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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第四章
108/187

108: ティヴァナの王1


 ティヴァナの王都サルムは、元々小国であった名残が見え隠れするフィードニアの王都とは違い、まさしく大国の名に似つかわしい程に広大であり、活気溢れる街だった。

「まあぁ、なんて素晴らしいのでしょうか。見て下さいませユリア様、あの建物の立派な事!」

 ユリアの向かい側で馬車に揺られているダーナが、うっとりと溜息を洩らした。

「そうだな」

 ラーネスでフィルラーンの修行をしている頃、よく抜け出しては国境沿いの街へ出かけていたが、辺境の地にしては栄えていた事を思い出す。

 隅々まで豊かな国なのだ、このティヴァナという国は。

『ティヴァナはプライドが高い』と言ったクリユスの言葉を、ユリアは噛みしめた。

 ただ大国であるだけでない、歴史ある大国なのだ。昨日今日領地を広げた、言わば成り上がりの国と同格に並べられては堪らぬという気持ちも、分からぬではない。


 王都へ入り随分馬車を走らせ、やっと王城の門へ辿り着いた。

 王城の大きさ、格式高さもまた、いわんやフィードニアとは比べるべくもない。

 緊張の余り固まってしまったダーナは、控えの間で「お供の方はこちらでお待ち下さい」と言われた兵士の言葉に、寧ろほっとした様子を見せた。

「お待ち下さい、私もここで待てと? 馬鹿な、ユリア様をお一人にする訳には参らぬ」

 バルドゥルは喰ってかかったが、ユリアは彼を治めた。

「私ならば大丈夫です。敵の中へ飛び込む訳ではありません、同盟を願い出に行くだけなのですから」

「いえ、しかし……」

「私が一人で王の御前に出向く事は、こちらに敵意が欠片も無いことを示すことにもなるでしょう。私一人で参ります」

「は……」

 有無を言わせぬユリアの態度に、バルドゥルはしぶしぶ引き下がったが、それでも「では、せめて護身用の短剣だけでもお持ち下さい」とそっと耳打ちしてくる。

「大丈夫だと言っているでしょう」

 ユリアの身を守れと、余程クリユスに念押しでもされたのだろうか。バルドゥルのあまりの警戒ぶりに思わず苦笑する。

 しかし相手を信用しない者が、逆に相手に信用される筈も無い。

 クリユスのように知恵を持たないユリアが出来る事といえば、ただ只管に誠意を見せることのみなのだ。


 

 控えの間から更に奥へと廊下を進み、ユリアは謁見の間へと通された。

 五十人程は入れるであろうその広い部屋には、入り口から奥の台座にかけて、赤く淵に二本の金色の線が入った敷物が敷かれており、その両脇にはずらりと一列に人が並び立ち、ユリアを迎えた。

 向かって右側はがっしりとした体躯をした、軍人らしき男達が並んでいる。そして左側はそれとは逆に、細身であったり肥えていたりと、様々な体型をした男達が並んでいた。彼らは一様に、足元まである長い橙色の衣を身に纏っている。恐らくこの国の政務官達なのだろう。

 ユリアは小さく息を吐き出すと、ゆっくりと赤い敷物の上へ足を踏み出した。

 両脇の男達はその場に立ったまま、揃って頭を下げている。

 ティヴァナでは王族以外にフィルラーンの顔を直視する事が許されていないという。今手を引いてくれるバルドゥルがいない為、ユリアはラティを浅く被っており、顔を隠してはいない。この低頭は、礼を取っているというよりは、ただ単にフィルラーンの顔を直視する事を避ける為に過ぎないのかもしれない。

 跪くでなく、あくまで立位のままの低頭であるという所に、フィルラーンとはいえ格下の国からの使者に対し過分な態度は取れぬという、彼らの矜持が見え隠れしているような気がした。

「ティヴァナはプライドが高い」と言ったクリユスの言葉を思い出し、ユリアはそっと苦笑した。

 これは、先が思いやられそうだ。


「フィードニア国王の名代として参りました、ユリアと申します」

 台座の上に据えられた玉座に座するティヴァナの王へ向かい、ユリアは丁寧に頭を下げる。

「うむ。遠路遥々御苦労であった。よい、頭を上げられよ」

「はい……」

 とうとうティヴァナの王との御対面である。ユリアはゆっくりと頭を上げると、息を呑み込んだ。

(これが、ティヴァナの王――――)

 年の頃は恐らく五十代、白髪交じりの黒い髪を後ろに撫で付け、顔の下半分は髭に覆われている。身体を足元まで覆うゆったりとした衣服を着てはいるが、身体の厚み、首の太さや掌の無骨さからは、その身体が鍛えられたものであるだろう事が充分想像出来た。

 王というより、まるで軍人のようである。剣を手に取り、戦場を駆ける姿がさぞや似合うであろうと思えた。

「我がフィードニア国王よりの書状をお持ち致しました、どうぞお受け取り下さいませ」

 ユリアは恭しく書状を目の前へ差し出すと、再び頭を下げる。脇に控えていた政務官の一人がそれを受け取ると、王の手へと運んだ。

「ふうむ、同盟のう……」

 王はちらりと書状に目を走らせただけで、政務官の手へ再び戻してしまう。

「さて、我が国に同盟を求めるのならば、その前に貴国は我が前に差し出すものがあるのではないか」

 貢物の事を言っているのだと、ユリアは思った。

「はい、それは勿論、我が国選りすぐりの特産品や装飾品などを―――」

「そうではない」

 しかしその言葉は王により早々に遮られる。声を張り上げた訳でもないのに、その声には威圧感があった。

 嫌な予感がユリアの胸に過ぎる。それは、つまり―――――。

「貴国に我がティヴァナの罪人が紛れ込んでいるであろう。聞くところによると、ぬけぬけと国王軍で匿われているそうではないか。その二人を、こちらへ引き渡して貰おう」

「―――――」

 やはり、クリユスとラオの事を言っているのだ。

 掌に、じわりと汗が滲み出る。

『国を出て一年半、今更こんな卑小な私の存在など、誰が気にするでしょうか』などとクリユスは呑気な事を言っていたが、王の娘に手を出してしまった男の罪が、そして罪人となった彼を逃がした者の罪が、幾ら時が経ったからといって消え失せている筈が無い。

 二人が現在フィードニアに居るという事実が、遠国であるティヴァナにまでは届いていない事を願ってはいたが、フィードニアでの彼らの活躍を思えば、その可能性も少ないものだ。この言葉が出るのは、ある程度覚悟していた。していたが――――。

 クリユスの奴、よくもこのように屈強そうな風体の王の娘などに、易々と手を出せたものだ。どこまで女好きだというのだ、節操の無い愚か者め。

 内心腹立ちはしたが、目の前に座る王の、この太い両腕で八つ裂きにされるクリユスの姿を思わず想像し、ユリアは思わずぞっとする。

 ここは何としても、二人を差し出す訳にはいかない。何とかしなくては―――。


 ユリアはドレスの裾を軽く持ち上げ会釈をすると、ティヴァナの王の目を見据えた。

「―――――ティヴァナの王よ、それは到底出来ぬ事でございます」

「なんだと」

 王の顔が険しいものになったが、ユリアは気にせずに続ける。

わたくしがここへ使者として参りましたのは、ひとえに戦いが一日でも早く終息し、犠牲者を一人でも減らすことが出来ればとの願いからに他なりません。故に彼らを引き渡すことは、己の願いに自ら反する行為でしかなく、そして彼らを犠牲にして同盟を成すなど、神がお許しにならぬ事でこざいます」

 ユリアは顔を上げ、背筋を伸ばし、精一杯のフィルラーンとしての威厳を示す。

「それに彼らは、我が国において“清め”の儀式を受け、既にいかなる罪をも清められております。神がお許しになった者をなお御咎めになるというのは、神に背く事となりましょう」

 むろんユリアとて、こんな主張が通るとは思ってはいない。“清め”はあくまで魂を清めるものであって、この世の罪を無にするようなものではないのだ。

 しかし信仰心の強いこの国ならば、そうと分かっていたとしても、フィルラーンの言葉を頭から否定することなど出来ぬに違いなかった。

 ならばユリアが刺したこの釘は、ティヴァナへ潜入したクリユスが万一捕らえられてしまったとしても、即処刑という最悪の事態だけは防げる筈なのである。

「ううむ……清め、のう……」

 眉間に皺を寄せた王は、思案するように目を右端へ泳がせた。先程までの威厳がほんの少しではあるが、削がれたようにユリアには感じられた。これは予想以上にはったりが効いたのかもしれない、そう淡い期待を抱いた時、

「恐れながら」

 凛とした青年の声が、その場に響いた。


「なんだ、リュシアン執政官」

 そう言われ頭を上げたのは、先程書状を王に手渡した政務官である。

 背は幾分低めであり、勝気そうな目は青く、鼻は鷲のくちばしの形をしている。金の髪は少し癖があるが、それでも毎日丁寧に梳かれているのだろう、艶があり、どこか身綺麗である。どうやら身分の高い青年であるようだった。

「恐れながらこのリュシアン、御使者殿に申し上げたき事がございます」

「うむ、なんだ。申してみよ」

「は……」

 リュシアンは、ちらりとユリアの方を見た。

「確かに、御使者様の仰る事が誠に事実だと致しましたら、一国の王としては神に背く行為をなす訳にはいかぬでありましょう。しかしどうでございましょうか、愛娘の受けた心の傷を憂う一人の父として、ただ謝罪を求めることさえも、神に背く行為になりましょうか」

「―――いえ、しかしそれは……」

 再び掌にじわりと汗をかく。一時の方便に過ぎぬと分かり切ってはいても、そのような言われ方をしてしまっては、これ以上拒否し続けることは難しい。

 やはり私には、駆け引きじみたことなど、クリユスのように上手くはやれないのか――――。

 言葉に詰まるユリアとは逆に、王の目からは先程ちらりと見せた心の揺らぎなど、既に消え失せている。

「うむ、そうだな。わしはただあの男の謝罪を求めておるだけなのだ。安心するが良い、フィルラーンの使者よ。神の子である其方に免じて、こちらに二人の身柄を引き渡したとしても、即処刑などという事にはならぬよう致そう」

 処刑にはならない。本当だろうか、それは。

 ここまではっきりとそう口にしたからには、本当に処刑は免れるのではないかという期待が、心を過ぎる。

 だが万一それが只の偽りに過ぎぬのだとしたら、甘言にまんまと乗ったユリアの所為で、クリユスとラオは命を落とすことになるのだ。

 とっさに答えを返すことが出来ず逡巡するユリアを、王がじっと見下ろしている。

(―――――――?)

 何だろう。ふと何か違和感を感じた。

 しかしその違和感の陰を捕らえる間もなく、王は再び口を開く。

「言うておくが、あくまで二人は引き渡さぬと言うのであれば、この同盟も受け入れる事は出来ぬぞ。確かにコルヴァスを筆頭に、連合を組んだ諸国が最近五月蠅くはあるが、しかしそれも我が国にとっては他国の手を借りねばならぬ程の大事だいじでは無い。つまりは同盟が成らぬとも、我らにとっては腹も傷まぬと言うことだ」

「はい……分かっております」

 そうなのだ、何としてでも同盟を結ばなくてはならないのは、フィードニアの方なのだ。

 だというのに、このままこれ以上つっぱねていたら、間違いなくティヴァナとの同盟など結ぶ事は出来ない。

 処刑はしないと言う王の言葉を信じ、ここは王の言葉に頷くべきなのか。

 いや、しかし確証が無い限り、二人を引き渡す事など出来る筈がない。

(――――どうしよう、なんと答えたらいい?)

 ユリアは掌をぎゅっと握りしめた。







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