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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
171/187

171: 奮起


 フィードニア兵にとって、神にも等しい存在であるフィルラーンのユリアがティヴァナに連れ去られたことは、彼らに強い衝撃を与えた。

 ティヴァナからの猛攻は何とか耐え抜いたものの、日が暮れ陣営に引き上げる兵士達の顔は皆蒼白く、重い空気に包まれていた。

「くそ、フィードニア兵が傍に付いていながら、みすみすティヴァナに連れ去られるとは。我らの不甲斐無さといったら、どうだ!」

 兵士の一人がそう悔しげに叫ぶのを、他の兵士達はただ黙って聞いている。

 ある者は嘆き、ある者は怒り、ある者は己を責める。今朝方出軍する時は意気揚々としていた兵士達のこの変わり様は、見ていて痛々しい程だった。

「お前達、そうやって嘆いていた所でユリアが帰って来る訳じゃねえんだぞ。いいから飯を喰え、今はまず力を付けて、明日奪い返せばいい話じゃねえか」

 沈み込む部下達にラオは檄を飛ばした。それでも食料に手を伸ばそうとしない彼らを尻目に、干し肉を火で炙り、一人齧り付く。

「あーあ、全く陰気くせえな。無駄だよ、おっさん。こいつらすっかり誰かに頼りきるのに慣れちゃってるからさ。ジェド殿も女神様もいなくなった今、もう一人で歩くことさえ出来ねえんだよ。ケツに巻いたおしめを誰かが取り替えてくれんのを待ってんだぜ」

 ラオの隣に来たアレクが、どっこいしょと地面に腰掛けながら、声高に挑発的な言葉を発する。

「何だと、おいアレク、もう一回言ってみろよ」

 傍に居た男が目を剥きアレクの胸倉を掴んだ。だがアレクはそれには動じず、冷ややかな目をやったまま、肉に齧り付く。

「何度でも言ってやるさ。図体のでかい男がこれだけ揃っていながら、何を皆うじうじしてんだよ。囚われの女神を助け出して、良い男っぷりを見せ付けてやろうって奴は一人もいねえのか、情けねえな。だったら俺がやってやるぜ、俺が一人でティヴァナに乗り込んで女神を助け出して、この俺様に惚れさせてやるよ……!」

「なっ……」

 アレクの啖呵にその場にいる者は皆唖然とし、そして次の瞬間には猛然とこの男に詰め寄った。

「ふざけんな馬鹿野郎、ユリア様がお前なんかに惚れるかよ!」

「だいたいお前が一人でのこのこ乗り込んでいったところで、あっさり捕まって人質になっちまうのがオチだろうが!」

「そうだ、口だけならなんとでも言えるんだよ。俺達だって一刻も早く助け出して差し上げたいに決まってんだろ。だが無策に突っ走って逆にユリア様を危険な目に合わせてしまったらどうするんだよ。俺達の命ひとつやふたつ位じゃ到底贖えやしねえんだぞ」

 ラオはアレクを囲みいきり立つ男達の間に、「まあ落ち着け」と割って入る。

「とりあえずユリアに関しては、そう心配することもないだろう。連れ去られはしたが、ティヴァナの人間がフィルラーンに危害を加えるとは思えん」

「けど、ユリア様を連れ去った男は、こっちの動き次第では危害を加えると言ったそうです」

「そんなもんはハッタリだろ。元ティヴァナの人間が言うんだ、間違いない」

 ラオは言い切ったが、しかし誰も安堵の表情を見せはしなかった。その元ティヴァナ出身であるラオ自身がとても信心深いとは言えない人間なのだから、説得力が無いのは確かである。

「言っておくが俺だって、ユリアとは昔なじみだから気安い態度を取ってはいるが、ティヴァナに居た頃はフィルラーンの前で顔を上げたことなんか無いんだぞ。……まああれだ、そう、それにクリユスもだな、ユリアの事は心配ないと言っていたぞ。だから大丈夫だ」

「クユリス殿が……本当ですか」

「クリユス隊長がそう言ってるんだったら心配無いのかな……」

 顔を見合わせながらそう納得し始める兵士達に、ラオは何となく納得いかないものを感じたが、それはひとまず横に置いておく事にした。

「分かったんだったらもう過ぎた事を悔やむな。同じ悩むなら、ユリアを助け出す手段でも考えておくんだな」

 ラオの言葉に、彼の副官であるアルマンが頷いた。

「そうですね…アレク殿の言う通り、確かに私達はジェド殿やユリア様に頼り過ぎていたかもしれません。我らの油断でティヴァナに攫われてしまったのですから、我らの手でユリア様を助け出さねば、お二人に合わす顔がありませんね。皆も、そうは思わないか」

 話を振られた兵士達は、再び顔を見合わせながら頷いた。

「ああ……確かに、そうだよな」

「俺達の手でユリア様を取り戻さないとな」

「よし……やってやろうぜ……!」

 意気揚々とし始める皆に、アレクはぱちんと指を鳴らした。

「そうこなくちゃな。そうだぜ、俺の言いたかったことはそれなんだよ。皆やっと分かったか」

 得意げに言うアレクの頭を、ぼかりぼかりと数発の拳が襲う。

「うるせえな、お前には言われたくないんだよ!」

「お前は只の目立ちたがりだろうが」

 辞退しなければ既に中隊長の身分となっていた筈のアレクではあったが、本人のこの軽口のせいか、周りの兵士達の態度といったらこんなものである。まあ、これで嫌われている訳では無いのだから良いのだろうが、いずれハーディロン領へ戻り領主となっても恐らくこの性格は変わらないのだろうと思うと、今からハーディロン領の者達に同情せざるを得ない。

 ともあれ皆を鼓舞してみせたのは、結局アレクの力に違い無いのだろうから、割とこいつも良い領主になるのかもしれないなと、ラオはぼんやり思った。





 遠くの方から馬の嘶きや金属音、兵士達の叫ぶ声などが聞こえる。戦場からずっと後方にあるティヴァナの陣営の中にいながらも、リュシアンはそれだけで戦いの激しさを窺い知ることが出来た。

 自身も一度はユリアを攫う為に戦場へ出たが、それ以降はここでじっと待機するのみである。フィードニア兵と戦える程の剣の腕を持っていない上に、己が命を落とせばティヴァナ国王家の直系の血筋は絶えるのだ、足手纏いになるだけと分かっているのに、のこのこと出て行くわけにも行かなかった。

 それでも卑屈になることはやめようと、己に言い聞かせている。ティヴァナ兵を混乱させる存在である、フィードニアの聖女を止める事が出来ただけで良しとしよう。己の不甲斐なさを呪い城に篭っていた自分を思えば、重畳であろう。

「全く、困りましたな、リュシアン王」

 物思いに耽っていると、兵士の一人に声を掛けられた。今彼が居る天幕は、軍議を行う為の広い天幕で、リュシアンの他にも警備の為に残った隊の小隊長や、負傷し治療中の将校などが控えている。

「ああ、すまない。考え事をしていた。何だ」

「最近、フィードニアの奴らが勢い付いてしまって困りものだと申し上げたのです」

 そう憤慨しながら言ったのは、第四騎馬中隊長のベンガルという男である。脇腹を負傷し治療中だが、すぐにでも戦場へ出ようとするのを、なんとか留まらせているところだ。歳は五十を過ぎているが、気力も体躯の屈強さも壮年と言って差し支えないだろう。まだまだ頼りにしたい男であるだけに、ここで無理をし身体を壊して欲しくは無い。

「攫われたフィードニアの聖女を取り戻そうと躍起になっているのだろう。目の前で女神を攫われ意気消沈とするかと思えば、逆に士気を上げてしまった。確かに困ったものだな」

「ううむ。英雄しかり女神しかり、柱が無ければ戦えぬのは、所詮もともと小国であった兵士どもに過ぎぬからよと思っておりましたが、女性を攫われ黙っているほど腑抜けでは無かったということですな」

「ああ、フィードニアの兵を少々見くびっていたよ」

 やはりあのフィードニアの聖女に人質としての効力は無いようだ。更には逆に向こうの兵士達を奮い立たせてしまうのであっては、寧ろティヴァナにとってはやっかいな存在でしかない。

 いっそフィードニアに返してしまいたいところだが、ただ返してしまってはこちらの威信に関わるというものだ。それに捕らえられても早々に帰して貰えるものと分かれば、彼女は再び戦場へ立つに違い無い。最早リュシアンがフィルラーンを止める抑止力となることなど出来なくなるのだ。

「さて、どうしたものか……」

 思案していると、天幕の外から声が掛かり、伝令の兵士が中に入ってくる。

「申し上げます、リュシアン王。陣営の後方からフィードニア兵が現れました。その数一個小隊程、左方の山間部を移動し後方へ回り込まれたものと思われます」

「奇襲か! リュシアン王、申し訳ありませぬ。左方の山は大軍が通る道など無い故、油断しておりました。しかしたかが一個小隊ごとき、ここに残っている兵で十分。わしが蹴散らしてみせますぞ!」

 リュシアンの代わりにベンガルが勇み答えた。剣を手に取り今にも飛び出して行きそうな勢いである。

「落ち着けベンガル。どの隊か分からぬが、一個小隊程度の相手ならばお前が出て行かなくともいいだろう。グレッグ、お前に任せよう」

 警備の為残留していた、第三騎馬中隊第一小隊長グレッグにリュシアンは目を向けた。

「は、お任せ下さい」

 グレッグは頷くと、じっとしていることに飽きていたのか意気揚々と天幕から出て行く。残されたベンガルは不満顔である。本人に怪我人だという自覚が無いのだから困ったものだ。

「さて……」

 何か仕事を寄越せと言わんばかりのベンガルの視線を無視し、リュシアンは唐突に現れたフィードニアの一個小隊について思案する。

「成る程、大軍は通れなくとも一個小隊程度ならこちらに気付かれずに山を越えられるということか。しかしそれ位の相手なら本軍から援軍を呼ばなくとも、ここに残留している護衛兵だけでもなんとか撃退することは出来る。そんなことは向こうも分かっていることだろうな。つまりは、陣営内部を手薄にしようということか……」

 独り言のようにつぶやくと、リュシアンは口の両端を吊り上げる。

「そういうことなら、それに乗ってやるか。ベンガル、お前に頼みたいことが出来たぞ。傷が開かぬ程度にその腕前を振るって欲しい」

「は、なんなりと」

 ベンガルの目に気色が浮かぶ。つくづく兵士というものは、じっとしておられぬ性質の者ばかりの集まりらしい。リュシアンは苦笑すると、ベンガルに彼の策を告げた。







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