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魑の鞘(ちのさや)  作者: 篠北凛
第一章
10/187

10: 舞踏会2

【人物紹介】

ユリア  …フィルラーン(神に仕える者)の少女。

ジェド  …フィードニア国軍総指揮官。フィードニア国の英雄。

ダーナ  …ユリアの世話役。

ラオ   …元ティヴァナ国軍副総指揮官。現傭兵。

クリユス …元ティヴァナ国軍弓騎馬隊大隊長(一級将校)。現傭兵。


ライナス …フィードニア国軍副総指揮官。

クルト王 …フィードニア国王。

メルヴィン…フィードニア国軍騎馬隊大隊長(一級将校)。国王の従弟。


 美しい音色が広間に流れ始め、美麗に着飾った男女が踊り始めた。

 広間が舞踏会の様相を呈してくる中、ラオとクリユス、ダーナの三人は雑踏から離れた広間の隅の方に居た。

「全く、お前という奴は冷や冷やさせやがって、寿命が縮んだぞ…!」

 ラオは眉間に深い皺を作り、先程から憤慨していた。

「ラオ様の仰る通りです…!本当に生きた心地がしませんでしたわ。何故打ち合わせ通りにお話しにならなかったのですか?」

 ダーナもラオに同調し、頬を膨らませている。

「やれやれ、女性に責められると弱りますね」

 クリユスは軽く肩を竦めてみせた。


 クリユスも、直前までは打ち合わせ通りの無難な理由で話を進めるつもりだったのだ。

 だが、フィードニアがティヴァナから遠く離れているとはいえ、王が我々の一件を耳に入れているという可能性も、無くはないとは思っていた。

 そして王が我々の名を聞いた時、ほんの一瞬面白そうな笑みを作ったのを、クリユスは見逃さなかった。

 王は知っているのだ。

 知った上で、我等がどのようなつまらぬ言い訳を話し始めるのか、試しているのだ。

 ティヴァナの副総指揮官及び一級将校が揃って国を出奔し、敵国へ士官を望むなどと、到底すんなり受け入れられるとも思われない。

 これら全てがティヴァナの策略の可能性が高いと、自分が王の立場だったら考えるだろう。

 だがそれ以上に、危険を冒してでも利用するに値する男達であるのかどうか、試そうとしているとも思った。

 

 消える寸前だった小国を、古くからの身分制度という慣習を廃し、実力主義の体制を打ち立てる事により大国にまで伸し上げた男だ。

 一筋縄ではいかぬ男なのだろう、とクリユスは思った。

 またそんな男の目に留まるには、自分もまた凡庸な男で在ってはならぬのだ。



 ふと、先程まで優雅に踊っていた男女が、その踊りを止め左右に別れ始めた。

 見ると、その開かれた空間に一組の男女が進み出てくる。

 一目で分かった。この男がこのフィードニア国の英雄なのだと。

 覇気というのだろうか、眼には見えない何か強い光を持っていると、クリユスは思った。

 だがそれとはまた別に、内側に闇を抱えているとも感じた。

 男は少女――ユリアの手を引き、皆の視線が集まる中、その輪の中央まで歩む。

 それはフィルラーンを守る英雄というよりは、英雄に従うフィルラーンの構図だった。

 

 男は中央で立ち止まると、ユリアに向かった。

「一曲、お相手願おう」

「……………はい、光栄でございます」

 ざわりと皆がざわめく。

 好奇と興奮、そして誇らしさの混じった視線を、皆は二人に投げかけた。

 なるほど、とクリユスは思う。

 ユリアのこの国でのポジションと、英雄と群衆との位置関係を、クリユスは瞬時に理解した。

 通常、格下の者が格上の者に踊りを申し込む事は出来ない。―――例え申し込んだとしても、その申し出を受ける者はまずいないだろう。

 権威の象徴であるフィルラーンを従わせるという事は、誰の目にも分かりやすい権力の証であるのだ。

 そしてまた、平民出身であるこの男を軍の総指揮官として在らせる為にも、この英雄という肩書が必要であるに違いなかった。

 そうでなければ例えそれがどれ程の実力を持つ男であったとしても、身分の低い者を頭に掲げる事を、古い慣習に浸りきった貴族達がそう簡単に良しとする筈が無いのだ。


 現に今も、群衆の中から英雄を忌々しげに見ている男がいる。

 国が以前の体制のままでいれば、総指揮官として今そこに立っていたかもしれない男だ。

「あの男、メルヴィンと言ったな……」

「何だ、急に」

 口の端を吊り上げ笑うクリユスに、ラオが不信気な顔になる。

「あの男は少しは使えるかもしれないよ、ラオ。…まあ、まだどれ程の男か分らぬ事だし、何とも言えないがね」

 ラオとダーナが、首を傾げながら顔を見合わせていた。


 クリユスは、中央で踊る男女へと視線を戻す。

 まるで一枚の絵画のように、美しい光景だと彼は思った。

 だがラーネスでフィルラーンとしての誇りを散々叩き込まれたであろうユリアは、これをどれ程屈辱に思っている事だろうか。

 大きな瞳を輝かせるようにして笑っていたあの少女に、翳りの色を与えたのは、その男なのか―――。

 皆から羨望の眼差しを受け優雅に踊る二人の男女の、その心内で飛び散る火花が、クリユスには見えるかのようだった。



「ねえ、あなた…ユリア様のお客人なのでしょう?」

 美しく着飾った貴婦人が、クリユスに声を掛ける。

「ユリア様とはどういった御関係でいらっしゃるの? どこでお知り合いになられたのかしら」

 また別の女性が口を開く。

 一人が声をかけたのを皮切りにり、次々に貴婦人達がクリユスを取り囲む。彼女達は突然現れた異国の男達に興味津々な様子だった。

「ユリア様がラーネスにいらっしゃった時に偶然知り合ったのですよ。我々はラーネス付近の国境へ務めておりましたので」

 クリユスはにこりと微笑んだ。

 彼の視線を受けた女性が、頬をほんのり紅潮させる。

「少し小耳にしたのですが、ティヴァナでは名のある軍人の方でいらっしゃったとか…」

「おや、お耳がお早くていらっしゃる」

「何故そのような方がこの国に?」

 矢継ぎ早に質問がクリユスに投げかけられた。だが彼はそれには動じる事無く、彼女達を菫色の瞳でゆっくりと見詰めた。

「さあ…元々の理由は有ったかもしれませんが、貴女方のような美しい女性と出会ってしまった今、全ての理由はその為だったのだと思えてなりません」

「まあ、お口がお上手でいらっしゃるのね」

「いいえ、貴女様方のお美しさが、この私を饒舌にさせるのですよ」

「おい、クリユス…!」

 ラオがいい加減にしろと言いたげに眉間に皺を寄せたが、クリユスはそれを無視した。そして婦人達の中で、一番身分が高いと思われる女性の手を取る。

「美しいご婦人をダンスへお誘いしたい所ですが、このクリユス今は何の名も無き身。お誘いしては失礼に当たりますでしょうか……?」

「まあ…! いいえ、フィルラーンであるユリア様のお客人でいらっしゃるのですから、お断りする理由など、どこにもありませんわ」

「そうですか、それは良かった」

 クリユスは、婦人の白い手袋の上へ口付けた。

  





「お前の客というあの男達は何者だ? 何故お前がティヴァナ軍の男などと知り合いなのだ」

 ジェドが踊りながら、ユリアに耳打ちをしてきた。

「お前には関係の無い事だろう。私が誰と知り合いになろうと勝手ではないか」

「勝手だと? 敵国の男だぞ、お前がティヴァナと密通していたと思われても仕方の無い相手ではないか。勝手で通る話では無い」

「馬鹿な事を…密通していた相手が、こうも堂々と我が国へ来る筈が無いだろう」

 表面上では穏やかに踊って見せている二人だったが、話す口調には刺々しいものがあった。

 たかが一曲踊る時間が、嫌に長く感じる。己の腰に回されたこの男の手を、今直ぐにでも引き剥がしたい衝動を抑えるのに、ユリアは必死だった。

 何故フィルラーンであるこの自分が、このような屈辱に甘んじなければならないのか―――。

 王のめいでさえ無ければこの様な事、殺されようとも受ける筈が無いものを。


「おい、もう少し楽しそうに笑えないのか」

 ジェドが不愉快そうに言う。

「英雄と踊っているのだ。もう少し、楽しそうな顔で笑って見せろ」

「例え振りでも、お前と踊って楽しそうな顔など出来るものか」

 只でさえ不快だったものを、その言葉は更にユリアを苛立たせた。

「そうか、お前はやはり只の女だな。政治的考慮も己の感情の前では関係無いという訳だ」

「わ……私が国の為に、どれだけ自分を押し殺して我慢していると……」

「だったら少しの間口の端を吊り上げておく事くらい、我慢して見せろ」

「な……………」

 屈辱で、眩暈がしそうだった。

 だがこの男に只の女よと見下される事も、我慢がならなかった。

 今自分の目の前に居るのは、あの憎き男では無いとユリアは己に言い聞かせ、無理やり顔に笑みを貼りつける。

 さあ、これで文句は無いのだろうとばかりに。

「………まるで人形だな」

 ユリアの必死の努力に対し、ジェドは冷笑を浮かべた。

「こ………この………」

 お前が笑えと言うから笑ってやったというのに、何故馬鹿にされなくてはいけないのだ。なんと嫌な男なのだろう。

 ユリアは笑みを作ったまま、目の奥に激しい怒りを燃やした。 



 音楽がやっと止むと、ユリアは早々にジェドから体を離した。

 片やジェドの方も、もうユリアになど用は無いとでも言わんばかりの態度である。彼女に背を向けると、振り返りもしなかった。

 用済み扱いされた事に腹立たしさは覚えたが、だが兎にも角にも、今日のフィルラーンとしての仕事はこれで終わったのだ。

 ユリアは気持ちを落ち着けるため、葡萄酒が注がれたグラスを一杯煽った。

「――――クリユスはどうしたのだ?」

 ダーナ達の元へ戻ってみると、クリユスの姿が見えなかった。

「………自称、情報収集へと向かったな」

 ラオが眉間に皺を寄せながらそう答える。

「また、女か……」

 人が屈辱の思いでジェドと踊っていたというのに、いい気なものだ、と思い、だが直ぐにその考えを打ち消した。

 クリユスの女癖の悪さは今に始まった事では無いのだし、そもそも自分が二人に手を貸して貰っている立場なのだ。

 彼に対しどうこう言うのは、只の八つ当たりでしかない。

「それにしても、やっぱりクリユス様は女性にお持てになるのですねえ……。先程から、何人の女性にお声を掛けられていらした事か…。でもそれも無理は有りませんね、あの美貌から出るあの甘い言葉の数々と言ったら、まるで物語に出てくる王子様のようでしたよ、ユリア様」

 ダーナがうっとりとクリユスを語るのを、ラオは苦い顔で聞いていた。

「女はああいうのが好きなのか…理解出来んな、俺には一生真似出来ん事だ」

「まあ、ラオ様も女性に囲まれたいのですか? ですがラオ様も、とても立派なお方ではありませんか。ラオ様を知れば、きっと世の女性達は貴方を放ってはおきませんわ」

「い……いや、俺は別に女に持てたい訳では……」

 真剣に言うダーナに、ラオは幾分慌てて言い繕った。


 この二人と居るうちに、ユリアの心は徐々に落ち着きを取り戻してきた。

 すると今度は、自身の体がふらつくのを感じる。普段飲まぬ酒を煽り、少し酔ってしまったようだった。

「二人とも折角の舞踏会なのだから、少し踊って来てはどうだ? ダーナもフィルラーンの世話役という役柄上、普段は中々誘ってくる男がいないからな。……私は少し風に当たって来たい。ラオ、暫しダーナをお前に預けるぞ」

「いや、俺は踊りは……」

「まあ、そうですわ。良い考えですユリア様。ラオ様、宜しければ是非私と踊って下さいな」

「いやだから…俺は踊りとか、そういうのは苦手でな…」

「得意かどうかなど問題ではありません。楽しめば良いのですよ。……それとも、私と踊るのはお嫌ですか?」

 ダーナにそのつぶらな瞳で覗きこまれたラオは、顔を引き攣らせる。

「いや、そんな事は……………ああ、くそ………!」

 ラオは自身の頭を掻き毟ると、ユリアに向かい一言、「恨むぞ」と呟いた。






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