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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
25/187

25: ケヴェル神1

 あの男が憎くて堪らない、とユリアは言った。

 だからこの国王軍からジェドを排除したいのだと。

 確かに、権威の象徴であるフィルラーンが一介の兵士に跪くなど、屈辱以外の何物でも無いのだろう。

 本来なら彼女が膝をつく相手は、国王以外にいる筈もないのだ。

 ティヴァナにいるフィルラーンなど、滅多にお目に掛かることが出来ないどころか、顔を直視する事さえ許されていなかった。

 唯一お傍に近づける清めの儀式でさえ、フィルラーンが登場して去ってゆくまで、組んだ両手に額を押し付ける形で頭を下げ、神への祈りを捧げていなければならない。

 クリユスが見たと言えば、フィルラーンの足と背中くらいのものだった。

 ――――まあ、ティヴァナのフィルラーンはユリアのように美しい少女では無く、老齢の域に入った男であったのだから、クリユスにとってはその尊顔になど、全く興味が沸くものでも無かったのだが。


 だからこの国へラオと共にやって来て、街中でユリアを見つけた時は、クリユスは心底驚いたのだ。

 一瞬見間違いかと我が目を疑ったが、己が女性の顔を見誤る事など、月と美の女神フィリージュに誓ってある筈がないと彼は自負していた。

 ましてや、彼が愛しく想うユリアであるのだ。天に輝く全ての星が流れ落ちてしまったとしても、それはありえない事だった。

 平民出身の英雄。そしてそれに跪くフィルラーン。

 フィードニアの王は呆れるほど恐れを知らない男だ。 面白い国だと思った。

 だがそれに利用される少女は、不幸である。

 フィルラーンとしての誇りも自尊心も砕かれた少女が、自分を見下す男を憎んだとしても、何の不思議も無い。

 寧ろそれはごく自然な流れだと言えるだろう。

 ――――ただ、それがユリアではない他のフィルラーンであったならば、だ。

 

 何かがある、とクリユスは思った。

 軍略に利用され、格下の者に跪く事を強いられたとしても、ユリアがそこまで相手を憎むとは、クリユスには思えなかった。

 現に己を凌辱しようとした男を、ああもあっさりと許してしまったのだ。

 ティヴァナのような気位の高いフィルラーンであるならば、神が許しさえすれば、その男を八つ裂きにしてもまだ足りないと思うだろう。

 だがユリアはロランに対し、まるで何事もなかったかの様に接し、更には笑いかけさえしているのだ。

 そんな少女が、国王軍からの追放を望むほどあの英雄を憎むとは、不思議な話だった。

 ユリアとジェドの間には、何かがある。

 それは予感では無く、確信だった。






「――――この国を落とすのに必要な首はどれだ?」

 1.5リュード(約1.8キロ)先に並ぶ、シエン軍の無数の旗を眺めながら、ジェドは言った。

 シエン軍は自国の王都を背にし、こちらを睨む形で対峙している。

「そうですね。シエン国王軍総指揮官と―――金獅子軍軍隊長の首を取れば、後は城を落とすのも容易いかと…」

 答えたのは、フィードニア国王軍第五騎馬隊中隊長フリーデルである。

 前髪を全て後ろに撫でつけている為、その額の眉間に皺を寄せる様が、よく見て取れた。

 三十代前半の年の頃だが、常から難しい顔をしている為か、その眉間には深く縦皺が刻まれている。

 彼の冗談の通じなさそうな性格が、クリユスは少しばかり苦手だった。

「金獅子軍は名前の通り、軍旗に金の獅子が縫われている所から付いた名です。領兵軍で手強いのは、この金獅子だけでしょう。軍隊長は天頂に赤い羽根のついた兜を被っているそうです」

 領兵軍とは、国内で各領地を治めている領主の持つ、私兵軍の別称である。

 こういった他国との戦いの際には、領兵軍も参戦するのが通常なのだ。

 領兵軍は国の旗と、自軍二つの旗を挿すことになる。シエン軍の陣営には、さまざまな旗が風に揺れていた。

 だがフィードニアの陣営にはためく旗は、国王軍旗以外の種類では、二つのみである。


「これだけの兵士の数で、本当にシエンを攻めるとは思いませんでした。正直、正気の沙汰とは思えませんね」

 クリユスは自軍を眺めながら呟いた。国王軍でさえ全ての隊が出陣している訳では無かった。フィードニアは領兵軍を含めても三万弱、シエンはざっと見たところ、八万余りはいるだろう。

 領兵軍を随分国に残して来ているのだ、せめて国王軍位は、全て出陣させても良かったのではないかと溜息を付くクリユスに、ライナスはにやりと笑った。

「これがフィードニアの戦い方なのだ。少人数で勝利をあげる、その数が少なければ少ない程、他国には脅威に映るのだ」

「……そうなのでしょうね」

 王が恐れ知らずならば、その兵士もまた恐れ知らずとみえる。

 もう一つ溜息を付くクリユスの横で、先程から嬉しそうな顔をしている男が居た。ラオである。

「クリユス、フィードニアの戦い方など最初から知っていたでは無いか。何を今更怖気づいている。腕が鳴るってもんじゃないか」

 至極楽しそうなこの友に、クリユスは肩を竦めた。

「……腕が鳴るか、ではお前の中隊は俺に付いてこい。楽しませてやる」

 口を挟んだのは、ジェドだった。彼は口の端を片方だけ吊り上げる。

 ジェドを良く知る訳では無いが、この男が話しかけて来るとは、意外だった。ライナスも同じように思ったのか、珍しい物を見るような顔をしている。

「は……! 光栄です、総指揮官殿」

 ぴんと背筋を伸ばすラオに、ライナスが口笛を吹いて寄越した。

「これは初陣からついているな。ジェド殿の戦いぶりを間近で見られるのだ、存分に楽しんでこい」

 言う眼が笑っていた。


「―――斥候が戻って来ました。未だシエン軍に動きは見られないとの事です。更には金獅子軍が先鋒を陣取っているようです。こちらの出方を窺っているのか…我らが先に仕掛けるよう、誘っているとも見て取れます。何か罠があるやもしれません、今しばらく、我らも動かない方が良いかとは思いますが」

 フリーデルは淡々と戦況を告げた。

 どうやらフリーデルの第五騎馬隊中隊は、諜報部隊でもあるようだった。

「……待つだと? 何時までもこんな所で時間を潰していられるか。待ちたくば、お前達はずっとここで待っていればいい。―――ラオ!」

「は……!」

 ジェドは突然、敵陣に向け馬を走らせた。単騎で陣を離れるジェドに、ラオの中隊は慌てて彼に付いていく。

「ジェド殿! 馬鹿なっ……!」

 思わずクリユスは叫んだ。

 何が起こったのか、咄嗟には理解が出来なかった。

 一軍の将が単独で、しかも先鋒として敵に突っ込んで行くとは、とても信じ難い光景だったのだ。

 総指揮官でありながら軍の指揮を執ることは無いと、確かに聞いてはいたが、これでは兵法も何も無いではないか。

「ライナス殿、我らにも早く出撃の命を…!」

「慌てるな、あの人はいつもああなのだ」

 ライナスは苦笑した。―――何を呑気な。

 冗談ではない。よりにもよって、ラオが彼に付いて行っているのだ。こんな無茶苦茶な戦いで、友を失いたくなどない。

 直ぐにでも追いかけたかったが、将の命令無しに勝手に行動することなど、許される事ではなかった。

 だがこうしている間にも、ジェドはシエン軍への距離を詰めているのだ。


 ライナスは焦るクリユスの肩を軽く叩くと、兵士達に向かい、叫んだ。

「我らは兎に角ジェド殿の補佐に回るのだ。金獅子とシエン国王軍、それ以外の敵を我らで喰い止める。将の首を取ろうなどとは考えなくてもいい、敵の目を、我らに引き付ける事だけを考えろ…!」

 兵士達がときの声を上げた。

「―――――そういう訳だ、分かったか?」

 ライナスはクリユスに向かい笑うと、馬首をシエン軍の方へと向けた。

「まずは歩兵隊から出撃する! 先陣は楯を用意!」

 彼は高らかに、叫ぶ。

「――――――出撃する……!」


 先陣を切るジェドとラオの中隊に、矢が降り注ぐのが見えた。

 単独で動く中隊など、恰好の的である。

 生きていろよ、と心の中で呟き、クリユスは馬を走らせた。






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