第三十四話 騎士の国の侍女
ブリュド王国の王城、ギャラット。王族が住まうこの城に、今日、新たな侍女が配属された。
「──以上が、王城内の構造になります。よろしいですか、ミッシェル」
「はい、侍女長様」
侍女長にミッシェルと呼ばれた少女は、たおやかに微笑んだ。
長い黒髪をひとつの三つ編みにして、眼鏡をかけた少女は、侍女長を見つめ、美しい佇まいで次の言葉を待っている。
その姿に見とれそうになった侍女長は、咳払いでごまかして口を開いた。
「では、次に貴女の指導をする侍女を紹介します」
「はい」
踵を返す侍女長に続きながら、少女は内心で呟く。
──騙しやすい方だといいけど。
あまりにも不遜な考えは、真面目な侍女とは言いがたい。
それもそのはずで、彼女は侍女として雇われつつも、侍女としてここにいるわけではない。
彼女の名はミッシェル──ではなく、ミゼリア。予定通り、ギャラット城に潜入中である。
会談から一週間後、ミゼリアはミッシェルという名で、ギャラル家の紹介という形で潜り込んでいた。
もうひとりの潜入者であるエインも、エリックという名で兵士として入り込んでいる。今のところ見かけていないが、近い内に顔を合わせるだろう。
ひとまずは入口に立ったわけだが、そこから情報を得るには時間がかかる。普通なら数ヶ月はかけるべきだが──ミゼリア達にそんな時間は無い。長くて半月で成果を挙げなければならない。
さてどうするか、一応策は幾つかあるけれど──と考えていると、侍女長はある部屋の前で止まった。貴族や王族が茶会などを行うためのサロンのひとつで、特に身分の高い者達が利用する場所である。
部屋に入ると、ひとりの侍女が茶会の準備をしていた。
「ルルゥ、いったん手を止めてこちらに来なさい」
無駄の一切無い動きにミゼリアが感心していると、侍女長が彼女を呼んだ。
侍女長に呼ばれた侍女──ルルゥが近付いてくる。作業を止められたからだろうか、不機嫌を隠しもしないことに面喰らっていると、侍女長はミゼリアを示して言った。
「ルルゥ、こちらは今日から侍女として働くことになったミッシェルです。貴女が指導してください」
「えっ」
ルルゥは目を丸くしてミゼリアを見た。どうやら知らされていなかったらしい。
連絡網や指揮系統に疑問を覚えつつ、ミゼリアはカーテシーで挨拶した。
「ミッシェルと申します。よろしくお願いいたします、ルルゥ様」
「…………よろしく」
嫌がっていることがありありと解る声音だった。まあ突然でしたし、とミゼリアが同情していると、侍女長はさっさと踵を返した。
「では私はこれで。よろしくお願いしますね」
ミゼリアとルルゥが頭を下げる暇も無く、侍女長は去ってしまう。それを見送って、ルルゥはため息をついた。
「ミッシェルだっけ? 貴女も災難ね」
「それは、どういう……」
「そのうち解るわ。それより、ここの作業を手伝ってちょうだい。時間が無いから」
ルルゥは肩をすくめてまた手を動かし始めた。ミゼリアに指示を飛ばすのを忘れないところを見るに、愛想はともかく手際はやはりいいらしい。
その間に、何の準備かも教えてくれた。
今回の茶会は王弟であるトイルス殿下と法務大臣のディール侯爵、そしてその取り巻きの文官達の私的なものらしい。
トイルスの名が出た時、ミゼリアは手が止まりそうになった。それをこらえて、疑問をひとつ投げかける。
「私的とはいえ、侍女がふたりで大丈夫なんですか? 私なんて、今日配属されたばかりですし」
「しかたがないのよ。貴女が配属された理由は知ってるでしょ? それに王弟殿下はなるべく人を近付けたくないみたいだしね」
ブリュド国王と王弟の争いが始まって以降、王宮内で働く者達から暇を願う声が増えたという。侍女も例外ではなく、王宮全体で人手不足が発生していた。だからこそスムーズに潜入できたので、ミゼリアは素直に頷いた。
王弟が人を寄せ付けないようにしているという話も聞いている。だから聖騎士団も攻めあぐねていたのだが──
──幸運ですね、これは。
ミゼリアはこくりとつばを飲み込んだ。
探るどころか会話すらできるか解らないが、初日から王弟に接触できるのは、危険であると同時に僥倖である。王弟の様子を確認できるだけでも一歩前進だった。
すっかり準備の終わったサロンを見渡して深呼吸していると、ルルゥがへえ、と感嘆の声を上げた。
「貴女、ほかで侍女の経験があるの? 教える必要無いぐらい完璧じゃない」
「ありがとうございます。もともと別のところで働いていたのですけど、その方からこちらで働いてほしいと言われたので」
「ああ、助っ人だったの? てっきりまた侍女長の……あ、ごめん。時間だわ。こっちに寄って」
ルルゥは懐中時計を確認して壁際に移動した。隣に立ったミゼリアに、ルルゥはこれからの注意事項を伝える。
「貴女は私のフォローだけでいいからね。私が指示しない限りは動かないこと。でないと王弟に目を付けられるわよ。特に今日は、王弟の愛人がいるしね」
「愛人?」
「詳しいことは後でね」
言って、ルルゥは直立不動になった。彼女にならってミゼリアも姿勢を正して黙り込む。
二、三分して、入ってきたのは三人の文官を連れた痩せぎすの男だった。
顔立ちはどちらかというと整っているのだが、体格がいかんせん貧相なため、豪奢な服に着られているような感じが否めない。髪を後ろに撫で付けているのだが、頭髪が寂しいためより広い額が強調されていた。
とても貴族や高官とは思えない、栄養失調の人間がごとく面相にミゼリアが瞬きを繰り返していると、ルルゥがてきぱきと男のために紅茶を淹れた。
「殿下はまだ来ていらっしゃらないのか」
「はい。もう間も無くいらっしゃると思います、ディール侯爵様」
ルルゥの言葉に、男──ディールは無言で頷いた。実際に、五分もたたずにまたも扉が開かれる。
「やあやあ、待たせたな、ディール」
現れたのは、ディールとは対照的に恰幅のいい男だった。芝居がかった仕種で手を上げ、反対側の腕で女の腰を抱いている。
太っているというわけではないが、筋肉と脂肪が余分にあるという風情である。顔は若々しく、非常に整っているため、そこだけは貴公子と呼ぶにふさわしい。
ただ、横に大きい分、縦が短かった。平均男性の身長に比べると明らかに低く、隣の女性とはヒールの無い靴に関わらず五センチと違わない。
だが何よりも目を惹いたのは、その髪と瞳だった。
貴金属めいた美しい光沢を放つ青い髪。磨き抜かれたルビーのごとく輝く赤い瞳。人間としてはありえざる色とその美しさに、ミゼリアは息を飲む。
ノドバーレイの王家およびそれに連なるリュグス家も、紫がかった黒髪をしているし、ミゼリア自身も母譲りの白銀の髪と瞳をしている。目立つ色をした人間というのは、少なからず存在するものだ。
だがブリュド王家のそれは、ともすれば異形と言われかねない色だった。人ならざる容姿の一族。それは、シャルト神の容姿を受け継いでいると言われている。つまりブリュド家はシャルト神の子孫なのだ。
何より恐ろしいのは、この容姿がブリュド家の人間全員に共通しているという事実である。それほどに受け継がれる血が濃いということなのだろう。
ミゼリアは再び深呼吸した。
見ただけで飲み込まれていては、この先の作戦行動に支障をきたす。失敗してその結果、倒れるのは自分だけではないのだから。
ミゼリアの心中などお構いなしに、目の前のやり取りは進む。その間に、ミゼリアは女性の観察をした。
愛人というだけあって、彼女の顔は非常に整っている。すらりと背が高く女性的な曲線を描く肢体は同性から見ても色っぽい。王弟の特異な容姿が無ければこの部屋で一番目立っていただろう。身に付けているドレスや装飾品も、一目見ただけで上等なものだと解る。
だがミゼリアは、目を伏せながら内心首を傾げた。女性の装飾品の細工に、通常使われないものを見付けたからだ。
──文献でしか見たことないけれど、あれは魔術に使う紋様ではなかったかしら。
まさか、とミゼリアが思った時だった。
ばん、と扉のひとつが勢いよく開かれた。
全員が驚いてそちらを見ると、ひとりの少女が仁王立ちしている。
十にも満たないほどの幼い少女。未成熟な身体は少し力を入れれば折れそうなほど華奢で、丸い頬は幼気だった。
だがその幼さを補ってありあまるほど、少女は美しかった。
未完成とは思えない、理想の位置に配置された完璧な形をした顔のパーツ。真珠のような白く滑らかな肌。唇は血のように紅く艶めいている。
そしてまっすぐに伸びた髪の色は蒼。一本一本が絹糸のように輝いていて、窓からの光を反射している。
大きく強い意志を秘めた瞳は紅。混じりけの無い炎のように鮮やかに揺らめいていて、思わず手を伸ばしたくなる。
これほど人外じみた美しさを持つ人間を、ミゼリアは知らない。幼い身でこれほどなのだから、成長した末が恐ろしくもある。
同時に、冷静な部分が彼女の正体を推察する。この髪と瞳の色ということは。
「叔父上。その茶会、私も参加させてくれまいか」
少女──現国王アルトリウスのひとり娘、アリシア王女は、傲岸な態度でそう言った。




