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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第四章
126/187

126: 夜襲2


 二つの剣は何度もぶつかり合い、激しい応酬が続いた。

 老爺が繰る剣は恐ろしく鋭く、重く、かと思えばハロルドの渾身の剣を、まるで真綿ででも受け止めたかのように、すっと力を奪ってしまう。

 一瞬隙でも見せようものならば脇から小剣が襲い掛かり、避けようと後ずさるとそこへ短剣が飛んでくる。

 変幻自在、まるで複数の敵と戦っているかのようである。

 終始押され気味ではあるものの、いやそうであればある程に、ハロルドの闘志は燃え上がっていった。

 最早フィードニアもトルバも、彼の頭の中からは消え去っている。たまに舞い上がった火の粉がハロルドの剥き出しの身体に降りかかり肌を焼いたが、その熱さえ気にならなかった。心の内の炎のほうが、それよりももっと熱いのだ。彼の頭の中には今、この老爺と剣を合わせ、そして倒すことのみしか存在しなかった。


 剣を弾き、弾かれ、合わさる剣からは無数の火花が散る。

 息つく暇など微塵もない剣の応酬は、既に一刻近く続いている。

 この小さな身体のどこにそんな力があるのか、老爺に押されて屈強な体格の男が、ほんの半歩分体勢を崩した。そこへすかさず小剣が伸び、彼は皮一枚のところでそれを避けた。

「くそっ……!」

 体勢を立て直し、気合を込め再び剣を振るう。

 老爺はそれを難なく受け止めると、簡単に弾き返した。

 ――――崩せない。

 心の中で、彼は舌打ちをした。

 剣の動きに緩急をつけたり、剣先の流れを一瞬ずらしてみたり、読み難い剣筋で相手の動きを崩そうと先程から何度も試みているものの、崩すどころか、一瞬の隙を作ることさえ出来ずにいた。

 しかも長丁場となれば、先に限界が来るのはこの小さな老人の方だと目論んでいたにも関わらず、これだけ剣を合わせていても、その息さえ一向に乱れる様子が無い。

「くそう……!」

 ハロルドは再び喚く。

 己の息が随分上がってきているのを、ハロルドは苦々しい思いで感じた。全神経を集中させ、持てる全ての力を注ぎ戦っているのだ、体力の消耗は思う以上に激しかった。

 もっと動け、と己の体に言い聞かせる。もっと、もっと動かせる筈だ。戦える筈だ。

 限界以上の力さえ出し、ハロルドは剣を振るう。どれ位戦っていたのか、気づけば、先ほどまで憎らしいほどに涼しげであった老爺の息が、やっとのことで乱れ始めていることを知った。

 ここからだ、ここからが勝負なのだ。

 そう思いはしたが、情けないことに彼の限界はとうに超えていた。

 既に思うように身体を動かすことが出来ずにいる。今はただ、気力のみで剣を動かしているだけだった。

「ハロルド殿……!」

 遠くで己の名を叫ぶ声が聞こえ、ハロルドははっとした。

 全神経を研ぎ澄ましているつもりだったが、あるいは朦朧としていたのかもしれない。

 しまった、と思った時には遅かった。咄嗟に僅かに身体を捻り急所は避けたものの、老爺が繰り出した短剣は深々と彼の右肩に突き刺さった。

「く……!」

 追撃の剣は辛うじて跳ね返す。だが利き腕側をやられたのはまずかった、この状況でこれ以上この老爺と戦うことなど、到底無理だと判断せざるを得ない。


 ――――負けたのだ。


 ハロルドは深い息を静かに吐くと、剣を放り出した。そして掌をひらひらと振ってみせ、もう戦う気が無いことを示す。

「好きにしろ」

 彼は顎を上に向け、首を伸ばした。

 これ以上足掻くことは、武人としての己の矜持に傷が付くだけだ。

 野望も半ばにしてこんな所で終わるのか、という未練が無いといえば嘘になるが、それも天命、ここまでの男だったというだけのことだ。

 潔く負けを認め、既に死を受け入れている男を前に、老爺は目を細め剣を向ける。

「ほう、これは諦めの良いことよ。皆が皆こうであるなら、有難いのだがのう」

「ふん…くだらん事を喋っていないで、さっさと首を持っていけ」

 相手を見据えたままのハロルドに、老爺は幾分楽しそうに口の端を上げた。

「ではそうする事としようかの」

 言うが早いか、老爺は低い姿勢のまま、ハロルドに向かい飛び掛る。

「―――――ハロルド殿!」

 今度は先程よりも近くで彼の名を叫ぶ声が聞こえ、ぎんと高い音が響いた。

 老爺の剣を弾かせた弓矢が、地面に落ちる。続いて飛来した弓矢を、老爺は後ろにひらりと飛びかわした。

「何をしているのですハロルド殿、この様な所で死んでもらっては困ります!」

 弓をつがえ立っていたのは、他でもない彼をこの戦場へと招き入れた男、クリユスだった。

「後ろへお下がりください、早く!」

 クリユスは矢継ぎ早に弓矢を放ち、老爺を更に後退させる。

 そして二人の男の間に割って入ると、地面に転がっていた剣を蹴りハロルドへ寄越した。

「クリユス、だが俺はもう……」

 足元に転がる己の剣を見下ろしながら躊躇している彼に、金髪の男は間髪入れず叱責する。

「この際あなたの矜持などどうでもよろしい。剣をとりなさい、そしてみっともなくこの場を生き残るのです。あなたはこれからのフィードニアを率いて頂かなくてはならぬのですから!」

 その言葉に突き動かされ、思わずハロルドは剣を手にした。

 これからのフィードニアを、率いる――――。

 再び心に火がついた。目が覚めた思いがした。

 そうだ。今の自分はただ己の野心のみを背負っていた、かつてのシエン国領兵軍の一兵士であった己ではないのだ。今この俺の背には、数万の国王軍、数十万の領兵軍の命をも負っている。

 フィードニア国王軍副総指揮官――――解っていたつもりだったが、解っていなかった。その責任を、その重さを。

「そうだな、まだ、死ぬわけにはいかん」

 ハロルドは再び剣を構え、老爺を見据えた。

「気が変わったぞ、やはりこの首はやれん」

 既に戦う力など残ってはいなかったが、それでも最後の最後まで諦めぬことが、上に立つものの責務であろう。

 クリユスが弓を剣に持ち替え、老爺へ向かっていった。それに合わせ、ハロルドも飛び掛る。

 二人の男からの攻撃に、老爺はひらりと退いた。

「ふむ、流石に二人を相手にするのはちと骨が折れそうじゃのう。まあよい、わしらの役目は十分果たした。ここは引く頃合じゃの」

 そう言うと、老爺は懐から小さな笛を取り出し空に向かって吹いた。その合図に呼応し、暗殺部隊の兵士達は瞬く間に柵の向こうへ消え去る。

「なかなか面白い男達が居る国じゃのう」

 消え去る前に、ハロルドの方をちらりと見やると、老爺はにやりと笑った。そして身を翻すと、暗部の末尾に混じり消えた。

 後を追おうとする兵士達を、ハロルドは制止する。

「深追いをするな、これ以上犠牲者を増やす訳にはいかん」

 気付けば東の空が既に明るくなっていた。数刻―――いや一、二刻の後には、トルバ本軍が再び攻めてくるに違いないだろう。

「各隊、被害状況を早急に調べ報告しろ! 救護隊は後方に新たに救護所を設置し、怪我人をそっちへ運ばせろ」

「は!」

 やらねばならぬことは多い、兵士に休息を与えている暇すら無かった。

「ハロルド殿、あなたも肩の怪我を治療せねば」

「ああ…そうだな」

 クリユスに言われ、ようやく己の傷を思い出した。

 止血をし上着でそれを隠す。剣を握り締めてみたが、感覚が薄い。

 被害の報告を待つまでもなく、今回の夜襲でフィードニアが半数近くの兵士を失ったことは明らかだった。

 この状況で、戦えるのか―――――。

 ジェド率いる別働隊の到着を待つまで、果たして我らは持ち堪えられるのか。

 持って数日、いや実際のところ今日の陽が沈むまで持ち堪えられるかどうかさえ定かでは無い。

 これ以上兵を失う前に、撤退すべきか。それとも別働隊到着に賭け、このままここで耐えるべきか。

 別働隊が数日のうちにここへ到着する保証などどこにも無い。到着したとしても、我らが全滅などしていようものなら、いかにジェドといえどトルバを攻めることなど無理だろう。

 しかし、ここで撤退し態勢を整えたところで、フィードニアが新たな兵を増やせる訳でもない。寧ろその間にトルバは更なる連合国の援軍を得、益々攻めることが困難になるだけなのだ。

 トルバを叩くには、東方の国々がティヴァナ国に注意を向けている、今の機を逃すわけにはいかなかった。


 引くことも、留まることも茨の道だ。

 ――――あなたはこれからのフィードニアを率いて頂かなくてはならぬのですから。

 ハロルドはその言葉を噛み締める。

 今、彼の決断にフィードニアの未来が委ねられていた。





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