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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
184/187

184: 最後の王2


 暗い地下道をランタンの灯りを頼りに進む。長年使用されていなかったその通路は、苔むしカビ臭く、まるで遺跡の中のようだ。だがそれもそうだろう、いざという時の逃亡経路が必要となることなど、これまでに無かったのだから。

 子供の頃に兄や姉達と共にここを探検し、父にこっぴどく叱られたことをふと思い出し、フェルティスは一人笑みをもらす。あの頃はまさか己がこの道をこんな形で通ることになるとは思いもしなかった。そう考え、彼は頭を横に振る。

 いや、自虐的な考えはもう止めよう。前を向くのだ。これから皆と共に、新しい道を歩くのだから。

「ここを抜けたら、隠し船場で他の兵士達と合流します」

 マルセルが早足で歩きながらそうフェルティスに言った。

「他にも、私に付いて来る者がいるのか」

「はい、エンゲル殿を筆頭に、多くの者がフェルティス様にお供したいと申しております。ただ大人数が移動してはフィードニアに逃亡が露見されますから、まずは少数の者が国外へ出て、その後徐々に合流する手筈になっています」

「そうなのか」

 ティヴァナを再興させる道は、恐らく想像以上に困難な道になるだろう。しかも皆に苦難を強いたところで、それが叶う保障などどこにもないのだ。ティヴァナの民では無くなっても、この地に残った方がどれだけ楽に生きられるだろうか。だというのに、皆この私に付いてきてくれるというのか。

「愛国心が強いというのは嬉しいことだが、損得勘定が出来ぬ馬鹿ばかりだということだな、ティヴァナの者達は」

 熱くなる目頭を誤魔化すように悪態をつくと、マルセルが笑って肩を竦めた。

「その通りですね、私もその馬鹿の一人ということです」

 暗闇の中に笑い声が沸き起こる。逃亡の最中だというのに悲観した顔をした者がいない。恐らく無理にでも笑っていないと不安に押しつぶされてしまうのだろう。それでも、皆戻ろうとはしないのだ。

 一向は道の突き当たりに辿り着いた。扉は無く、行き止まりである。フェルティスは周囲の壁にランタンをかざし、目星を付けた部分を手で撫でる。

「確か、この辺りのレンガが外れるようになっているんだ」

 そう壁を弄っているうちに、掌に手応えを感じた。その箇所を強く押すと、レンガが奥へ動く。

「あった、ここだ」

 それを更に奥へと押し込みレンガをひとつ外すと、追従するように周りの壁が崩れていく。そして人が一人屈んで通れる位の穴が開くと、崩壊は収まった。

 壁の向こうは更に洞窟が続いていた。根が蔓延っており先程までよりも足場は悪かったが、少し進むと先に明かりが見えた。ここを抜けると、城下町北門の外側に広がる森の中に出る。戦いの喧騒はもう随分遠くに聞こえた。

 追手は来ていない。安堵感が少しばかり沸き始めた時、先頭を歩いていたマルセルが洞窟の出口手前で足を止めた。皆にも止まるよう身振りで指示すると、黙ったまま弓矢を矢筒から引抜く。彼の緊迫したその様子に、皆は身体を固まらせた。

「そこに居るのは誰だ」

 大声にならぬよう抑えながら、マルセルは林の中へ向かい問う。それに答えるように、チカッと何か小さなものが光った。それが何か分かったときには、既にマルセルの足元近くに一本の矢が突き刺さっていた。よく磨かれた矢尻が日の光を受け反射したのだ。

「ここからお逃げになるだろうと思い待っていましたよ」

 木の陰から現れたのは、嘗て臣下であったクリユスである。彼は次の矢を弓に宛がい、その矢尻の先を涼しい顔でフェルティスへ向けている。

「貴様、クリユス……!」

 マルセルが顔を赤くさせ怒鳴った。ことにこの男相手となると、己を抑えきれぬようだ。

「なぜこの道を知っている……と言いたいところだが、弓騎馬大隊長だったお前が知らされていてもおかしくは無いな」

 フェルティスは腰に佩いた剣から手を離し、溜息と共に両手を上げてみせる。

「はい、有事の折には王をお助けするようにと、まだティヴァナの忠臣だった頃に教えていただきました。今は敵対する立場となった以上、この隠し通路を知っていて見過ごすわけにも参りませんので」

 ぬけぬけと言うクリユスに、マルセルは火にかけた鍋のように頭から湯気を出す。そんなに怒って頭の血管でも切れやしないかと、思わず心配になってしまう。

「よくも、王に弓矢を向けるとは、そこまで腐りきっていたのか、この裏切り者が……!」

 マルセルは激昂しているが、クリユスの弓矢がフェルティスの方を向いている以上、彼に手出しは出来ない。睨み合う形になってはいても、クリユスの方はマルセルの矢を避けるか、受ける覚悟でさえいればいつでも矢を放てるのだ。分は遥かにマルセルが悪い。そしていざクリユスがその矢を放てば、フェルティスの心臓を簡単に打ち抜くだろう。そう思ってはいても、彼自身に危機感は左程無かった。

「マルセル、私に構わず矢を放て」

 フェルティスが言うと、マルセルは困惑した目を寄越した。

「しかし、それでは……!」

「構わんといっているだろう。命令だ、放て……!」

 マルセルが矢を放つのと同時に、クリユスもまた放った。傍にいた兵士の一人がフェルティスを庇うように飛びつき、二人はその場に転がった。矢は二人を掠め、洞窟の壁に突き刺さる。

「フェルティス王、ご無事ですか……!」

「私は大丈夫だ、皆、林の中に駆け込め……!」

 クリユスが次の矢を放とうとするのを、マルセルが先に放ち妨害した。彼らが弓矢の応酬をしているその隙に、皆で洞窟から飛び出し林の中へ駆け込んだ。そして木の陰から二人の様子を伺がう。

 クリユスは左腕から血が滲んでいた。最初の矢を避けきれず負傷したのだろう。二人は互いに矢を放っては木の陰に隠れ、また放つ。それを繰り返している。一対一だというのに、応酬される矢の数はまるで複数の者達が戦っているかのようだ。辺りは次々に矢を打ち込まれた木々で一杯になった。

 何となくハリネズミを思い浮かべながら固唾を呑んで見守っていると、二人の動きが止まった。よく見ると、クリユスの左脇腹に矢が打ち込まれている。

「く……ここまでか」

 クリユスは口笛を吹くと、走ってきた馬にひらりと飛び乗った。

「クリユス、待て……!」

 マルセルは更に矢を放ったが、馬はそれをするりとかわす。

「残念だが、私はこれ以上お前達を追う事は出来なさそうだ。せいぜい王をお守りし逃げるがいい、さらばだマルセル」

 そう言い捨てると、まるで風のように走り去る。

「待て、くそ……!」

 残されたマルセルは、腹立ち紛れに矢を地面に突き刺した。

「よくやった、マルセル。あのクリユスを撃退したとはな」

 声を掛けると、マルセルは悔しそうに頭を下げる。

「それでも、あの裏切り者を逃してしまいました」

「そんなことはいい。裏切り者の始末などより、今は無事逃げ延びることの方が大事なのだ。お前はあのクリユスに勝った、それが肝心なのだ」

「は……」

 マルセルはもう一度、深く頭を下げる。再び顔を上げた時、彼はどこか吹っ切れたような表情になっていた。完全なる勝利とは言えぬまでも、あの男との因縁に一応の決着がつけられた。そういう表情だ。

 クリユス相手となると平静ではいられぬマルセルは気付かぬようだが、多分あの男は、ティヴァナ王の逃亡を阻止しに来たわけでも、王の命を取りに来たわけでもないのだろう。ただこの嘗ての部下との決着を付ける為、つまりはマルセル、お前が遺恨を残すことなく旅立てるよう、はなむけに来たのだ。そうでなければ、たった一人でここへやってくる筈が無い。もっと多くの兵士達と共に現れ、我々を一網打尽にした筈だ。

 一騎打ちにマルセルが勝利したのも、クリユスが本来の実力を出し切っていたのかどうかは怪しいものだ。負けて花を持たせてやったような気もするが、そう思うのはマルセルの実力を過小評価しすぎなのだろうか。

「それでは、先を急ぎましょう。ぐずぐずしていては他の追手が来るかもしれませんから」

 マルセルがそう言い、フェルティスは頷いた。

「ああ、我らは我らの道を行こうか」

 フェルティスが推測したクリユスの想いを、マルセルに伝えるつもりは無い。裏切りの代償として悪役を演じようというのなら、それもいいだろう。まあ、少々格好つけ過ぎな気もするが。

 苦笑すると、フェルティスは一度だけ城を振り返った。屋根の尖端に取り付けられたティヴァナの旗が、風に煽られはためいている。もう少ししたら城はフィードニアに制圧され、あの旗は降ろされるだろう。その光景を胸に焼きつけるように、フェルティスはじっと城を見詰めた。

 悔しさも後悔も、喜びも悲しみも郷愁も、全ての感情を飲み込んで生き抜いてやる。そしていつの日か、あの旗を己の手に取り戻すのだ。

 フェルティスは前を向くと、二度と振り返ることなく皆が待つ船着場へと急いだ。


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