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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
167/187

167: 戦女神降臨


「フィードニアの英雄は、既に死んでいる」

 ティヴァナ国王軍総指揮官テガンはそう言い切った。脇に座る弓騎馬大隊長マルセルは、それに同意し頷く。

「私もそう思います。フィードニアの陣営にて治療に当たっているなどという話が再三流れてきてはいますが、それが事実であるならば、戦えぬまでも皆の前に姿を見せぬ筈がありません」

 彼はつい一月前に、正式に弓騎馬隊大隊長に就任した。実質にはこの数年間その任を担ってきてはいたが、あくまでもクリユスが戻るまでの代理に過ぎぬと、頑なに空位を守って来たのだ。しかしそのクリユスは、ティヴァナを裏切りフィードニア側に付いてしまった。故にその地位に就くことを受け入れたのだが、内心では未だに納得出来てはいない。フィルラーンとはいえただ一人の女の為に祖国を捨てるなど、馬鹿げているではないか。

「フィードニアの兵士達はその嘘を信じているようだが、我らにそんな小細工は通用せぬわ。伊達に何年も王や王子達の死を隠し続けてきた我らではない。隠蔽工作のやりようなど、知り尽くしておるわ」

「褒められたことではありませんがね」

 騎馬隊大隊長エンゲルが苦笑しながら、けれどその通りです、と頷いた。

「フィードニアは英雄を失い明らかに士気が下がっております。叩き潰すなら今しかありません。持てる全ての人員と力を一気にぶつけましょう。我らに与する各国の兵も呼び寄せ、総攻撃をしかけるのです」

「ああ、ここが仕掛け時だな」

 皆が頷く。決着の時は近い。勝利を確信した皆の顔は明るかった。

 だがフィードニアの動きに異変が起こったのは、そんな折である。


 重装備隊が大楯を持ち前線の守りを固めているすぐ後方で、マルセルはいつものように出撃の時を待っていた。テガンが鍛え上げた重装備隊を突破出来る者など、あのフィードニアの英雄くらいのものだ。だがその男がいない今、フィードニアにこれを打ち破る力は残されていない。

 更にはテガンの本領は攻撃にこそあるのだ。敵が重装備隊を崩そうと必死になっていると、後方に控えている我ら弓騎馬隊の間合いに入り込み、集中攻撃を受けることになる。これを耐えたとしても、両脇から飛び出してきた騎馬隊に回りを囲まれ、退路を失うことになろう。

 流石に向こうにクリユスやラオが居る為、こちらの手の内は知られているが、それでも知っていたところでここを突破出来ねば本体を叩くことは出来ない。さぞ歯痒い想いをしているだろうと思うと、多少は胸が空くというものだ。

 クリユスとは以前に一度対峙して以来、再び顔を合わせることもなく今に至る。同じ戦場で戦ってはいるものの、直接ぶつかり合う機会は未だ持てずにいた。

あの時受けた矢傷は致命傷とはならなかったが、怒りと共に、未だに痛む。早く決着を付けたい想いはあるが、個人の感情を優先する訳にもいかぬのだ。だがあの男の首は必ずこのマルセルが落としてみせる。それが嘗てあの裏切り者の友であり、部下であった己のけじめなのだ。

 しかしともすると、クリユスがティヴァナを裏切ったというのは、何かの間違いではないのかと、未だに思う自分がいる。

 クリユスは一人の女に固執するタイプではない。少なくとも、ティヴァナでの彼はそうだった。クリユスの周りには女など湯水のごとくに居た。あの甘い顔で誘われて、拒める女の方が少ないのだ。加えてあの男はそれを自粛する節操なども持ち合わせてはいなかった。

 それがどうだ。今ではたった一人の女の為に、しかも抱けもしない神に仕える女の為に、祖国まで裏切り捨てようとしている。そんな事はとても考えられなかった。クリユスという男は、そのような愚直な男では無かった筈だ。

 故にやはり何か思惑があり、フィードニアにくみする振りをしているだけなのではないかという考えが、どうしても捨てきれないのだ。

 そんなことを悶々と考えていると、前方でざわざわと兵士達が騒いでいるのが耳に入った。目を向けると、何故か重装備隊がじわじわと後方へ下がってきている。いや、それどころか――――。

「何をしている、しっかり守りを固めないか…!」

 何故か重装備隊が左右に割れ始めていた。慌てて駆けつけ叱責するが、止まるどころかどんどん左右へ広がっていく。その真ん中を突き進むフィードニア軍の旗が見えた。これではまるで、フィードニアの為に道を作ってやっているようではないか。

「いったい何をやっているんだ、早くフィードニアを押し返せ…!」

 怒鳴るマルセルに、兵士の一人が首を横に振る。

「で、出来ません…マルセル殿、あれを見て下さい……」

 兵士が指し示した方へ視線をやると、なにやら白い旗が見えた。

「白旗……降伏か?」

 勝機は無いと見て、とうとうフィードニアが降伏してきたかと思ったのだが、兵士は更に首を横に振る。

「そうではありません。もっとよく見て下さい。白に金の刺繍が施されています。あの紋様は……」

 マルセルは目を見開いた。

「ラティ、か……」

 それは間違いなく、フィルラーンが被る、彼らの象徴であるラティそのものだった。ラティを縫い旗にしてあるのだ。

 まさかと思い、マルセルは重装備隊の中へ割って入っていった。兵士を掻き分け白い旗の前に躍り出る。目に入ったその人物を見て、マルセルは思わず一歩後ずさった。

 白い衣装に金色の髪。白いラティの旗をその手に、白馬に騎乗しながらこちらへ向かい悠然と進んでくるその人物は、紛れも無く以前使者としてティヴァナを訪れた、フィードニアのフィルラーンの少女だった。

その額や首、腕には金の装飾を身につけており、それらは青い空の下で光を受け神々しく輝いている。この重苦しい戦場にまるで異空間のような清涼さをもたらすその存在は、まるで女神が降臨したかのようだ。

 マルセルは思わず目を伏せた。何度も顔を合わせている自分でさえそうなのだから、他の兵士達が道を開けてしまうのは仕方の無いことだろう。ティヴァナは神への信仰が厚い国である。フィルラーンのご尊顔を拝することなど王族の者にしか許されていないのだ。ましてやその行く手を遮るなど、神に背く行為に等しい。

 だが後ろに多くの兵士を引き連れたこのフィルラーンを、このまま黙って通すことも出来ない。マルセルは少女の前に立ちはだかると、両手を広げ行く手を遮った。

「マルセルではないか、久しぶりだな」

 馬上の少女はマルセルを見下ろすと、にこりと微笑んだ。

「ここから先は通す訳には参りません。怪我をなされたくなければ、どうぞフィードニアの陣営へお戻りください」

「怪我? ふふ…私に怪我をさせられるものなら、やってみればいいではないか」

 挑戦的な目を向けられ、マルセルはたじろぐ。幾ら他国のフィルラーンといえど、剣を向けることなど出来ない。そのことを、少女はよく解っているのだ。

「出来ぬのならば、そこを退け。お前こそ怪我をしたくはないだろう」

「退きません」

 馬に踏み潰されたとしても退くものか、そう思い不遜を承知でユリアの目を見返すと、少女は声を張り上げた。

「退くんだ……!」

 そのりんとした声に逆らえず、体が勝手に後ろへ動いた。マルセルの頬を汗が伝う。なんなんだこれは、まるで本物の神を前にしているかのようだ。

 ユリアは満足したように頷くと、白い旗を空高く掲げ、そして前に倒した。それを合図にフィードニアの兵士達は雄叫びを上げ、亀裂に流れ込む水のように、ティヴァナ重装備隊の割れ目へ目掛け押し寄せてきた。

「くそ、奴らにここを抜けさせるな、押し返せ……!」

「しかし、フィルラーンを巻き込みでもしたら」

 躊躇する部下に、構うものか、とは言えなかった。戦いの只中に入ってくる位だ、巻き込まれて命を失う覚悟くらいは出来ているのだろう。だがそれを自業自得だと言える位なら、信仰などそもそも持ってはいない。

「弓は使うな、白い旗は極力避けて戦え」

 これくらいしか言えぬ自分が情けない。マルセルは弓の代わりに剣を持つと、目前の敵兵を切り伏せた。

 鉄壁の重装備隊が、たった一人の少女に破られた。悔しさと共に、畏怖を感じざるを得ない。ティヴァナで会った時から変わったフィルラーンだと思ってはいたが、自軍の為にここまでやる方だったとは。あの時何としてもティヴァナに留まって頂くべきだった。国へ返すべきではなかったのだ。

 見回すと、既に白いラティの旗は姿を消していた。役目を終え戦線から離脱したのかもしれないが、突然現れ、そして突然消えたその様さえも、どこか神がかっているように感じてならなかった。

 クリユスが心奪われた者は、ただの女でもなく、ただのフィルラーンでもない。戦女神だったという訳か。

「だが、ならば仕方ないとは思わんぞ、クリユス」

 何に心奪われようと、裏切りは裏切りだ。いずれ決着を付けるという気持ちに変わりは無い。しかし今は突破されたこのフィードニア兵をどうにかして撃退せねばならない。フィルラーンのことも、クリユスのことも、まずは後回しだ。

 マルセルは馬に飛び乗ると、騎馬隊と共にフィードニア軍の中へ突っ込んでいった。






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