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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
136/187

136: 神と徒人

 連合国との戦いが終結してからというもの、ハロルドはフィードニアの傘下に収まった国々との協議や、新たな国境線の制定、警備隊の配置等、様々な後処理に追われ各地を駆け回っていた。

 久しぶりに王城へ戻り、同じく忙しく動き回っていたフリーデルやブノワ等上級将校達と軍議を行い、そしてそのまま夜は労いの宴となった。束の間の休息というヤツである。

「いやあ、あの連日の夜襲には、正直な所もう駄目かと思いましたな」

「いや、本当に。しかしあの時のハロルド殿の戦いぶりは、鬼気迫るものがありました。あの状況で退却をせず粘りに粘ったご決断には肝を冷やされましたが、しかし終わってみれば我らの圧勝。まさに英断としか言いようがありません」

 少し前までは「余所者が」という幾分冷めた態度であった将校達の手放しの賛辞に、ハロルドはむず痒い気分で酒を飲んだ。

 あそこでジェド殿率いる別働隊が間に合ったから英断だなどと言えるが、あと少し到着が遅ければ我らフィードニア本軍は全滅していたに違いないのだ。そうなっていたら、引き際を間違え国を滅亡へと追いやった愚かな副将として、後の世まで汚名を残していただろう。それを考えると、背筋に冷たいものが走るのだった。

「まあ、我らに勝利の女神が味方してくれたという事だな。すまん、ちょっと失礼する」

 尻の痒くなる世辞から逃れるため、小用に立つ振りをしてハロルドは席を立った。一か八かの賭けに勝っただけに過ぎぬ己よりも、本来もっと賛辞を受けるべき男は他にいる。しかし当のジェドの姿はここには無かった。

 まだ席から辞するには酒が足りなかった。どうしたものかと祝宴の場をうろついていると、フリーデルと飲んでいたクリユスがこちらに向かって手を挙げた。

「ハロルド殿、どうぞこちらへ。今丁度貴方の話をしていたのですよ」

「なんだ、悪口じゃないだろうな」

「まさか、称賛していたに決まっておりますでしょう」

「どうだかな」

 笑いながら勧められた席に座る。この二人はどうやら頭が切れる者同士気が合うらしかった。しかしどうもこの顔が揃うと、何か知略を巡らせているのではと勘ぐってしまう。彼ら程の智を持たぬ男のやっかみというヤツだろうか。

「ハロルド殿に先の戦いの賛辞を述べたい所ですが、もう聞き飽きている所でしょうね」

 うんざりしていたハロルドの顔を読み取ったのか、酒を注ぎながらクリユスはそう笑う。

「まあな、さんざんこの俺を余所者扱いしてきた狸どもの世辞など、聞くに堪えん。だがお前の賛辞なら幾らでも聞いてやるぞ。さあ、遠慮なくこの俺を褒めるがいい」

「これは、やられましたな」

 いつも眉間に皺を寄せているフリーデルが、珍しく笑った。

「しかし冗談は抜きにしても、ハロルド殿の戦いぶりは見事なものでした。もう貴方のことを余所者などと言う者は居らぬでしょう。そう、次期国王軍総指揮官に相応しいと、誰もが思うに違いありません」

「はは、何を言うか」

 世辞にしても随分大きく出たものだ。ハロルドは酒をぐびりと飲み、苦笑した。

「次期国王軍総指揮官だと? 成れるものなら成ってみたいものだが、ジェド殿が誰かの剣に倒れる姿など想像出来ん。ならばこの俺に老いぼれるまで待てとでも言うのか。しかしあの人は俺よりも七つも年下なのだ、どう考えても先にくだばるのはこの俺だろうよ。どうあっても無理な話だ」

 ハロルドは笑ってみせたが、しかしクリユスは笑わなかった。

「そのような先まで待つ必要はありませんよ、ハロルド殿。貴方が次期国王軍総指揮官となる日は、そう遠くはありません」

「おい……」

 知らず、ハロルドは声を顰める。

「いい加減にしないか、酒の席での戯言にしても言葉が過ぎるぞ。そのような話、誰かに聞かれでもしたら冗談では済まされぬぞ」

「冗談ではありませぬからな」

「な………」

 涼しい顔でそう言うクリユスに、ハロルドは言葉を失った。

 何だと? 何を言っているんだ、この男は?

 この俺が次期国王軍総指揮官? 冗談で無ければいったい何だというのだ。

「馬鹿なことを言うな、俺にジェド殿の代わりなど務まる筈が無いではないか。俺が多少剣を扱えたところで、軍神のごときあの男の剣には遠く及ばぬ。それは誰もが知っているところだ。徒人ただびとが神に成り替われはしないのだ」

 絶体絶命の窮地でも、あの男が居ればなんとかなる。ジェドが周りに植え付ける絶対的な信頼感というものを、ハロルドは先の戦いで身に沁みて感じたのだ。それは己には持ち合わせていないものだった。

「そうですね、ジェド殿はまさに神です」

 クリユスはすっと目を細めた。

「フィードニアがここまで生き延びて来られたのも、ここまで大国となれたのも、全てはジェド殿の軍神のごとき強さのお陰です。しかし連合国との戦いも終結を迎え、ティヴァナとも同盟が結ばれている今、その力は果たしてこの国に必要なのでしょうか」

「何?」

 クリユスはゆっくりと首を横に振ると、ハロルドの目を見詰めた。

「確かに貴方にはジェド殿のような軍神のごとき力はありませんが、しかし国王軍総指揮官に足るお力は十分以上に持っておられます。ここは徒人の世です、神の力など本来在るべきものではない、そうではありませんか」

「いや……待て、待て」

 クリユスの言葉を片手で制し、ハロルドは混乱する己の頭を必死で整理した。

 フリーデルへ視線をやると、奴は眉ひとつ動かさず酒を口にしていた。先にクリユスからこの話を聞いていたのだろう、本当に二人で知略を巡らせていたということか。

「それは本気で言っているのか、クリユス。そうだとしたらお前はこの俺に、総指揮官の地位をジェド殿から簒奪しろと言っているのか」

「簒奪とは、物騒な。私はハロルド殿にその座を奪い取れと言っているのではありません。いずれジェド殿がその座から降りることになる故、お覚悟下さいと申し上げているのです」

「降りることになる」

 何を白々しいことを。お前がその座から引き摺り下ろそうとしているのではないのか。

「覚悟も何もない、今現在ジェド殿がご健在でその座に居られるというのに、次の席を狙うような浅ましい覚悟など出来るものか。フリーデル、お前はどうなんだ。お前もクリユスに賛同しているのか」

 急に矛先を向けられたフリーデルだったが、小憎らしい程に表情を動かさず頷いた。

「一理あると思っております。あの常人離れしたお強さは、平時においては必要無きもの。寧ろ万一にも国に反旗を翻されたら誰も止める事が出来ない分、弊害でさえありましょう」

「それはつまり、戦いが終わったら用無しということか」

「そうとまでは申しておりません」

「言っているも同じことではないか」

 ハロルドは憤慨してみせたが、フリーデルが意に介す様子は無かった。自分の意見をただ述べているだけだ、という体で更に続ける。

「そもそも終戦後の後始末に我らは東奔西走しておりますが、ジェド殿は何一つ動いておりません。総指揮官という者は、戦いにさえ秀でていれば良いというものではありません。あの方は少々自分勝手な振る舞いが過ぎる。そのことについて、他の上級将校達の間に不満が出ているのも事実です」

「何だと」

 兵士達の間にそんな不満が出ているとは知らなかった。今までハロルドを余所者扱いしていた者達が急に擦り寄ってきたのも、その不満の現れやもしれない。散々ジェドの強さに頼っておきながら、戦いが終わったとたんにそんな些末な問題で手のひらを返すとは、どっちが勝手だというのだ。

「もういい。皆がどう思おうと、フィードニア国王軍総指揮官はジェド殿以外に有り得ん。この話、俺は聞かなかったことにする。いいな」

 ハロルドが席を立とうとすると、クリユスが挑発的な目を向けた。

「ですがハロルド殿、これはユリア様の意向でもあるのですよ」

「――――何?」

 思わず動きを止めたハロルドに、クリユスは涼やかな笑みを浮かべた。

「ユリア様が仰るには、元々ジェド殿は国王軍への入軍を希望されてはいなかったそうです。しかしあのお強さです、例え本人が望まなくとも、国がそれを許す筈がありません。云わば彼は、本人の意思に反し総指揮官としてここに居るのです」

「……それは本当なのか?」

 あれ程の強さを持ちながら、国王軍総指揮官の座を望んでいないなど、俄かには信じられなかった。

「ユリア様が仰るには、その様ですね。ご本人の本意でなく軍に留め置かれていたのでしたら、今後の軍の維持の為だけにこれ以上お引止めするのは、こちらの身勝手というものでしょう。いずれジェド殿自身がその座から降りることになるやもというのは、そういう事情なのです」

「そう、なのか」

 牙が抜かれてしまったような気分だった。どうもフィルラーンの少女の名を出されると、弱い。

 しかし本当にそれで納得していいのか、それが真実なのかハロルドにはとっさに判断がつかなかった。

 ただこのままこの男を信用し続けていれば、自分は総指揮官になれるのやもしれぬ。そんな考えが己の心の奥にちらりと過ぎっていることにも、ハロルドは気付いていた。

 国境警備隊で腐っていくだけの人生だった筈が、国王軍の副総指揮官などという大層な身分にまで登りつめた事自体が、既に上々なのだ。これ以上を望むなど、不遜でしかない。

 であるというのに心の奥底で嫌らしくそれを期待している己が居る。その浅ましさに、ハロルドは自嘲した。





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