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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
144/187

144: 運命の一夜1

 それからの数日間、ユリアは忙しく過ごした。

 戦場から戻ってきた兵士達に清めの儀式を行い、戦死した兵士達の魂を癒すための鎮魂の儀式や、新しく生まれた命への祝福の儀式なども行った。ティヴァナから戻って以来、クリユスのことにかまけていて滞らせてしまっていたが、フィルラーンとしてやるべきことは結構多いのだ。

 幸いなことに、この国にはもう一人のフィルラーンがいる。それもユリアより遥かに高位なフィルラーンである。当面予定されている儀式をこなしてしまえば、あとはナシス様が引き受けてくれるだろう。

 最後にナシス様にお会いしたいと思ったが、寸ででそれは止めた。これからユリアが行うことを、万が一にも彼の先読みの力で悟られてしまってはならないからだ。

 他に心残りといえば、母のことである。ユリアが死んだ後は、当然父母への国からの補助は打ち切られるだろう。病弱だった母の病は癒えているのだろうか。未だ国の補助を頼りに治療を続けているのだとしたら、随分痛手を負うことになるだろう。

 十三年前に別れて以来、消息さえ知らぬ父母のことを思うと酷く胸が痛んだが、それでもユリアの決意を揺らがせることは無かった。

(お父様、お母様。親不孝な娘をお許し下さい……)

 ユリアは神に父母の幸せを強く祈った。もう自分には、彼らにしてやれることはそれしかないのだ。


「ユリア様、随分熱心に何を祈られていたのですか」

 ダーナがユリアの為に茶を入れながら聞いた。

「何でもない、フィードニア国民皆の幸せをただ祈っていただけだ。それにそう、お前の幸せもな」

「まあ、私ですか?」

 きょとんとすると、ダーナは笑った。

「私は既に幸せですわ、こうしてユリア様のお側にいられるのですから。あとはそうですわね、ラオ様とクリユス様が無事牢から出ることが出来ましたら、もっと幸せですけれど」

 つられる様にユリアも笑みを作る。

「そうだな、ラオにはさっさと牢を出て、ダーナをもっと幸せにして貰わなくちゃな」

「まあっユリア様、何を仰るのです!」

 顔を真っ赤にさせたダーナは、明らかに動揺したまま首を横に振った。

「何故ラオ様の名がそこで出るのですかっ。ラオ様だなんて、わっ私には関係ありませんわ。私はずっとユリア様のお側にお仕えすると心に決めているのですから」

「ダーナ」

 私の側に居る為に。その為に、折角想い合っている相手がいるというのに、結ばれることを諦めたというのだろうか。

 ならば私は二人にとって障害だということだ。だがそれを私が気に病まぬよう、彼女は今まで己の想いを隠し続けてきたのだろう。

 つくづくダーナに守られてばかりだった自分に、ユリアはそっと溜息をつく。

 ―――だがそれも今日までだ。

 己の死により彼女を開放させてあげることが出来るなど、そこまで悲観的なことを考えるつもりは無い。それは今まで尽くしてくれたダーナに、寧ろ失礼というものだろう。

 だが私が死んだ後、ラオという存在がダーナの側にいるということは、とても心強いことだった。彼が彼女の悲しみを和らげ、そして癒してくれればいい。

 これからをラオと共に生き、そして幸せになって欲しい。それだけを強く願った。

「これを、ダーナ」

 ユリアは引き出しからある物を取り出し、ダーナの前に差し出した。

「まあ、髪飾りですわね。なんて見事な細工なのでしょう」

 目を輝かせるダーナに、ユリアは思わず笑みを零す。

「その台詞、前も全く同じことを口にしていたぞ、ダーナ」

「えっ?」

 この髪飾りはいつだったか、ダーナと共にお忍びで城下街へ遊びに行ったときに買った物である。

 街娘のように扮して、ただの少女のように買い物を楽しんだひと時が嬉しくて、記念に買っておいたのだ。

「お前にやろう、ダーナの栗色の髪によく映える……」

「まあっそんな、頂けませんわ」

「いいんだ、お前に貰って欲しいんだ」

 言いながら、ユリアはダーナの髪へそれを付ける。蝶の形を模した髪飾りが、まるでダーナの髪に止まり休んでいるかのようで、可愛らしかった。

「ほら、似合っているぞ」

 鏡を渡してやると、少し頬を染めはにかんだ。ラオに見せたいと思っているのかもしれない。

「ありがとうございます、ユリア様。ずっとずっと大切にします」

「ああ」

 嬉しそうに笑うダーナの姿に一瞬感傷的になりかけたが、ぐっと堪えた。普段どおりにしていなくては、聡い彼女にユリアの異変を感じ取られてしまう。

「ダーナ、今日は少し疲れてしまった。少し早いがもう休もうと思う」

「そうですか、最近お忙しくていらっしゃいますものね。では着替えをご用意致しますから、少しお待ち下さいませ」

 そう言うとダーナは足早に寝衣を持ってきて、ユリアを着替えさせる。

「お休みなさいませ、ユリア様。よい夢を」

 笑顔を残し、ダーナは寝室を辞した。


 ユリアは暫くそのままベットに横たわっていたが、ダーナが自分の部屋へ戻り、そして彼女の部屋から物音が聞こえなくなるのを待ってから、こっそり部屋を抜け出した。

 そしてそのまま地下にある清めの儀式の場へ行くと、泉に張られた聖水で禊を行った。これから神の国へ行くのだ、体と魂を清めておきたかった。

 聖水に体を浸し、ユリアは清めの言葉を口にする。最後に行う清めの儀式が己自身に対するものになるとは、思いもしなかった。どこか可笑しい気分で、清めを終えた。

 それから用意しておいた着替えに袖を通した。いつも通りの白いドレスだが、その中でもユリアの一番お気に入りのドレスだった。すこし開き気味の胸元に付けられたリボンは可愛らしく、腰元はきゅっと締められていて、足首まであるスカートはふわりと軽やかだ。

 思わずくるりとその場を回り、ふわっと舞うスカートに苦笑した。

 今から殺されに行くというのに、いったい私は何をお洒落などしているのだろう。今から会いに行くのは自分を殺す相手なのだ、恋人などではない。

 いつも着ている服へ着替えようと部屋へ戻りかけたが、やっぱり止めた。それでもジェドに、せめて最後に少しでも綺麗な自分を見てもらいたい。

 ユリアは髪を梳かし、そして赤い紅を唇に少しだけ付けた。


 身支度を終えると、ユリアはフィルラーンの塔を抜け出し、兵舎の裏手から地下牢へと降りていった。

 看守はいたが、ユリアを見かけてももう止められることは無かった。遅い時間の訪問にいぶかしむ様子もない。恐らくクリユスが事前に話を通しておいたのだろう。

 二人が居る牢への扉を開くと、ラオは顔を顰めさせ、クリユスは笑みを見せた。

「お覚悟が出来ましたか」

 そう言うクリユスに、ユリアは頷いて見せた。

「ああ、言われた通り短剣を持ってきたぞ。それで、私はどうすればいいんだ」

「ではその短剣を、まずはドレスの中に隠して下さい。足に布で括り付けると良いでしょう」

「隠す?」

「はい。初めはジェド殿を油断させる為に、二人で酒でも飲み交わして下さい。ああ、ユリア様は程々に、あまり飲み過ぎないようにして下さいね」

「ジェドと酒を……。待て、なぜそんなまどろっこしい事をしなくてはならないんだ。油断させてどうする、本当に殺す訳でも無いのだから、ジェドを訪ねて行ってそのまま剣を振り回せばすむ事ではないのか」

 それで返り討ちにあって終わり。そんな感じを思い浮かべていたユリアに、クリユスは肩を竦める。

「そんなことをしては、こちらが本気でジェド殿を殺そうとしていないことが、直ぐにばれてしまいますよ。いいですか、あくまでユリア様は、本気でジェド殿を殺すつもりで行って下さい。そうしなければ信憑性が生まれません」

「そ、そうなのか」

 なんだか難しいんだなとユリアは思った。演技などしたことが無いというのに、上手く出来るのだろうか。いや、だから本気でジェドを殺すつもりで行けという事なのか。

「分かった、その通りにやってみる」

「では今から兵舎の裏口へ行って下さい。西の入り口に兵士が一人待っています。ユリア様がここへ尋ねて来たら、その者へ連絡を取るよう看守に話しを付けてありますから」

 なんといつの間にかそこまで看守を抱きこんでいたとは、クリユスの周到さに思わず舌を巻く。

「おい、本当にやるのか。今ならまだ止められるんだぞ、考え直せ」

 尚もラオが引き止めたが、ユリアは首を横に振る。

「くそっ、なんでだよ……」

 身動きが取れない己を呪うように、ラオは頭を鉄格子にぶつけた。

「ラオ、前にも言ったが、ダーナを頼んだぞ。必ず彼女を幸せにしてやってくれ、いいな」

「馬鹿野郎、お前が死んであいつが幸せになれるかよ。お前のことが、自分以上に好きなんだぞ、あいつは」

 その言葉にぐっと胸が締め付けられたが、ユリアはそれでも首を横に振った。

「愛する人が側にいれば、きっと悲しみも乗り越えられる。……じゃあ、私はもう行く」

「ユリア!」

「二人とも、元気で」

 叫ぶラオを振り切るように、ユリアは牢を出た。


 クリユスに言われた通り、太腿に布で剣を縛りつけると、兵舎の裏口の方へ向かう。そこには既に兵士が一人立っていた。

「お待ちしておりました、ユリア様」

 確か彼はフリーデルの部下だった筈だ。するとクリユスは既にフリーデルを味方に付けているということだ。ジェドがいなくなった後、国王軍の勢力図がどう動くのか、すでにクリユスの頭の中には絵図が出来上がっているのだろうが、正直なところもう、ユリアには興味の無いことだった。

 兵士に導かれるまま、ユリアは兵舎の中を進む。酒盛りをしている声がどこからか聞こえたが、大半は寝静まっているようで、廊下は静かだった。

 四階の最奥へ進んだ時、兵士が立ち止まり振り返った。

「ここの突き当りを右に進んだ部屋が、ジェド殿の部屋です。私はここで失礼します」

「この奥が……この辺はあまり他の兵士達の部屋は無いのですね」

 酒盛りの声ももう聞こえない。ここだけ切り離されたように、ただ静寂だった。

「はい、ジェド殿は近くに他人が居ることを好まれないので、本来は居室ではなかった部屋の内装を変えて、こうして使っておられるのです」

 リョカの村でもいつも一人、人里離れた場所に居たことを思い出す。

「ユリア様、これをお持ち下さい」

 兵士が手にしていた籠をユリアに渡した。中身は酒と、パンや肉などちょっとした食べ物だ。

「ありがとう」

 受け取ると、兵士は一礼をして踵を返す。手にしたランプの火が、ゆらゆらと遠ざかっていった。

 ユリアは籠を手に、廊下の奥へ進んだ。突き当りを右に曲がると、またすぐに突き当たりに出くわした。そこには扉が付いていて、中からうっすら光が漏れている。

 ここが、ジェドの部屋なのか。

 緊張し手が震えるのを、なんとか押さえつける。

 息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 心を落ち着けさせると、ユリアは扉を叩いた。






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