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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
26/187

26: ケヴェル神2

 岩が一つ、降ってきた。

 単独で突き進む中隊に、すれすれの位置にそれは落ちた。人の身丈程はある岩である。

 更にもう一つの岩が、こちらへ飛んで来るのが見えた。今度は隊に指示し、少し右に逸れる事でそれを避けた。

 見ると、シエン軍の後方に、木々に隠れて巨大な投石機が設置されている。

 シエン軍は失態したな、とラオは思った。

 全軍で攻めかけていれば、この岩を避けるのは困難だっただろう。シエンの方も的が大きければ、無造作に投げたとしてもどこかには当たるものだ。

 だが一個中隊だけで動いていれば、こんな大きな岩を避けるのは簡単だった。

 シエン軍は、たかだかこんな一個中隊の為に投石機など使うべきでは無かったのだ。

 おかげでフィードニア軍本体は、岩を避け易くする陣形を取って進む事が出来る。


 このシエンの失態は、迫りくるこの中隊への恐怖から出たものかもしれない。

 恐らく何か罠があるのだと、シエンは恐怖したのだ。

 そうでなければ八万余りの軍へ、たかが一個中隊だけで突撃してくる訳が無いと、ラオが相手の立場だったら思うに違いなかった。

 この戦場に不釣り合いな中隊は、さぞ得体の知れない物に映っている事だろう。だが実際は、そんな罠などありはしなかった。

 ありもしない罠に恐怖するシエン軍を、しかし愚かだと笑える訳も無い。

 突撃するラオ本人にも、この行動は玉砕覚悟の攻撃なのだとしか思えなかった。

 余りに無謀な突撃なのである。


 シエン軍本体に辿り着いてしまう前に、この目障りな中隊を潰してしまおうと思ったのだろう、今度は大量の矢が降ってきた。

 それは一個中隊に対して浴びせる量の矢では無い。

 前を走るジェドが、馬に付けていた槍を取り出し、頭上で回転させた。矢が弾かれ次々に地面へ落ちてゆく。

 それに続くように、ラオも負けじと矢を払い落した。

 通常、先陣を歩む歩兵隊であれば、当然予測される矢の雨を防御する為、全身を覆うほどの大きな楯を用意しているものだが、騎馬隊にそんな用意がある筈もない。

 せいぜい半身を隠す事が出来れば幸い、といった程の大きさの盾があるのみである。

 払い落しきれなかった矢が、ラオの太腿に突き刺さった。

 一人、また一人と、矢を受け落馬する者達がいる。

 隊の動きが鈍くなった。兵士達の間に、僅かに怯みが見えた。

「―――――止まるな……! 矢など気にするな、向こうの懐に辿り着けば、どうせ使えなくなるのだ……!」

 ジェドが怒鳴った。

 確かに矢の射程範囲内を馬が駆け抜ける時間など、ほんの僅かなものだった。

 だがその僅かな時間が、気が遠くなるほど長いのだ。


 ラオは矢を払い落としながら、前を走るジェドの背中を眺めていた。その背中には、迷いなど微塵も無い。

(―――――何を弱気な事を)

 己の太腿に突き刺さった矢を、ラオは引き抜いた。

 元々自分は、戦略よりもただ敵とぶつかり合う戦いを好んでいた。だのに無謀だなんだと弱腰になるとは、なんと情けないのだ。

 ティヴァナで副総指揮官なんぞをやっているうちに、戦略に頼む男に成り果てていたのか。

 いや、そもそもティヴァナは、ラオが国王軍に入るより遥か昔から大国であり、強国だった。

 ティヴァナで中隊長に就いていた頃、彼の果敢に敵に攻め入る戦い方を、周りの人間は勇猛だなんだと褒め称えたが、それも今にして思えば大国が背後にあっての勇猛さに過ぎない。

 ガキ大将がいい気になって暴れていたようなものだ。

 ふと、矢が止んだ。八万の軍が目前に立ち並んでいる。

 ――――八万などと、思わなければいいのだ。

 我等の隊が狙うのは、金獅子と国王軍総指揮官の首のみである。ただそれだけだ。

 金獅子の旗がいつの間にか見えなくなっていた。ジェドが金獅子を狙ってくる事は、シエンにも予想が付いたのだろう。金獅子を先陣に出し、旨く誘き出されたのだ。

 まあ誘き出されようがされまいが、恐らくジェドにはそんなこと、関係の無い事なのであろうが。

 ラオは雄叫びを上げた。

 ジェドを先頭に、戦場を走る第三騎馬中隊は、八万の軍団の中へ突っ込んで行く。

 すぐさまシエン軍の両翼が、中隊を取り囲もうと左右に伸びた。

 それは巨大な魚が、小魚を飲み込もうとする姿にも似通って見えただろう。

 ―――ただ、その小魚は鋭い歯を持っているのだ。


 ラオはやはり、戦いながらジェドの背中を見ていた。

 ジェドが一振り剣を振るだけで、数人の兵士の首が飛び、胴が断たれる。

 八十ヘルド(約百メートル)程隔てた所に、金獅子の旗が見えた。ジェドは金獅子の旗を真っ直ぐに見据えている。

 金獅子のいる所まで、道を作ろうとしているのだ。何とも強引な仕事である。

 先頭で次々に敵を薙ぎ倒して行くジェドの戦いぶりは、鬼気迫るものがあった。

 動きに全く無駄がない。彼が剣を振ると、必ずそこには敵が倒れてゆく姿があるのだ。

 だが何時までも見惚れている場合では無い。倒しても倒しても、敵の攻撃が止むことは無く、一瞬たりとも息を付く暇などありはしないのだ。

 金獅子の旗は一向に近づいたように見えない。まだ遥か先だった。

 八万の軍の圧力を、ラオは否が応にも感じていた。

「隊長……退路が、断たれます……!」

 中隊の後尾から叫ぶ声が聞こえた。

 隊は八万の軍に飲み込まれようとしていた。

 ここは一旦引くべきか。ラオは総指揮官の指示を仰ぐべく、ジェドを見た。

「だからどうした……! 退路など必要無い、真っ直ぐ突き進んで突き抜ければいいだろうが……!」

 ジェドは笑い、剣を振るった。

 突き抜けようというのか、この八万の兵の中を、この一千の中隊が。

 ラオは思わず苦笑した。 そんな事を本気で考えるのか。何もかもが、ラオの想像を裏切る男だ。

「何も考えるな、恐れるな……! 金獅子の旗だけを見ていろ……!」

 ラオは叫んだ。兵士達にというより、己の為に叫んだ。

 もう何も考えない。

 金獅子の旗だけを見て、ラオは剣を振り下ろした。





 

 切って、切って、切り倒した。どれだけ時間が経ったのか、それとも実際にはあまり過ぎていないのか、ラオには分からなかった。

 意識が朦朧もうろうとしてきていた。動いている体が、自分のものでは無いように感じられる。

 ふと、シエン軍の圧力が軽くなったのを、ラオは感じた。

 フィードニアの本体が、シエン軍の両脇へぶつかり兵力が分散されたのだ。

 金獅子の旗が―――目前に見えた。


 体が歓喜でぶるりと震えた。眠りから目覚めたように、体中の感覚が蘇ってくる。

 辿り着いたのだ。永遠の彼方かと思えた、この八十ヘルドの先へ。

 ラオは再び雄叫びを上げ、金獅子の兵士へ切りかかった。

 一人、二人と倒し、今までの兵士達との手ごたえの違いを感じた。よく鍛えられた兵だ。

 その精強さが、更に金獅子へ辿り着いた実感をラオにもたらした。

 金獅子軍の中から、天頂に赤い羽根をつけた兜の男が進み出てくる。あれが金獅子軍隊長か―――。

 成程、立派な髭を蓄えた、屈強そうな面構えをした男だった。

 男はジェドを真っ直ぐに見据えた。

「お前がフィードニア軍総指揮官か、そのように無謀な行動を取る男がフィードニアの将だとは、呆れるな。 ここまで辿り着けた事は褒めてやるが、もはや我らと戦う力など残っておるまい…! この俺の刀の錆びとなって己の愚かさを後悔するが良い……!」

 金獅子の将は大きな刀を片手に、ジェドへ向け馬を走らせた。

 ジェドも馬を走らせる。

 二つの馬が交差した――――。

「――――お前こそ、この俺に単騎で向かってくるとは、無謀な男ではないか」

 ジェドは金獅子の将へ言葉を投げかけた。

 だがその言葉は、既に金獅子軍隊長へ届く事は無い。

 首の無い体が、どさりと馬から落ちた。



「―――やりましたな、総指揮官殿」

 ラオは額の汗を拭った。

 二ヶ月余り、ラオが鍛え上げた第三騎馬中隊は、およそ半数に減っていた。

 それでも、よくこれだけ残ったものだ。

 隊の先頭で戦っていたジェドが、かなりの敵をその手に吸収してくれていたのだ。

 一番過酷な場所で戦っていたというのに、だが見る限り傷らしい傷を負っていない。

 感嘆するというより、呆れる気持にラオはなった。

「………何を勝った顔をしている。 次、行くぞ」

「――――――は?」

「は、では無い。 狙う首は二つあっただろう。まだ一つ足りぬではないか」

 ラオの頬に汗が伝わった。 先程まで流れていた汗とは、また違う汗だ。

「このまま、ですか? 兵士達は半数に減り、残った兵も既に…」

「嫌なら来なくても良い。俺一人で行くだけだ」

 ジェドは詰まらなそうな顔をした。

 一人くるりと馬首を返すと、彼は馬を走らせる。

 ―――――なんて男だ。

「全く、無茶を言う……」

 ラオは苦笑し、己の部下へ叫んだ。

「これから第三騎馬中隊はシエン国王軍本隊を叩く…! 付いてこれる者だけ付いてこい! 残りは自軍本体に合流、応援を要請しろ……!」

 叫び終わると、ラオはジェドを追った。


 ――――この戦いが終わったら、己の軍をもっと精強に鍛え上げよう。

 あの男の背中に、いつでも付いて行けるように。

 体は疲れ果てていたが、気持ちが高ぶるのを、ラオは抑えられなかった。

 俺はあの男に付いて行きたい。 あの男と共に戦いたい。

 己が仕えるべき男は、あの男なのだ。







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