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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第五章
135/187

135: クリユスの筋書

 フィルラーンの塔の一階にある面会室でユリアが待っていると、暫くして扉が叩かれた。

「ユリア様、クリユス様がおみえになりました」

 言ってダーナは部屋の中へクリユスを通すと、茶を用意する為にそのまま下がって行った。

「そろそろ呼ばれる頃だと思っていました」

 クリユスはにこりと笑うと、いつものように優雅な仕草で頭を下げる。

 顔に貼り付かせた笑顔もまた以前のままである。だがそれでも今までユリアに向けられていた情のようなものが、彼の瞳の中から消え失せているように感じられた。

「…ならば用件も分かっているということだな」

「さて、貴女がどう決断したかまでは分かりかねますがね」

「私の意志は今までと変わらない。ジェドを国王軍から追放させる、故にこれからもお前に協力する」

「ほう……」

 きっぱりと言いのけるユリアを、クリユスは探るように見詰めた。

「それがどういう事か、我々の意図も分かっていて決断なされたと、そう理解しても宜しいのですね」

「無論だ、ジェドが国王軍を去ればフィードニアの軍力は著しく低下する。軍力のみを見るならば、ティヴァナに大きく引けを取ることになるだろう。つまり同盟は形だけのものになり、実質フィードニアはティヴァナに逆らうことが出来なくなる。 だがな、クリユス……」

 ユリアは椅子から立ち上がると、クリユスの方へ歩み寄った。

「私は、お前を信じている」

「……は」

 何を言い出すかと思えば、とでも言いたげに、クリユスは冷ややかな視線を寄越した。

「お前が今まで私を騙し続けてきたことも、私やフィードニアを利用し、更にはティヴァナの属国としようとしていることも分かっている。けれどそれは、自分の祖国を守る為やむにやまれず行ったことなのだろう? 私にとってもティヴァナは思い入れのある国だ、そうせざるを得なかった、お前の気持ちも分からなくは無いんだ。だから私はお前を信じる。お前にフィードニアを預けることにする。私の知るクリユスという男ならば、それでもきっと悪い結果にはならない筈だ」

「……ユリア様」

 黙って聞いていたクリユスは、小馬鹿にしたようにくすりと笑った。

「何を言うかと思えば、この後に及んで何を甘いことを……。どうやら貴女の中での私は、未だ善良な男であるようですね。しかし残念ながら、私は貴女が思っているような男ではありません。フィードニアの行く末など、私の関知するところではないのですよ」

「クリユス……」

 その冷たい言いように少し心が怯みかけたが、それでもユリアはナシスの言葉を心の中で反芻し、クリユスの前に向かい合った。

「いいや、クリユス。私はお前を信じる。私の知るお前を、私は信じると決めたんだ」

 その言葉にクリユスは溜息を吐くと、どこか苛立たしげに眉間に皺を寄せた。そして今までになく厳しい表情になる。

「いい加減にして頂けませんか……貴女は未だにお分かりでは無いようだ、貴女の知るクリユスという名の男など、昔の幻影にしか過ぎないのですよ。私が貴女を利用しようと決めた時点で、私はもう貴女の“兄”であることを止めました。それからはただ貴女の“兄”という役を演じていただけに過ぎず、そして今は、その舞台からも降りたのです。今後私に対して情が通じるとは、一切思わないで頂きたい」

「昔の、幻影……」

 ユリアはクリユスの腕をぎゅっと掴むと、彼の目に浮かぶ冷ややかさを跳ねつけるかのように、強い光を持つ眼差しで見つめた。

「私はそうは思わない。お前がそんな風に簡単に情を切り捨てられる男ではないことを、私は知っている。私を騙して、利用したのだとしても、幼い私を妹の様に想ってくれたあの日のクリユスは、消えはしない」

「知っている……?」

 呟くと、クリユスはユリアの手を払いのけた。

「貴女が、私の何を知っているというのです?」

 彼の瞳に、影が落ちた。

「教えて下さい、貴女は私の何を知っているというのですか」

「あ……っ」

 クリユスはユリアの肩を掴むと、そのまま彼女の身体をテーブルに押し付けた。そして抵抗する間も無く、強引に唇を奪う。

「んんっ……や……!」

 突然の事に一瞬頭の中が真っ白になったが、これが妹に対する口付けではあり得ぬ事を、直ぐに理解した。

 貪るように落とされるクリユスのそれから逃れようと、ユリアは必死にもがいたが、細身に見えても屈強な兵士の一人なのだ、幾ら力を込めてもびくともしない。それどころか片手で簡単に両手首を掴まれ、抵抗は呆気なく封じられてしまった。

「んっ、んん……!」

 更にもう片方の手で下顎を摘ままれ、僅かに開いたユリアの口に舌が割り入ってくる。以前突然奪われた時の様な、触れるだけの軽い口づけとは違う、激しい口づけだった。

「クリ……、や、いやだ……!」

 手首を掴む力が僅かに緩んだ隙に、体を捩り、床に転がり落ちるようにして逃れた。息を乱すユリアの前に、こんなことをしておいて眉ひとつ動かさず冷ややかなままの顔のクリユスが、すっとしゃがみ込む。伸ばされたその手に、ユリアは思わずびくりと身体を震わせた。

「どうですか、ユリア様。私は嫌がる貴女にこのようなことを平気で行なえる男なのですよ。貴女はそれを、知っていたというのですか」

 伸ばされた手は、乱れて顔にかかるユリアの金の髪をするりと撫で付けた。

「……知って、いる」

「え?」

 怪訝な顔をするクリユスを見据え、ユリアは息を整えながら、何とか口にする。

「お前がこんなことをする理由は分かっている。お前は、私に嫌われた方が楽なのだろう」

「………」

「だがそれが分かっていてお前を嫌ってやる程、私は親切な人間ではない。私はお前を頼りにしているし、お前が必要だ。それに、それ以上にお前が好きなんだ、クリユス」

「何を、貴女は……」

 クリユスは目を逸らすと、ユリアの視線を断ち切るように、そのまま立ち上がった。

「貴女は、いつまでそうなのですか。いつまでそのように甘いことを言っているのです。そのような言葉に私が絆されると尚も思っているのだとしたら、考え違いも甚だしい。貴女は他人を信用しすぎると、今まで私が何度も忠告したのをお忘れですか。だからこうして痛い目にあうのだということを、そろそろ理解したらどうなのですか」

 ユリアを見下ろすクリユスの目は、今まで見たことが無いほどに冷たい光を放っていた。その口調には怒りが混じっているのを感じた。

「けど、私にとってお前は他人などでは無いじゃないか。お前だってそうだろう、本当に情を切り捨てた相手に、そんな風に憤ったりする男ではないだろうに」

 ユリアの必死の言葉に、クリユスはうんざりといった表情で溜息を吐く。

「……もう、結構です。これ以上貴女と話を続けていても、堂々巡りでしかない。貴女が我等に協力して頂けるというのならそれで結構。ただし結果どのような事になろうとも、こんな筈ではなかったと後で騒ぎ立てぬようにして下さい」

「分かっている」

 ユリアが頷いたその時、扉が叩かれ再びダーナが顔を覗かせた。手にはティーセットを持っている。

「まあ、お二人ともどうかなされたのですか?」

 不穏な空気を感じ取ったのか、ダーナは心配そうに首を傾げた。

「何でもありませんよ、ダーナ様。私はこれで失礼致します。折角お茶を用意して頂いたのに、申し訳ありません」

 頭を下げると、クリユスは部屋を出て行こうとする。

「クリユス」

 名を呼ぶと、立ち止まり顔をこちらへ向けた。

「お前が今頭で描いている筋書きは、以前のものと変わっているのか?」

 そう問うユリアの瞳をクリユスは少し見詰め、だが「失礼致します」とだけ口にすると、何も答えずそのまま部屋を出ていってしまった。


「ダーナ、その茶を私にくれないか」

 ユリアは疲れたように、椅子に座り込んだ。

「はい、勿論です」

 ティーポットの茶をカップに注ぎながら、それでも不安げな顔をするダーナに、ユリアは笑ってみせる。

「本当に何でもないんだ、ダーナ。クリユスにこれからも協力する事を告げて、それを承知させただけだ。心配はいらない」

「そうですか、それならばいいのですが」

 にこりと笑みを見せ、ダーナは紅茶をユリアに差し出した。それを受け取り、口につける。

 心配ない、と言ったものの、本当はユリア自身不安で一杯だった。

 以前、同じようにユリアに不信感を抱かせるような態度をクリユスが取った時、和解した後に彼はこう言ったのだ。

『これで俺が用意していた筋書きを修正しなくてはいけなくなった』と。

 その時は特に気にしていなかったが、クリユスが用意していたその“筋書”とは、いったい何だったのだろうか。

 一度はその筋書を捨て、ユリアの“兄”に戻ったクリユスが、今また離れていってしまった。それはつまり、その“筋書”を書き換えることが出来なくなったのではないだろうか。

 その“筋書”を知らなくてはいけない。そして書き換えねばならない。そうしなければ、クリユスがユリアの元から消え去ってしまうような、そんな予感がして胸が苦しくなった。




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