第三十五話 令嬢の懊悩
手にした報告書に目を通し終え、リリアナはため息と共にタリスに返した。
「最悪ね」
「ええ、最悪です」
報告書は、タリスを含めた“手足”達が集めた王領とリュグス領の簡単な状況をまとめたものである。
どちらも共通して税が上がっており、貧しい地域では早くも苦境に立たされているようだ。
新たなリュグス家当主は領の主城ではなく王都の屋敷で暮らしているようで、連日商人が出入りしているらしい。その中にはモルグの商会もあり、内情はより詳しく知ることができた。
「お父様の関連商会で買い物とか、アホなの?」
「リリアナ様……」
新当主──アドネウスは毎日のように貴金属や宝石を買い漁り、娘でありハリウィム王の婚約者でもあるカルティも何十着もドレスを作らせ、連日お茶会や夜会に出席しているらしい。兄のパディンは買い物狂いではないが、妹が出席する集まりの主催はほとんど彼なので、別方向の金使いの荒さが見えていた。
ハリウィム王は税こそ集めているものの、派手な金の使い方はしていない。だが大金を使って人を集めており、その集めた人間の大半が行方不明であるという。人間を集める理由も不明だが、彼らがどこに行ったのかもようとして知れなかった。
またハリウィム王とカルティの結婚式が早まったという話もあった。来年の秋に予定されていたのが、急きょ半年後──年が明けてすぐになったのである。
リリアナ側にとって、何としてもこの結婚は阻止したい。だがそれでも一年以上の猶予があった。それが半年以上減ってしまい、追い詰められる感覚が一層増した。
そしてもうひとつ気になること──それはカルティの容姿である。
リリアナの記憶では、カルティは黒髪に黄緑の瞳のはずだった。だが彼女は今、銀髪に銀の瞳をしているという。
直接目にしたわけではないので確かなことは言えないが、それはまるでミゼリアのようではないか。ただし、ミゼリアに似せているのだとして、誰がどういう理由で、どうやってそうしたのかは謎だった。
「こんな奴がリュグス家の名を使っているなんて、本当に腹立たしいわ。家系図からも消されてたくせに」
リリアナは舌打ちをしようとして、慌てて自制した。ひとりの時ならともかく、今はタリスもいるのだ。さすがに下品な真似はしたくなかった。
「……ところで、この男は何をやって除籍になったのですか? 横領したとか、そんな話を聞いたことはありますが」
タリスの質問に、リリアナはため息をついた。
「まあ秘密裏に処理されたからね」
「申しわけありません。存じず……」
「いえ、いいのよ。と言っても、ほんの二年前のことなのだけれど」
知っている者はアドネウスの所業を覚えている。それなのに戻ってきた上当主の座をたまわる厚顔無恥さに、改めてめまいがした。
「アドネウスはね、お父様の名を騙って領内の税を不当に巻き上げていたのよ。しかも存在しない税をでっち上げたりしてね」
「存在しない税?」
「税が払われてないって言いがかりだけじゃなく、追加の税だって言ってお金や貴重品を奪ったの。その上、払えなかったら若い男女を献上させていた」
平民は貴族の顔を知らないことが多い。リリアナは市井に出ることが多かったが、リリアナを貴族令嬢だと認識している人間は少なかった。つまり、平民が本来の当主の顔を知らないことを利用されたのである。
「それ……詐欺に脅迫、その上人身売買でしょっ引けるじゃないですか。極刑、そこまでいかなくともかなり重い罪に問われるはずじゃ」
「問われたわよ。貴族位剥奪の上国外追放、財産も没収された。子供ふたり──パディンとカルティも関わってたから一緒に永久蟄居よ。なのに戻ってきたの」
「奥方は?」
「彼女は当時、体調を崩して実家で長いこと療養してたから関わってないわ。だから離縁で済んだけど、去年結局亡くなったわ。……アドネウスを極刑にできたらそれでよかったんでしょうけどね」
「できなかったんですか?」
「あの男、腹立たしいことにお父様の従兄弟だったのよ。極刑にするとリュグス家にも累が及ぶ。だから除籍してさっきの罰を与えたそうよ」
「父親だけでなく子供達も同じ刑を与えられたとなると、ただ流されたわけではないんですよね」
パディンは現在二十歳、カルティはリリアナと同じ十六歳だ。カルティは当時十四歳であるはずで、兄はともかく彼女まで同じ罰を受けているのは違和感がある。
逆に言えばそれだけのことをしでかしていたのだ。子供達はただ関わっていたわけではないのだろう。
そんな親子がリュグス家の実権を握った。その一点だけでも大問題だが、その上娘は国王の婚約者。リリアナは今すぐにでも王都に行って三人をしばき倒したい気分だった。
「歯がゆいにもほどがあるわ……部下の報告を待つことしかできないなんて」
「こらえてください、リリアナ様」
「解ってるわよ!」
リリアナはだんと机を叩いた。思いのほか大きな音が上がり、外で護衛をしていた聖騎士がいぶかしげに中を覗いてくる。
「どうかいたしましたか」
「……いいえ。何でもありませんわ」
辛うじてそう返事をした後、リリアナは微笑みを作った。
「少し散歩をしたいのだけれど、付き合っていただけるかしら」
「は、かしこまりました」
「リリアナ様」
「タリス、ごめん。頭冷やしてくるわ」
気遣わしげなタリスの視線を避けるように、リリアナは部屋を後にした。
───
散歩と言っても、リリアナは許可無く建物の外に出ることはできない。なので庭を歩いていたのだが、気付けば聖騎士団の訓練場に出ていた。
聖騎士達の一糸乱れぬ動きを見て足を止めたリリアナに、護衛は声をかける。
「ここはご令嬢のいらっしゃるべき場所ではありません。移動しましょう」
「いえ、ここでいいわ。ここがいいの」
リリアナは郷愁を胸に訓練の様子を見つめた。
主城であるスターク城でも、騎士達の訓練風景は見慣れたものだった。エインやミゼリア、ザフィロ達が毎日剣や槍を振るい、腕を磨いていたのだ。
今スターク城がどうなっているかは解らない。人が住むどころか、死体が運び出された様子も無いそうなので、おそらくまともな状態ではないのだろう。
リリアナが持っていたものは、奪われた上に陵辱されていて、もうあとかたも残らないかもしれない。なのにリリアナは、今何もできないのだ。
「……ねえ」
「はい?」
「彼らに差し入れをするとして、何が喜ばれるかしら」
ならせめて、目の前の彼らに何かしてあげたい。そんな思いに駆られて、リリアナは護衛に尋ねた。
のちにこの行動がシャルト聖騎士団の完全な後ろ盾を得る第一歩になるとは思いも寄らず、リリアナは聖騎士達に歩み寄ったのである。




