を潜ませる。

「いや、だからだな。お前に下心があって言う訳では無いという事をだな……」

「分かった。―――分かったから、早く用件を言え。何なんだ、お前らしくも無い」

 微かにユリアの口調に苛立ちが混じった。こいつは昔から見かけによらず、意外と短気なのだ。

 ここまで来てしまったらしょうがない。クリユスの提案を実行するしかないだろうと彼は腹を据えた。

「今から俺はお前に、く…………口付けをする振りをする。 お前は何も聞かずに黙って大人しくしていてくれ」

「――――――は……?」

 流石に呆気に取られた表情に、ユリアはなった。それもしょうがない事である。言っている彼自身でさえ、何故こんな事をしなければならないのかを、理解しきれているとは言い難かった。

 ユリアの細い腕をラオが掴む。その手を、少女は振り払った。

「止めないか、何をふざけた事を言っている。気でも違ったのか」

「いや……ふざけた事だというのは、十分承知しているが……」

 非難めいた目を少女に向けられ、ラオは情けない気持になり片手で頭を掻き毟る。

(やっぱり止めるか―――)

 その時、木々の間にちらりとジェドの姿が見えた。 

 この裏庭へは、フィルラーンの塔から来るので無ければ、塔を囲む木々の間を通り抜けなければ入る事が出来ない。

 ラオも同じようにして、この裏庭へ入り込んだのだった。勿論通常であれば立ち入り禁止の林である。


 彼はまだラオとユリアの姿に気づいてはいないようだった。

 ラオは慌ててユリアの肩を掴むと、ジェドが来る方向とは逆の木に、彼女を押しつけた。

「ちょ…何をする、止めないか―――」

 近づけようとするラオの顔を、ユリアは両手で押しやり抵抗する。

「馬鹿、暴れるな」

「馬鹿はお前だ、この状況で大人しくしている訳が無いだろうが」

「それもそうだが」

 妙な会話である。

 だがこんな情けない事までしておいて、今更後に引ける訳もなかった。

 意を決し、抵抗するユリアの両手を掴み、背ける顔を上げさせた。

 彼の背後でカサリと草を踏む音がした。

(来たか――――)

 ユリアが困惑した表情を、ラオの背後へ向けた。


「………ダーナ」


 ユリアが発した予想外の名に、ラオは驚いて振り返る。

 そこには驚愕の表情をした、ダーナがいた。


「あ……あの、私………も、申し訳ございません……!」

 ダーナは踵を返すと、慌ててその場を走り去った。

 突然の事に、ラオの頭は真っ白になる。何故ここにダーナが現れたのか、直ぐに理解出来なかった。

 しかも、寄りにもよって、こんな場面に――――。

 

「おい、何をしている」

 ジェドが現れた。ラオは掴んでいたユリアの手を離す。

 そうだ、この男を待っていたのだ。

「――――何って……見て分かりませんか。折角良い所だというのに、邪魔をしないで貰えませんかね」

「……フィルラ―ンに手を出すとどうなるのか、分かっていて言っているのか」

 ジェドは冷たい目でラオを睨みつける。

 圧倒的な威圧感に、ラオはぞくりとした。この瞬間を、待っていたのだ。

「勿論わかってますよ。俺を処刑するというならすればいい。 ―――まあ、抵抗はさせて貰いますけどね」

 ラオは剣を引き抜いた。

「おい、二人とも―――」

 止めようとするユリアを、ラオは手で制する。

 ふとダーナの顔が浮かんだ。 あの顔は、明らかに勘違いしていた。

 ここで死んだらユリアに手を出そうとしてジェドに処刑されたと、そう彼女は理解するのだろう。

(――――だから何だと言うんだ)

 ラオは頭を振り、頭の中からダーナの顔を無理矢理打ち消した。

 気が散ったままでジェドに敵う筈も無い。集中しなくてどうするのだ。

 ジェドは無言で立っていた。 隙だらけのようでいて、全く隙が見えない。剣を抜いてさえいない相手だというのに、そこに勝機を見い出す事が彼には微塵も出来なかった。

 自分はここで死ぬのだろう。だがそれだけの相手と剣を合わす事が出来るという事実だけで、満足だった。


「―――貴方が来ないなら、俺から行きますよ」

 ラオはジェドへ向かって走り、剣を振り上げる。

 ジェドはまだ剣を抜いていない。ラオは構わず、彼の頭蓋目掛け振り下ろした―――。

 






 気づいたら、ラオは地面に転がっていた。彼の傍にしゃがみ込んだユリアが、呆れた顔でラオを見下ろしている。

 腹に痛みを感じた。

「――――俺は生きているのか」

 痛みは感じるが、切られた痛みでは無い。手刀を腹に入れられた、それだけだ。

 剣を振り下ろした時、彼はジェドを殺すつもりで剣を振った。避けられる間合いでは既に無かった。普通の相手であれば、確実に頭を割られた死体がここに転がった筈だ。

 だというのに剣が切り裂いたのは残像だけで、倒れたのはラオだったのだ。余りの速さに何が起こったのかさえ分からなかった。全く相手にもならない、完敗である。

 辺りを見渡すと、既にジェドの姿は無かった。

 ラオはのろのろと上半身を起こす。

「――――剣を持ってさえ貰えなかったか……。俺にはそれだけの力も無いという事だな」

「くだらん事をするなと、ジェドから伝言を預かったぞ。同じ事を再びやったら、次は殺すと」

 ラオは頭を掻く。

「ばれていたか」

「私をだしに使うな、馬鹿」

「――――悪い」

 しょげるラオに、ふふ、とユリアは笑った。

「どうせクリユスが考えたのだろう。それを実行するお前もお前だが、クリユスもクリユスだ。後で文句の一つでも言ってやろう」

 悪戯っぽくそう言うと、ユリアは立ち上がった。昔から変わらない笑顔だった。

 難しい顔をして国がどうだと悩む姿より、少女らしく素直に笑うこの姿の方が、ユリアらしいとラオは思った。


「―――――ダーナは、何処へ行った?」

 立ち上がり、ユリアに問う。

 誤解されたまま立ち去って行った少女の事が、酷く気になった。

「さあ……塔へ戻ったと思うが」

「俺に塔へ入る許可をくれ」

「それは、別に良いが……おい、ラオ?」

 どうするつもりだと問いたげなユリアを無視し、ラオはフィルラーンの塔へ走った。

 裏口から入り堂々と塔内を歩きまわると、塔で働く女達は、すれ違いざまに驚いた顔を彼にみせる。

 どういうつもりかと彼を制止しようとする女に、「ユリアの許可は取った」とラオは言い放った。

 ダーナが居るとすると、ユリアの住む五階か―――。

 客人として塔へ滞在していた期間も、流石にそこまで上がる事は許されていなかった。

 だが彼は躊躇ちゅうちょする事無く階段を登って行く。

「ダーナ……!」

 一部屋づつ扉を開けて探すには、塔といえども部屋数が多く、埒があかない。ラオは少女の名を叫んだ。

「おい、ダーナ。どこにいる…!」

 暫く叫ぶと、奥の部屋からことりと音がし、開いた扉からダーナが顔を覗かせた。


「ラオ様……まあ、なぜこんな所に……。ここはユリア様のお部屋のある階ですよ、いくらラオ様でも…」

「違うんだ、ダーナ」

 咎めるダーナの台詞を、ラオは遮る。

「違うって……何も違いません、幾らユリア様と親しい方とはいえ、ここまで上がってくるなど無遠慮が過ぎますよ」

「いや……それは悪かったが……そうじゃなくて」

「……そんなに焦らなくとも、先程の事は誰にも言いませんわ」

 ダーナはラオから顔を逸らした。

「ラオ様がユリア様を想っておいでだとは知りませんでしたわ。………ですが可哀想なラオ様。幾らユリア様をお好きでも、フィルラーンのユリア様が相手では、実る事など無いのですから……」

 ダーナは廊下に張られた絨毯を見詰めながら言う。

「だから違うと言っているだろう」

 ラオは頭を掻き毟ると、彼から顔を背けるダーナの両肩を掴んだ。

「俺はユリアが九歳の、まだずっとガキだった頃からあいつを見ていたんだ、今でも俺にとってはあいつは女じゃない、ガキにしか見えねえんだよ」

「まあ…! ユリア様のような素敵な女性をガキだなとど……!」

 ダーナの頬が膨らんだ。

「手を離して下さいませ、そのような事を仰っても、先程はユリア様に迫っていらしたではありませんか」

 嫌がる相手に無理やり迫るような方だとは思いませんでした。とダーナは言い、手を振りほどこうと身じろぎした。

「いや、だからあれは事情があってだな――――ああ、そんな事はどうでもいいんだ……!」

 ラオの手に力が籠った。

 痛そうな顔を、ダーナはする。


「―――――――俺が好きなのはお前なんだ、ダーナ」


 ダーナは目を見開いた。


「―――――え………」

 

 少女は驚いたままの表情で、固まっている。

 己が口にした言葉で、ラオは己の想いに気付いた。そうか、そうだったんだ。

「俺はお前が好きなんだよ」

 もう一度ラオは言った。

「でも―――あの……だって。私、ユリア様のように綺麗では無いのに」

 ラオは軽く溜息をつく。

「ユリアを引き合いに出してもしょうがないだろう。 何度も言っているが、俺はあいつの事を何とも思っていないんだ」

「ですが………私、ユリア様と一つしか歳が違わないのですが……」

「あ……いや、そうかもしれないが……。 俺は歳をみてあいつをガキだと言っている訳では無くてだな………ああ、くそ……!」

 ラオは片手で再び頭を掻き毟る。クリユスのように上手く女を口説く事が出来ない己が、この時ばかりは恨めしいと、彼は思った。

「嫌がる相手に無理やり迫る男だとは思わなかったと言ったな、ダーナ。確かに、俺にはそんな趣味は無い。―――だから嫌なら嫌だと言えよ」

 ラオはダーナの頬に手を当てた。

 無骨な己の手に比べ、少女の顔は小さく、柔らかかった。

「あ……あの、あの……ラオ様……!」

 顔を赤くし狼狽する少女は、だが抵抗する様子も見せない。

「―――――嫌じゃないと、判断したぞ」

「あの、わ……私………」

 ラオは己の顔を少女の顔へと近づける。

「――――わ………」

 私も貴方が好きですと、小さな声でダーナが言った。

 もう一つ、続けて何かをダーナは言いかけたが、それはラオにより塞がれ、言葉にならなかった。








「あの……一つだけ、どうしても申し上げておきたい事が……」

 口付けた後、顔を赤くしながらダーナは言った。

 そういえば先程彼女が何かを言いかけていた事を、ラオは思い出す。

「何だ?」

 困った表情のダーナに、微かに嫌な予感がした。

「私……ラオ様とお付き合いをする事は出来ないのです。 その……清いお付き合いという事でしたら、良いのですが………」

 おずおずとラオを見上げる少女の台詞に、ラオは固まった。

「………それは、夫婦になる前に男女の関係を持つのは、という話だったら、それは俺は……」

「あの、いえ……私。――――私は、一生ユリア様のお傍に仕えると、心に決めているのです」

「――――――」

 嫌な予感が当たったと、ラオは思った。

 聖なるフィルラーンは清い存在でなければならない。そしてそれに仕える塔の女達もまた、同じく清い体でいなければならないのだ。

 つまりは処女でいなければならないという事で、それは一生ダーナには手を出せないと、そういう事なのである。


「おいラオ、一体どうしたんだ?」

 ユリアが遅れてやってきた。慌てて塔へ走り去ったラオを訝しむユリアに、ダーナが「まあ、何でもありませんわ」と答えた。

 ―――こいつが恋敵になるとは、思ってもみなかった。

 にこりとダーナが微笑みかける金色の髪の少女を、こんなに憎らしいと思ったことは無い。

 ジェドに剣を持って対峙し、けれど相手にしてさえ貰えなかった。 今、それ以上の無力感をラオは感じていた。






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