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白銀の剣  作者: 沙伊
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第八話 暗闇の森にて

 ルインド領は、もともと豊かな土地ではないが、現在の財政は目に見えて逼迫している。

というのも、現在の領主、ルクンドは大変な浪費家だったのだ。

 ノドバーレイだけでなく他国のブリュドやレコキウスでもそうなのだが、先祖代々の土地を受け継いでいる貴族は、土地の管理以外の仕事をしていないことが多い。社交シーズン以外は基本的に自領の城ないし屋敷に引きこもり、部下に大まかな運営を任せて報告を聞き、時に土地運営に必要な決断を下す――これが、土地を持つ貴族の現状だ。

 勿論、全ての貴族がそうというわけではない。

 例えば、サーティスはノドバーレイの将軍職に就いており、軍事面では強い権限を持っていた。加えて、外国との交易を中心とした商売も手がけていた。後者はリュグス家が代々行ってきた事業だ。

 大きな家の貴族ほど、王宮の官職を持っていたり、兼業というものを持つ者が多いのだが、貴族の大半を占める中小の一族は先に書いたような生活を過ごしている。

 領地を持たない貴族もいるにはいるが、それは一族から独立、あるいは何らかの功績を立てて貴族となった者達だ。ようは個人か集団かの違いと言える。またその大半は王宮の官僚となっている。

ルクンドは官職も兼業も持たない人物だが、その中でも特に仕事をしない部類だった。

 領地経営は部下に丸投げ、自身は遊び呆けてばかり。貴族であることを振りかざして威張り散らし、本人には何の功績も実力も無いなど、典型的な駄目貴族である。

 更に、跡継ぎ時代からあった放蕩癖は当主になって磨きがかかり、法さえも無視するようになりつつあった。

 そんなルクンドが、まともに財産管理などできるはずもない。

 父から跡を継いで、僅か一年でルクンドは財産を喰い潰してしまった。

 弱小貴族の財産――とはいえ、平民からすれば莫大であり、先代以前は貴族としては質素な生活を送っていた。何もしなくても優に十年は暮らせるはずだったが、それほどにルクンドの遊興は酷く、そのありさまは 近隣――勿論リュグス家にも――伝わるほどだった。

 放蕩に財産をつぎ込むこと自体は珍しくない。しかし、彼のように当主になってすぐ蔵の中を空にする者はそうそういない。

 当然のように金に困り、縁類から無心したり、税収を上げたりして、何とか確保しようとするも、集めた傍から使ってしまうのだから結局苦しいままである。

 気付けば借金で首が回らなくなり、税が上がったことで民からの不満も膨らみ、もはや彼が領主を続けることは不可能かと思われた。

 そこに、王から一つの命令が下された。

『反逆者サーティスの娘、リリアナ及びそれに付き従う銀髪の女騎士を捕らえよ。どちらも確実に生きたまま捕らえるべし。完遂すれば借金を帳消しにし、その上で恩賞を与える』

 強欲なルクンドはそれに飛びついた。すぐさま提供された情報を元に、部下達を送ったのである。

 しかし、主とは裏腹に部下の騎士達の士気は非常に低かった。

 当然と言えば当然である。

 前述の通り、ルクンドはけっして褒められた人物ではない。その上金欠どころか借金まみれ。当然給金もまともに払われず、ただ横柄に振る舞うだけの上司に、忠誠心など湧くはずもない。

 それでもルクンドの元を離れないのは、もう彼らにはルクンドに仕える以外の選択肢が無いからだ。

 理由は様々であるが、もはや彼らにはほかの貴族に仕える、あるいは全く違う人生を探すという道は絶えてしまっているのだ。そんな余裕がある者は、とっくに去ってしまっている。

 だから、女子供を捕らえるという気の進まない任務もこなさなければならなかった。

 この仕事を完遂すれば、多少は生活が楽になるはずだ。給金がきちんと出るかは解らないが、少なくとも環境はましになるだろう。

 一時でもいい、僅かな改善でもあれば余裕ができるかもしれない。

 余裕ができれば、逃げられるかもしれない。

 それは、期待とも言えない期待だった。

 きっと裏切られるだろうという確信に満ちた、形ばかりの期待だった。

 結局のところ、彼らには現状を変革する意思も、救いを求める言葉も無かった。嫌だ嫌だと言いながら、とうに様々なものを諦めていたのである。

 これから期せずしてそこを突かれる形となるのだが、彼らにそれを予想しろというのがどだい無理な話だし、そもそも相手からしても予想外の幸運だったのだ。

 ともあれ、彼らの無気力な行軍は、想定外の形で止められることになる。


    ―――


 彼らが夜の森に足を踏み入れたのは、勿論夜襲をしかけるためである。

 生きたまま捕らえよと命じられている以上、下手に抵抗されては困る。夜陰に乗じて、混乱しているところを確保する心算だった。

 この森はけして広くない。幾ら夜といえどふたりの人間を見付けられないということはないだろう。夜だからたき火をしているだろうし、むしろ見付けやすいかもしれない。

 騎士達は馬を走らせるのではなく歩かせながら、慎重に森の中を進んでいった。

 そして、入って二十分もしない内に、遠くでぼうっと灯りが見えた。赤みがかった、炎の灯りである。

 騎士達は馬を止め、暗闇でよく見えない顔を見合わせる。そして忍び寄るため、馬から降りようとした時だった。

 まず空気を切る音、次いで何かが突き刺さる重い音、最後に馬の高い悲鳴が、連続して起こった。

 それらの音に、騎士達は反応できなかった。状況の一切を理解できなかったのである。

 馬が鈍い音を立てて倒れ、その音と騎乗していた騎士の悲鳴で、彼らは異常が起こったことに気が付いた。

 異常――すなわち攻撃。

 自分達は何者かの攻撃を受けたのだと、今この時認識したのである。

 たとえ悲観にまみれた思考であっても、彼らは長年訓練を続けた騎士だ。突然の攻撃に驚きはしても、それで総崩れすることはない。

 落馬した騎士も含め、矢が飛んできたであろう方向へ転向しようとした時だった。

 再び空を切る音。矢とは違う、質量を伴った音に騎士達が反応するより早く、馬の絶叫が上がった。

 先ほどは、音からして弓矢であろう。今のは、投石だろうか。

 そう彼らが認識したのは、二度目の投石によってついに馬が倒れ、騎士がまた地面に投げ出された後だった。

 馬が倒れるほどの威力。当たった場所にもよるが、それだけの威力を持つということは、おそらく投石器によるものだ。問題は、その石が矢とは全く別の方向から飛んできたということである。

 とはいえ、もとより相手はふたりと聞いている。片方は令嬢だが、簡単な作りの投石器ぐらいなら使えるだろう。

 むしろ、ふたりが離れているのは好都合、令嬢の方を押さえれば、女騎士の動きも止められるはず。

 だが、騎士達の思惑は、またも崩れることになる。

 再びの風切り音。矢の飛ぶ音である。また弓矢かと、最初に飛んできた方を見て身構えるが。

 またしても馬の悲鳴。最初の方向とも二度目の方向とも違う、全く(、、)()()位置(、、)()いた(、、)()()もの(、、)()ある(、、)

 ここでようやく、騎士達は事態の異常に気が付いた。

 彼らが聞いた人数は、ふたりだ。それ以上いるなどという話は聞いていない。なのに三方向から攻撃された。これはどういうことなのか。

「全員警戒を怠るな! いったん固まって――ぐおっ!」

 一番最初に落馬した小隊の隊長が起き上がると共に声を上げるが、直後に側頭部に投石を受けてしまった。兜のおかげで怪我はたいしたことはないが、衝撃で昏倒してしまう。

 騎士達はそこで完全に冷静さを失った。何より今の投石が、また新たな方向から飛んできたのが決定打だった。

 敵は複数いる――最低でも四人、もしかしたらもっといるかもしれない。五人か、六人か、はたまた十人、二十人か。

 そうなれば、今自分達は囲まれている状態になるのではないか。

「ま、的になるぞっ。身体を低く……」

 それでも、何とか立て直しをはかろうとたのは、震え声を張り上げた副隊長だ。

 そのまま発言通り馬から降りようとして、馬蹄が近付いてきているのに気付く。

 勿論この状況で味方だと考えるほど、彼は甘くない。慌てて剣を抜こうとするも、馬から降りかけていたのが災いして、体勢が崩れてしまう。

 そこへ、木々の間から一匹の馬が躍りかかった。

 馬は背に人間をひとり乗せており、フードで顔形は解らないが、その手には剣が一降り握られている。

 騎手は馬の速度とかけ合わせた勢いを利用した斬撃を、無防備にさらされた騎士の腕に見舞った。籠手と鎧の間を、馬を走らせたまま正確に狙ってみせたのである。

 騎士はそのまま、押し倒されるように落馬してしまった。

 一方騎手とその馬はその場にとどまらず、すぐさま走り去ってしまう。木々の間にまぎれてしまっては、この闇夜の中では追いかけることも難しい。

 一瞬ためらってしまった騎士達に、またもひとつふたつと投石がかけられた。その上、追い打ちとばかりに騎手の攻撃が襲いかかる。

 騎手はまたも鎧の隙間に刃を差し入れ、見事騎士のひとりを斬り付けてみせた。肩をやられた騎士は、たまらず落馬する。正確という言葉すら生ぬるい、線をたどるような精度の高さだった。

 騎乗しているのはもはやふたりだけ。落馬した者は生きているが、的確に馬を潰されてしまった。

 一方相手は飛び道具も馬もある。人数は複数で、少なくともうちひとりは恐ろしい剣技の冴えを持つ。そして何より無傷だ。

 飛び道具と馬、剣の腕はともかく、数に限れば想像の域を出ない。ただ複数箇所からの攻撃を受け、五体満足な様子の騎手をひとり見ただけである。

 しかし、もともと後ろ向きな思考にとらわれ、その上現状打破の望みさえ諦めていた彼らは、自分達が不利であるという考えをあっさり受け入れてしまった。

 彼らが取った行動は一つ。現状の逃避。

 すなわち、逃亡である。

 馬が残っている者は馬で。

 馬を失った者は足で。

 怪我をした者は這うように。

 とっくに行き場の無い彼らは、気を失ったままの隊長を置き去りにして、唯一の持ち物である自分の身を守るため、とにかくその場から逃れようと必死になった。

 こんなところで終わりたくない。ただ、それだけを考えて。


    ―――


「……なあんかあっさり行っちゃったわね」

 木の陰からそろりと顔を出したリリアナは、拍子抜けと言わんばかりの表情で呟いた。

「すぐに逃げてくれて幸いですよ。長引いていてはどうなってたか解りませんでしたから」

 別のところから顔を出したタリスが、ほっとしたような顔をしながら、仲間の“手足”にエイン達を誘導するよう伝える。彼女はすぐにいなくなってしまった。タリス本人は、置き去りにされた騎士を縄でぐるぐる巻きにする。

 タリスの言葉には同意のようで、それもそうね、とリリアナは頷き、遅れて出てきたミゼリアに笑いかけた。

「凄いわ、ミゼリア。貴女の策がこんなにうまくいくなんて」

「お褒めいただき光栄です」

 ミゼリアは淡く微笑み、頭を下げた。

 敵部隊を撤退させる――不敵な宣言をしたミゼリアはまず、人数分の飛び道具を確保した。

 もともと持っていた飛び道具――まず弓は、一番扱いに長け、戦闘を念頭に入れての訓練を積んでいるミゼリアが持つことになった。

 次に投石道具。もともとあったしっかりした、扱いやすいものはリリアナに使ってもらい、即席のものはタリスともうひとりの“手足”が持つことになった。

 最初はリリアナが使うことに不安があったものの、どうやら使ったのは今回が初めてではないとのことだ。一体どのような状況で使ったのか非常に気になるところである。

 次に、誘い込みの準備だ。

 騎士達が光源を持っていない、と聞いたミゼリアは、相手が闇討ちを狙っていることを見抜いていた。そこでそれを逆に利用することにした。

 都合のいい場所にたき火をし、周囲に身を隠して待機。騎士達が現れたところで飛び道具で攻撃――それが大まかな作戦だった。

 勿論細かい指示はほかにもあった。“手足”のふたりには一度攻撃したあとはすぐ移動して別の場所から投石し、こちらが複数人いると印象付ける。

 ミゼリア自身も自分の馬のいるところまで移動後に再度射撃、混乱がある程度高まればその隙を突いて馬で接敵、即離脱。そうして相手が冷静になる暇を与えないよう、攪乱を続けるつもりだった。

 また、相手が冷静さを失わない、あるいは逆上した場合も想定して周囲に簡単な罠も用意したのだが、そちらは使わずに終わった。

 これらの用意が短時間で済ませられたのは、ひとえに“手足”のふたりのおかげである。肩の力を抜くミゼリアに、リリアナは嬉しそうに笑った。

「なに湿っぽい顔してるのよ。策がうまくいったんだから、もっと喜びなさいな。ほんと凄いわ。さすがミゼリアね」

「ありがとうございます」

 ミゼリアは、微笑んで賛辞を受け止めながら、内心では座り込んでしまいそうなほど脱力していた。

 成功したこの作戦だが、成功率そのものはかなり低かった。

 人数も戦力差も開きがあるこの状況で、作戦の要素一つでも裏目に出ていれば全滅もありえたのである。

 それなのにミゼリアが強気な発言で推し進めたのは、それ以外の策が思い付かなかったからであり、僅かな勝率を少しでも引き上げるために不安を与えないためでもあった。

 何かを行う際、士気は極めて重要である。士気の高さによって成功と失敗が分かれてしまうこともあるのだ。

 ミゼリアが与り知らぬ話であるが、今回はその差がはっきり出たと言えるだろう。

 ミゼリアは鬱々とした気分になった。結果的にうまくはまった今回の策だが、もっといい方法もあったのではないかと思うのである。

 こんなお粗末なありさまでは、リリアナを支えることなどできない。軍略神に加護を与えられた、と胸を張ることもできないだろう。

 そもそもミゼリア自身が加護を与えられていると言える理由は――

「っ――!」

 ミゼリアは反射的に剣を抜き、振り返った。

 リリアナはミゼリアの突然の行動に首を傾げるが、タリスも遅れて武器を構える。

 ふたりが緊張をみなぎらせてある一点を見つめる中、彼は現れた。

「意外――でもないか。彼らを退けたのだな」

 木々の間から現れたのは、闇が具現化したかのような男だった。

 短い髪も、感情の無い瞳も、着ている服さえ漆黒で、僅かに露出した肌を除けば、全て黒と形容できる、そんな男。

 ミゼリアが信じていた、信じたかった男が、静かな殺気をまとってそこにいた。

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