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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
34/187

34: 幕開き前夜

 クルト王の執務室は、余計な置物など全くない簡素なものだった。

 有るものと言えば書物に書類のたぐいの、仕事をこなす為に必要な物のみである。

 窓際に置かれたがっしりとした机に王は向い、書類へ筆を走らせている。

「―――話は分かった」

 クルト王は筆を止め、低い声で言った。相変わらず重厚な声だとクリユスは思う。

「では、国王軍の兵力を増強するお許しを頂けるのですね」

 メルヴィンがそばかすを蓄えた顔に、喜色を現した。

「トルバやコルヴァスを中心とした連合国の同盟が着々と進んでおり、片や我が国とティヴァナの同盟は破綻しておる。お前達に言われるまでもなく、これでは自国の兵力を高めるしかあるまい」

 王は淡々とした口調で語る。

 メルヴィンに今更報告されるまでもなく、同盟の破綻や連合国からの攻撃など、逐一報告を受けているのだ、恐らく既に王は結論を下していたに違いなかった。


「国王軍が今より更に強化されれば、例え連合が完成されようとも恐れるものではありません。我が国は必ず連合国を打ち倒し、果てはこのハイルド大陸東の地をフィードニアの元に下してみせましょう」

 嬉々として語るメルヴィンの目は、生気に満ち溢れていた。東大陸を統一した、その国の国王軍総指揮官として君臨する自分を、彼は思い描いているのだろう。

 自分がメルヴィンを乗せたのではあるが、それに見合う力量も持たぬ男には大それた夢である。だがそんな大それた夢を素直に見る事の出来る単純さが、クリユスには少しばかり羨ましくも思えた。

「連合国を下したとして、ですがその後には更に強国になっているであろう、ティヴァナとの戦いになるでしょう。最終的にフィードニアの兵力は、ティヴァナの上を行っていなくてはなりません」

 その為には早急に自軍の兵力を増す必要があるのだと、クリユスは言葉の端に滲ませた。

「―――いいだろう。国王軍に金を注ぎ込んでやる、幾らでも兵を増やすがいい」

 王はにやりと笑った。

 その眼は、頭を下げ礼を述べるメルヴィンを通り越し、クリユスを捕えていた。

「それで満足なのだろう」

 お前の思い通りに事が進んで、さぞ満足なのだろうな―――。王の目が、そうクリユスに語りかけていた。至極楽しそうに。

「は?」

 メルヴィンが頭を上げる。

「思うままに好きにやるがいい。ただし失敗は許さん。この国をハイルド大陸東方の地の、覇国とするまでは」

「―――は」

 顔を固くし返答をするメルヴィンの後ろで、クリユスは黙って頭を下げた。

 鷹を思わせるクルト王の鋭い眼差しに、クリユスは思わず竦みそうになる。

 表立ってクリユス自身が動いた事など一度も無いというのに、クルト王には全て見抜かれていたというのだろうか。

 そんな筈は無いと思う一方で、だがこの王ならそれも有り得るかもしれないとも思った。

 やはり怖い人だ、とクリユスは思う。

 だがそれでも、自分は王にとって使える駒なのだ。 フィードニアを強大にする為の使える駒であるうちは、好きなように動いても構わぬという事だ。

 ならば泳がせて貰っている間に、せいぜい好きなようにやらせて頂こうではないか。


「国王軍を拡大するお許しを頂いたと、早速皆に沙汰せねばならぬな」

 執務室を退出してから、メルヴィンは得意げに言った。この己が王を説き伏せたのだと言わんばかりだ。

「いいえ、それはいけませんメルヴィン殿。 確かに王を説き伏せる事が出来たのは、ひとえに王の従弟である貴方のお力ではありますが、ジェド殿やライナス殿を差し置いて王に進言するなどと、と不満に思う輩もおりましょう、ここは王が布令を出すのを黙って待つのが宜しいかと存じますが」

「……そうか。まあ、確かにそうだな」

 そう口にするものの、高ぶっていた気持ちに水を差されたと、メルヴィンは鼻白む。

「まあいい。何にしても我らの戦いはここから始まるのだ」

 愉快そうに笑うメルヴィンに同調して、クリユスも笑みを浮かべた。

「そうですね」

 呟くと、クリユスは窓の外へ目をやった。青い空の下に、フィルラーンの塔が見える。

 ―――そうだ。やっとここまで辿り着いたのだ。

 だがまだ舞台は整ってもいない。整える為の準備がやっと出来たという位である。

 クリユスが思い描く物語の、その劇場の幕が下りるのは、まだもう少し先の話だった。




 兵舎へ戻ると、カナル街から帰ってきたロランがクリユスを待っていた。

 中隊長であるクリユスには、小さくはあるが個室が与えられている。 ロランを自室へ招き入れると、直立したままのロランを尻目に、自分は窓際に置かれた椅子にゆったりと座った。 彼は男に対して使う気遣いなど、微塵も持ち合わせてはいなかった。

「ご苦労だったな、ロラン。 で、リョカでは何か有益な情報は得られたのか」

「は…村民に接触した所、確かにリョカは英雄を輩出した村だという事でしたが…。村の奥にはミューマの生息する谷もあり、ジェド殿がミューマを倒して国王軍へ入ったという話からも、間違いはないかと思います。 ただ、その割にひどく寂れた村でしたが」

「英雄の故郷とは思えない寂れ方という事か…」

「はい、それにジェド殿は―――いや、村民は彼をジェラルドと呼んでいたようですが、どうも皆から疎んじられていたようでしたね」

「ジェラルド?」

 突然出てきた聞きなれぬ名を、クリユスは聞き返した。ロランはゆっくりと頷く。

「飯屋の主人が言うには、村を裏切って出て行った時に、名も共に捨てたのだという事でした」


 ロランは、リョカと、そしてカナルの街で見聞きした事を話し始めた。

 ジェドが幼くして、既に人殺しなどという汚名を受けていた事。裏切り者と、未だに憎々しげに人の口に上る事実。 そしてカナル街でユリアに会いに来たという、中年の女――。

 クリユスはロランが話す間、黙ってそれを聞いていた。彼は今までに得た情報から考えた仮説と、新たに得た情報を照らし合わせる。

(矛盾している――――)

 ある一点が、矛盾していた。

 ロランが話を終えても、クリユスは顎に手をやりながら考え込んでいた。

 暫くの沈黙の後、彼は誰に言うでもなく呟く。

「―――だがその矛盾が、欠けた破片に上手く嵌る…」

「……隊長?」

 問いたげな視線をロランは寄越した。クリユスは微かに自嘲するような笑みを浮かべる。

「何でもない。―――ロラン、今回リョカとカナルで見聞きしたことは、全て忘れろ。いいな、これは命令だ」

「は…? いえ、しかし…」

「命令だと言っただろう。質問も許さん。―――俺も、お前から何も聞いていない。何も知らぬ」

「はあ……」

 所在無げに立つロランに、もう下がって良いとだけ短く告げた。

 納得のいかぬ顔はしているものの、彼は上官の命に大人しく従い、部屋を後にする。


 クリユスは誰もいなくなった小さな部屋で、一人溜息をついた。

 今導き出した幾つかの推測は、恐らくそう事実から離れてはいないだろう。

 事は単純な事だった。単純な事が、ただ絡み合ってもつれてしまっているだけなのだ。

 その縺れたものを解く事は容易ではあるが、クリユスはそれを静観し、放置する道を選んだ。

 彼にとってそれは邪魔な事実でしかなかったのだ。

 今後どれだけユリアが苦しもうとも、戦いは始まらねばならない。今更筋書きを変えるつもりなど、クリユスには更々なかった。

「例え、貴女に憎まれようとも……」

 呟く声は、誰に届く事も無く虚空へ消えた。






「ダーナは、何も聞かないんだな……」

 ユリアは世話役の少女の足元を見ながら呟いた。

「え? 何をです」

 きょとんとした顔を、少女はユリアへ向ける。

「……カナル街で会った女性の事……私とどういう関係なんだろうとか、思うだろう?」

 ああ、という表情をし、ダーナは笑った。

「それは勿論気になりますが、ユリア様が自ら私にお聞かせにならない事を、私から尋ねる訳にはまいりません。 お話になりたくない事でしたら、わざわざ私に聞かせなくとも良いのですよ」

 つくづく良く出来た世話役なのだ、彼女は。

 聞かないでいてくれる事が、ユリアにはありがたかった。例えダーナでも話したくはなかったのだ。 

 いや、ダーナであるからこそ、話したく無かった。

 もし問い詰められて全てを彼女に話したら、ダーナは自分を軽蔑するかもしれない。

 彼女に嫌われたらと思うと、それを想像するだけで身が竦む思いがした。


「ダーナはずっと、私の傍に居てくれるだろうか……」

 ユリアは小さな声で呟いた。

「まあ、勿論ですわ。何を今更仰るのです?」

 満面の笑みを浮かべるダーナに、ユリアの心はほんの少し軽くなる。

 フィルラーンとは、彼女のような存在であるべきなのかもしれないと、ユリアは思った。

 己の醜い心の内を、この少女にはずっと隠し通さなくてはならない。

 そしてジェドをフィードニア国王軍から追放し、全てを成し遂げたら、何もかもがきっと上手くいくに違いなかった。

 そうすれば、私もやっとこの醜い心から解放されるのだ。







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