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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
30/187

30: カナル街へ2

「まあ、ラオ様…! お怪我をなさっているではありませんか…!」

 開口一番、ダーナが言った。

 服の下にちらりと覗くだけの包帯に、よく気づいたものだとユリアは感心する。

 ユリアとダーナは、城下町東地区の、いつもの店に来ていた。

「こんなもの、大した傷じゃない。かすり傷だ」

「あ…! 止めて下さい…!」

 包帯を付けている側の腕を回そうとするラオを、ダーナは必死で止めた。

「何てことをするのです! 無茶をしては治るものも治りませんよ…!」

 腕にしがみ付き怒鳴るダーナに、ラオは困惑したように目線を泳がせた。

 助けを求めるような視線を寄越すラオを、ユリアは苦笑しながら無視する。

「おや、良いね。そのようにダーナ嬢に心配して頂けるのなら、私も怪我の一つでもしてくるのだった」

 にやにやと笑うクリユスの顔に向けて、ラオの拳が飛んだが、彼は軽くそれを避けた。

「おっと…ダーナ嬢の言う通りだぞ。その肩の傷はかすり傷程度では無いだろう、当分大人しくしていろ」

「お前を殴る事には支障無い傷だ」

「まあ……! いい加減にして下さいませ…! 怪我が悪化したらどうするのですか、これ以上騒ぐのでしたら、怒りますよ…!」

 腰を上げクリユスに掴みかかろうとするラオを、ダーナはぴしゃりと叱りつけた。

 一喝するダーナに、ラオの顔が固まる。すとんと腰を下ろしながら「…いや、もう怒っているじゃないか」と小さく呟く彼の声が聞こえた。

 大きな図体をした男が、華奢な少女に叱りつけられ大人しくなる姿が、昔見た見世物小屋の猛獣のようで可笑しかった。

 

「―――だが、本当にこんな傷大したこと無えんだよ。これ位の傷を気にするようじゃ、とてもあの男には付いていけんからな」

 その台詞は、ユリアに向けて放たれた。

「あの男―――……ジェドか」

 嫌な予感がして、ユリアは息を飲み込んだ。

「おい、ラオ…」

 咎めるような声を出すクリユスを、ラオは手で制する。

「お前に隠しておくべきでは無いと思うから話す。 俺はあの英雄に惚れた。第三騎馬隊はこれから鍛え上げて、ジェド殿の直属部隊になるつもりだ」

「……なんだって……?」

「ジェドという男は、総指揮官のくせに己を遊撃隊長かなんかと勘違いしているな。あんな男をフォローしきれるのは、ライナス殿かこの俺くらいなもんだ。だが副総指揮官であるライナス殿には総指揮をする役割がある。だったら俺があの男に付いていくしかないだろう」

 ラオは楽しそうに言った。

 付いて行くしかない、では無い。付いて行きたいのだという目をラオはしている。

 自ら危険な目に会いたいだなどと、男というものはよく解らない生き物だ。

「だ―――駄目です…! そんなの駄目です!」

 ラオの告白に顔色を変えたのは、ユリアでは無くダーナだった。

「そんな危険な事、駄目です! ラオ様、そんな事はお止め下さいませ…! これからもっと戦いが大きくなるのでしょう? 今回の戦いでさえ、そんな傷を負われているというのに……」

「どうした、ダーナ」

 顔を蒼白に変え肩を震わすダーナの背に、ユリアはそっと触れた。

 ラオの言葉に多少の驚きは感じたが、ジェドの戦い方にラオが惹かれる事は、彼の性格からするとさして意外な事でも無い。逆にここまでダーナが動揺する事にこそ、ユリアは不安を覚えた。

「あ―――そ、そうですわ、ジェド様に付いて行くなどと、ユリア様はどうなるのです。ユリア様が望まれている事は、それとは全く逆の事ですわ。 ラオ様は、ユリア様を…裏切るというのですか」

「ダーナ様、どちらにしても軍を大きくするには、今はまだジェド殿の力が必要です。現時点ではラオがジェド殿の直属部隊となれば、ラオの国王軍での地位も確立される事ですし…」

「クリユス様は黙っていて下さいませ…!」

 怒鳴るダーナに、クリユスは黙った。 女性にこのようなぞんざいな扱いを受けた事に、クリユスは少々衝撃を受けた風だった。

「ユリア様、ユリア様も止めて下さいませ」

 ダーナはすがるような目でユリアを見詰めてくる。

 なんて不安げな視線を寄越すのだろうか。

 ユリアは何とかダーナを安心させる言葉を与えてあげたかったが、ラオが望んでいる事が死と隣り合わせである事には違いが無く、またそれを止めて聞く男では無い事も分かっている為、何と言えば良いのか分からなかった。

 ただ、ダーナは心優しい女性だなと、改めて思う。

 だからこんな愚かな自分にも、彼女は優しく愛情を与えてくれるのだ。

 

「裏切るか…それを言われると痛いな」

 ラオが頭を掻きながら言う。

「確かにそうなのかもしれん。軍を大きくする所までは、今まで通り手伝うつもりだ。―――ま、面白いからな。 だがジェド殿を殺すにしろ、追放するにしろ、俺はその時お前達の邪魔な存在にはなるかもしれん」

 ジェドを国外へ追放するのなら、自分はそれに付いていく。他国の軍へ二人が流れて行ったら、フィードニアにとってかなり痛手を負う事になるだろうと、ラオは緊張感の無い声で語った。

 場違いなそれに、思わずユリアは苦笑する。

「私はそれでも構わない。ジェドがいなくとも、この国の軍が揺らぐこと無い力を得ること―――それが私の目的なのだ、そこまで手を貸してくれるというのなら、十分だ。 ―――ただ、ジェドの直属部隊になるというのなら、一つ言っておく。無理をして怪我などして来るな。ダーナが心配する」

「おい…難しい注文をしてくれるぜ……」

 さらりと言うユリアに、参ったなという顔をラオはした。

「ユリア様、ですがそれで良いのですか」

 顔を曇らせるクリユスに、ユリアは微笑んで見せた。

「いいんだ。 ―――どうせ、ラオが心配するような事態にはならない」

「……と言いますと」

「ジェドが他国の兵士になるなど、有り得ないからだ」

 どういう事だとクリユスが先を促したが、だがユリアは答えなかった。

 代わりに、ユリアの胸が小さく痛んだ。

 




 ラオの話に対して、ユリアが思いの他冷静な事が意外だった。

 彼女はあの英雄の事となるとむきになる節がある。ジェドに肩入れしようとするラオに、ユリアは反発するだろうと思っていたのだ。

 ジェドが他国の兵士になるなど、有り得ない。

 そうはっきりと言い切る根拠は何なのか―――。

 ユリアの言動の中で、クリユスは一つ、気付いていた事があった。

 彼女が望んでいる事は、英雄の国王軍からの追放―――。からの追放と言ったことは、一度も無いのだ。

 クリユスにはある一つの考えがあった。 それは全くの仮説ではあるが、もしそれが正しいとすれば――詳細はまだ分からないまでも――様々な事柄に符合が付くのだった。

 

「ところでユリア様。話は変わるのですが、先日のシエンとの戦いに参戦した領兵軍への清めの儀式を、カナルという街で執り行うことになりました。ユリア様にはそこまでご足労を願う事になります」

「カナル街……?」

 ユリアの顔色が変わったのを、クリユスは見逃さなかった。

「何故……この王都でやる訳にはいかないのか? 今までも清めの儀式は、領兵軍の方がここ王都にやってきていたというのに。 何故、私の方から出向かねばならないのだ」

「フィルラーンの方から各領地へ出向くというのは、確かに異例の事ですが、先の戦いでどうやら領兵軍の兵士に怪我人が多く出たらしいのです。 無理に彼らを呼び寄せるよりは、ユリア様が出向かれた方が良いと判断したのですが……ユリア様はお嫌ですか?」

「まあ、怪我をされた方が多いのですか…」

 ダーナが同情的な目をした。その視線を受け、ユリアは俯く。

 彼女の性格上こういう理由を聞いてしまっては、例えそれが気の進まない事でも断れはしないだろう。

 カナル街は、幼少のユリアがラーネスへ向かう前に、最後に立ち寄ったというリョカ村の隣にある街である。

 彼女のこの反応もまた、クリユスの仮説から逸脱したものでは無かった。


「……話は分かった。カナル街の件は、後日正式に話が来たら受けよう。他に用件が無いのだったら今日の所は塔へ帰らせてもらうぞ」

 言ってユリアは席を立つ。帰り支度をしようとする彼女に、クリユスは声を掛けた。

「ああ、ユリア様―――ひとつ、面白い話があるのですよ」

「……なんだ?」

 ユリアは髪を結い上げた自身の頭に、町娘のように布を被せながら、視線だけをクリユスへ寄越した。

「―――ボルテンを攻めていた時、我々はフィードニアの国境が連合国軍に攻められている事を聞きました。その報を受けて、真っ先にフィードニアへ戻る指示を出したのは、ジェド殿なんですよ」

 少女は手を止めて、微かに瞬きをした。

「ああ、それは俺も意外だったな。 あの男だったらそんな事はお構いなしに、最後までボルテンを攻め続けるかと思ったが」

 傷を負った肩を擦りながら、ラオが相槌を打つ。その顔は、その時の事が未だに信じられないとでも言いたげだった。

「――――それがどうした。ジェドが国想いの優しい男だとでも言いたいのか? 万が一王都が落とされる事があっては英雄の名折れ、ただそれだけの話ではないか」

 ユリアは冷笑を浮かべる。この表情の意味は、現時点のクリユスには測りかねた。

「まあ、そうですね」

 クリユスはラーネスにいた頃のユリアを思い出していた。

 その頃のあどけない少女には、無かった表情だとクリユスは思った。





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