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白銀の剣  作者: 沙伊
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第六話 列王達の憂鬱

今回主人公サイドは出番無しです。

 現在レコキウスの王位は、先王ハヴリードの第一子であるアレキードが継いでいる。

 アレキードは赤銅色の髪と髭を持った偉丈夫で、その見た目を裏切らぬ戦士としての資質を持った王だった。

 事実、王太子時代から数々の戦場で武勲を挙げており、並の戦士では太刀打ちできないほどの実力を持っている。

 一方で、彼は内政にはとことん向いていなかった。全くできないわけではないが、王としてはいささか物足りないのも事実だった。

 そのため、アレキードは自身とは逆に政治手腕に長けた弟を執政として置き、国を動かしていた。

 その役割分担が最適であると考えた結果だが、何より弟――ウェイスタンが、自分は王の器ではないからと、王位継承権をさっさと放棄し、一から文官として成り上がった変わり者だったため、玉座を巡る争いが起きることも無いだろうという周囲の考えもあった。

 そのレコキウス王と王弟だが。

「…………」

「…………」

 玉座の間で、睨み合っていた。

 正確には、ウェイスタンがアレキードを一方的に睨み付けており、アレキードが戸惑ったように首をすくめているのである。

 ウェイスタンは旅装だった。礼儀を重んじる彼は、たとえ兄や先王である父の前でも身なりなどの体面に気を遣っている。そんな彼が外から戻ったそのままの格好でアレキードの前に出ているものだから、周囲は何ごとかと目を丸くしていた。

 あらゆることが正反対のふたりであるが、仲は非常にいい。

 しかしその距離感は、兄弟のものではなく、主君と臣下のそれである。兄弟としては奇妙なものだが、相互に必要以上に踏み込まないことで、このふたりの仲は保たれていた。

 その距離が、現在進行形で崩れている。

 主に、弟のウェイスタンによって。

「何を考えておいでか、兄上」

 ウェイスタンは渋面で言った。声音もいつになく厳しい。普段は凪いだ水面のように穏やかな彼が、いささか感情的になっているようである。

 そもそも、普段はアレキードを陛下と呼んでいるウェイスタンが兄と呼んでいることが、彼がどれほど怒っているかを示していた。

「確かにノドバーレイへの侵攻には、私も同意しました。しかし、それは圧力としての侵攻です。侵略としての侵攻ではない」

「いや、それには俺も同意見だ。俺が指示したわけでは」

「進軍直前、指揮官を変えたと聞きました。レオード将軍は戦士としてはともかく、指揮官としては血の気が多過ぎる。占領に満足せずに攻撃的な行動に出ることは目に見えていたはず。むしろそれを期待して、彼を指揮官に変えたのでは?」

「む……」

 アレキードは低く呻いて視線をそらした。ウェイスタンはこめかみをひくつかせながらため息をつく。

「急に私に王都外での視察の仕事が入ったのも、兄上、貴方の差し金ですな。私が苦言を呈するのを見越して」

「うぅむ、さすが我が弟。いつものことながら素晴らしい洞察力だ!」

「茶化す余裕がおありですか、そうですか」

 アレキードはそらしかけていた胸をしぼませ、ウェイスタンは氷の眼差しを細めた。

 このふたり、髪や目の色は全く同じであり――どちらも赤銅色に輝く髪とエメラルドのような深緑の瞳だ――一目で血の繋がりが解るのだが、容姿とそれによって与える印象はまるで違う。

 アレキードは一見して武人と解る、筋骨隆々とした大男で、玉座の傍に飾られた二メートル以上はある槍が、短槍と見違えるほどである。王らしい、質素だが立派な仕立の服を着ているものの、それよりも鎧の方がよほど似合うであろう。

 一方ウェイスタンはというと、逆に戦装束の似合わぬ風貌の男だった。線が細く、やや年嵩ではあるものの貴公子然としていて、どちらかというと礼服を着ている方が様になるに違いない。

 まさしく正反対のふたりである。共通する身体的特徴が無ければ、兄弟だと認識されないだろう。そんなふたりが向かい合っているのは、少なくない違和感があった。おまけに追い詰めているのは屈強なアレキードではなく、貴人風情のウェイスタンなのだから、ますますおかしな話である。

 しばしの沈黙。はたして一分か二分か、もしくは一時間たったかもしれない。どちらにせよ臣下達にとっては長い沈黙が続き――

「……はあ」

 それを破ったのは、ウェイスタンの嘆息だった。

「過ぎたことはしかたがありません。いくら責めたところで事実は変わりませんし――ただ、こたびの戦によって、国交に大きなひびが入ったことはお忘れ無きよう願いたい」

「う、うむ」

 ようやく解放されると考えたのか、アレキードは強張った身体から力を抜いた。

「しかし、改めて考えると妙ですな」

「な、何がだ」

 だが、ウェイスタンの呟きに慌てて姿勢を直す。

 ウェイスタンはしばし黙った後、自身の疑問を口にした。

「我々は確かに宣戦布告をしました。しかし内容としては、話し合い(、、、、)()()()もうけなければ(、、、、、、、)実力(、、)行使(、、)()やむをえない(、、、、、、)というものです。結果的に進軍という形になったとはいえ、本来なら国境線でもあるラガウ山脈ふもとの実力統治のみを行い、ノドバーレイ側にプレッシャーを与える――というのが、こちらの思惑でした」

「う、うむ」

「しかし、ノドバーレイ側はこちらに使者を送ることもなく、迎撃した。ここまではともかくとして、なぜ彼らは迎撃を前提とした準備をしたのでしょうか」

「……何?」

 アレキードの表情がふと引き締まった。

「どういうことだ?」

「繰り返すようですが、侵攻は突発的なものでした。つまり予測できない事態のはず。しかし、ノドバーレイが立てた策は、迎撃を前提としたものだった」

 戦の顛末は、早馬でレコキウスの王宮まで届いている。詳細を知ることができるのはまだ先のことになるだろうが、大まかな概要はこの場にいる全員の知るところになっていた。

「確かにそうだな。川を氾濫させるなどという大がかりな策、進軍してくると確信できねばできんはずだ」

「はい。つまりノドバーレイ側は進軍してくることを知っていた――あるいは予想していたことになります」

「ふぅむ……」

「それともう一つ、より重要な疑問なのですが」

「……ノドバーレイ軍の自滅か」

 正確には、内輪もめである。レコキウスから見ても、異様かつ異常な結末だった。

 負けていたわけでも、劣勢だったわけでもない。むしろ勝利に王手をかけ、まさしくあと一歩というところだった。そんな時に起きたどんでん返し。結果として、勝利者のいない、多大な犠牲のみを双方に与える戦として終わった。

 もしやあの戦は集団で見た悪夢なのではないかと思ったが、レコキウスが失った人材と物資は残酷な現実を叩き付ける。

「……まあ、こちらの疑問は今は置いておきましょう。今は失ったものを取り戻すことが先です」

 ウェイスタンはアレキードに恭しく一礼した。

「では、私はこれで失礼いたします、陛下(、、)。旅装で御身の前に出た非礼、どうかご容赦いただきたい」

「いや、構わん。おまえの行動は常に国のためを思ってのこと。それほど国のために怒っていたと受け取ろう」

 アレキードは改まった態度のウェイスタンに苦笑した。

 アレキード自身、己の行いでウェイスタンを怒らせてしまった自覚は大いにある。この程度の諫言は甘んじて受けるべきだと思っていた。

 玉座の間から去るウェイスタンの背を眺めながら、アレキードは盛大に息を吐き出した。

「やれやれ、肩がこるわ。我が弟ながら、遊びが無い! もうちっとこう、緩くなれんのか」

「おそれながら陛下、王弟殿下があれほど怒られたのは、陛下の思い付きに端を発しているのでは」

「ぐぬ……」

 アレキードは文官のひとりにそう言われ、言葉に詰まった。

「うぅむ、やはり俺が悪いのか……いやまあ、そうだな。俺がそもそも指揮官を変えなければ、こんなことにはならんかったか……」

 指揮官はアレキードの思惑通り動いてくれた。しかしその結果、レコキウスは多くの資材を失うことになったのである。王の失態としては最上級の一つだろう。

 ただでさえ王位に就いて間も無いのだ。この失態がどのようなマイナスとなるか解らない。ウェイスタンが怒るのはむしろ当然だった。

「……報告は、もう無かったな?」

「は? は、はい」

「そうか。なら俺は執務室に行く」

 自ら事務仕事を行うと言ったことで文官達に謎の戦慄を与えたことなど露知らず、アレキードはウェイスタンに遅れて玉座の間を後にした。言葉通り、執務を行うつもりである。

 こうなった以上、目に見える形で失ったものを取り戻すしかない。そうなると普段は(面倒で)避けている執務にも真面目に取り組む必要があった。

「まずは人員……いや物資か? 何にせよ補填策を考えねば……その後は……うむ、やはり頭を使うことは苦手だ」

 ひとり廊下を歩きながら、アレキードはさっそく投げ出したくなった。

 もともとアレキードは、身体を使うことは得意だが、頭脳労働というものには全く向いていなかった。何ごとも実践で覚えるタイプだったのである。

 王位に就く前は武官として働いてはいたものの、弟のように文官の仕事はしてこなかった。そのつけが、今になって回ってきたわけだ。

 しばし立ち止まってうんうん唸っていたアレキードだったが、やがてがしがし頭をかいた。

「あぁ、解らん! とりあえずたまった書類を片付ける! その後ウェイスタンに相談するか」

 頭のいい弟なら、すぐにどうすべきか導き出してくれるだろう。アレキードはウェイスタンの能力を高く評価していた。

 アレキードだけではない。王宮内外で、ウェイスタンの能力を評価する者は多い。

 戦場に出ていたアレキードのような派手さは無いが、真面目で堅実、常に国のために最善を尽くすウェイスタンを慕う者は多い。彼が王位継承権を放棄した後も、彼を王にという声は少なくなかった。戦士の国の異名を持つレコキウスにおいて、政治能力だけで頂点に請われた王族は歴史上彼だけである。

 それに思うところが無いでもないが、正しい評価だとアレキードは考えている。だからこそ執政に任命したし、自分に跡継ぎが生まれなければ後継者になってもらう心積もりである。

 周囲は勿論、本人にも言ったことは無い。ウェイスタンは固辞するだろうし、周囲は必要以上に盛り立てようとするはずだ。それはアレキードの望むところではない。

 アレキードは、身内の争いはなるべく避けたかった。それが国の滅ぼす要因の一つであることを理解していたからである。

 それでも、どうしても生まれる不和というものがある。ましてや、今回のようなことがあっては――

 アレキードは再び頭を振った。

 どうも先ほどから余計なことばかり考えている。先の損失が思った以上に精神に響いているのだろうか。

 あの(、、)よう(、、)()甘言(、、)に乗るべきではなかった、ということなのだろうか。我ながら色に惑うなど――

「っ……!」

 反応が遅れたのは必然だった。

 彼らしからぬことを考えているうちに、周囲への注意も散漫になっていた。

 何より、ここはアレキード自身の城である。注意すべき危険など、あるはずが無かった。

 現れたのは、ひとりの文官だった。ごく自然な動作で、廊下を歩いてくる。

 ごく自然、と言ってもそれは表面上の話で、よくよく見れば緊張している様が見て取れただろう。否、緊張というより、追い詰められているという風である。

 服装からして、中級の、本来なら王の謁見が叶わない地位のものである。

 とはいえ、王宮深くに足を踏み入れることを許される程度の権限はある。だから、こんなところで出くわしてもおかしなことは無い。

 その手に、ナイフが無ければ。

 それにアレキードが気付く直前、文官は声を上げることなく、ためらうこともなく、アレキードに突進し、ナイフを突き出した。

 ナイフはアレキードの胸を狙っていた。だが、それが届くことは無い。

 油断していたとはいえ、アレキードは歴戦の戦士である。護身術さえおぼつかないような男の刃を払うなど造作も無いことだった。

 アレキードは文官のナイフを掴み、持ち主を蹴り飛ばした。

 無論、素手で刃を触ったのだから無傷とはいかない。しかし、相手の武器を奪うことには成功した。

「……何なんだ」

 全ての動作を無意識のうちに行ったアレキードは、ナイフと文官を見比べ、戸惑いの声を上げた。

 腕にしたたる血を気にすることもなく、文官にずかずかと歩み寄り、睨み下ろす。

「おまえは何者だ? なぜこんな真似をした?」

 文官は痛みにもだえていた。何しろとっさのことで手加減ができなかったのだ。よくて肋骨が折れていることだろう。気絶しなかっただけ、まだよかったのかもしれない。

 しかし黙っていたのは数秒のことである。文官は勢いよく顔を上げ、すさまじい形相で叫んだ。

「国を傾ける愚王が。貴様に玉座にいる資格は無い!」

「な……」

「この国の王はウェイスタン様こそふさわしい。戦で国を疲弊させる貴様では断じてない!」

 アレキードは困惑した。

 確かにウェイスタンを支持する者は多い。今回の戦でウェイスタンを王にと思う者も出てくるだろうと予想もしていた。

 だが、こんな過激な手段に訴えてくるとは思わなかった。

 文官はまだ何か叫んでいる。だがその全てはアレキードの耳をすり抜けていく。

 それだけ衝撃だった――からではない。ナイフを握った手の違和感に気付いたからである。

 手のひらから上りくる激痛と灼熱に、アレキードは思わずナイフを取り落とす。意識して力を入れようとしても、むしろ抜けていくばかりだ。

「毒か……!」

 気付いた時にはもう遅く、痛みと熱はすでに肩にまで至り、半身を覆わんとしていた。

「ウェイスタン様! 私はやりました。これで貴方様が王になれる。我らが女神(、、、、、)が言う通り、ウェイスタン様が日の目を見ることができるのです!」

 文官は喜色にまみれた声を上げた。笑みに歪んだ顔は、正気と言えるものではない。

 ひたすらウェイスタンへの忠誠とアレキードへの罵倒を吐き続けている文官を睨みながら、アレキードは膝を着いた。もはや片足の感覚さえもほとんど残っていない。

 文官はなおも聞くに堪えない言葉を並べている。それに紛れて、複数の足音が聞こえてきた。

 アレキードは焦った。

 文官の行動に、ウェイスタンは一切関わっていない。それは断言できる。

 しかし、ウェイスタンをたたえ、アレキードをおとしめる言葉を叫ぶ文官を見たら――そしてその文官がアレキードをナイフと毒でもって攻撃したという事実を見たら、第三者はどう思うか。

 何とかしなければならない。そう思うのに、動くことができない。

 かすむ視界の中で、アレキードは文官が血走った目でにたにた笑いながら近付いてきたのを見た。


    ―――


 ノドバーレイ現国王、ハリウィム二世。彼には、側近と呼べる官職の人間がいない。

 六年前、上級の官職をほぼ失ってしまったから、というのもある。ひとりの官職を育てるのには、時間と労力がかかる。六年を経てある程度の人数をそろえることはできたものの、一国を運営するには誰も彼も経験不足な者ばかりだ。

 もう一つの理由として、ハリウィム自身が他者を信用していないのである。

 王子時代から、彼は身近に人を置くことをしなかった。時期国王候補として、多くの人間が様々な思惑を持って近付き、あるいは息子、娘を侍らせようとしたが、誰も近付くことを許されなかった。

 最終的に誰もハリウィムの元には残らず、弟の王子のところへと向かっていった。

 順当に行けば、現在の王位はハリウィムではなく弟のものだっただろう。

 弟は、ハリウィムが築くべき人脈や人望、人に関わるもの全てを手に入れていた。その上、弟は人間的魅力、王としての資質を十二分に備えていた。

 単純に産まれた順番で決まるならともかく、ハリウィムが王となることはありえなかったのである。それほどの明確な格差が、兄弟にはあった。

 だが、ハリウィムは王となった。血に塗れ、薄暗い王道を切り開いてしまったのだ。

 人脈を絶ち、人望を堕とし、人に関わるもの全てを踏み潰して、ハリウィムはノドバーレイの頂点に立ったのである。

 当然、周囲に人が残るはずが無い。残るべき人間は全てハリウィム自身がなぎ払ってしまったのだから。

 ゆえに、ハリウィムには傍に仕える官職はいない。誰も傍に寄ろうとはしないし、また彼自身も傍に寄せることはないだろう。

 少なくとも、今現在ハリウィムの傍仕えと呼べる者はいない。

 陰鬱な王の傍にいるのは、王宮魔術師の身分を与えられた、ひとりの艶やかな女だけである。



 ノドバーレイの王城セクタ城。その中庭には、貴族達が茶会などの交流に使う東屋がある。王城に設置されたものだけあって、十数人は軽く収容できそうな広さの中に、白を基調とした調度品が置かれている。外でありながら、用途のせいかサロンのようである。

 日中の東屋のソファーには、女がひとり寝そべっていた。

 艶やかに輝く黒髪を金の髪飾りでまとめ上げ、艶やかな深紅のドレスの上に華美な仕立の紫のローブをまとい、白くなまめかしい手足は金と宝石の装飾品で彩られている。華美な美貌だが、そこに化粧を施すことで蜜が滴るがごとき色香を宿していた。

 女は細い身体を横たえたまま、気怠げな仕種で傍らの大理石の机を撫でた。

 机の上には葡萄酒の入った杯や、果物や菓子の乗った大皿があるが、それにまぎれて幾つかの紙の束や装身具型の魔具が置かれている。たまにそれを手にしたかと思えば机に戻す、という行為をくり返していた。

 女は、何かを待っているようだった。あるいは誰かを。

「退屈そうだな」

 しばらくして、女に声をかける者が現れた。

 女は顔を上げ、艶然とした微笑を浮かべた。

 女に声をかけたのは、この城の主にしてこの国の王であるハリウィムだった。

 赤紫がかった黒髪を後ろに撫で付け、簡素だが仕立のいい服をまとった姿は、なるほど王族にふさわしい貴人然とした雰囲気である。日の下で見ると、やつれた表情も物憂げな様子に感じ、彼の容貌を引き立てていた。

 しかし、まつげの陰にある瞳の、陰鬱な鈍い光だけはどうしようと消えない。むしろ日光の下だからこそ、より陰気が増しているようだった。

「まあ、陛下。つまらないのは当然でしょう。陛下がここにいらっしゃらなかったのですから」

「口のうまいことを言う」

「本当ですわ」

 女は、おもむろに立ち上がった。長い手足が揺れるたびにしゃらりと金属音が鳴った。

 軽やかな動きは、女の全身を艶やかに魅せ、ただの動作を舞いのように艶やかにしている。全身を美しく映す術を女は心得ているようだった。

 女はそのまま、ハリウィムの胸にしなだれかかった。

「だって私は、貴方だけの魔術師で、貴方のための女神なのだから」



 女――魔術師がいつからハリウィムの傍にいたのかは定かではない。少なくとも王子時代から彼の近くにいたのだが、はたしてどういった経緯で彼と出会ったのかは、本人達以外知る者はいない。

 それどころか、魔術師の名を知る者すら王宮内にはいないのだ。魔術師はその名を一切名乗らず、ただ宮廷魔術師として王宮に居座り、王に唯一進言を行える者として地位と人望を集めていた。

 一方で、彼女が魔術師と名乗ることを疑問視する人間もいる。

 魔術を使っていないから――ではない。積極的ではないものの、彼女はたびたび魔術を使っていたし、弟子と呼べる存在もいる。彼女が魔術師であることは疑いようも無い。

 だが、それでもなお彼女の地位に疑問の声が上がるのは、王との距離感だった。

 彼女は、王との距離が異様に近かった。それに加え、言動は淫靡そのものである。弟子の男をはべらせ、華やかな衣装をまとう姿は、魔術師という存在からはほど遠い。

 ようは、王の愛人ではないかと勘繰られているのである。

 その推測は、ある意味間違っていない。男女の関係があるかと言えば、間違いなくあるのだ。

 しかし、ただそれだけの関係で女が宮廷魔術師になれるはずもなく――ただそれだけの関係であれば、ハリウィムは王になれなかった。

 ふたり以外知らない。彼女こそ、ハリウィムを血生臭い影の道へ向かわせた張本人であることを。

「仕込みはとうに済んでおります」

 宮廷魔術師は言った。ソファーに改めて座った姿は、慎ましい淑女に見えなくもない。しかし、華美なドレスも美々しい装飾品もそのままで、婀娜っぽい印象は変わらずである。

 何より、虫を誘う毒花のごとき笑みが、佇まいを完全に裏切っていた。

「レコキウスにもブリュドにも、我が信者が種をまいております。そろそろ芽吹く頃合いかと」

「貴様が直接差配したわけではないのだろう。うまくいくか不安だな」

 一方のハリウィムは、不満げに鼻を鳴らした。ソファーに沈む姿はいつもより尊大に見える。それでも陰鬱さが消えない辺りが、彼の性格を表しているようだった。

 魔術師は王の言葉を微笑と共に否定した。

「遠く離れた場所ですもの、才も術数も長けた者を送っておりますわ。それに、事前に私自身が手ずから仕込みを行っているんですもの。多少予定からずれることはあっても、目的が達成されないことはありませんわ」

「……なら、いいがな」

 ハリウィムは背中をソファーに預け、胡乱げな眼差しを魔術師に向けた。

「まあ、酷い。私を疑っておいでなの」

「疑ってはいない。おまえのおかげで、私は王になれたのだ。その手腕は疑いようがない」

「まあ……ありがとうございます」

 魔術師は立ち上がり、ハリウィムの傍に歩み寄った。そのまま、ハリウィムの頬を繊手で柔らかく包み、顔を寄せる。

「ご心配無く。争いの種は、王家において尽きませぬ。兄弟という最も近しい他人ほど、争いやすい関係はありませんわ。身にしみて解っておりましょう?」

「…………」

「争いは争いを生み、猜疑は猜疑を作り、そしていずれ、一つを残して滅びるでしょう。私は、私が、その一つを貴方様にしてみせますわ」

「…………」

 ハリウィムの表情が酷く歪んだ。突然治りかけた傷口を深くえぐられたような顔である。

 その顔のまま、ハリウィムは立ち上がる。膝の上には魔術師がいたままだったが、全く頓着していない。

 魔術師はソファーに転げ落ちてしまったが、それにも目を向けなかった。

「きゃ……! もう、何ですの?」

 魔術師は眉をひそめ、ハリウィムを見上げる。ハリウィムは謝罪の言葉も無く、そのままその場を去ってしまった。

 しばし憮然とした様子でその背を眺めていた魔術師だったが――やがて、にんまりと微笑んだ。獲物を捕らえた、肉食獣のそれだった。

「くす、くす、くす。かぁわいい(ひと)

 魔術師がどのような顔をしているかなど知るよしもなく、ハリウィムはひたすら歩を進めていた。

 目的地は無い。離れた理由も、特に無い。ただ、衝動のままに動いただけだった。

 魔術師の言葉が。

 魔術師の動作が。

 美しく、心地よいと感じるほど、自分の望みが解らなくなる。

 果たして自分が望んでいたのは、王位だったのか、更なる覇権だったのか。

 脳内を覆うもやを払うように、ハリウィムは(かぶり)を振る。そうして思い出したのは、六年前に垣間見た少女の姿だった。

 流れる白銀の髪、輝く銀玉の瞳、華奢で儚げで繊細な美術品のような印象の少女。

 似ていると思った。髪や瞳の色もそうだが、面立ちや立ち姿が、幼いながら瓜ふたつだと。

 嫌な記憶だった。

 嫌な記憶だった。

 嫌な記憶だった――はずだ。

「う――」

 ハリウィムは立ち止まり、口元を押さえた。急激に襲いかかった吐き気を何とか飲み込み、くらむ視界を取り戻そうとする。

 だが、一度浮かんだ幻影は消えることはない。

 銀色の少女の幻は、同じ色の女へと変わっていた。

 ハリウィムの記憶の中の女は、横顔しかなかった。ほんの僅か、遠くから眺めたことしか無かったからだ。それでも、ハリウィムの網膜には女の姿が強烈に焼き付いていた。

 それの意味するところが、ハリウィムに王位を求めさせたのである。

 だが、ハリウィムが真に求めるものは、未だ手にできないままだった。


    ―――


 ブリュドの王族には、目に見える際立った特徴がある。

 それは、髪の色と瞳の色だ。

 隣国のノドバーレイやレコキウスの王族も目立つ色素をしているが、その中でも特別目を引くのである。

 ある吟遊詩人はこう表現した。蒼銀の髪、紅玉の瞳と。

 まさしくその通りで、彼らは輝く蒼い髪と、深紅の瞳を受け継いできた。

 市井の者は勿論、王侯貴族にさえ見ない特異な容姿ゆえかどうかは定かではないが、彼らは何か行動を起こすたびに、よく民衆の耳目を集めた。

 ブリュドの王城ギャラット、その玉座の間にて現在行われているやり取りもまた、周囲の家臣達に固唾を飲んで見守られていた。

 対峙しているのは、ふたりの男である。

 片方は、玉座に座るブリュド国の主、アルトリウス。豪奢な騎士服の上に重厚な外套をまとった痩身の男である。

 壮年はとうに過ぎ、中年に至る年齢のはずだが、しわ一つ無い顔は非常に若々しい。玉座に座っているため解りにくいが、背が高く、比例して手足も長い。

 痩身と言っても華奢ではなく、無駄の無い、美しい肉体である。若い頃は勿論、今なお美丈夫と言うにふさわしい容貌だった。

 対するは、アルトリウスの弟――ブリュドの王弟トイルスである。

 トイルスは兄と対照的に恰幅のよい男だった。太っているという印象はない。ただ、脂肪の上に筋肉が乗っているという風情である。とにかく幅が広く――縦が短い。つまり、あまり背が高くない。目立った低さではないが、少なくともアルトリウスと並ぶと際立ってしまうだろう。

 ただ、若々しい顔立ちは共通しており、目鼻立ちが整っているのも、また同様である。

 そして、どちらも王族の証――蒼い髪と紅い瞳をしていた。

 人間離れした容姿ゆえに、彼らは時として非人間的な印象を持たれやすい。だが、今の彼らは非常に人間らしかった。

 人間らしい感情に満ちていた。

 すなわち――怒りと、侮蔑である。

「――以上から、兄上、貴方を王にふさわしくない人間だと我々は判断した」

 トイルスは瞳に嘲りをにじませ、唇を愉悦に歪ませていた。その手には、紙の束が握られている。

 びっしりと文字が書かれたそれに、アルトリウスの表情からさっと温度が消え去った。ただ、瞳は相手を焼き殺さんばかりの灼熱が宿っている。

「……それで? 真偽も解らんその情報で、私を引きずり下ろそうと? 間の抜けた簒奪者もいたものだな」

 開いた口から出たのは、周囲が凍り付くほどの冷気を含んだ声だった。そのままその声を浴び続ければ、間違いなく凍死するだろうと錯覚してしまいそうである。

 トイルスの顔が一瞬青ざめ、次に激情を表すように頬が紅潮した。そのまま声を上げかけ――しかしすぐ、気を取り直したように笑みを浮かべる。唇の端が多少けいれんしていたが。

「随分と余裕ですなあ、兄上。しかしそれで、この弟の目をごまかせるとお思いか」

「ごまかす? それは貴様だろう、愚弟が」

 アルトリウスは笑みを浮かべた。この場にて初めて浮かべた笑みだが、暖かみなどひとかけらもありはしなかった。

「そこに書かれていることは、貴様の行いではないか。それとも、貴様は自分の所業をひけらかしているのか?」

「な……! っ、話をそらそうとしても無駄ですぞ!」

 一度は堪えようとしたものの、結局こらえきれなかった。声を荒げるトイルスに、アルトリウスは更に視線の炎を燃え上がらせる。

 この睨み合いのそもそもの原因は、ふたりの間にある紙束の内容だった。

 あらゆる言葉や情報に装飾されているが、要約すれば姦淫の罪(、、、、)を並べ立て、それを責め立てたものである。

 しかも、アルトリウスのそれを書き連ねていた。

 ブリュドにおいて、特に信仰されているのは、騎士と道徳を司る神シャルトである。

 シャルト神の教えは様々だが、こと恋愛に関しては貞淑が最も尊ばれている。

 ブリュドの王はシャルト神を奉じており、王位に就く前にその教えを守ることをシャルト神に誓約しているのだ。

 現国王アルトリウスの妻は、二年前に他界している。本来ならば恋人を作ろうが妻を娶ろうが問題無いのだが、アルトリウスは妻を喪った時に生涯妻を彼女ひとりと定め、シャルト神にその旨を誓ったのである。

 ブリュド国王がシャルト神に誓いを立てるということは、絶対に破ってはならぬということだ。アルトリウスは再婚はおろか、恋人を作ることも自身に禁じたのである。

 そのアルトリウスが、妻以外の女と密通したと紙束――トイルスが作らせた報告書である――にはつらつらと書かれているのだ。

 その上、相手の女性がまずかった。

 報告書によると、相手は人妻(、、)であるという。

 それも、隣国ノドバーレイの重鎮の妻だ。

 もし全てが真実だとしたら、アルトリウスは姦通の罪と絶対の誓いを破った罪を背負うだけでなく、国交にも大きなひびを入れるという大失態をしたことになる。たとえ王であっても、弾劾からは逃れられないだろう。王位から引きずり下ろすことも、確かに可能だ。

 そうなった場合、次の王として担ぎ出されるのは誰か。

 アルトリウスには娘がひとりいるが、彼女は現在七歳。王になるにはあまりにも幼い。

 もうひとりの王位継承者は、先ほどからアルトリウスと向かい合っているトイルスだが、彼は彼で問題のある人物だった。

 トイルスは、簡単に言えば欲深い人物である。物欲も深ければ色欲も深い。王弟という立場を利用して贅の限りを尽くし、それでもなお足りないとのたまう男だった。

 シャルト神の第一の使徒であるブリュド国王にはふさわしいと言いがたい人物だ。アルトリウスの言葉は皮肉でも何でも無く、事実を述べただけなのである。

 とはいえ、彼は王女と違ってとうに成人しており、支持者もいないわけではない。そもそも、協力者がいなければ情報収集もできないだろう。事実、トイルスの背後には複数の人間がひかえている。

 彼らにとっては、紙面の文章が事実か否かは関係無い。唯一の関心はアルトリウスの進退であり、トイルスが王になれるか否かだ。

 これは、アルトリウスを王位から引きずり下ろすための茶番なのである。

 アルトリウスはそれを理解しているからこそ怒りを抱いているし、それでも冷静な態度のアルトリウスに、トイルスは苛立ちを隠せなかった。

 ふたりの睨み合いは終わる様子を見せない。例えこの場で終わったとしても、決着が着かない限り本当の意味で終わることはないだろう。

 すなわち、アルトリウスが王位を奪われるか。

 トイルスが王宮から排除されるか。

 どちらにせよ、この国の上部で混乱が起こることには違い無い。

 ただでさえ、同盟国であるノドバーレイとレコキウスの間に戦が勃発しているというのに、この状況で内輪揉めを繰り広げなければならないのだ。

 誰もがこの先に起こる争乱を考えて戦々恐々とし、黙ってふたりを見つめる中、違う意味を持ってそれを睨み付けている者がいた。

 扉に隠れてたたずむ小さな人影は、燃えるような眼差しで王とその弟を見つめていた。

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