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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
156/187

156: 予感

 ジェドが率いる別働隊は、どの戦場においても戦況が一番厳しい場所に居る。今回の戦いでも常に違わず、最前線で敵の猛攻を受けながら戦っていた。

 ラオと対峙した嘗ての部下達は動揺していたが、それに情けを掛ける彼ではない。いや、寧ろ「裏切り者相手に動揺して戦えぬなど、そんな情けない兵士を育てたつもりは無いぞ」と活を入れ、相手の士気を高めてしまう始末だった。

「敵を鼓舞してどうするんですか。折角相手の手が弱まってたんだから、そこを一気に叩き潰せば良かったんだ」

 アレクが迷惑顔にそうラオを睨め付けた。「これだから戦い馬鹿は」とぶつぶつ呟いている。

 以前と違うことと言えば、アレクがこの別働隊の一員になったことである。

 コルヴァスとの戦いの最中で武勲を立て、中隊長に取り立てられる話が再び出ていたのだが、アレクはそれを固辞しこの別働隊に入ることを選んだ。右腕を切り落とされた復讐の為、ユーグはジェドの命を狙っている。その標的の傍に居れば、いずれ必ずあの男が現れる筈だというのが理由だそうだ。

 アレクはこの一年の間、ユーグを倒すために人一倍の努力をしてきた。あの訓練嫌いの男が、黙々と剣の修練に励み、そして戦場では最前線に出て死と擦れ擦れの日々を送っているのだ。人というのは変われば変わるものだと感心せざるを得ない。

 剣の腕も身体つきも以前とは比べ物にならぬ程に逞しくなったが、この軽口だけは昔のままだ。まあ、それが無くなったら逆に不気味ではあるが。

「おい、喋る暇があるとは余裕ではないか。それならもっと敵陣に切り込むぞ」

 にやりと笑いながら、ジェドが言う。それと同時に敵をなぎ倒しながら、馬を走らせた。

「えっ、ちょっと、冗談でしょう!」

 今でさえ最前線で敵の猛攻に耐えているのだ。だというのにこれ以上踏み込めば、敵陣の中で一個中隊が孤立しながら戦う羽目になりかねない。普通であれば、直ぐに潰されて終わるところだ。アレクは顔を青くさせたが、既に馬を走らせているジェドが、聞く耳を持つ筈が無い。

「諦めろ、行くぞ」

 ラオが馬を動かすと、仕方無しにアレクも付いて来た。ジェドの無茶な戦いに、何だかんだでこの男も慣れてきている。口に出して言ってやったことは無いが、自分の背中、とまでは行かないにしても、左腕くらいは任せても良いかと思う位には頼りにしている。勿論、今後も言ってやるつもりは無いのだが。


 別働隊である第三騎馬中隊が敵陣でひと暴れをし、再びフィードニア本軍と合流した時、伝令が彼らの元へやって来た。

「別働隊を半分よこせだと?」

「はい、最右側を守っていた第六騎馬中隊が攻撃を受け、半数の兵を失った為、応援を願いたいとのことです」

 最側部は軍の盾でもある重要な場所だ。そこを崩されては、一気に中央部へ攻められ、大打撃を負うこともある。故に両側部は守りに堅い隊を置く事が多い。

「分かった。兵を半分に分け、アレク、俺とお前で援護に行くぞ」

 ラオが言うと、アレクはあからさまに顔を顰めた。

「何言ってるんだよ、おっさん。俺がこの別働隊に入った訳を知ってるだろ、おっさん一人で行って来いよ!」

「おっさ……馬鹿野郎、状況を考えろ。そんな個人の都合がいつも通用する訳が無いだろうが。いいから大人しく付いて来やがれ!」

 前言撤回。ちょっと認めてやればこの通りである。ぼかりと殴ってやったのは、別におっさんなどと言われたからではない。―――因みにまだ三十歳だ、そのような呼ばわりをされる歳ではないぞ。

「ふん…あの男が現れたら、お前が戻るまで殺さずにいてやればいいのだろう」

 だからさっさと行って来いと、煩そうにジェドが言う。

「本当ですか、本当ですね?」

 ラオはしつこく食い下がるアレクの首根っこを掴む様にして最右部へ向かったが、後になってこの時アレクの我儘を聞いていればと、何度も思うことになる。だがそんな事は、この時の彼らには分かる筈も無かった。


「―――どういうことだ、これは?」

 最右側に居る第六騎馬中隊の元へ駆けつけてみれば、待っていたのは左程の打撃も受けていない、ぴんぴんとした一個中隊の姿だった。

「隊の半分が壊滅? 何を言っているんだ、我らはこの通りしっかりと最右を守っているぞ。無論援軍など要請してはいない」

 第六騎馬中隊長ヴァンが、幾分気を害したとばかりに言った。

「いや、しかし実際にそう伝令が来たんだ」

「他の隊の要請がどこかで間違って伝わったのではないか? 少なくとも我らはこの通り、何の被害も受けてはいないぞ」

「そのようだな……」

 首を傾げる男達に、アレクは肩を竦める。

「なんだよ、じゃあわざわざ来る必要無かったじゃないかよ。全く、殴られ損だぜ」

 ぶつぶつ言うアレクをまた殴りたくなったが、ここは抑えた。

「仕方が無い、情報の伝達が誤っていたのだとしても、正しい情報を得るまで動きようがない。一旦ジェド殿の下へ戻ろう」

 どこかすっきりしない気分のまま、ラオ達はジェドの下へと馬首を向ける。

 もしも単純な情報伝達のミスなどでは無く、ティヴァナが何らかの方法で偽の伝令を流し、我々を分散させたのだとしたら?

 ラオは別の可能性を考えてみたが、どうもしっくり来なかった。

 元々一個中隊に過ぎぬ別働隊をわざわざ分散させたところで、何になるというのだ。仮に別働隊がやっかいになり、動きを弱めようと思ったのだとしても、こうやって最右側へ駆けつけてみれば直ぐに嘘がばれるのだ。引き離したのは一時のことで、また直ぐ合流してしまっては、わざわざ小細工を弄する程の時間稼ぎにもならぬだろう。

 狙いは総指揮官であるジェド一人の命なのだとも考えられるが、ならば尚のこと、我等を引き離した所でどうにかなる相手ではない。たった一人で敵陣中央に放り込まれたのなら兎も角、半分の兵が残っている上に、直ぐ傍にフィードニア本軍が居るのだ。それで倒せる相手だなどと、そのように力量を見誤るような愚かな指揮官は、ティヴァナにはいない筈だ。

 やはり単なる伝達ミスか―――そこまで考えて、背筋がひやりとした。

 いや―――他に居るではないか。ジェドの命を狙う男が。

 先ほど再三話題に出ていた、あのユーグとかいう男である。あの男も馬鹿では無い、ジェドの命を狙っているとはいえ、剣の腕で敵わぬことは既に分かっている筈だ。ならば何か策を弄してくるのでは無いのか。それがどんな事であろうと、ジェドが倒される筈が無いと、そう高を括っていたが――――。

「アレク、急いで戻るぞ…!」

「何なんすか。分かってるよ、だからこうやって―――」

「つべこべ言うな、黙って馬を走らせろ!」

 ライナスもロランも、ユーグの罠に嵌まり死んだのだ。嫌な予感がし、ラオは慌てて馬の腹を蹴った。



「ユーグ……!」

 ラオの叫び声が聞こえ、とっさにクリユスはそちらへ目をやった。

 ラオから10ヘルド(約120メートル)程離れたところにジェドが居る。その更に近くに、ユーグの姿があった。

(ユーグ、やはりジェド殿を狙って来たか……!)

 しかしそう思いはしても、ユーグなどジェドの敵ではない。アレクとの決着は気になるところではあるが、悠長に見物などしている暇は無いのだ。クリユスは己の周囲の敵に再び意識を戻そうとしたが、ふと、どこか二人の様子がおかしいことに気付いた。

 ユーグはジェドの少し手前で止まり、馬に括りつけた荷袋から何かを取り出した。そして、それを見たジェドの動きが、ぴたりと止まった。

(なんだ……?)

訝しく思った瞬間、ジェドは手にしていた剣を落とした。いや、捨てた――――。

「ジェド殿……!?」

 さあっと血の気が引いた。ユーグはジェドに向かって突進する。だが、それでもジェドはその場から微動だにしない。

(いったい、何が起こっている―――?)

 クリユスはとっさに矢を手に取ると、そのまま弓に番え放つ。矢はユーグの剣を僅かに掠めたが、勢いを止める事は出来なかった。

「ジェド殿――――!」

 ラオが、アレクが叫んだ。余りに突然の出来事で、クリユスには今目の前で、何が起こっているか理解する事が出来なかった。

「嘘だ……こんなこと……」

 そんな筈が無い。こんな事が起こる筈が無い。

 ――――ユーグの剣は、ジェドの体を、深々と刺し貫いた






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