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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
27/187

27: ケヴェル神3

 戦場に金色の兜が高々と掲げられた。

 兜の天頂には赤いものが付いている。―――恐らくあれが金獅子軍隊長の兜なのだろう。

 クリユスは矢を次々に放った。それらは正確に敵を馬上から落として行く。

 本当にやったのだな、とクリユスは思った。

 八万の軍勢に僅か一千程の中隊で突っ込んで行き、精強と名を馳せる金獅子軍を打ち破ってしまったのだ。実際に自分の目で見ていなければ、とても信じられない出来事だった。

 クリユスは弓を引き絞り、矢を放った。背後からライナスに剣を突き立てようとしていた男が、馬上から転げ落ちた。

 済まんな、という目線をライナスは寄越す。クリユスは軽く頷いて返した。


 ラオは無事でいるのだろうか。

 クリユスは金色の兜を再び見やったが、そこに友の姿を見つける事は難しかった。

 いや、あの男が死ぬ訳がない。

 金獅子を倒したのだ、第三騎馬中隊は少なくとも全滅した訳ではない。全滅していないのならば、あの男が死んでいる筈が無いのだ。

 今自分に出来る事は、ライナスの言う通りシエン軍を出来うる限りこちらへ引き付け、第三騎馬中隊の負担を軽くする事だけだった。

 只管ひたすら矢を放ち続け、矢は最後の一本になった。

 クリユスはこの矢には手を付けず、弓から剣に持ち替える。最後の矢は使わない。それはクリユスが戦いの際に常に習慣にしている事だった。

「クリユス殿、あれを。第三騎馬中隊の者が戻って来ておりますぞ」

 バルドゥルが顎を動かし後方を指し示した。

 見ると負傷した兵士達がこちらへ向って馬を走らせている。

 彼らの報告を受け取るため、ライナスが一旦戦いの場から外れ、クリユスもそれに追従した。


 彼らはライナスの前まで来ると、馬を止めた。

 先頭にいる男がふらつきながら馬を下り、片膝で跪く。

「ライナス様…! 第三騎馬隊第一小隊長アルマンです。第三中隊は金獅子軍を打ち破り、現在シエン国王軍本隊へ向かっております。隊に現存している兵士の数は、およそ五百。至急援軍を要請願います」

「シエン軍本体へ……そのまま向かったと言うのか、五百の兵だけで」

 クリユスは驚きの余り思わず口を挟んだ。

 金獅子軍が敗れ、敵も浮足立っているとはいえ、たった五百で何が出来るというのだ。

「微力ながら、せめて私も共に行きたかったのですが……」

 アルマンは俯きながら言う。

 体が大きく鍛えられた体付きをしたアルマンは、普段はさぞ精悍な男なのだろうと思われたが、今は顔色も悪く精彩を欠いていた。

 それもその筈、彼は脇腹に深い傷を負っている。

 ライナスは補給部隊の兵士に水を用意させると、第三騎馬隊の負傷兵へそれを配らせた。

「分かった。御苦労だったな、アルマン。お前達は後方へ下がって傷の手当をしろ」

「いえ、これくらいの傷大したことはありません。シエン国王軍突入に付いて行けなかった分、ここで働きたいのです」

「馬鹿を言うな。怪我人など足手まといだ」

 ライナスは素っ気なく言う。アルマンの気持ちも解るが、クリユスにも彼が存分に戦える状況であるとは思えなかった。

「ここで大した働きも出来ず死ぬよりは、傷を治して次の戦いで活躍してくれた方が、我らにとってもありがたいのだがな。……それに小隊長であるお前が傷をおして戦うとあれば、お前より傷の浅い部下も休めまい。部下の為だと思って、ここは引け」

「は……」

 クリユスの言葉に、アルマンは項垂れた。

 一応納得はしたのだろう、だがその拳は悔しそうに握りしめられている。

 ラオに似ている。

 クリユスは内心で笑みを浮かべた。

 中隊長の職に就いてたった二ヶ月余りではあるが、それでも鍛えられているうちに上官に似るものなのか。

 いや、それともライナスの采配によるものか。

 後者だろうとクリユスは思った。

 自分にはこういう男は使いにくい。だがラオの戦いには必要な男だ。

 そして己には、バルドゥルという男がありがたかった。

「クリユス、戻るぞ」

 ライナスが馬首を返す。

「はい」

 一瞬、ラオの生死を問おうかと思ったが、止めてライナスに付き従った。

 そんな必要は無い。もしラオが死んでいたら、アルマンは真っ先にそれを報告している筈だ。

 

 息をひとつ吐き、クリユスは己の気持ちを落ち着かせた。

 戦いが始まってからというもの、あの破天荒な英雄に一々振り回されていたように思う。自分とした事が全く冷静を欠いていたものだ。

 彼は己の常識では測れぬ男だ。だがそれが解ればそれでいい、そういう存在だと思ってさえいれば、一々動揺などしなくてすむ。

 たった一千余りの兵で、八万の兵に埋もれた金獅子軍へ辿り着き、見事打ち果たしてみせた。

 そして約半数に減った中隊の態勢を立て直すでもなく、そのままシエン国王軍本体へ向かったという。

 余りに常識外れで無謀ではあるが、もうクリユスはさほどの心配は感じなくなっていた。

 あの英雄なら、恐らくやり遂げるのだろう。

 そしてちょっと散歩にでも行っていたかのような顔で戻って来て、つまらなそうに皆の賛辞を聞いている。そんなジェドの姿がありありと想像出来た。

 英雄と皆に言わしめる男は、そういう男なのだ。


「お前、以前ジェド殿の事をケヴェル神に例えたな」

 前を行くライナスが、顔を少しこちらへ向け、面白そうに言った。

「二国に同時に攻められた場合、例えジェド殿が軍神ケヴェルのごとき戦いを見せても、体は一つなのだと」

「ああ―――はい、そのような事を確かに言いましたが……」

「ケヴェル神のごとく、では無い。あの人はまさに、軍神ケヴェルの化身なのさ。 獣の姿をした、戦いの神だ」

 冗談をいうような口調で、ライナスは言った。

 だがクリユスはそれを笑う気にはなれなかった。

「―――確かに、そうなのかもしれません。 いえ、私にもそのように思えてなりません」

 あの男の強さは、それ程人間離れをしている。

「俺はあの人と初めて会った時、野生の獣のようなガキだと思ったものだ。獣は獣でも、軍神だった訳だ」

 ライナスは笑いながら、戦場へ視線をやった。

 いや、その視線はもっと遠くを見詰めているのかもしれない。

 彼より半馬身程後ろにいるクリユスには、前を見るライナスの表情など見える訳はなく、それは漠然と感じたものだったのだが。

 この戦いの行く先がどこへ辿り着くのか、ライナスには何が見え、何を感じているのだろうか。

 ふと彼の見ている景色を同じように眺めてみたい気持ちになったが、だがそれはクリユスの望む景色とは、随分違うものなのに違いなかった。


「第一騎馬中隊はジェド殿率いる第三騎馬中隊の援護に回れ……! ジェド殿がシエン軍を真っ向から攻めている、第一騎馬中隊は迂回して外から攻めるのだ。シエン国王軍を攪乱かくらんしてやれ……!」

 ライナスが叫んだ。

 クリユスは剣を手にし、再び戦いの中に身を投じる。

 彼はただ、無心で剣を振った。



 それから一刻程ののち、シエン国王軍の兜を被った首と、フィードニアの旗が戦場に掲げられた。

 それがシエン国王軍総指揮官のものである事は、シエン兵の様子を見れば明白であった。

 指揮官を失った軍を打ち倒す事は、もはや簡単な事である。

 勢いを失ったシエン軍に、フィードニアは現存する全ての兵力で一気にたたみかけた。

 王城から白旗が上がるのに、それ程の時間は掛からなかった。


「バルドゥル、メルヴィン殿に伝えて貰いたい事がある」

「は……メルヴィン殿にですか」

 バルドゥルはあからさまに顔をしかめる。

「そう嫌そうな顔をするな」

 クリユスは笑った。

 ほぼ記憶に無いが、メルヴィンは後方で采配をふるっていた筈だった。

 指揮官を失えばその軍は総崩れになりかねない―――それを思えば、メルヴィンのように己は後方に腰を据え、指示を飛ばすやり方もまた、正しいと言える。

 ただ、既に総指揮官ででもあるかのような態度に、苦笑は感じたが。

(――――まあ、良い。あの男にはこれから働いて貰わねばならん)

 今回の戦いは、クリユスにとってシエンの白旗だけが目的では無かった。

「シエンに勝利したこの勢いのまま、ボルテンを攻めるべきだとメルヴィン殿に主張させろ。連合国の同盟が完成する前に、落とせるだけ落とすのだと。それが王の意思だと、メルヴィン殿に代弁してもらうのだ」

「…分かりました、仰せの通りに」

 ボルテンを攻めるという言葉に、バルドゥルは片眉を上げたが、だがそれ以上の詮索はしてこなかった。

 代わりに白髪交じりの顎鬚あごひげを撫でつけ、「暫く勝利の酒は飲めそうにありませんな」とだけ呟いた。







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