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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
173/187

173: 救出2

 ティヴァナの衣服は兎も角として、兜を被るからには鎧も身に着けなければバランスが悪い。一般兵士が身につける簡素な作りの物とはいえ、非常に重い。常日頃皆はこんな物を身につけながら、平気な顔をして戦っていたのかと思うと、感嘆せざるを得ない。

「おいユリア、おどおどしていないで堂々と歩け。その方が怪しまれずにすむ」

 ラオにそう注意されたが、ユリアは首を横に振る。

「違うんだ、鎧が重くて上手く歩けないんだ」

「なんだって?」

 ラオは驚いた声を出すと、しまったとばかりに自身の額―――正確には兜の上だが―――をぺちんと叩いた。鍛えていない普通の女の非力さを失念するなど、いかにもラオらしい。

「仕方ねえなぁ…じゃあお前、病人のふりをしろ。俺が担いで行く」

「はい、はい! その役目俺に任せて下さい!」

 嬉々として手を上げるアレクだったが、それは即座に却下される。

「お前みたいに下心がある奴は駄目だ」

「酷えな、それを言ったらおっさんだって下心が全く無いとは限らないじゃないかよ」

「俺は無い。いいからお前は黙っていろ、堂々としてろったって、目立っていい訳じゃ無いんだぞ」

 アレクを黙らせてから、ラオはユリアの身体をよいしょと肩の上に担ぎ上げた。病人を運ぶというより、まるで荷物だ。

「おい、ぐったりしていろ」

「あ、ああ、分かった」

 慌てて力を抜きぐったりとしてみせたが、荷物のように運ばれていくしかない己が、どうにも情けなかった。片やラオの方は、自身も重い鎧を身につけているにも関わらず、ユリアを抱え軽々と歩いている。もう少し身体を鍛えておくべきだったかと本気で悩みかけたが、筋肉質のフィルラーンというのも、それはそれで神秘性というものが欠けるような気がしなくもない。

 ラオ達はそれから陣営の左方に歩いていった。ぐるりと張り巡らされた柵には、出入り口は前方と後方の二ヶ所しか無いはずだが、と思いはしたものの、気を失っているフリをしているので疑問を口にすることは出来ない。まあラオの事だ、何か考えがあるのだろうが。

 ユリアが黙って運ばれていると、二人は途中ですれ違った兵士に「こいつ具合悪くしたんだが、救護班どこに行ったか知らねえか」とわざわざ話しかけ、「しっかりしろよ、すぐ介抱してやるからな」などと小芝居を打ち始めた。敵陣の中だというのに、いやに堂々と歩くこの二人には恐れ入る。

 暫く歩き、陣営左方側の防御柵に辿り着いた所でユリアは降ろされた。やはり出口は無く首を傾げていると、ラオは柵の間に手を入れ何やらまさぐり始めた。

「多分この辺だと思うんだが……お、あったぞ」

 次の瞬間、人が通れる程の幅の柵が、がくんと外れた。

「ティヴァナの陣営は昔から、夜襲なんかに遭ったときの為に逃げ道を作ってあるんだ。王自ら戦場へ出る事が多かったからな」

「なるほど」

 出入り口を敵に押さえられたとしても、ここから王だけは逃そうという訳か。とはいえ今回のように急遽リシュアン王が来た場合でも作られているのだから、既に慣習化されていることでもあるのだろう。

 ラオは外の様子を見回し辺りにティヴァナ兵がいないことを確認してから、ユリアとアレクを先に出させる。

「向こうにある森に馬を繋いであるから、そこまで走るぞ。ユリア、もう鎧と兜を脱いでもいいぞ。それとももう一度担いでやろうか」

「もう結構だ」

 これ以上足手纏いでいるのも御免である。やっとこのおもりから開放されることにほっとし、急いで鎧と兜を取り外した。

「じゃあ行くぞ」

 ああ、とユリアが返事をした瞬間、ラオの顔が険しくなった。警戒しながら腰に佩いた剣を引き抜くと、柵の向こう側を見据えてにやりと笑う。

「―――やっぱりそう簡単には逃しちゃくれねえか」

 ラオの視線を追うと、先程ユリア達が通った逃げ口から、五十代くらいの初老の男―――と表現するには屈強な体躯をしているが―――が姿を現した。

「久しぶりだな、ラオ」

「お久しぶりです、ベンガル殿。負傷し後陣に引っ込んだと聞いていましたが、どうやら元気そうですな」

「おお、元気よ。これ位の傷など怪我のうちに入らんわ。王が心配なさるから大人しくしていたが、動きたくて仕方なかったわい」

 がはは、と笑うと、ベンガルと呼ばれた男は剣を引き抜く。それを二、三度振り回すと、ラオの方へ切っ先を向けた。

「わしではフィルラーン殿を無理矢理連れ戻すことは出来ん。故に今回はお引止めはせぬが、しかしただ見逃す訳にもいかん。お前の命ひとつ位は貰っておかんと体裁が悪いからな」

「全く、幾ら歳を取っても元気なおやじだぜ。―――ユリア、お前は見逃してくれるそうだ。さっさと逃げろ」

 顔は老兵を見据えたまま、追い払うように片手を動かす。

「そんな、お前を置いて逃げられる訳が無いだろう」

 陣営の中から出たとはいえ、まだ敵陣に居ることに変わりは無い。一人でこんな所に居たら、あっという間にティヴァナの兵士達が集まり捕らえられてしまうに決まっている。そう言うとラオは面倒そうに舌打ちをした。

「だからってお前がここに居てどうするんだよ。足手纏いだ、いいから帰れ。―――おいアレク」

 ラオが目配せをすると、アレクは嬉々として頷いた。

「了解!」

 答えるやいなや、アレクはユリアを抱き上げる。

「えっ」

「わお、役得、役得。じゃあおっさん、先に行ってるぜ」

 片目を瞑ると、アレクは脱兎のごとくに駆け出した。

「あ―――ちょ…ちょっと、アレク、待っ…!」

 自分に何も出来ないことは分かっているが、こんな所にラオを一人で残して行きたくは無い。抵抗してもがいてみたが、お構いなしでアレクは走り続る。アレクの肩越しに、剣を合わせる二人の姿が見えたが、それも次第に遠くなっていった。


「いい加減下ろしてくれないか」

 ティヴァナの陣営から随分離れても未だにユリアを抱きかかえたままのアレクは、彼女の提案に首を横に振る。

「駄目ですよ、下ろしたらラオ殿を助けに戻ろうとするでしょう」

 図星ではあったが、いやに嬉しそうな顔をしているのは何故なのか。じとりと睨めつけたが、アレクは意に介さず「そういう顔も綺麗ですね」などと呑気なことを言っている。

「ラオはティヴァナにとっては裏切り者だ、捕らえられたら恐らく命は無い。フィルラーンの私が説得すれば、命乞いくらいは出来るかもしれないではないか。今からでも間に合う、戻らなくては」

「いやいや、何言ってるんですか。我々はユリア様を助けにここに来たのに、貴女が戻ったら意味が無いでしょう。俺だったら嫌ですねー、助けに来た女に逆に助けられるなんて、考えただけで格好悪い」

「格好が良いだの悪いだの、そんなことを言っている場合ではないだろう……!」

 憤慨すると、まるで子供をあやすかのように「まあまあ」となだめられる。なんなのだ、まるで私が駄々を捏ねているみたいじゃないか。

 どうにも噛み合わない相手に辟易としていると、木に繋がれた馬まで辿り着りついた。ユリアの馬も居る。

アレクは名残惜しそうな顔をしながらユリアを降ろすと、馬から縄を外した。

「――――大丈夫ですよ、ラオ殿なら」

「え?」

 振り返ると、いつになく真面目な顔をしたアレクが、にこりと笑った。

「ラオ殿は勇猛だが向こう見ずな男ではありません。一人で逃げ切れる勝算があるから残ったんですよ。俺達が居たんじゃかえってラオ殿の邪魔をしてしまうかもしれません」

「それはそうかもしれないが、けれど……」

「ユリア様、貴女はラオ殿を置いてきた罪悪感を抱いているかもしれませんが、貴女をむざむざとティヴァナの手に渡してしまったフィードニアの兵士達も今、罪悪感で苦しんでるんですよ。それはもう、鬱陶しいくらいに。ここはラオ殿を信じて無事に戻って、あいつらを安心させてやるのが貴女の今やるべきことじゃないですかね」

「それは……」

 そうかもしれない。自分が戦場に居るのは、戦女神としてフィードニアの士気を高める為だ。だというのに皆の前で攫われ心配をかけた上に、今も両軍が激しく戦っている最中にも関わらず、ユリアの為に戦力を費やし助け出してくれたのだから、一刻も早く皆の元へ戻るべきなのだ。それが分かっていながら戻ろうとするのは、友人を心配する個人的な感情であり、ただの我侭なのかもしれない。

「……分かった、皆の下に戻ろう」

 ユリアがそう言うと、アレクはほっとしたように小さく息を吐いた。

「良かった、だったら急いで帰りましょう。追っ手がいつ来るか分かりませんからね」

「ああ」

冷静に考えてみれば、ラオはユリアの為に命を捨てるような男ではない。アレクの言う通り、ユリアの助けなどなくともきっと一人で切り抜けてくるだろう。今はそう、信じていよう。



アレクの手を借り馬に乗り、二人はフィードニアの陣営に向かってひた走った。目立たぬよう森を抜けて行くと、小高い丘の上に出た。眼下には戦場が広がり、両軍が激しく戦う様が見渡せる。

「これは……」

 戦いの陣形など詳しいことは分からぬが、散々苦しめられた重装備隊は既に突破しているようで、混戦となっている。ティヴァナの隊はあちこちで分断されており、フィードニアが優勢のように見えた。

「お、頑張ってんなあ」

 アレクが短く口笛を吹いた。

「あいつらを褒めてやって下さい、皆ユリア様を取り戻すために死に物狂いで頑張ってるんですよ。本軍がこうやってティヴァナ相手に互角以上に戦ってるから、俺達遊撃隊はティヴァナの目を掻い潜って戦場を抜け出せたんです」

「―――そうなのか……」

 フィードニアの兵士達が、ティヴァナと互角に戦っている。英雄がいなくとも、戦女神がいなくとも。

 ユリアの胸に万感の想いが込み上げた。

 これこそユリアがずっと求めてきたことだった。何者に頼らずとも戦ってゆける強さをフィードニアが持つ、その為にこの数年間苦心してきたのだ。

 ああジェド、これでお前の肩にかかる重圧から解き放つことが出来る。もうフィードニアの命運を一人で握らなくともいいんだ。お前の好きなように生きていっていいんだ。

「え、どうしたんですかユリア様、大丈夫ですか」

 突然涙を零すユリアに、アレクはおろおろとする。

「何だったら私の胸をお貸ししましょうか」

 近寄ってこようとするアレクを手で制し、涙を拭うと笑んでみせた。

「なんでもないんだ、皆が頑張っているところを見て安心しただけだ。さあ、先を急ごう」

「あ、はい」

 濡れた頬を乾かすかのように、強い風が吹いた。この風はいずれ、ジェドの頬も撫でるのだろうか。

 ジェドに今のフィードニア軍を見せたい。ジェドに誤りたい。ジェドに愛していると伝えたい。

 伝えたいことは沢山あるというのに、何故お前は今ここにいないのだろう。いったい何処へ行ってしまったのだろう。

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