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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
138/187

138: 届かぬ想い

 クリユスの真意を探ろうと思ったものの、ロランもエルダもいない今、他に頼める者がいないことに思い至りユリアは思案していた。

「まあ、それならラオ様にお願いしたらよいのではないですか」

 ダーナがそう提案したが、ユリアは頷かず首を傾げた。

「いや…しかしラオも同じティヴァナの者である以上、クリユスの…つまりはティヴァナの思惑を漏らすなどということは、しないのではないか」

「ですがラオ様はジェド様を国王軍から出されることには反対しておりますわ。ティヴァナとフィードニアが友好関係にある今、今後進む方向性に関しては、お二人は対立なさっておいでです」

「ああ……」

 だが『ジェドを国王軍から出す』ことに関しては、ユリアはクリユス側の人間なのである。ならば尚更ラオに頼むのは筋違いではないだろうか。そう思い却下しようとしたが、それより早くダーナは胸を叩いた。

「お任せくださいユリア様、私がラオ様にお願いして参りますわ」

「いや、ダーナ」

 ユリアが止める前に、ダーナはそそくさと部屋を出て行ってしまった。元々彼女は行動力のある女性ではあるが、それにしてもどこか嬉々として見えたのは気のせいだろうか。

 まあいい、ラオが協力してくれるのならば、それに越したことは無い。断られても元々というやつである。


 外の空気が吸いたくなり、ユリアは中庭へ降りて行った。外へ出てみると、今日は少し冷えた。吐く息も白くなる。羽織るものでも持って来ようかと引き返しかけたが、止めた。冷たい空気が頬に心地良く、頭が冴える気がする。風邪を引く前に戻ればダーナにも怒られないだろう。

 ふと、木の幹に突き刺されたままの剣が目に入った。ずっと前にジェドがユリアから取り上げ、木に突き刺した剣である。今も取れぬまま残っており、風雨に晒され錆びついている。懐かしい思いで、それをそっと撫でた。

 あの頃はロランも生きていて、ここで彼に剣を習ったりしていたのだ。結局剣の腕が良くなることは無かったが、体を動かすことは楽しかった。

 しかしジェドはユリアが剣を持つことを嫌悪したのだ。嫌悪し、そして剣を取り上げた。

 ジェドの目には私が、己の地位を守るために剣を手にし、彼に向かってきた亡国のフィルラーンの浅ましい姿と被って見えたのだろうか。そうだとしたら、彼の目にはどれだけ私の姿が醜く映ったことだろう。そう思うと胸が締め付けられるが、だがその浅ましさを己は否定することが出来ぬのだ。

「何をしている」

 突然声が掛けられ、心臓が飛び跳ねた。振り返ると、塔の入口に凭れながらこちらを見下ろしている男がいる。

「ジェ……ジェド」

「そんな薄着で風邪でも引くつもりか。塔で働く者達に迷惑を掛けるな」

「も、もう戻ろうとしていたところだ」

 ティヴァナから戻って以来、顔を合わせるのは約一か月ぶりである。憎まれ口でさえ心が浮き立ったが、表には出さぬよう必死に冷静さを装った。

「久しぶりだな。どうしたんだ、突然」

「どうしたもこうしたも」

 仏頂面を更に顰めさせ、ジェドは中庭までの階段を降りて来る。

「あのアレクとかいう男が毎日この俺に付き纏ってきて、五月蠅くて敵わんのだ」

 だから逃げてきた、とジェドは辟易したように言う。

「フィルラーンの塔までは流石に探しには来れないだろうからな」

 ふん、と鼻を鳴らすジェドに、ユリアはぽかんと口を開けた。

「ジェドに…付き纏っているのか、あのアレクが」

 少々軽薄なイメージのあるアレクと、この誰をも寄せ付けない無口な男との組み合わせが、意外過ぎてどうにも頭の中で結びつかなかった。

「ああ、気紛れに剣の相手をしてやったのが間違いだった。あれ以来睨み付けようが怒鳴ろうが、全く怯まず剣の相手をしてやるまで付き纏ってくる。何なのだ、あの男は」

 ちっと舌打ちし愚痴をこぼすジェドを、珍しいものを見る思いでユリアは見詰めた。

 あのジェドに睨み付けられたり怒鳴られたりして、それでも尚向かっていける者がいるとは、とても信じられなかった。怒りを露わにするジェドの前では、誰もが恐怖で体を竦ませてしまうものだ。それはユリアとて例外ではない。だというのに。

「お前が誰かの剣の相手をしてやるど、珍しいな。ラオも散々願い出ていただろうに、全く相手をしてくれないと零していたぞ。どういう風の吹き回しなんだ」

「別に…気紛れは気紛れだ、意味なんかない」

「そ、そうか」

 ぴしゃりと言われ、ユリアは黙るしかなかった。

 ―――何だろう、胸がちくりと痛む。

 辟易とした表情をしてはいるが、それでも本心からアレクのことを嫌がっているわけでは無いように思えた。

 もしかすると私は、ジェドの心を開きかけているのかもしれないアレクに嫉妬しているのだろうか。誰に対しても頑なに閉じていたジェドの心が開くのならば、それは喜ばしいことだというのに、それを成すのが己では無かったことを残念がるなど、なんて卑しいのだろう。

 ユリアは心のもやもやを払い除けるように、顔を横に振った。それよりもジェドが避難場所にここを選んでくれたことを喜ぶべきではないのか。

「まあ、好きなだけここに居ればいい。だがケヴェル神とも言われるお前にそれだけ付き纏えるアレクにも感心するがな。賞賛に値するくらいだ」

 努めて明るく言うと、ジェドが思わずといった風に口角を緩めた。

「何を言うか。あいつよりも幼い頃のお前の方が、余程図々しかったぞ」

「え……?」

 問いかけるように目を見詰めると、ジェドははっとしたように口を噤み、ユリアから目を逸らした。

「いや……何でもない」

 ジェドにとって忌むべき過去の筈なのに、一瞬懐かしむような目になったのは気のせいだろうか。

 いや、例え気のせいだとしても、幼き日の話が出たことは、ユリアにとって過去の過ちを詫びる絶好の機会のように感じた。

 今謝らなければ、きっとまた意気地をなくして口に出せなくなる。

「ジェド、私は」

「何でもないと言っているだろう」

「違うんだ、私は、お前に」

 謝らなくては。幼き日、直隠ひたかくしにしていたジェドの剣の腕が私の所為で明らかになり、城に召し上げられることになってしまったことを。その為に彼と両親とを離れ離れにさせてしまったことを。

「私は、わたし……は……あ」

 くしゅん、とくしゃみが出た。途端にジェドが呆れた表情になる。

「ほらみろ、そんな薄着でいつまでも外をうろついているからだ。風邪を引いたのではないか」

 中に入るぞ、と腕を掴まれる。

「私は大丈夫だ、それより話が」

「大丈夫ではない」

 ジェドのもう片方の手が、ユリアの頬に伸びた。

「こんなに冷たくなっているではないか」

「あ……」

 心臓が再び早鐘を打つ。触れられた掌が熱くて、一気に顔が赤くなった。

「それに顔も赤い」

「いや、これは……」

 気恥ずかしくなり、慌てて下を向いた。こんな風に触れられただけで泣きそうになる。ジェドへの思慕は消えるどころか増すばかりだった。届かぬ想いだというのに、人の気持ちというのは思う通りにいかぬものだ。

「わ、分かった、部屋に戻る。だがその前に私の話を聞いて欲しいんだ、ジェド」

「……何だ」

 ユリアは冷たい空気を吸い込むと、勇気を出して顔を上げた。

「――――私はずっと、お前に謝りたかったんだ。私の所為でお前が国王軍に入ることになってしまったことを。その所為で、お前をご両親から引き離してしまったことを」

 勿論謝ったくらいで許して貰えるとは思っていないが、それでも気持ちだけでも伝えたかった。

「済まない、ジェド。私が迂闊だった所為で…。本当に、ごめんなさい……」

 声が震えた。たったこれだけの事だというのに、今までずっと口に出来なかった言葉を、今ユリアは必死に紡いだ。

「――――――何を言っている」

「え………」

 ジェドは眉間に皺を寄せ、ユリアを見下ろした。

 背筋が冷たくなる。今更、何を言っているんだと、そういうことなのか。謝罪を拒絶されたのだろうか。

 目の前が暗くなりかけた時、塔の中からユリアの名を呼ぶ声が聞こえた。

「ユリア様、ユリア様……っ!」

 塔の入り口から、ダーナが顔を覗かせた。

「こんな所にいらしたのですね、ユリア様。大変です、クリユス様とラオ様が……!」

 ダーナは半泣きで、ユリアにしがみ付いてきた。





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