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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
174/187

174: 帰る場所

 甲高く、しかし重い音が辺りに響き渡る。二つの剣は何度もぶつかり合い、その度に火花を散らした。

 流石に、強いな。

 ラオは掌に感じる手応えに、焦りよりも寧ろ喜びを感じていた。

 後人に道を譲り、今でこそ中隊長位に甘んじているベンガルではあるが、嘗ては副総指揮官の座にまで上り詰めた男だ。先王がご存命の頃に大いに奮っていたその腕前は、未だに衰えてはいないようである。

「フィードニアに行き腕が上がったようだな」

 ベンガルが剣を振りながら言う。

「ああ、こっちには無茶な戦いをやる男がいるからな。そいつに散々付き合わされてりゃあ、あんた達みたいに強い男がごろごろといるティヴァナで安穏と戦ってた頃に比べれば、そりゃあ鍛えられるさ」

 剣を弾きながらラオが言うと、ベンガルはガハハと笑った。

「そりゃあ楽しそうだな、どうりでお前が国に帰りたがらぬ訳よ。わしもフィードニアに行けば良かったわい」

 口調は呑気だが、剣捌きは寧ろ速くなっていく。戦うことが何よりも好きという点において、ラオと非常に気の合う男だった。

「フィードニアの英雄の噂はよく耳にしておる。お前が師と仰ぐ気持ちは分からぬでは無いが、しかし裏切り者は裏切り者。かつて剣を教えたこともある小僧をこの手で屠らねばならぬわしの気持ちもおもんばからぬか、馬鹿め」

「そりゃ、悪かったと思ってるぜ。―――けど」

 ラオは体勢を低くすると、身体を捻りベンガルの足を払うように蹴る。体勢を崩し倒れた所へすかさず剣を突き刺したが、その寸前に転がりベンガルは難を逃れた。追いかけるように追撃の剣を振るうと、ベンガルは既に体勢を整え反撃の剣を打ち下ろす。辺りに土煙が舞い、両者の剣はがっちりと組み合った。

「あんたとこうやって戦えるなら、裏切り者も悪くないな」

「ぬかせ」

 ベンガルは剣を持つ手に更に力を込め、ラオの剣を押し返した。弾かれたラオは一歩下がり間合いをとる。

「のこのこと敵陣に乗り込んで来おって。大半の兵士達が後方の一個中隊の討伐に出ているとはいえ、お前一人を捕らえるには十分な兵士はまだこの陣内に残っているのだぞ。今わしが人を呼べばお前など戦ういとまも無く捕らえられるのだ。虚勢を張るな」

「俺だって何の考えも無しに乗り込んで来るほど命知らずじゃねえよ。あんたが負傷して陣営に引っ込んでると聞いたからな。ならば俺を捕らえにくるのはあんたに違いないと思ったのさ。そしてあんたなら人は呼ばずに一対一で決着をつけたがる。そうだろう、ベンガル殿?」

 ベンガルは口の端を持ち上げにやりと笑んだ。

「違いないな、この楽しみを人に譲ってなどやるものか」

 言うのと同時にベンガルは素早く足を踏み込み、鋭く剣を刺してくる。それを二、三度避けた後、今度はこちらから剣を振るう。激しい応酬が再び始まった。

 強い相手と戦うのは楽しい。命のやり取りをしているこの瞬間は、血が沸くような興奮を覚える。このまま死んでも構わないとさえ思う。だが――――。

 ベンガルは頭上高くから剣を大きく振り下ろし、何度も攻撃を仕掛けてきた。剣で受け止めると、大振りな分破壊力も凄まじく手に痺れが走った。それを嫌がり避けると、ラオの身体は左右に大きく揺さぶられることとなり、体力の消耗が激しくなる。

(このおやじの動きを何とか止めねえと―――)

 しかし巨漢に似合わず動きが速い。大振りだからといって動きに無駄が無いのだ。

 普通の人間なら怪我をしている脇腹を無意識にでも庇い、多少の隙も出来ようものだが、このベンガルという男にはそれすら無い。恐るべき爺だ。

 仕方がない。隙が無いというのなら、こっちが無理矢理にでも作ってみせるまでだ。

 ラオは一旦後方に退くと、地面を蹴り上げ反撃に転じた。剣を振り下ろし、その勢いのまま横に払い、そして振り上げる。それらの攻撃をことごとく受け流すと、ベンガルは間合いを詰め諭すように言う。

「腕は上がったが、昔からの癖が相変わらず抜けてはおらぬな。左上方への攻撃に甘さがあるわい」

「くそっ……!」

 舌打ちし、ラオは再びたたみ重ねるように攻撃をしかける。覚えている、国王軍に入軍したばかりの頃よくそう叱られたものだ。その甘さが隙になるのだと。

 ラオの攻撃を弾き、ベンガルは怒鳴った。

「ほれそこよ、それが甘いと言っておるのだ」

 死角から繰り出されたベンガルの剣を避けようと、僅かにラオの身体がぐらついた。その隙を見逃さず、ベンガルは鋭く剣を突き上げる。それはラオの左肩を深々と貫いた。

「ぐっ……!」

 そのまま剣を引抜こうとするその腕を、ラオはがっちりと掴んだ。そしてにやりと笑う。

「捕まえたぜぇ」

「なに……!」

 掴んだ腕を引くと、ラオはベンガルを背負うように地面に倒す。かつての仲間ではあるが、迷いは一切無かった。フィードニアに骨を埋めると決めた以上、半端な気持ちでいる訳にはいかないのだ。掲げた剣が日の光を受けて煌く。ラオは剣を握り締め、ベンガルの首目掛けて振り下ろした。

「――――――そこまでだ!」

 突然降ってきたその言葉に、とっさに剣を止めた。首の皮一枚程の差でベンガルの首は繋がったままである。振り返るとそこにはリュシアン王が立っており、その脇には弓の矢尻をラオに向ける兵士が十人程並んでいた。

 剣はベンガルの首に当てたまま、ラオは舌打ちをする。これだけの兵士の接近に気付かぬとは、間抜け過ぎる。ベンガルとの戦いに集中し過ぎた。

「ベンガルを殺さないでくれないか、彼にはまだティヴァナの為に働いて貰わねばならないのだ。彼を開放してくれるのならば代わりにおまえも見逃してやろう、どうだ?」

「止め立ては無用ですぞリュシアン王、おめおめと生き恥を晒す訳には参りませぬ。ラオめ、わざと隙を作りわしを誘いおったな。引っ掛かったわしが愚かであった、ひと思いに首を撥ねるが良い」

 潔く死を選ぼうとするベンガルに、リュシアン王は苦笑する。

「まあそう言うなベンガル、我々にはお前が必要なのだ。―――さあラオ、どうする? そのままベンガルを殺しても、お前は無数の矢を浴びるだけだぞ」

 そう交渉を持ちかけられ、それならばとベンガルを離す訳にはいかない。この剣は己にとっては命綱だ、捨てたとたんに矢の的にされては堪らない。

「俺を見逃してくれるという、その言葉が必ず守られる保証はあるんですかね」

 少々意地悪く答えるラオに、リュシアンは怒るでもなく肩を竦めた。

「成る程…国を出た者とはいえ、かつてティヴァナの兵士だった男に信用されぬ王か、私は」

 自嘲するかのような言葉だが、その瞳は毅然としている。人を威圧する佇まいに、数年前ティヴァナを出た時にはまだ頼りなさげな所のある方だったのが、今や立派な王になられたのだと思った。

 ラオは返答をする代わりに剣を離すと、鞘に収める。ついでに肩に刺さった剣を引抜きベンガルに返すと、服を脱ぎ傷口を縛った。

「ラオ、一応聞いておくがティヴァナに戻ってくるつもりはないか? フィードニアの英雄は死んだと聞く、ならばお前がそっちに残る意味はもう無いのではないのか」

 リュシアン王がどこか感情の読めぬ顔で問うた。弓矢はまだラオに向けられたままである。

「まだ死んだと決まった訳ではありません。それにたとえ死んでいたとしても、だからといってティヴァナに戻れる程気楽にフィードニアに付いた訳ではありません」

「そうか、愚問だったな。――――もうこれからお前は、ティヴァナとは何の関わりも無い男だ。どこへでも去るが良い」

 兵士達に弓矢をしまうよう指示し、リュシアン王はラオから背を向けた。ラオは地面に膝を付くと、その背に向かい頭を深く下げる。

「――――は」

 思わず国を出たことへの侘びを口にしそうになったが、寸前で止めた。己の裏切りはどう侘びたところで許されるものではない。釈明しようなど、自己満足に過ぎぬだろう。

 リュシアン王の姿が見えなくなるまで、ラオはただ黙って頭を下げていた。



 ラオがフィードニアの陣営に戻ると、ダーナが泣きながら駆け寄ってきた。それに続きユリアやアレク、クリユスらが出迎え、ラオの帰還を喜び労った。今更ながらに、己の帰って来る場所はここなのだと実感した。

 夜になり皆が陣営に揃ったところで、ユリアが兵士達の前で演説を始めた。心配を掛けた侘びと、皆の尽力により戻ってくることが出来た云々《うんぬん》、礼と労いである。

 兵士達は感極まったように歓声を沸かせた。相変わらず“戦女神”の人気は健在なようだ。

 その晩はささやかながらユリア帰還の祝宴が開かれた。皆が盛り上がる中、当のユリアがぽつりと「私の役目もこれで終わりだな」と呟くのが聞こえた。

 確かにユリアはリュシアン王がいる限り、もう戦場へ自ら出ることは出来ない。だがそれだけの意味ではないのだろう。

 ラオはユリアの視線を追うように兵士達を見回す。皆の目に宿る光が、今までとはどこか違い自信に満ちているように感じられた。ジェドに頼り戦女神に依存して来た兵士達は今、己達の強さに確信を持ち始めているのだ。もう彼らに“戦女神”は必要無いだろう。

「ラオ様、お怪我は大丈夫ですか……?」

 ダーナが不安そうな顔でおずおずと近付いて来た。無事帰ってきたと安堵するのも束の間、深い傷を負ったラオの左肩を見たダーナは卒倒し取り乱したが、大人しく治療を受け、何とか宥めすかして落ち着かせたのだ。

「大丈夫だと何度も言っただろう。これくらいで死にはしない、心配するな」

 怪我を負っても大事に至らぬ所にわざと剣を受けたのだ、とは流石に言わなかった。わざと怪我をしたことを話せば怒るに決まっている。

「心配しないなんて、無理ですわ。戦場なのですから怪我を負うことがあることは分かっています。でもだからといって心配しないのは無理ですわ。ラオ様相手では尚更です」

 少し怒ったように、拗ねたように頬を膨らませるダーナが愛おしいと思った。

「ああ…そうだな」

 ダーナを自分の横に座らせると、その小さな手を握った。

 強い相手と生死すれすれの戦いをやるのは楽しい、死ぬ時は戦場だ。そうずっと思っていたが、今は自分の帰りを待っている奴等がいる。野垂れ死になんぞしたら、こんな風に泣く女がいる。だから絶対に生きて帰らなくてはならないのだ。

 死を恐れ生にしがみ付く事は弱さだと思っていたが、どうやらそうでは無いらしい。恥ずかしそうに俯くダーナを見下ろしながら、ラオはぼんやりとそんな風に思った。

 ―――ジェド殿、あんたはそれを知っていただろうか。あんたの帰りを待っている人間がここに沢山いることを、解っていただろうか。

 いつ死んでも構わないと思っているところが、あの男にはあったような気がする。それは罪深いことなのだと、知らなければいけない。あんたを探し続けるユリアの姿を、あんたは見なけりゃいけないのだ。





 それから月日が流れても、ジェドが帰って来ることは無かった。大きな喪失感を抱えながらも、兵士達はいつしか英雄がいないことに慣れ、彼の生死を口にすることは無くなった。

 戦いは一進一退、均衡した戦いが続いた。ある時は優勢になり、ある時は劣勢になり、戦線も状況により移動していく。

 “戦女神”としてユリアが兵士達の前に立つことは無くなったが、それでも彼女はその地に留まり続けた。近隣の村を回っては英雄を探し続けるフィルラーンの姿は、遠くの町や村の者まで知るところとなったが、それでもジェドらしき者を見たという話一つ現れることは無かった。


 ―――そして季節は巡り、ジェドが姿を消してから丁度一年が経った。






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