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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
162/187

162: ジェド6


 ミューマが現れると、村一つが消えると言われる凶暴な獣を倒し、鳴り物入りで国王軍へ入軍したジェドは、やはりそこでも受け入れられることは無かった。

 こんな小僧がミューマを倒せる訳が無い。だったらその実力を見せてみろよ。そう言って数人の兵士達に周りを囲まれることなど、日常茶飯事だったと言っていい。その度にジェドはその男達を蹴散らした。国王軍の兵士でさえ、少年にとって既に敵ではなかった。

 時に男達は、剣を少年に向ける事があった。そんな時はジェドも躊躇無く剣を抜いた。相手を殺そうとするのなら、己が殺されても文句など言えないだろう。相手の命を奪うことに躊躇いなど微塵も感じなかった。ただその度にユリアの顔が思い出されて、少女に対しての罪悪感を僅かばかり抱くだけだ。

 ユリアと共に居た日々は、あんなに満ちたりて心が温かくなったというのに、離れてしまった今、再び凍り付いていくのを感じた。どこにいようと、結局自分は疎まれる存在なのだ。

 兵士達に連れ出されては返り討ちにすることを繰り返すうちに、次第にジェドに手を出す者はいなくなっていった。代わりに少年を見る目は、怒りや妬みから恐怖へと変わったが、そんな反応もいい加減に慣れている。左程気にもならなかった。

 唯一例外だったのは、歩兵隊第三中隊長であるライナスという男だ。この男だけは皆がジェドを疎む中、しきりに少年に話しかけてくる。煩そうにしても構わず、どこか飄々とした男だった。

「散々訓練した後だというのに、今日も一人で剣の稽古か。いやいや、頭が下がるな」

 そう言いながらやって来たライナスは、ジェドの傍にある木陰で、ごろんと横になった。

「ここは人気ひとけが無くていいなぁ。昼寝には丁度良い」

「……人気が無い場所なら、他にも沢山あるだろう。どこか他所へいけよ」

 不快気にそう言い放ったが、ライナスはにやりと笑ってみせる。

「お前が居る所なら、人避けになるだろう。午後の訓練まで、誰にも邪魔されずに休むにはここが一番うってつけなんだ」

 ぬけぬけと言うと、本当に寝息を立て始める。酷い物言いだが、何故かこの男に対して腹は立たない。置物だと思うことにして、ジェドは再び剣を振り始めた。

 ジェドが一人でよく過ごすその場所は、兵舎の脇にある小さな森の一角で、そこからはフィルラーンの塔が良く見えた。

 ユリアと再会する為に国王軍へ潜り込んだのはいいのだが、一日のうちの殆どを塔で過ごすフィルラーンの姿を見かけることなど、無いといっていい。これではユリアがこの国へ戻って来たとしても、会えるのかどうか、怪しい所だ。

「――――フィルラーンってのは、いつも塔に籠ってるんだな」

 目を覚まし、呑気に欠伸をしているライナスに、ジェドは呟くように話しかけた。

「フィルラーンに会うには、どうしたらいいんだ?」

 ライナスは幾分驚いたような顔をしたが、ふむ、と頷くとジェドの問いに答えた。

「何だ、お前ナシス様に会いたいのか? だがそりゃ無理な相談だな、一介の兵士がおいそれとお会い出来る方じゃ無いぞ。フィルラーンは国の宝、ましてやナシス様はフィルラーンの中でも群を抜いて高い能力を授かっている方らしいからな。国王でさえ、先に使いを寄越してからお会いになるそうだ」

「フィルラーンに自由に会うには、国王より上でないといけないのか」

「まあ、せめて一級将校以上になれば、清めの儀式の時にお傍に行く事は可能だがな」

 一級将校。それは中隊長以上の位ということになる。そこまでの地位になっても、清めの儀式の時に傍に行ける、程度のことなのか。ナシス程の能力が無かったとしても、フィルラーンであればそれは同じなのだろうか。

「一級将校―――いや、いっそ総指揮官にでもなってみるか? お前ならなれるかもしれんぞ。とはいえ、この国がそれまで残っていたらの話だけどな」

「なに」

 怪訝な顔をすると、ライナスは苦笑した。

「この国はもう長くは無い。周りの強国に囲まれ、今こうして存続している事の方が不思議な位なのだ。お前が出世するまでは、到底持ち堪えることが出来んだろうよ」

「――――それは、困る」

 今この国が消えてしまったら、ユリアは帰る国を失ってしまう。国を失ったからといってフィルラーンがその役目を終えるわけではないのだ。別の国に行くことになってしまえば、その行方を知ることは難しいだろう。

「それなら、俺があと十年この国を存続させてやる」

 潰したくなければ、他国との戦いに勝ち続ければいいだけの話だ。己のこの化け物のような力がどれ程のモノなのか分からないが、少なくともここの国の兵士達よりは腕が立つようだ。それなりに勝利に貢献は出来るだろう。

(―――――持ち堪えさせてみせる。俺が、この国を)

 ユリアを待つ十年の間に、己がすべきことが定まった。上級将校になり、フィードニア軍を勝利に導き、そして少女が帰るまでこの国を存続させ続けるのだ。だが、それだけでは足りない。

 ジェドは顔を上げ森の隙間から覗く、フィルラーンの塔を見詰めた。

 勝利に貢献し、この今にも潰れそうな小国を存続させることが出来たなら。――――そうしたら自分は、この国にとってフィルラーンと同等の価値がある存在になれるだろうか。

「おい、暇なら相手をしろよ」

 剣を向けると、ライナスは心底嫌そうな顔をした。

「あのな、なんで将校職の奴等がお前にちょっかいかけないのか、分かるか? 十一歳の餓鬼に万が一にでも負けたら恥だからだろうが」

「そんなこと、知ったことか」

 問答無用で襲い掛かると、ライナスは諦めたように剣を手にする。

「まあ、確かにこの国を窮地から救おうなんて大口叩くのなら、上級将校全員ブチのめして総指揮官の座を奪い取る位の力が無いとなあ。―――けどそれはまだ今じゃない、この俺を今までの奴らと同じだと思うなよ、糞餓鬼」

 鞘から剣を引き抜くと、ライナスはジェドの剣を受け止めた。


 それから十年、ジェドは公言通り戦場で武勲を挙げ続け、フィードニアを勝利に導いてきた。少年は青年になり、総指揮官の地位を手にし、そしていつしか英雄と呼ばれるようになる。

 リョカ村に落とされる筈の報奨金は独断で国庫に戻させた。ジェドという英雄を得て、報奨金という餌をちらつかせてまで人材を集める必要も無くなった国は、この頃にその制度を廃止させることになる。フィードニア国は十年後、消えるどころか他国を凌ぐほどの大国にまで成り上がっていた。

「まさかフィードニアがここまでのモノになるとは思いませんでしたよ」

 副総指揮官の地位に就いたライナスは、感慨深げに言う。今や部下ではあるが、皆から浮きがちなジェドをフォローし、総指揮官にまで押し上げたのはこの男の力に他ならない。フィードニアには、無くてはならぬ男だ。

「そういえば聞きましたか。もうすぐ新しいフィルラーンが修行を終えて国に戻ってくるそうですよ」

 その言葉に、剣の手入れをしていたジェドは顔を上げた。

「そうか……」

 もう十年か、という気持ちと、やっと十年かという気持ちが沸き起こる。ユリアに再び会う為だけに武勲を上げ、英雄と呼ばれるまでに至った訳だが、その心境は複雑だった。

 子供特有の幼い、ある意味純粋な思考を原動力にしてきたが、果たして当時五歳だった幼い少女が、今でもジェドを覚えているかなど怪しいものだ。

 いや、覚えていないのならばそれでも良い。それよりも懸念されることは、あの村での出来事が忌まわしい記憶としてユリアの中に残っていることだ。最後に少女が見せた、あの怯えた目を思い出すにつれ、その可能性は高いように感じた。

『―――殺しちゃいや、かわいそうだよ』

 ユリアが口にしたあの言葉が、未だに何度も思い出される。いったい自分はあれから、戦場でどれだけの数の命を奪っただろうか。武勲を立てる為、国を勝利に導く為、仕方が無いと思いつつも、やはり忘れることは出来なかった。

 あの清らかな少女は、この血に塗れた自分をどう思うのだろうか。それを考えると鬱屈した気分になるのだった。


 ユリアが国へ戻り王城へやって来たのは、それからふた月も経たぬ頃だった。

 新しくやって来たフィルラーンに目通りせよと言われ玉座の間へやって来たジェドは、扉の前で暫し躊躇った後、いつまでもこうして突っ立っていても仕方あるまいと、扉を開けた。

 何かに緊張することなど、初めてだ。そんな己が滑稽で、ジェドは思わず苦笑する。

「来たか、ジェド。エンリクトスの刻(午前十時)にここへ来いと言うたと思うがな。既に半刻近く過ぎておるぞ」

 正面奥の玉座に居るクルト王が、ジェドを見て苦言を呈する。

「――――申し訳ありません、訓練に熱が入り時間を忘れておりました」

 適当に答えると、ジェドは金色の長い髪を腰まで垂らした女を見詰めた。こちらに背を向けているため顔はまだ見えないが、すらりとした立ち姿は幼い少女の面影とは随分異なる。

 ユリアの近くまで歩いて行くと、片膝を床に付け、頭を軽く下げて型通りの礼を取った。

「フィードニア国王軍総指揮官、ジェドと申します」

 名を告げると、ユリアが息を呑んだのが分かった。顔を上げなくとも、少女の指先が震えているのが分かる。心が急に冷えていくのを感じた。――――そうか、懸念していた事が当たったのだ。

 顔を上げると、怯えた目をした少女と目が合った。大きな金色の目、すっと通った鼻筋、赤く形のいい唇、透き通るように白い肌。大人になったユリアは、王都で出会ったどんな女よりも美しい顔立ちをしていた。

 だが、幼い頃のあの光り輝くような笑顔は、ジェドを前にして消え失せている。

 ――――この俺が恐ろしいのか。ユリア、お前も他の人間達と同じように、この血に塗れた俺を忌むのだな。

「クルト王、もう宜しいか。訓練があるので失礼させて頂く」

 ジェドは立ち上がると、ユリアから早々に背を向けた。予想していたこととはいえ、実際に彼女から怯えた目を向けられると想像以上に堪えた。だが仕方が無い事だ。ユリアを泣かせぬ為に、生き物を殺めたりはしないと誓ったのに、舌の根も乾かぬうちに破ったのはこの己自身なのだ。

 ユリア。俺の光、俺の幸福、俺の全て。例え怖れられていたとしても、それでもお前が居ない世界など考えることは出来ぬのだ。

 疎まれていると分かってはいても、ジェドは何かにつけてユリアに会いにフィルラーンの塔へ足を運んだ。今のジェドに、フィルラーンの塔へ出入りして咎める者など居りはしない。

 初めはジェドの顔を見る度に怯えた目をしたユリアだったが、フィルラーンをフィルラーンとも思わぬ彼の横柄な態度に、次第に怒りを露わにするようになってきた。そして矜持を傷つけられることに堪りかねたのか、ある時からジェドの言葉に食って掛かってくるようになった。真正面からジェドを睨みつけるその目からは、既に怖れは消え去っていた。

 それならばその方がいいとジェドは思った。怯えた目を向けられるくらいなら、怒りや憎しみの方がマシだ。幼いあの頃のように笑顔を向けられなくてもいい、傍に居て、ユリアを守り続けることさえ出来ればいい。

 まさか殺したいほどに憎まれているとは思っていなかったが、今まで散々にユリアを傷つけてきた自覚はある。それもまた自業自得だ。ユリアがそうしたいのならば、己の命などくれてやっても構わなかった。この俺がユリアにとって必要ではないのなら、この世に未練など何一つ無いのだ。


 ――――――帰らなくては。


 直前に飛んできた矢のお陰で、ジェドを貫いた剣は急所から僅かに逸れてはいたが、それも即死はせずに済んだという程度のものだ。無造作に引抜かれた傷口からは、血が溢れ続けている。視界が暗くなっていく中、必死で愛馬の手綱を掴んだ。

 この命はユリアにやると約束したのだ、あんな男にくれてやる訳には行かない。

 意識が朦朧としながらも襲い来る敵を跳ね除け、ジェドは馬を進めた。

帰らなくては。帰って、もう一つくらい憎まれ口を聞いてやってもいいだろう。

肩や背中に次々に衝撃を受けた。もう目が見えていない彼には、全ての攻撃を跳ね除けることが出来ずにいた。

 自分の体がいう事を聞かぬことなど、初めてだ。彼の意思に反し、ジェドの体はぐらりと揺れると、崩れるように馬から落ちた。


 ――――――――――ユリア。


 俺の光、俺の幸福。 俺の―――――全て。






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