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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
170/187

170: 再戦


「すっかり乗馬にも慣れたご様子ですね」

 既に慣れ親しんだ白馬に跨り乗馬の稽古をしていると、クリユスが話しかけてきた。

「ああ、谷底の捜索に私が付いていっても足手纏いだからな。やることが無いからこうして毎日乗馬の稽古をしている、お陰で大分乗りこなせるようになった」

 ジェドの愛馬の躯が発見された崖下から、下流に向けて重点的に捜索が行われたが、ひと月経ってもマントの切れ端一つですら見つかることは無かった。捜索の手を更に遠方まで伸ばすか、若しくは打ち切るのか、ここ最近ではそんな議論も交わされるようになっている。

「その馬術の腕を、近々皆に披露して頂く事になりそうです。ティヴァナが再び、こちらに向け軍を動かしているようです」

 その言葉にユリアは、馬の首を撫でていた手を止めた。

「……そうか、再び戦いになるんだな」

 ならばジェドの捜索も否応無しに打ち切りとなるだろう。兵士達は戦い支度に忙しくなり、最早そちらに手を割く余裕など無くなってしまう。ジェドの生存が絶望視されている中、それでも捜索を続けて欲しいと願うのは、ユリアの我侭でしかない。

「大丈夫ですか」

 気遣わしげにユリアの顔を覗き込むと、クリユスは形の良い眉を顰めた。

「顔色が悪いですね、睡眠はちゃんと取られていますか」

「ああ…別に、なんともない。大丈夫だ」

 寝られていないし、疲労は溜まっていたがユリアは努めて笑顔を作る。自分が暗い顔をしていたら、皆に心配を掛けてしまう。それはこれから再び始まる戦いで、兵士達の士気にも関わることだ。だがそんなユリアの強がりに、クリユスは肩を竦めた。

「私にまで気を使わなくとも良いのですよ。私の腕や胸は、いつでも貴女を支える為にあるのですから」

 真面目な顔をして言うクリユスに、ユリアはくすりと笑った。

「本当に、大丈夫だ。だがありがとう、もし一人で立てなくなったら、遠慮なくお前に寄りかかることにしよう」

 そんなユリアにクリユスはまだ何か言いたげな顔をしたが、結局頷くと「是非そうして下さい」とだけ言った。



 ティヴァナ軍が再び旧トルバの国境線に現れたのは、それから更に十日後のことだ。ユリアは今回もまた煌びやかに身体を飾り付けると、戦場へ出た。

「何度来ても無駄なことだ、こっちには女神が付いているのだからな」

 兵士の一人が上げた声に、同調するような歓声が沸きあがった。兵士達が勢い付くのはいいが、“女神の奇跡”などというものは、所詮まやかしのようなものだ。こんなものは戦略ですらない。信仰心の強いティヴァナが相手だとしても、いつまでも通用するとも思えない。引き際をそろそろ考えねばならないだろう。

「ユリア様、お気をつけ下さい。ティヴァナも何の策も無く戻って来た訳ではないでしょう。あまり奥へ踏み込むようなことはなさらない下さい」

 クリユスの忠告に、ユリアは頷く。

「ああ、十分気をつけよう」

 鬨の声と共に、ティヴァナ軍が動き始める。今回は迎え撃つ準備をする時が十分にあったので、敵の進軍を邪魔する為の柵や堀が作られている。そこで足止めを食っている間に、巨大な投石器や弓、槍等で攻撃を仕掛けるのだ。

 ティヴァナ軍がそれを突破した頃に、フィードニア軍も出撃した。両軍共に既に相手の力量を知っている、探り合いなどせずに、最初から激しい戦いが繰り広げられた。

 ユリアは最初、後方で待機しこれらの様子を眺めていたが、苦戦している部隊を見つけると、与えられた護衛の小部隊と共にそこへ向かった。

 ユリアが登場すると、初めに弓が止む。流動的に動ける部隊は極力ユリアを避け移動し始めるが、そこを死守せねばならぬ部隊はやむを得ず攻撃を止め、なんとかその場を突破されぬよう前面に盾を持った兵を並べ始める。間合いを計りながらじりじりとこちらを押し返そうとするが、しかし結局はユリアが強引に進んで行けば道を空けねばならなくなるのだ。そして後ろに控えていたフィードニア兵が、その裂け目に一気に突っ込んで行くのである。

ユリアが眼前に現れた部隊には、既に避けられぬ行動様式となっている。故に今では早々に持ち場を放棄し、後方へ退く部隊も現れるようになっていた。

 だがその日、何度目かの出撃をしたユリアの前に、退かぬ者が現れた。冑を深々と被り顔が見えぬその男は、ユリアの前に進み出て、彼女の行く手を阻んだ。

「そこをどかないか。どかぬと言うのなら強引に進むが、良いのだな」

「そう申されましても、ここを通す訳には参りません。これ以上貴女に好き勝手に行動される訳にはいかぬのですよ、フィードニアの聖女」

 男は手にした剣をユリアの方へ向ける。

「強引にここを突っ切ろうというのならば、こちらも少々手荒な真似をするやもしれませんよ」

 剣をチラつかせ脅してはいるが、それも口だけに過ぎぬだろう。一見今までの兵士達とは違い、堂々とユリアの前に立ちはだかっているように見えるが、恐らくその冑も視線を逸らしていることを悟られないようにする為に被っているに違い無い。

 構わずユリアは前へ進んだ。冑の男の目前まで馬を歩ませたが、やはり男は微動だにしない。彼らに神の子であるフィルラーンを止めることなど出来ないのだ。

 男の横を通り過ぎようとした時、くすりと小さく笑った声が聞こえた。それに気を取られた瞬間、男は手を伸ばしユリアの腕を掴むと、強引に少女を引き寄せ己の馬に乗せた。

「な――――――」

 突然の暴挙にその場にいる全ての者が呆気に取られていると、冑の男はすかさずユリアの首に剣を突きつけた。

「フィードニアの兵士達よ、形勢はこれで逆転したという訳だ。皆そこを動くなよ、動けばこの聖女の首は胴から離れ、地面に転がることになるぞ」

 言うなり冑の男はユリアを乗せたまま颯爽と馬を走らせ、自軍の兵士達の中に紛れ込む。固まるフィードニア兵を前に、我に返ったティヴァナ兵は、今までの鬱憤を晴らすかのように雄叫びを上げ猛攻を始めた。


「何の真似だ、離さないか……!」

 捕らえられたユリアが馬上でもがこうとすると、冑の男は慌てて馬の歩みを止めた。

「危ないですよ、ユリア様。危険ですから馬上で暴れないで下さい」

 先程とは打って変わり呑気な声を出す冑の男は、肩を竦めるとおもむろに冑を取り外した。現れた男の顔に、ユリアは思わず声を上げる。

「リュ―――リュシアン王……!」

 名を呼ばれ、彼は爽やかな笑みを見せる。ふわりとした癖のある金の髪に、青い瞳。ユリアを攫った男は、紛れもなくティヴァナ国の王、リュシアンだった。

「手荒な真似をして申し訳ありませんでした。けれど貴女を止めるには、こうするしか無かったのです」

「い、いえ……」

 攫われた相手にこうもにこやかな態度を取られると、どうも拍子抜けしてしまう。今は敵とはいえ見知った相手であるだけに、抵抗する気持ちも凪いでしまった。

 まさかリュシアン王が戦場に現れるとは思ってもみなかった。驚いたが、しかしよく考えてみればフィルラーンと視線を合わすことさえ出来ぬティヴァナの者達の中で、このような暴挙に出られる者など王族であるリュシアンしかいないのだ。

「私を人質にするおつもりですか、リュシアン王」

「そうですね……」

 リュシアン王は、考え込むように首を傾げる。

「先程フィードニアの兵士達を一応脅してはみましたが、クリユス辺りなんかには特に、我々が貴女に危害を加えることなど出来ぬのは分かっているでしょうから……正直、貴女に人質としての価値はありませんね。ただ、戦場へ再び出られてはやっかいですから、暫くの間我々の陣営に滞在して頂こうと思っております。宜しいですか?」

 宜しくないと言ったところで返してはくれぬだろうに。答える代わりに、ユリアは肩を竦めてみせる。

 確かにティヴァナの者達がフィルラーンを害することなどないであろうし、それはクリユス達も分かっている。リュシアン王の言う通り、ユリアが人質となったことでフィードニアがティヴァナに手を出せなくなるというようなことはまず無いだろう。だがこれにより皆の士気が下がるようなことが無ければいいのだが。

 ユリアはそのままティヴァナの陣営に連れて行かれ、張られた天幕の一つに案内された。隙あらば逃げ出してやろうと陣営内を見回してみたが、見張りの兵があちこちに立っておりどうやら困難なようだった。

 ユリアはこっそりと溜息をつく。気をつけろとクリユスに忠告されていたというのに、こういう事態を全く想定せずに油断していた。己の甘さに自己嫌悪するばかりだ。





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