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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
153/187

153: 別れ

 鬨の声を上げる兵士達の間を縫うように、ユリアは駆けた。

 少女に気付き道を空ける者もいるが、熱を帯びたように吼える兵士達の多くは、彼らの先頭に立つ男を一様に注視している。

 あの男が空高く手を上げ、出兵の合図を出すのを待っているのだ。

「ジェド……!」

 やっと人混みを抜け駆け寄ると、ジェドは馬上からユリアに笑みを見せた。

「なんだ、見送りか? 毎回ご苦労なことだ。しかしそんなに息を切らせていては、フィルラーンの威厳も何もあったものではないな」

 クリユスの仕立てた戦女神として、兵士達を鼓舞する為にここへやって来たと思っているらしい。

 そうではなく、ただジェド一人を見送りに来たのだとは考えもしないようだ。ユリアの告白はやはり通じてはいなかったのだ。

 だがそうかもしれない、とも思う。

 ユリア自身、ジェドが口にした愛の言葉を、未だ信じきれずにいる所があるのだ。あれは夢だったのではないだろうかと、ただからかわれているだけなのではないだろうかと、どこかで疑っている己が居る。

 ずっと憎まれていると思い続けていたのだから、そんな簡単に気持ちの切り替えなど出来るものではないのだ。

 だからゆっくり、きちんと話し合う必要があるのだ。お互いが胸に抱えている想いを、全て残らず、互いが納得するまで。

「ジェド、お前の命はこの私のものだ、私以外の者に奪われたら、許さないからな」

 ユリアの言葉に、ジェドはふん、と鼻で笑った。

「誰に言っている。この俺を殺せる者などいると思うのか」

「そうだな」

 いつもの台詞にくすりと笑うと、ユリアはジェドのマントを手に取り、恭しく口付けた。

 フィルラーンの祝福を与えられた英雄に、兵士達の歓声が上がる。今は戦女神としての役割を演じていると思われていてもいい。ただ素直に見送りたかった。

「神のご加護を、ジェド。―――――早く帰って来い」

 早く、帰って来い、ジェド。帰って来たら、私の想いを全てお前に伝えるから。

「心配するな、約束を違えたりはしない」

 親指で自分の心臓を指し示し、口の端を吊り上げる。勘違いしたままだとはいえ、俺の命はお前の物だと告げるその言葉は、どこか切ない程に甘く感じられた。

「じゃあな、少しの間この命は預かっておくぞ」

 言いながら、馬を歩ませる。それを合図に全軍の兵士達が揃って歩み始めた。

 深紅のマントが翻る。遠ざかって行く姿が、城下町へと続く門の向こうに消えるまで、ユリアはずっとその背中を見詰めていた。











 フィードニア王都の城下町の中央区、その西寄りの位置に、一軒の小さな食堂がある。

 その食堂の名は「プリメリー」。小さな幸せ、という意味だ。

 その名の通り、そこの自慢の料理を食べる客は、皆小さな幸せを貰ったかのような顔で店を出て行く。

 人気のある料理は、近海で取れる新鮮な魚の煮込みと、トマトと魚介を煮込んだスープだ。

 更に最近増えた名物もある。それは料理ではなく、数ヶ月前に入った店員である。彼の人柄の良さも然ることながら、その勤勉さや器用さ、そしてある“特色”が客に愛されているのだ。

「お待ちどおさま、ご注文の魚の塩焼きに豆のスープ、それとパンだよ」

 人懐っこくにこりと笑い、店員は三つの皿を机に並べていく。話題のその店員の名はゼフィー。彼が全ての皿を机に乗せ終わると、客は感嘆の溜息を吐いた。

「ゼフィー、相変わらず器用だなぁ。その片腕だけで、よくそんなに上手く料理を運べるよ」

 ゼフィーには右腕が無かった。彼は左腕に皿を何個も並べ、そしてその腕だけで器用に机に料理を並べていくのだ。それはある意味珍しいパフォーマンスとして、客にウケていた。

「どうも、何ならもっと運んで来るよ。追加注文は何がいいですか?」

 細い目を更に細めるゼフィーに、客は参った、とばかりに自分の頭に手をやった。

「まったく商売上手だな!」

 そのやり取りに周りの客がどっと笑った。

「ほんと、ゼフィーがウチに来てくれて助かってるわ」

 この店の看板娘であり、店長夫婦の一人娘である少女が、皿を運びながら口を挟んだ。

 歳は十六、給仕の邪魔にならないよう、茶色の髪は頭の後で編んでいる。本人は顔に散らばったそばかすを気にしているが、寧ろそれがチャーミングで可愛らしいと男達には評判である。

「逃がさないように、いっそのこと婿に貰っちまえよ」

「まあっなんてこと言うのよ!」

 顔を赤くする少女に、「まんざらでも無いようだ」とからかいの声が飛ぶ。

「おい、変なことを言うなよ。そんな訳無いだろ」

 不満気な声を出したのは、少女に気がある青年である。とはいえ場の雰囲気が悪くなる事はない。寧ろからかいの対象が今度はその青年に移るだけなのだ。

 この店には馴染みの客が多く、雰囲気はいつも和やかだ。

 楽しそうに笑う客たちに笑みを見せたまま、ゼフィーは窓の外を眺めた。

 その窓からは、街よりも高い位置に建つ王城が見える。

「どうしたの? ゼフィーったらいつもお城を眺めているのね」

 看板娘は青年に声を掛けた。

「ああ、綺麗なお城だなぁ、と思って。あの城にはものすごく綺麗なお姫様がいるらしいね」

「お姫様? 確か今の王城には王子様ばかりで王女様はいなかった筈だけど……」

 すこし拗ねたように言う少女に、客の一人が笑った。

「そりゃフィルラーンのユリア様の事だろう。ティヴァナから帰国された時に港で見たが、この世の者とは思えないくらい綺麗だったぜ。ゼフィーも男だ、美女が気になるのは仕方が無いよな」

「まあ、なによ、フィルラーンのユリア様をそんな風に見るなんて不謹慎だわ」

 ぷりぷりしながら、少女は厨房へ戻っていく。

 ゼフィーは再び窓の外へ視線をやると、薄く笑った。

「……ホント、そんな綺麗なヒトなら、是非一度会ってみたいもんだよなぁ」

「俺も見てみたいぜ。だが大きな戦いが始まったみたいだし、情勢不安な中そうそう城下町になんかお出でになっては下さらないだろうよ」

 客の一人がゼフィーの呟きに答えたが、彼は窓から視線を離さなかった。

「そうだね、余程の事でも起こらなくちゃね……」

 城を見詰めるゼフィーの笑顔が、暗く翳っていることに、店の中の者達は誰も気付いてはいなかった。









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