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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
163/187

163: 決着


「―――――ジェド殿……!」

 ユーグの剣がジェドの身体を貫くのを、アレクは信じられぬ思いで見詰めていた。あの男がユーグなんかに負ける筈が無い、きっとまた、何か卑怯な手を使ったのだ。

 友を奪われ、気に入っていた女を奪われ、そして今度は師匠までをも奪うのか。どれだけこの俺の大切な人を奪えば気が済むんだ。どれだけ人を陥れれば気が済むのだ。

「あっはは、やった、フィードニアの英雄を倒したぞぉ……!」

 ユーグが血に染まった剣を高らかに上げるのを見て、周りにいるティヴァナ兵の目が血走った。

「おい、まずいぞ」

 少し前で馬を走らせているラオが、焦った様に舌打ちをした。二人は死に物狂いで馬を駆けさせたが、英雄の首を取る好機に沸き立つティヴァナ兵に、ジェドは一気に周りを囲まれる。まるで魚群に飲み込まれる小魚のように、ジェドの姿はたちまちに見えなくなった。

「ジェド殿!」

 何度叫んでも、ジェドの姿は見えない。楽しそうに笑うユーグの声が、耳障りに頭に響いた。

「ユーグ……!」

 許せない。許せない、この男だけは。

 間抜けなこの俺が、この魔物をフィードニア国王軍に招き入れたのだ。大切な人達が次々に屠られていくのを、止めることも出来なかったのだ。

「ユーグうぅうあぁぁあ……!」

 鞘から剣を引抜きユーグに向かって突進する。ユーグはこちらをちらりと見ると、にやりと笑った。

 ―――――今日こそ、お前と決着を付けてやる……!

 剣を振り下ろす。笑んだままのユーグが、左手に持った剣でがちりとアレクの剣を受け止めた。

「これは坊ちゃん、お久しぶりです。お元気そうで何より」

 呑気に目を細めるユーグに、再び剣を叩きつける。

「やっと会えたな、ユーグ。今日は逃しはしないぜ。お前は、ここで死ぬんだ」

 アレクの剣を次々に弾き返し、ユーグは笑みに蔑みの色を混ぜた。

「あはは、坊ちゃんごときがこの私を倒せるおつもりですか。全く、舐めるのもいい加減にして欲しいなぁ」

 くるりと剣を回すと、今度はユーグがアレクに剣を浴びせた。無造作に振り回しているように見えるのに、一振り一振りが重く、正確に急所を狙ってくる。一瞬でも油断したら、その瞬間に命を断たれるだろう。右腕を失ったことにも慣れたのか、以前に対峙した時よりも錬度が増している気がした。だが以前より強くなっているのは、寧ろこっちの方だ。

「その言葉、そっくりお前に返すぜ、ユーグ。いつまでも俺を舐めてんなよ!」

 所詮お前は、ジェド殿程は強くない。あのケヴェル神に血反吐を吐くほど鍛えられてきたんだぜ、俺は。お前を倒すためにな……!

「お前の剣は、あの男よりも速くねえし、重くもねえ、恐ろしくもねえんだよ……!」

 見える。ユーグの剣筋がアレクにはくっきり見えた。前は弾き返すのもやっとだった剣を、今はしっかり捉え受け止めることが出来る。絶望的にも感じた実力差を、今は左程には感じない。ユーグの剣に、手が届きかけているのだ。

「調子に乗るなよ、お前ごときが」

 怒気を含んだ剣がアレクを襲う。以前は相手にもされなかったのが、目障りだと認識される位にはなったらしい。

 アレクは全ての剣を弾き返すと、再び剣を振る。ユーグの剣と合わさり、火花が散った。がっちりと組み合ったまま、どちらも譲らず膠着した。力で押し負けてはいない。片腕相手にこっちは両腕ではあるが、遠慮する程慢心してはいない。ユーグ相手に互角に戦えている。手応えがあった。

「ユーグ、今までお前が弄んできた命は、お前の命ひとつくらいじゃ到底贖えねえよ。だがこれ以上お前を野放しにすることも出来ない。お前の暴走を止めることが、嘗ての主人であり友だったこの俺の、けじめなんだ」

「はは…大口叩くのは相変わらずだなぁ。消えろよ、お前なんか相手にしてないんだよ。この甘ったれのお坊ちゃんが」

 ユーグは剣を横に払うと、馬具に取り付けてある短剣を器用に数本引抜き、アレクに投げつけた。慌ててそれを剣で弾き飛ばすと、次の瞬間には長剣が彼を襲う。暗殺者特有のその戦い方を、今や片腕となったユーグが仕掛けてくるとは思っていなかった。どうやって操っているのか、手綱などとっくに放棄しているのに、ユーグの馬は彼の一部であるかのように主に従っている。

「く……っ!」

 次々襲い掛かる数々の剣を、何とか凌ぎ一旦間合いを取る。

 勿論乗馬は手綱だけではなく、足や体重移動などで馬に指示を出したりするものだが、しかし手綱を全く使わないというのは困難だ。自在に動くユーグに合わせようとすると、どうしても片手は手綱を操る為に使わねばならない。次々に放たれる攻撃をなんとか弾き返すだけで精一杯となり、こちらから攻撃を仕掛ける余裕などありはしない。先程までは対等に戦えると思っていたというのに、たちまち押される一方となってしまった。ユーグの方は今まで本気で戦っていた訳ではないということか。

(けど、それでも負ける訳にはいかないんだ……!)

 馬が邪魔なんだ、馬が。とっさに思いついて、アレクはユーグに馬を寄せた。鋭く突き刺してくる剣を避け、あぶみを踏む足に力を入れると、ユーグに向かって思い切り飛び掛った。

「なっ………!」

 流石のユーグも、予想外のタックルにぐらりと体勢を崩し、アレクと共に馬からころげ落ちた。

「痛ててて……」

 落ちるドサクサに鳩尾に蹴りを喰らい、派手にむせながらも何とか立ち上がると、ユーグは既に剣を構え体勢を整えていた。

「貴様、何のつもりだ……!」

 激昂するユーグにアレクはにやりと笑みをくれてやる。

「やっとお前の薄ら笑いが消えたなあ、そういう顔の方が、お前らしいぜ」

 アレクは地面を蹴ると、剣を構えて再びユーグに飛び掛る。それをひらりと避けると、ユーグは懐から短剣を取り出しアレクに投げつけた。

「うわっ、危っぶねえ……!」

 馬具に取り付けてある短剣だけじゃなく、服の下にまで仕込んでたのかよ。想定していなかった飛剣に慌てて身体を捻ったが、脇腹をやられてしまった。掠める程度とはいえ、己の油断に舌打ちする。この分だと、まだ他にも武器を隠していそうだ。

 間合いを取ると飛剣が来る。ユーグの両腕が揃っていれば、恐らく間合いの内側でも、長剣を繰りながら同時に襲ってくる短剣にも気をつけねばならぬのだろうが、流石に片腕だけで二つの武器は操れぬだろう。ならば間合いの内側で、短剣に手を伸ばす余裕など与えぬよう攻撃を仕掛ければ良い。

 アレクは息も忘れるほどに、がむしゃらに剣を振った。相手の剣を弾き、弾かれ、また弾き。いつしかここが戦場であることも、陽が次第に傾き始めていることも、全てが彼の頭の中から消えていった。

 こうしていると、まるで嘗て二人が共に居たハーディロン領の屋敷で、剣の稽古をしていた時のようだ。ユーグの正体も何も知らず、だたこの男を信用し共に生きていたあの日々。懐かしさを覚え、アレクは頭を振った。今は感傷など必要ないのだ。

「ち…お前、しつこいんだよ…!」

 はっと我に返ると、歯を剥き目を吊り上げたユーグの剣が、アレクの目前にあった。それを慌てて避けたところで、すかさずユーグは重心を下げ、くるりと身体を回転させてアレクを足を蹴り払う。豪快にすっとばされ、急いで上体を起こそうとすると、すぐさま追撃の剣が降ってくる。息つく暇も無い。

 アレクはとっさに泥を掴みユーグの顔目掛けて投げつけた。それは功を奏し、一瞬怯んだところに更に泥を投げ付ける。

「こ、この……、止めろ、何遊んでんだよ!」

 口に入った泥を吐き出しながらユーグは怒鳴ったが、別にアレクとしては遊んでいるつもりはない、これでも真剣なのだ。まあ、命のやりとりにしてはスマートでは無いが。

「はあ、はあ……そろそろ日が暮れるな、両軍が陣営に引き上げる頃だ。俺達の戦いも、ここらで決着つけようぜ」

「ああ…お前の復讐ごっこに付き合うのももう飽きたからな。お前の大切な奴らの所へ行かせてやるよ、さっさと死にな」

「お前こそ、じいさんの所へ行ってじいさん孝行でもしてやれよ」

 減らず口を叩いてみたものの、実際の所そろそろアレク自身が限界になっていた。既に肩で息をしている状態だし、さっき短剣が掠めた脇腹の出血も思ったより多い。これ以上戦いが長引けば、ずっと先だと思っていたロランとの再会が、目前になってしまいそうだ。

 泥だらけの二人は再び剣を構えると、同時に地面を蹴った。再び剣が激しくぶつかり合う。力は拮抗していた。互いに引かず、剣を合わせたまま二人は睨みあう。

 こうなってくると、先に根負けした方が負けるのだろう。そう思えば思う程、脇腹がじんじんと痛んでくる。脂汗が全身から湧き出てきた。まさかこいつ、あの短剣に毒とか塗ってないだろうな。

 悶々と苦痛と生死の狭間の緊張感に耐えるアレクを救ったのは、一頭の馬だった。乗馬の技術はユーグが勝っていたが、愛馬により愛されていたのはアレクだったらしい。こちらへ戻ってくる己の愛馬が視界に入り、アレクはとっさに口笛を吹く。

 突進してくる馬を避けるため、ユーグはそちらへ意識をやった。飛びずさり、体勢を崩す――――。

 アレクはユーグの左腕を掴むと、夢中で剣を突き出した。目を剥くユーグの顔も、剣先から伝わる感触も、ゆっくりと流れているかのように感じる時間の中で、全てが鮮明だった。

「ぐっ…ぐああぁあ……!」

 咆哮を上げ地面に転がると、ユーグは血走った目でアレクを見上げ睨みつけた。

「き…貴様あ……っ!」

 汚ねえぞ、と声を荒げるユーグに、アレクはふんと鼻を鳴らした。

「そんなこと、お前に言われたくないぜ。それにどこが汚いんだよ、人馬共に戦うのが戦場だろうが」

 疲労感に足を折りそうになるのを必死に耐えて、アレクはユーグの胸倉を掴む。

「……ロランやライナス隊長やマリー、他にもお前が殺して来た皆の痛みを、思い知れよ」

 憎しみや憤りを拳に込め、ユーグの頬を思い切り殴りつけた。鈍い音と共に、口の端から血が滲む。鍛え上げた拳だ、歯の一本や二本は折れたかもしれない。

「貴様ごときが、貴様ごときに……!」

「俺ごときに殺られんのが悔しいかよ、あいにくだな」

 込み上げようとする全ての感情を無理やり抑え、アレクはユーグを冷たく見下ろすと、剣を振り上げた。

「俺はお前みたいに残忍じゃないからな。苦しまないようにさっさと首を撥ねてやるぜ」

言い捨てるアレクの頬に、ユーグは唾を吐いた。

「ふざけるなよ、何が皆の痛みだ。何が違う、戦場で命を奪うお前達と、この俺と何が違うんだ。罠に嵌めようが正々堂々と戦おうが、命を奪うことに何の違いがあるんだよ……!」

「何言ってるんだ、違うだろう。少なくとも俺たちは、相手の命を弄ぶことなんてしない」

「勝てば嬉しいだろう。今、お前はそうやってこの俺を見下ろして、優越感に浸ってんだろう。綺麗ごとを並べたところで、俺と同じなんだよ」

 歪められたユーグの顔に、アレクは思わず剣を降ろす。

「違う、俺はお前とは違う!」

「違わないさ」

 くくく、と愉快そうにユーグは笑う。そうなのかもしれない。そう思って、慌てて頭を振った。いいや、駄目だ。この男の言葉に惑わされちゃ駄目だ。

「そんなことはどうでもいいんだよ、ユーグ。お前と同類ならそれでも良い、俺は皆の敵を取るためにお前を殺す。それが正義だろうが悪だろうが、関係無い。元々誰かに褒めて欲しいなんて、思ってねえよ」

アレクは再び剣を振り上げた。話は終わりだ、と告げると、ユーグは最後の抵抗をするように、身じろぎをする。

「く…こんな、ところで…こんなところで、この俺が……!」

 傍に落ちていた剣を掴もうと、ユーグが手を伸ばした。その剣をアレクは蹴り飛ばす。

「もう抵抗するな、苦しむだけだぞ」

 多少の同情心が口をつくと、ユーグが声を上げ笑い出した。

「く、くくく、何だよそれ、俺が、お前ごときに憐れまれる日がくるとはな……!」

 狂ったような笑い声をあげ、そして力尽きたのか、諦めたように体の力を抜いた。そのまま暫く目を泳がせていたが、アレクと目が合うとふっと弱々しい笑みを見せた。

「――――アレク、様…………」

 呟くように口にしたユーグに、アレクは目を見開く。

 今までの醜悪な表情から一変したその笑みに、ぞわりと鳥肌が立った。

「いつの間にか…お強くなられましたね……」

 懐かしい表情。懐かしい笑顔。

「やめろ、そんな顔をするな」

動揺しまいと、アレクは首を振る。

分かっている、この顔がユーグの素顔ではないことを。嘗ての友だったあの男は、この世に存在していない男なのだということを。

「……片腕を失ったとはいえ、この私を倒すほどにお強くなられているとは。最後に坊ちゃんの勇姿を目にすることが出来て、私は、嬉しいです」

 細い目を更に細め、アレクの名を呼ぶ。懐かしい、声。

「やめろって言ってんだろ……!」

 なんて嫌な奴だ。この男は最後まで、この俺をいたぶるつもりなんだ。非情な暗殺者ではなく、懐かしいこの俺の兄であり友である男を、この俺の手で殺させるつもりなのだ。

「……貴方と共に居た日々は、とても楽しかった。暗闇に生きた私ですが、あの時だけは、私は人らしく生きられていた……」

 こんなのはこいつの本心じゃないことなんか、解っている。だが解っていても傷つく、それをこいつは知っているのだ。

「ユーグ、もう黙れよ。馬鹿野郎が………!」

「坊ちゃん……」

 ユーグが弱々しく手をアレクの方へ伸ばした。もう、頼むからやめてくれ。殺したくないなんて、この期に及んで思いたくないんだ。俺の決意を鈍らせるなよ。

 「ユーグ………!」

 アレクは剣を振り上げると、思い切り振り下ろした。ユーグは黙ってアレクを見詰めている。

「うあああぁあ………!」

 最後の最後まで、ユーグはその笑顔を崩さなかった。いつの間にか己の目から涙が溢れ出ていることに、アレクは気付いた。

 ――――――馬鹿野郎、ユーグ、馬鹿野郎……!

 酷い嫌がらせだ。最後まで、本当に嫌な奴だった。この男を倒すためだけに必死に剣の腕を磨き、やっと皆の敵を取ったというのに、晴れやかさなど何も無い。心に重苦しさが残るだけだ。

「ちくしょう、この、ユーグ。ユーグうぅぅ………!」

 地面に崩れ落ちると、アレクは首の無いユーグの躯に頭を押し付けた。涙が後から後から溢れて出てきて止まらない。どれだけ人を傷つければ気が済むんだよ、お前って奴は。

 人目も憚らず嗚咽を漏らしながら泣き続け、そして声も枯れた頃、背中を叩かれた。

「おい、陣営に引き上げるぞ」

 振り返るとラオが背中を向け、後方の陣営へと馬を連れて行こうとしているところだった。

「―――――よくやったな」

 振り向きもせずそう言うラオに、アレクは鼻をすする。

「誰に言ってんだよ、おっさん。このアレク様だぜ、当然だろ」

 涙を拭うと、アレクは立ち上がった。俺の復讐は終わったが、戦いが終わったわけではない。こんなところでくよくよとしている場合ではないのだ。

 そういえばジェドはどうなったのだろう。ふと不安が胸を過ぎったが、あの男が死ぬところなど想像がつかない。きっと無事に違いないだろう。

 アレクは自分のマントを外すと、ユーグの躯に掛けた。せめてもの情けだ。

「ロラン、お前の敵を取ったぜ……」

 力なく呟くと、西の空がきらりと光った気がした。それは暮れる直前の稜線に浮かぶ陽光だったのかもしれないし、それが剣に反射した光だったのかもしれない。

 どちらでも良かった。アレクは口の端を少し吊り上げると、彼の仲間がいる陣営へ向かい歩き始めた。






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