第三十二話 もたらされた凶報と凶行
「うあー! 冷や汗かいたぁっ」
客室に戻るなり、リリアナはベッドにダイブした。
シャルト聖騎士団が一行に用意した部屋のひとつ。ミゼリア、リリアナのために用意された部屋は貴婦人用のものであり、エイン達の客室とは造りや家具がだいぶ違う。彼らの部屋が従者用であることを差し引いても無骨なものだったのに対し、こちらは女性らしい華やかな装飾が多かった。
ドレス姿のまま寝転がるリリアナに、ミゼリアは苦笑を浮かべた。
「ドレスがしわになりますよ」
「はあい」
リリアナは素直に起き上がると、スカートを伸ばした。そしてにやりと笑う。
「ミゼリアってさあ、前々から思ってたけど肝が据わってるわよねぇ。あんな強面なオジサマ相手に挑発しまくるわ、綱渡り級の策を提示するわ──更にそれに同意させるなんて、貴女、年齢誤魔化してるんじゃないでしょうね?」
「まごうことなく十四歳ですよ」
ミゼリアは肩をすくめた。
リリアナはひとしきり笑った後、ふと真面目な顔になった。
「本当に実行するのね」
「ええ。エイン様と共に、私はブリュドの王宮に潜入します」
ミゼリアが提示した作戦──それは王宮へ身分を偽って潜り込むことだった。
聖騎士団が王弟に手を出せず、事態を見守るにとどまっているのは、王弟の周囲に近付く手段が無いからだ。聖騎士団は末端や裏に至るまで女性がいない。つまり手駒は皆男であり、向こうもそれは承知しているため、自分達に新たに近付く男性を警戒する。そのせいで、なかなか中心にたどり着けなかった。
かといって、そう簡単に女性を投入できるわけではない。何の心得も無い女性を潜入に使うことはできないし、仮にそういう稼業の女性を見付けたとして、その身分は保証できない。そもそも一応は王族の傍に近付く以上、使用人も一定の教養が無ければ務まらないのだ。
心得があって身分の保証ができ、なおかつ教養もある──そのような女性を用意できなかった。これまでは。
そこで、ミゼリアは提案したのだ。自分が王弟の傍に潜り込み、情報を掴むと。
勿論、ガランは反発した。心得があると言ってもミゼリアは間者のような経験は無い。容姿も非常に目立つ上、ひとりで敵の懐に入り込むのは危険過ぎる。
だがミゼリアは、それをひとつひとつ論破していった。
確かにミゼリアは経験こそ無いが、訓練自体は受けていた。ノドバーレイの騎士としてひと通り、そしてサーティスの指示で密かに本格的に。城を出るための手段のひとつと考えたサーティスの心遣いだったが、彼もこんなところで役立つとは思わなかっただろう。
容姿は、特に目立つのは髪と瞳の色だろう。こちらも解決策はあっさり出せた。
髪は髪粉で染めれば問題無いし、瞳はうっすら色の付いた眼鏡をかければ案外解らないものだ。どちらも用意済みだし、実践済みである。
そして最後のひとりで潜入というものだが、そもそもミゼリアはひとりで潜入する気は無かった。
「リリアナ様、今回はありがとうございます」
ミゼリアはリリアナのドレスを脱ぐのを手伝いながら言った。
「“手足”とエイン隊長を私に貸してくださって」
潜入の際、ミゼリアだけでなくエインも同行するのは先述の通りである。だがミゼリアのように傍仕えではなく、一般兵としてだ。
これは聖騎士団との連携の中継のためである。潜入の間、情報の共有やフォローの人員は確実に必要で、しかし聖騎士団の人間と接触しては怪しまれてしまう。エインには、その中継点になってもらいたいのだ。“手足”はふたりのフォローとして、下働きの中に紛れ込んでもらう予定だ。
というか、実はすでに“手足”の潜入は済んでいる。ミゼリアとエインが身分を偽って王宮内に潜り込む手はずもとうにできていた。
助力したのは、リリアナの妹、シェルアと婚約しているギャラル家である。
ギャラル家はブリュド内で現状中立を保っている家で、シェルアが子息の婚約者ということもあって彼女を保護してくれていた。
もともと王弟周囲の者達に疑念を抱いて調査を行っており、“手足”を通じてそれを知ったリリアナが協力を申し出たのだ。その結果、聖騎士団の協力を取り付けたらという条件で今回の作戦ができあがったのである。
「奥へは“手足”も入れなかったからねー。むしろこっちのがありがたいわ。でもいいの? 色々な危険があるのにさ。命にも、命以外にも」
「覚悟はできております。それに、命やそれ以外をかけてるのは、今更ですよ」
「……それもそうね」
顔を見合わせて苦笑していると、扉がノックされた。
「リリアナ様、少々よろしいでしょうか」
「あ……ちょっと待ってっ」
ミゼリアとリリアナは慌てて中途半端だったドレスや髪をほどき、普段着に着替えた。そうして体裁を整えてから扉を開けると、今話題に上がっていた“手足”であるタリスが立っていた。
「……何かあったの?」
タリスがわざわざ訪ねてきたとあって、リリアナの表情が厳しくなる。タリスも同様の苦い顔で、驚きの報告をした。
「レコキウス王アレキード陛下が暗殺されかけ、その傷が元で床に伏しているようです」
「はあ!?」
リリアナは思わず立ち上がった。
「あのアレキード王が!? 王太子時代のあの方しか知らないけど、あの方ほど屈強な戦士はそうそういないわよ。それが何でっ」
「使われた武器に、毒が塗られていたようです。幸い致死量ではなかったようですが……」
「犯人は捕まったのでしょうか」
ミゼリアが尋ねると、タリスは頷いた。
「その場で拘束されたようです。ただ、翌日に死亡した模様で」
「……自殺ですか?」
「さすがにそこまでは。ただ、暗殺を指示したのがウェイスタン殿下ではないかと噂が広まり、こちらも拘束されたようです。仮にも王族なので、その待遇は天と地ほどの差があるようですが」
「ウェイスタン殿下……アレキード王の弟君で、現執政でしたね」
「はい。そのせいで政が停滞しているほか、王宮内が冷戦状態になっています」
タリスの報告を聞き終えたミゼリアとリリアナは苦い顔を見合わせた。
前に黒衣の男が言っていたレコキウスの兄弟争いは、このことを示していたのだろう。彼の言い方を察するに、ウェイスタンは暗殺の指示者ではなく、アレキードもそれを承知しているはずだ。だが両者共に動ける状況ではないために、周囲が争いを加速させている。今はまだ冷戦に留まっているが、このままでは内戦に発展しかねない。
「ミゼリア、貴女の意見を聞きたいわ」
リリアナに言われ、ミゼリアはしばし黙った後、顔を上げた。
「レオード将軍の帰国を早めましょう。ブリュド国内の問題を解決してからを予定していましたが、そんな悠長なことは言っていられません。あの方に王宮内の調停をしてもらい、少しでも改善をはかりましょう。少なくともブリュドの解決までの時間稼ぎにはなるはずです。供としてミズル聖騎士団の騎士と──そうですね、ザフィロにも行ってもらいましょう」
「それでは、リリアナ様の守りが無くなってしまうではないですか!」
タリスが悲鳴を上げるが、ミゼリアは平静な声で返す。
「シャルト聖騎士団に守っていただきます」
「それは……信用できるのですか?」
「私達が信用するのではなく、あちらに信用していただくためにそうするのです」
ミゼリアは羊皮紙とペン、インクを用意しながら言った。
「作戦に乗ってはいただきましたが、彼らは我々を信じてそうしたわけではありませんので」
「でもそれは……それではリリアナ様は」
「オッケー、任せて」
なおも言いつのろうとしたタリスを遮るように、リリアナは片手を上げた。驚くタリスに、リリアナは笑う。
「ミゼリアも含めて、全員命をかけてるのよ。なら私も、命をかけるべきでしょう」
「……っ」
「後方でぬくぬくと成果を待つだけだなんて、趣味じゃないしね」
微笑みかけるリリアナに、ミゼリアは笑顔を返せなかった。
ミゼリアの言葉は、リリアナに人質になれと言っているようなものなのだから。否、まさしくそう言っているに相違無い。リリアナはそれを承知の上で、ミゼリアの提案に乗っている。
あまりに酷い、臣下としてはあるまじき提案。だがそれにリリアナが乗ったことで、覚悟は強固になった。
──必ず、救ってみせる。
ミゼリアは剣を振るうような気持ちで、ペンを走らせた。
───
ハリウィム王が年内に婚約者であるカルティと結婚式を挙げると聞いた時、黒衣の男はあ然とした。
──なぜ結婚を早める必要がある? 魔女の指示か?
幾ら探しても見付からず、途方に暮れていたところに帰ってきた魔女は、その後丸一日王の寝室から出てこなかった。その時に入れ知恵したのは間違い無い。更にブリュドに何か書簡を送っていたようだが、内容までは解らなかった。
「時間が無いな……」
魔女を探す過程で手に入れた情報をまとめた黒衣の男は、そう呟いて自室を出た。時間がかかってしまったために、魔女と入れ代わりに引きこもっていたことになる。
その時間を埋めるように王宮内を荒々しく歩いていた彼は、そこに広がっていた光景に言葉を失うことになる。
「……何だ、これは」
王宮内のサロンには、十数人の男女が転がっていた。
誰もがまともに衣類をまとっておらず、折り重なるように床やソファーで横になっている。その顔には恍惚とした笑みを浮かべ──恍惚としたまま、干からびていた。
全身に生気は無く、肉などは朽ちて、ただ薄い樹皮のような皮膚が骨に張り付いているだけである。そこにただのひとりも例外は無い。
あまりの光景に絶句し、気付いた。
「まさか、悪霊に取り憑かれたのか……? 全員に? あの女が取り憑かせたのか!」
黒衣の男は踵を返した。
早くミゼリアに知らせなければならない。でなければ、本当に取り返しがつかなくなる……!
決意と共に走り出したその脚は。
「どこに行くの?」
ひとりの女によって、止められた。
紅いドレスの上から深い紫色のローブをはおり、全身を装飾品で飾り立てた黒髪の美女。その笑みは甘い匂いを放つ大輪の華のようであり、その声はしたたる甘い蜜のよう。
だがそれら全ては、黒衣の男にとって腐肉を喰い漁る蛆虫よりおぞましいものだった。
生まれてから今まで、一度も変わることの無かったその感覚が、この瞬間、抑えきれないものとなった。
「どこへ行くというのかしら? 私の可愛い人形」
「エドヴィナス……!」
黒衣の男は激しい感情を声に乗せる。
それは二十年以上抱き続けていた、魔女への嫌悪と怒りを爆発させた合図だった。




