24: 吐露
「お前も演技が上手くなったな、ラオ」
クリユスが思い出したように笑った。
「―――お前とどれだけの付き合いだと思っている。それくらい、嫌でも自然と身に付くってもんだ」
ラオは溜息交じりに言った。
ユリアは再び彼らと会うために、城下町へ御忍びでやって来ていた。
前回と同じ、東地区にある飯屋の二階である。
丸いテーブルには軽食と茶が並べられていた。ユリアの右隣にはダーナが、左隣にはクリユスが座っている。
クリユスとダーナの間にはラオが腰掛け、テーブルを四人で囲む形に座していた。
その後方では、ロランがドア付近にひっそりと立っていた。
ロランにもテーブルに付くよう勧めたが、ユリアと同じ席に座るなど怖れ多いと、彼は頑なに固辞したのだった。
「まあ、どんな演技だったのですか? 見たかったですわ……」
「あんたは、一々見たがらんでいい」
興味津々なダーナに、ラオは顔を引き攣らせそっぽを向いた。
「こんな嘘の付けない不器用な筋肉達磨のような顔をして、平気で人を騙すのですからね。こういう男の方が性質が悪いのです。ダーナ様も騙されてはいけませんよ」
ダーナに向け片目を瞑ってみせたクリユスの頭を、ラオは殴った。
「おい、誰がやらせたのか、思い出させてやろうか……?」
「分かった分かった」
クリユスは降参とばかりに、両手を軽く上げ、そして痛そうに殴られた頭を擦った。
「―――で? ティヴァナとの同盟を阻止すると言っていたが、どうなったのだ?」
この男達は軽口を叩きあわねば本題に入れないのか、とユリアは半ば呆れながら問う。
クリユスの計画は、同盟を組もうとしている連合国に対抗する為には、今この国にとって急務である筈のティヴァナとの同盟を、潰そうというものだった。
前に会合した時にクリユスは言ったのだった。
『各国が同盟を結んでしまったら、幾らジェド殿でも太刀打ち出来る訳が無いと、先程ユリア様は仰いましたね。 ――――そう、太刀打ちできない状況にするのですよ』と。
我々の目的は、ジェドの力を借りずとも大国として君臨出来る程の軍を作り上げ、そして最終的に彼を軍から追放する事。
だが今同盟国に太刀打ちする事が出来てしまっては、軍を大きくしようなどという話を持ちかけた所で王が納得する筈も無い。
だから自らが力を付けなければならない立場に追い込むのだと、クリユスはそう語ったのだ。
「ひと月程前、我が軍はティヴァナへ向け密書を送りました。―――勿論、同盟を申し出るものです。さて、阻止すると言ったものの、これをティヴァナへ渡らないようにするには、どうしたら良いものかと考えあぐねていたのですが……」
クリユスは少しばかり、表情を曇らせた。
「考えるまでもありませんでした。使者殿はベスカにて何者かの矢に倒れ、密書も現在行方不明です」
「何だと……?」
「我々にとっては結果的には望み通りなのですが、同じフィードニアの兵士相手ですから、手荒な事はしたくなかったというのに、残念です。 ―――どうやら、ティヴァナとの同盟の話はトルバ辺りにも流れているようですね」
「そうなのか……」
フィードニアの使者がトルバの者に殺されたと聞き、同盟国との戦いが、急に現実味を帯びてきたように感じられた。
ユリアは両の手のひらで包み込むように持っていた、ティーカップの中の茶を見詰めた。
茶褐色の液体に、不安げな表情をした顔が映る。
前回の会合でクリユスの話を聞いた時から、ユリアの心の中には不安な思いが巣食っていた。
思っていたよりも、話が大きくなり過ぎている。
ユリアが望んでいた事は、軍を大きくし、そしてジェドを軍から追放する事。ただそれだけだった。
それがいつの間にか、このハイルド大陸東の地全体の戦いにまで、話が発展しようとしているのだ。
「―――軍を大きくする為には、そこまでの事をしなければならないのか……? 大きな戦いがあれば、人が多く死ぬのだろう……?」
ユリアは茶を見詰めたまま言った。
「ユリア様。軍を大きくする為に、我等が戦いを仕掛けたのではありませんよ。戦いが起ころうとしているものを、少し利用しているだけなのです」
「そうだな。フィードニアは一気に大きくなり過ぎた、他国が脅威を感じるのは当然の事だ。俺達が何もして無くても、戦いは起こる。そういう時代の流れに差し掛かってるんだよ」
「だが……」
クリユスの手が俯くユリアの頬に当てられた。ユリアが顔を上げると、菫色の瞳が彼女を覗き込む。
「――――嫌なら、止めてもいいのですよ。 まだティヴァナとの同盟の話が無くなった訳ではありません。ジェド殿の追放を考えなければ、急いで軍を大きくする必要も無い。ティヴァナとの同盟が上手く行けば、同盟連合国との戦いは一旦膠着状態になるでしょう」
クリユスは優しく笑う。
「まあ、いずれ戦いが起こっても、ユリアには全く関係の無い戦いにはなるな。………今でも別にお前の所為で戦いが起こってる訳じゃ無いけどよ」
頭を掻きながら言うラオに、ダーナが当り前ですわ、と相槌を打った。
「止める………? いいや…それは、駄目だ」
呟くように、だがはっきりとユリアは言った。
「ジェドを軍から追放する。私がラーネスよりこの国に戻って来た時から、それは私がずっと望んできた事なのだ」
――――そもそも、ジェドがもしフィードニア国軍を裏切ったら、あの男一人に頼り切っているこの国は滅びるのみだ。
その危惧を払拭する為、始めた事なのだ。
もしここでそれを止めてしまっては、不安は何も変わらない。何一つ、変らない。
「――――それなのですが……」
クリユスはほんの少しだが、迷うような眼をした。
少し良いですか、と隣の部屋を指し示し、ユリアをそこへ行くよう促す。
何なのだと尋ねても、クリユスは答えなかった。
しょうがなく皆をを残したまま隣室へ行き、二人だけになると、やっとクリユスはその口を開いた。
「……ジェド殿は、確かに何を考えているのか分からない所がある御仁ですが……。私にはユリア様が言うような、この国に害を成すような方だとは思えないのです」
言いながら、クリユスは眉間に皺を寄せた。
一瞬、何を言っているのか分からなかった。そんなセリフをクリユスが口にするとは、到底思えなかった。
「…………何を言うかと思えば……クリユス、冗談は止めないか」
ユリアは笑おうとしたが、それは上手くいかなかった。
「冗談ではありませんよ。私がジェド殿と初めて言葉を交わした時、彼に言われたのです。―――この国を滅ぼさぬ限りは好きにしろと。 いい加減な台詞のようですが、国を彼なりに思っている言葉のように、私には感じられたのです」
権力に執着しているようにも見えない、国に害を及ぼすというよりは、寧ろその逆なのかもしれませんよ、とクリユスは言った。
「何を―――言っている。そんな事、口ではどうとでも言えるではないか」
目の前が真っ暗になってきた。クリユスまでそんな事を言うのか、私を裏切るのか。
「それにライナス殿も、ジェド殿を買っているようですし…」
「もう、いい……! お前はあの男を知らないから、そんな事を考えたりするのだ……!」
あの男の傲慢さも、卑劣さも、何も知らないのだ。
そしてユリアが受けた屈辱の数々も。
「―――――――私は、あの男が憎い」
ユリアは呟いた。
ユリアを蔑み、傷つけようとするあの男が、心から憎い。
愛している訳でもないのに、ただ屈伏させる為だけに唇を奪う。
見下ろされた目が、殺したい程憎かった。
「……あの男にこの国を任せられない、それも本心だ。―――だが、私は私個人として、あの男が憎くて堪らない。フィルラーンである私を跪かせ、憎しみを抱かせるあの男が」
ユリアは吐き出すように言った。
今までユリアは自分で自分に、ジェドを排する事は国の為にもなるのだと、大義名分を掲げて来た。
だがどう取り繕った所で、ユリアは己の心の為にあの男を排除しようとしているのだった。
己の心の醜さを、ジェドを前にすると嫌という程思い知らさせるのだ。
それが苦しい。あの男が傍にいると、激しい憎悪と自己嫌悪で眩暈がしそうになる。
「それは私の傲慢さだ。それは分かっている。そんなつまらぬ事にお前達二人を巻き込んだのだ、私は。 軽蔑されてもしょうがない。―――お前達こそ、こんな私に付き合っていられないと思ったら止めても構わないぞ」
「――――この私がユリア様を軽蔑すると……?」
クリユスは心外だ、という顔をしてみせた。
「言ったでしょう。私は貴女の為になんでもすると。それがなんであろうと、私は貴女の望みをただ叶えるだけです」
クリユスはにこりと笑った。
「クリユス……だが、私はこんな………………」
こんな己の醜い理由で、二人を動かそうとしていたというのに。
だが、そんな事は問題ではないとばかりに、クリユスは首を軽く振った。
「それが貴女の本心であるならば、私は如何なる協力も惜しみませんよ」
長い指が、ユリアの手を取った。
そのユリアの白い手へ、クリユスは口づける。
「――――ですが、一つ約束して頂きます。 これから戦いが起こるでしょう。けれどもう立ち止まる事は許されません。今後何が起ころうとも、貴女のその意思を変えないで頂きます。―――万が一貴女の気が変ったとしても、私はもう止まりません。……いいですね?」
間近で覗きこまれる菫色の瞳から、ユリアは目を逸らす事が出来なかった。
「―――勿論だ、私の気持ちが変わる事など、無い」
「ならば何時でも顔を上げていなさい。 貴女が不安気な顔をすると、皆が動揺します」
「―――――分かった」
ユリアは笑った。
クリユスに叱られた事など初めての事だった。それが何故か妙に嬉しい気持になるなど、不思議な事だ。
以前ユリアの事を、妹のように愛してきたとクリユスは言った。
その言葉が今、本当に嬉しいと思った。 クリユスの事が本当の兄のように思えて、くすぐったい気持にユリアはなった。
その後、何度かフィードニアからティヴァナへと、同盟の使者が送り出されたが、その何れも実を結ぶ事は無かった。
それでも、ここは腰を据えて同盟を進めるべきだと主張する者も少なからずいたが、メルヴィンを筆頭に、自軍の強化を謳う者達が次第に台頭していった。
国王軍内で意見が分かれる中、一つの報が入った。
ハイルド東大陸の最北に並ぶ一国、コーラルがティヴァナに落とされたというのだ。
それにより、クルト王は国王軍へ一つの命を下した。
―――――フィードニアのシエンへの攻撃である。