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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第四章
116/187

116: 決別


 警備の強化を口実に、その日からユリアの部屋の前に数名のフィードニア兵士が立つようになった。

 クリユスの画策を何とかフィードニアへ伝えたいと思うのに、バルドゥルは兵舎の方へ移され、一度も会わせて貰っていない。事実上の、軟禁である。

「まあ、信じられませんわ。クリユス様が、そのような……」

 唯一ユリアの部屋へ通る事を許されている世話役のダーナが、ぽかんとした声を上げた。

 彼女にバルドゥルと連絡を取ってもらおうかと思ったが、どうやら彼女もユリアと己の部屋の行き来しかさせて貰えないようだった。

「私だとて、とても信じられない。だが事実なのだ」

 クリユスとラオはティヴァナから逃げて来たのではない。フィードニア国王軍の兵士になりながら、その実今でもティヴァナ国王軍の兵士なのだ。

「けれどラオ様は、あれ程にジェド様と共に戦うことを楽しんでいらしたのに……。クリユス様はともかく、ラオ様はそのような偽りを成される程に器用な方だとは思えませんわ」

 納得出来ぬとばかりに、ダーナはきっぱりとそう言う。

 確かにユリアの目から見ても、ジェドを慕うラオの姿が偽りであるとはとても思えなかった。しかし今まで兄のように慕い、信じ切っていたクリユスの裏切りを知ったばかりなのだ。何が真実で、何を信ずれば良いのか、もう何も分からなかった。


「ユリア様、失礼致します」

 ノック音の後に、当のクリユスが扉から顔を覗かせる。

「何の用だ」

 どういう顔をして良いのか分からず、思わず顔を逸らしたユリアに、クリユスは苦笑しながら肩を竦めた。

「そうつれなくなさらないで下さい、騙していたことは事実ですが、ユリア様のお役に立ちたいと思っていたのも、また事実なのですから」

「私の役に立ちたいだと? 確かに私はジェドの失脚を望んだが、フィードニアがティヴァナの属国になる事までは望んでいない」

「おや、御冗談を」

 クリユスは冷ややかな目をユリアに向ける。

「幾ら国王軍を強化した所で、ジェド殿を失えば戦力の低下は免れない。それは分かり切った事であるのに、それでも彼の失脚を望んだのは貴女自身ではありませんか。そこにつけこまれるのがお嫌なのでしたら、ティヴァナをも倒しハイルド大陸東の地全土を掌握するしかない。ならば貴女は、追われたとはいえ故国であるティヴァナを、私に倒せと仰るおつもりだったのですか」

「それは……」

 ユリアは言葉に詰まった。

 言われてみると、確かにその通りだ。連合国との戦いばかりが頭にあったが、ティヴァナとの同盟が成り、連合国との戦いが終結すれば、それで全てが収まる気でいた。

 ジェドが軍から離れた後、例え両国の力の均衡が崩れたとしても、それ故に一度結ばれた同盟が破られることになるとは思いもしなかった。ましてやクリユスが己の故郷であるティヴァナと戦うことになるやもしれぬなど、考えもしなかったのだ。

 なんと浅はか、なんと考えなしだったのだろう。これでは裏切り者とクリユスを責めることなど、私に出来る筈がない。

 今更ながらに、いかに自分が己のことしか考えていなかったのかを思い知り、ユリアは深く恥じ入った。

「そのような顔をなさらないで下さい、ユリア様。私は貴女を責めたい訳ではありません。ただフィードニアとティヴァナ両国の戦いを避ける為には、仕方の無いこともあるとご理解頂きたいだけなのです」

「そんなの……そんなの、私には分からない」

「ユリア様」

 例えティヴァナと同盟を結び連合国と勝利しても、その後ジェドを国王軍から解放してあげることは、両国の力の均衡が崩れ、事実上フィードニアがティヴァナの属国となることを意味する。

 しかしそもそも同盟を結ばなければ、連合国との戦いに勝利することは随分困難になるだろう。少なくとも、戦いの終結は遥かに遠退いてしまう筈だ。

 かといってジェドをこのままずっと国王軍へ縛り付けておくことなど出来ない。それだけは絶対に嫌だ。

 ではどうすれば良いのだろう。いったい私はどうしたらいいのだろう?

 色々な思いが頭の中をぐるぐると駆る。直ぐに答えを導き出すことなど、ユリアには出来なかった。

「お願いします、ユリア様。クルト王の署名が入った同盟の証書を、こちらへお渡し下さい」

 口調は丁寧だが、それは「願い」などというものではなく、強制に近いものだった。

 その証書にティヴァナ王の署名が入れば、両国の同盟は晴れて締結となる。数日前までそれを強く望んでいたというのに、今はこれが正しい道なのかさえ分からずにいた。

「少し、考える時間をくれないか」

 目を背けるユリアに、クリユスは小さく溜息を吐く。

「構いませんが、なるべくお早くお願いします。決断が遅れれば遅れる程、戦いが長引くということをお忘れなく」

「わ、分かっている」

 クリユスの目が、「あまり待たせるようなら、いずれ実力行使に出させて頂くことになりますよ」と告げていた。決断を先送りにしたところで、最終的に同盟を結ばざるを得なくなるだろうことは分かっている。それでも、今ここですんなりと証書を渡し、同盟を結ぶ事には抵抗があった。

「では、私はこれで失礼します。同盟が締結されましたら、私は直ぐにフィードニアへ戻ります故、この国で貴女にお会いするのはこれで最後になるかもしれませんね」

「戻るのか、フィードニアへ。……そしてまた皆を騙すのか」

 思わず口から出た非難めいた言葉だったが、クリユスの眉ひとつでさえ動かす効果は無かった。しかし代わりに、彼は少し寂しげな微笑みをユリアに向ける。

「ユリア様、どうぞお元気で。……貴女との約束を守れず、申し訳ありません」

 クリユスはユリアの手を取ると、彼女の指にそっと口づけた。

「クリユス、待……」

 部屋から出て行こうとするクリユスを呼びとめようとし、だが寸でで思いとどまり口を噤む。

 ――――君の傍から、離れるようなことはしない―――

 それは初めから、守られることのない約束だったのだ。

 クリユスの裏切りを知ってからも、本当は何か別の意図があるのではないか、真実では今でも私の味方なのではないかと、そう心のどこかで思っていた。そう、以前クリユスを疑うことになった時のように、わざと嫌われようとしているのではないかと。

 はっきりとティヴァナの事情を聞いた今、そんなことがある筈無いと分かってはいても、どうしてもその思いを捨てきれなかったのだ。

 だがクリユスのあんな顔を見てしまったら、あんな寂しげに微笑む彼の顔を見てしまったら、もう真実を否定することは出来ない。クリユスの語る全ては真実だったのだと理解せざるを得ない。

 彼はティヴァナの人間なのだ。そしてフィードニアを利用しようとしているのだ。

 もう引き留めることは出来ない。ユリアは立ち去るクリユスの背中を、ただ黙って見送るしかなかった。




「ユリア様、そろそろティータイムのお時間ですわ。紅茶を入れましたので、一息ついて下さいませ」

 ティーセットを机に並べながら、ダーナはにこにこと笑う。緊迫した空気が一気に抜け、脱力感を感じた。

「ダーナ、そんな呑気な事を言っている場合では無いんだ」

 そう言いつつも、言われるままにユリアは椅子に腰かけた。紅茶の良い香りがユリアの心を幾分か和らげる。

「まあ、ですが難しく考えても仕方がありませんわ。証書をお渡しして、同盟をお結び下さいませ。ユリア様は、その為にわざわざ遥か遠方のこの国へやって来たのですから。その後のことは、その後お考えになれば良いのです」

「ダーナ……」

 この数日散々悩んでいたことに、こうもあっさりと答えられてしまうと拍子抜けしてしまう。

「しかしだな、事はそう簡単には……」

 ユリアはこめかみを指で抑えながら、更にお菓子を勧めてくるダーナに反論しようとしたが、ふと思い直した。

 いや、案外それで良いのかもしれない。

 ひとえに同盟と言っても、その思惑はその国々により様々異なるものだ。今のところフィードニアとティヴァナは、連合国を倒すという目的までは一致している。今回たまたまその先の思惑まで知ってしまったが、ダーナの言う通りそれはまたその時に解決すべき問題なのかもしれない。

 なんにしても現時点で全ての問題を解決することなど到底出来はしないのだ。ならばまずは一つづつ、今己に出来ることをやっていくしかないのだろう。

 ユリアは紅茶を手に取ると、ふっと一息ついた。

「やはり私はダーナには敵わないな」

「まあ、なんなのです」

 ダーナは不思議そうに顔を小さく傾げた。

「ダーナが私の傍に居て良かったと言っているんだよ。私はどうも直ぐ悩んでしまう癖がある」

「あら、まあ。私もユリア様のお傍にいられて幸せですわ」

 にこりと笑うと、ダーナは紅茶のお替りをカップに注いだ。やはり、どこかダーナには敵わない。そんな気がした。

 ユリアはそれを飲み干し、そして意を決したように立ち上がると、部屋の外に居る護衛兵に声をかけた。

「王に謁見を願います、どうぞお取次ぎを」

「は」

 警備兵の一人が敬礼をすると、ユリアの伝言を王に伝えるべく、その場を離れて行った。


 これで、両国の同盟は締結される。

 大きな戦いが始まり、そして終わった先に何が待っているのかは、まだ分からない。

 その時、クリユスは私の敵となっているのだろうか。兄とも慕う彼を、私は敵と出来るのだろうか。

「それもまた、その時に考えることだな……」

 今はただ、この遠き地から大切な人達の無事を祈るばかりだ。








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