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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
161/187

161: ジェド5


 ユリアと過ごす輝くような毎日は、このままずっと続いていくのだと、この頃のジェドは信じて疑っていなかった。

 少女がこの村にどんな理由でやってきたのかなど、あえて知ろうとはしなかった。体の弱い彼女の母と共に滞在していることは知っていた為、療養しているのだろうと思った程度だ。

「ジェドはそんなに強いのに、王様のけらいにならないの?」

 ふとそんなことをユリアが聞いてきた時も、その真意など考えもしなかった。お姫様ごっこの続きみたいなものだろうが、「王様の家来」ということは、国王軍の兵士ということになる。そんなモノになっては、ユリアをずっと守るという約束は叶えられないではないか。

「別に、そんなものになりたいとは思わないな」

 そもそも国王軍への入軍試験を受け、特出した才が認められた場合、その者の出身地には報奨金が渡されることになる。化け物と言われるほどの力だ、自分が国王軍へ入ったら、報奨金がこの村にもたらされる可能性があるのだ。憎しみはユリアにより随分薄れたとはいえ、流石にこの村に富を齎そうとい気持ちは沸いてこない。

 だが自分のそんなドロドロとした闇の心を、ユリアに知られるのは嫌だった。ユリアは家族というものをとても大切に思っているようなのだ、自分が家族を、この村を憎んでいると知ったら、きっと悲しむだろう。いや、ひょっとしたら嫌われてしまうかもしれない。

「この村を出るつもりは無い。か……家族が、いるからな」

 呟くように口にし、ちらりとユリアを見る。

 浅ましいと思いつつも、ジェドは家族思いなふりをした。こういう答えならば、ユリアが喜ぶことを知っている。それで口にした空々しい言葉だったが、予想に反し、少女は寂しそうな顔になった。

「そっかあ…じゃあしかたがないね。ジェドが王様のお城に行ったら、またいつか会えると思ったけど」

「え…? また、いつか?」

 何のことだか分からずに、困惑した。それではまるで、もう会えなくなるかのようではないか。

「あのね、わたしもう少ししたら、ふぃるらーんの修行をするのにラーネスへ行かないといけないの。でも終わったら、ぜったい一番にジェドに会いに来るからね」

 残念そうに、だが諦めたようにユリアは言う。

「え……何だよ、それ」

 初耳だった。フィルラーン? ユリアが? 何なんだそれは。

「フィルラーンの、修行……。なんで、お前がそんなものにならないといけないんだ? そんなの、止めればいい。ここに居ればいいじゃないか」

 フィルラーンだったら、この国には既にあのナシスとか言う奴がいるではないか。先読みの力がある位なのだから、きっとフィルラーンとしての格は、随分高いのだろう。だったらユリアがわざわざそんなモノになる必要など無い。

 だがユリアはジェドの言葉に、悲しそうに首を振った。

「だめなの。私がそこに行ってふぃるらーんにならないと、お母様の病気がなおせないの」

「……そうなのか?」

 頷くユリアに、ジェドは絶望を感じた。フィルラーンの家族は、二度と本人と会うことが許されない代わりに、国から手厚い保護を受けられる。きっとユリアの母は、高い治療費が必要な病気なのだ。ユリアがフィルラーンになることを拒否すれば、母親は治療を受けられない。家族を大切に思っているユリアが、これを拒否する筈が無いのだ。

 ならばそれはもう、抗いようの無い決定事項ということになる。

「城か……」

 フィルラーンは王城に隣接された塔で暮らすと聞く。国王軍に入軍すれば、ユリアに再び会うことが出来るのだろうか。だとするならば、全く話が違ってくる。

 ジェドが考え込んでいると、ユリアが彼の手をぎゅっと握った。相変わらず温かいその小さな手を、ジェドはそっと握り返す。この手を放したくないと、切実に思った。


 そもそもユリアがリョカ村に滞在している理由は、ラーネスへ行く道中に隣国の戦況が急に悪くなった為、国境近くにあるこの村に足止めされることになったからなのだそうだ。戦況はまだ予断を許さぬ状況で、ユリアが出立するのは、それからまだ数ヶ月後のことだったが、それでもその数ヶ月は、あっという間に過ぎていった。

 ユリアがこの村へやって来たのは春先で、夏を過ぎ、秋が終わりに向かおうとしている頃、ようやく隣国の戦況が落ち着いた。街道が通行可能になり、とうとうユリアはこの村を出ることになった。

 ラーネスへ行かねばならないことは理解しているが、その日が迫るにつれ、ユリアは行きたくないとべそをかくようになった。その度に頭を撫でてやり、慰める。ぎゅっと抱きついて来て、離れないこともしばしばだった。そんな少女が愛おしくて、そして切なかった。

 神の存在など微塵も信じていなかったので、そんな存在にこの少女を奪われるのかと思うと腹立たしくもあったが、ユリアの母の治療の為だと思うと、諦めるしかなかった。理不尽なモノなど、この世にいくらでも転がっていることを、ジェドは理解している。

 別れを嘆いていても、事態は変わらない。フィルラーンの修行期間は十年と決まっている。出発が遅くなれば、その分帰ってくる日も遅くなるだけなのだ。ジェドにとってはそれよりも、十年後にフィルラーンになったユリアに、確実に出会えることの方が重要だった。

 そしてユリアがこの村を発つ、二日前――――。


 ユリアはいつもだいたい昼過ぎ位に、ジェドが待つ大きな木の下にひょっこりとやって来る。だがその日は、いくら待ってもその場所に現れなかった。

 母親と別れを惜しんでいるのならば別にいいのだが、なんとなく気にかかる。村人はジェドが村の中を歩き回ることを疎ましく思うだろうが、気にせずに辺りをぶらつくことにした。

 ユリアが滞在している屋敷の傍まで来たものの、訪ねて行くことは憚られた。そもそも屋敷の中に居るのであれば、問題は無いのだ。村をぐるっと回ってみようかと思った時、ふとすれ違った村の男二人の会話が耳に入った。

「なあ、フィルラーンの子供が姿を消したって、屋敷の奴らが騒いでるみたいだぜ」

「なんだ、あの子供ならさっき野原で花を摘んでたじゃないか」

「いや、さっきって言っても、大分前だろう。……まさかと思うが、ミューマの谷に行ってねえよなあ」

「まさか。だって危険だから行くなって言っておいただろ」

「だよな、まさかな……」

 そう囁き合いながら、男二人は立ち去っていく。ざわり、と嫌な予感がした。

 ―――――まさか。

 間違いであってくれと、ジェドは祈った。どうかあの二人の思い過ごしであってくれと。ミューマの鋭い爪に切り裂かれるユリアの姿など、想像するだけで気が狂いそうだった。

 急いで小屋へ戻ると、剣を掴み谷へ走った。こんなに恐怖を感じたことは、嘗て無い。谷までの細い道は、永遠かとも思う程に長く感じた。

 谷へ下りていくと、数匹のミューマが集まっているのが見え、心臓が飛び跳ねた。すぐ傍に金色の髪の少女が居る。

「―――――――ユリア……っ!」

 大丈夫だ、まだ生きている。怪我もしていなさそうだ。神など信じてはいないが、初めてそういうものに感謝したい気持ちになった。

 剣を抜くと、ユリアに飛びかかろうとしているミューマの前に滑り込み、慌てて首を撥ねた。間一髪だった為、幼い少女に気を使ってやる余裕は無かった。獣から勢いよく血が吹き出し、少女の身体に降りかかる。首がその脇にごとんと落ちた。

「――――――い……いや――――――!」

 凍りついた表情で、少女は叫んだ。

「――――――嫌だあぁぁ…………!」

 恐怖に怯える目。その目に射られ、ジェドは息が止まりそうになった。この状況で恐ろしくない筈が無い。それは分かってはいるが、その目が自分に向けられたようで、身体が竦んだ。

 こんな化け物のような力を、ユリアに見せてしまった。村人のように、ユリアもこの力を恐ろしいと思ったのではないか。

 ――――――このオレを、恐ろしいと思ったのではないのか。


 その場に居た数匹のミューマを全て倒して振り返ると、ユリアは気を失いその場に倒れていた。

 綺麗な金の髪が、白い肌が、獣の血に塗れている。自分の服を脱ぎ、出来るだけそれを拭き取った。気を失ったままの少女をそっと抱えると、ユリアが滞在している屋敷へと連れて行く。

 初めは血だらけの二人の姿に驚かれたが、ユリアの叔父だという男に事情を話すと、直ぐに理解してくれた。ユリアに少し似た雰囲気の柔和な男だった。礼がしたいと引き止められたが、ジェドは固辞した。彼にはやらねばならぬことがあったのだ。

 谷へ戻り、切り落としたミューマの首を掴んで長老の家へ向かう。腰を抜かす老人に、ジェドは告げた。

「――――この村から消えてやるよ。その代わり、国王軍への推薦状を書いて貰う。推薦理由は、この首があれば十分だろう」

 老人は恐怖とも安堵ともつかぬ顔で頭を下げると、それを承諾した。

 ユリアのいないこの村にも、この世界にも、なんの関心も意味も見出せない。ユリアがいずれ王城へ行くというのならば、そこで少女の帰りを待っていよう。十年という月日は余りにも長かったが、永遠に失われる訳ではないのだ。待つ楽しみがあると思えばいい。

『――――殺しちゃいや、可哀想だよ』

 いつだったか、ユリアが口にした言葉が急に頭を過ぎった。けれど仕方が無いじゃないか。あの獣を殺さなければ、ユリアは死んでいたのだ。少女の怯える目を振り払うように、ジェドは頭を振った。

(違う。ユリアはミューマを、ミューマの血を怖がったんだ。俺を怖がったわけじゃない)

 自分にそう言い聞かせたが、彼の恐れを映すように、右手が再び震え始めた。







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