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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第四章
107/187

107: ティヴァナへ7


 ユリアを乗せた船はフィードニアを出港してから二十日後、ティヴァナの隣国であるベスカに辿り着いた。

 小さな港にひっそりと船を着ける。久しぶりの陸地ではあるが、ここでは停泊はしない。勿論商船に扮したこの船にフィードニアの旗は付けてはいないが、ここは連合加盟国であるベスカである。目立たぬよう、クリユスを降ろしたら直ぐに港を離れなければならないのだ。

「クリユス殿、お気をつけて」

 傭兵のような簡素な衣服に、荷袋一つだけを肩に担いだ身軽な格好のクリユスに、バルドゥルがそう声を掛ける。

 バルドゥルはクリユスが部下の中で最も信頼している男のようだったが、そんな彼にも『連合国の動向を探る』という建前の目的しか話していないようだった。

「ああ、俺は大丈夫だ。それよりもバルドゥル、ユリア様を頼んだぞ。命に代えても彼女をお守りしろ」

「は」

 恭しくバルドゥルは頭を下げる。

「クリユス……」

 ユリアも彼に声を掛けてみたものの、後が続かなかった。ここでクリユスと別れなくてはならないことが、不安でたまらない。彼のやることに間違いは無いと信用してはいるが、一体何をするつもりか分からないせいで、どうしても不安が頭をもたげるのだ。

 しかし彼がこの後、ベスカ経由でティヴァナへ潜入するつもりだという事を知っているのは、ユリアとダーナのみである。ここで再び問い質す訳にもいかなかった。

「ユリア様、御使者としてのお役目、どうぞご尽力下さい」

「分かっている。何としてでも、同盟を締結させてみせる」

 差し出されたクリユスの手を、ユリアはぎゅっと握り返す。

 そうだ、クリユスのことばかりを心配してもいられないのだ。自分は自分の成すべき事を、しっかりと成さねばならない。

 幾分緊張した面持ちのユリアに、クリユスはにこりと笑った。

「一つ、お教え致しましょう。いいですか、恐らくティヴァナは今回の同盟を、すんなりと受け入れはしない筈です。ですが、本心ではティヴァナもフィードニアと同盟を結びたいのですよ」

「え?」

「ティヴァナはプライドが高い、それを覚えていて下さい」

「わ、分かった」

 ユリアは頷くと、その言葉を頭に刻みつける。

 ティヴァナも同盟を結びたがっている。そうと知っていれば、知らぬよりも確実に同盟の交渉がやり易くなるというものだ。

「それと」

 クリユスは声を落とすと、ユリアの耳元で囁いた。

「私の事はご心配なさらずに。後で必ず、ユリア様の元へ駆け付けますから」

「クリユス」

 追われる身であるクリユスが、どうやってティヴァナの中枢に会いに来るつもりなのだ、とは、ユリアは聞かなかった。

 代わりに本当だな、と問うように見詰めると、クリユスは返事を寄越す代わりに片目を瞑ってみせる。

 彼がそう言うのならば、再びユリアの前に無事に現れてくれるに違い無い。クリユスは約束を違える事はしない男だ、ユリアはやっと安心し、笑みを作った。

「良かった、やっと貴女の笑顔が見られました。それでは、私はそろそろ参ります。ユリア様、そしてダーナ様もお元気で」

 クリユスは優雅にお辞儀をすると、船をするりと降りた。

「クリユス様も、お気を付け下さいね」

 ユリアの後ろに控えていたダーナが、手を振って見送る。

 それに答えるように片手を上げたクリユスの姿は、その後直ぐに雑踏の中に消え、見えなくなった。












 そして更に数日の後、船はティヴァナ国のメルドバという港街に着いた。

 ベスカでは取り外していたフィードニアの国旗も、今は揚々と掲げられている。ここまでくれば連合国の手を警戒する事も無く、寧ろ御使者の船として堂々と入港したほうが安全なのだそうだ。

 船を港に付けると、驚いた事にそこには一個小隊程(二百~三百人)の兵士達がずらりと並び、ユリアを出迎えていた。どうやら事前にフィルラーンが使者として使わされる事を、ティヴァナへ伝えてあったようである。

「フィルラーンの御使者を出迎えるにしては、これでも少なすぎる位です」

 幾分不機嫌そうに、バルドゥルは言う。だが今回の同盟は、あくまでもフィードニアがティヴァナへこいねがう立場なのである。にも関わらずこれだけの警備体勢を用意してくれている事に、ユリアはフィルラーンに対するティヴァナの誠意を感じた。

 フィルラーンの聖地とも言えるラーネスが、ティヴァナの国境沿いにあることもあり、特に信仰が深い土地柄なのかもしれない。

 それを裏付けるかのように、フィルラーンの象徴であるラティを頭から被り、船から降りたユリアの前に、一個小隊もの兵士達は皆その場に跪き、誰一人として顔を上げようとしない。

「御使者様におかれましては、長旅御苦労さまでございました。王都まで、今しばらくの行程には私、ティヴァナ国王軍弓騎馬隊大隊長マルセル・アーヴァインが護衛に付かせて頂きます」

 一個小隊の一番前で低頭している男が、そう口にする。腰まで伸びた亜麻色の髪を、後ろで一本の縄のように編んでいる。兵士らしからぬ身なりのようだが、国が違えば装いや文化もまた異なるものなのだろう。

「フィードニア国王の名代として参りました、ユリアと申します。王都まで護衛に付いて頂けるとの事、ティヴァナ国王のお気使いに感謝致します。宜しく頼みますよ、マルセル殿」

「は」

 頷く変わりに、マルセルは更に深く低頭する。

「マルセル殿、良いのですよ、もうお顔をお上げ下さい」

 後頭部だけを見下ろしたまま、表情さえ読めぬ相手と会話をするのはどうにもやりにくいものだ。ユリアは顔を上げるよう促したが、マルセルは頑として上げようとはしない。

「いいえ、そのような訳には参りません」

 あくまで地面を睨みつけたままである。

「ユリア様、ティヴァナではフィルラーンの御尊顔を直視する事は王族や塔の者以外には許されていないのだと、クリユス殿が仰られておりました。ラティをもっと深く被り、お顔をお隠し下さい」

「何……」

 そっと耳打ちしてきたバルドゥルの言葉に、ユリアは目を丸くする。

 では王都へ着くまでずっと、この目を合わせようとしない、いやそれどころか顔さえも分からぬ者達に護衛されろというのか。ユリアにとって、それはいかにも奇妙に思えた。

「郷に入っては郷に従えと言います。ユリア様がお顔をお隠しにならねば、この者達はずっとこうして伏せたまま、動く事が出来ません」

「そうですわ、ユリア様、お顔をお隠し下さいませ。フィルラーンは神の御子である高貴なお方、ティヴァナの方々のお考えは尤もだとわたくしも思いますわ」

 バルドゥルに同調して、ダーナも頷く。何故かその目は嬉々としているように見えた。

「仕方が無いな」

 ダーナの勢いに押し切られたというのもあるが、確かに郷に入っては郷に従えというのは尤もな話である。ここは素直に従うべきだろうと、ユリアはラティを深く被った。

 しかし顔を隠すのはいいが、ラティは透ける素材ではない為視界が非常に狭くなる。これでは誰かに手を引いて貰わねば歩くことさえままならぬではないか。全く面倒なことになったものだ。

 ユリアが心の中でぶつぶつと文句を言っていると、ようやくマルセルが立ちあがった気配がした。

「それでは、馬車をご用意しておりますので、こちらへ」

「ユリア様、お手を」

 視界が悪いユリアを察し、バルドゥルが手を差し伸べてくる。ユリアはその手に掴まり、導かれるままゆっくりと歩を進めた。

 このまま人質としてティヴァナへ留まることになったら、こうやってずっと他人に手を引かれながら歩かねばならないのだろうか。そう思うと、着いた早々だというのに気が滅入ってくる。

 せめて、これから王都まで共に行くことになる男の顔くらいは知っておきたいと思い、ユリアはそっとラティの隙間から、一歩斜め前を歩くマルセルの顔を盗み見た。

 クリユス程では無いにしろ、鼻筋の通った綺麗な顔立ちをした男だった。長い髪といい、益々兵士らしからぬように思えるが、それでもこの大国の大隊長であるのだ。弓や剣の腕前は、相当なものであるに違いなかった。

 ふと、ユリアはマルセルの視線が、何かを探すように辺りを彷徨っている事に気が付いた。

「マルセル殿、どうかしたのですか?」

 思わずラティごしに問いかけたユリアに、マルセルははっとしたように視線を前へ戻す。

「いえ、何でもございません。御使者様に万が一にも危害など及ぶ事のないよう、辺りを警戒しておりましたが、胡乱な者などは陰もございませんでしたので、ご安心下さいますよう」

「……そうですか」

 その言葉に何となく違和感を感じたのだが、それが何かは分からなかった。

 クリユスがこの場にいたならば、この違和感に答えをくれただろうかと、そんなことをつい考えてしまい、慌てて打ち消す。

 後で必ず駆け付けるというクリユスの言葉を信じてはいたが、彼が王城へ来られる訳は無い。かといってフィードニアに居た時のように、ユリアの方がこっそり城を抜け出すというのも難しいだろう。

 だから実際に再びクリユスと会う事が出来るのは、恐らくティヴァナとの同盟を締結させた後になるに違いないと、ユリアは思っている。

 ここから先は、クリユスに頼る事は出来ない。何があろうと己の力で切り抜けるしかないのだ。

 ユリアは決意と共に、マルセルが用意していた馬車へと乗り込んだ。








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