第二十七話 黒衣の男の告解
しばらく抱き合っていたミゼリアと黒衣の男だったが、ミゼリアが顔を上げたことで離れることになった。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
「……確かに、涙は止まったようだな」
黒衣の男はほっと息を吐き、腕を外した。その後、うつむく。
「すまない……驚かせた上に、無遠慮に抱き締めてしまって」
「いいえ。むしろ助かりました」
ミゼリアは残っていた涙を拭った。
「それで……どうしてここに? 侵入者、ということでよろしいのでしょうか?」
「……できればそこで疑問を持たないでほしい」
黒衣の男は頭を抱えた。ミゼリアは眉尻を下げて微笑む。
「私とリリアナ様を、またさらいに来ましたか」
「…………」
黒衣の男の表情に苦渋がにじんだ。やはり、とミゼリアは呟く。
「ならば、私は貴方に抵抗せねばなりません。勝てないのは承知の上ですが、その上で貴方を退けねば」
「ああ。おまえはそうすべきだ」
黒衣の男は頷いた。
「ただ……その上で、今一度問いたい」
「はい」
「……ここから連れ出してやろうか」
それは二度目に会った時、彼に言われた言葉だった。
あの時はスターク城から。そして今は、きっとこの状況から。
強制ではない。懇願でもない。ただ、ミゼリアが望むならと語りかける口調。
それは。
「貴方は、逃げていいと言ってくれるのですね」
「ああ」
「本当に本気で、私を連れ出そうとしてくれているのですね」
「ああ」
「……それだけで、私は充分です」
ミゼリアはやんわりと、それを拒絶した。
「……そうか」
黒衣の男は落胆することなく、むしろ晴れやかな表情で頷いた。
「ああ、おまえならきっとそう言うと思っていた」
「そうですか?」
「おまえなら逃げないだろうと思っていたからな」
黒衣の男は肩をすくめた。
「……私からもよろしいでしょうか」
「何だ?」
「私の母は、もう亡くなったのですね」
それは確定の言葉だった。言葉を詰まらせた黒衣の男にミゼリアはやはり、と微笑む。
「そうだと思いました。きっと、自死、だったのでしょうね」
「ミゼリア、それは」
「解ってます。私、あの人の娘ですもの。長い間離れていても、それくらい、解って」
目の前がにじんだ。また泣いてしまう、と、慌てて目元を押える。
「ミゼリア」
「すみません……解っていたことなのに、私」
「いや、構わない」
黒衣の男はひざまずき、ミゼリアの顔を覗き込んだ。
「ほかに言いたいこと、訊きたいことはあるか。私を恨んでいるだろう。恨み事でも、そのまま切り捨ててもかまわん。おまえにはその資格がある」
「え……?」
ミゼリアはきょとんとした。涙も引っ込んでしまった。
「私、貴方のことを恨んでなんていませんけど」
「…………は?」
黒衣の男の顔が引きつった。
「……いや。いやいやいや。おまえ、私がやったことを忘れているだろう。私は、サーティス公を始め、多くの人間を」
「それ、貴方自身は手を下していませんよね」
ミゼリアは首を傾げた。
「ザフィロが生きているのが、何よりの証拠です。彼には悪いですが、貴方の実力はザフィロ以上でしょう。本来なら逃がすなんて愚は犯さなかったはず。多分貴方はわざと逃がしたんでしょう?」
「…………」
「確かに、貴方の行いでサーティス様や、多くの人々が死んだのは事実です。それは私も解っていますし、それを許すほど甘くはありません。でもそこには、貴方の意思は存在しなかったのではないですか」
「それ、は」
「なら貴方を憎むのは筋違いというものです。真の敵は、貴方を使う魔女でしょう」
ミゼリアはしゃがんで黒衣の男と目線を合わせた。
「貴方のしたことは罪ですが、その全てを背負う必要はありません。貴方が背負うべきは、貴方が成したことのみなのですから」
「……!」
黒衣の男は目を見開いた。しばし固まっていた彼は、そのまま頭を抱えて唸り出す。
「おまえ……おまえという奴は……!」
「……もしかして、怒りました?」
「怒るべきだが、私が怒っても納得しなさそうなところが……ああ、本当に、何も変わっていないんだな」
黒衣の男は顔を上げた。
「だが……ああ、だからこそ」
「あの……?」
「なあ、ミゼリア」
黒衣の男は微笑んだ。
初めて見た笑みだった。今まで難しい顔ばかりだったのに、今になって──
「今からでも、罪は償えるだろうか」
「……は、い。貴方に、その意思が、あるなら」
呆然としつつ答えると、黒衣の男はそうか、と頷き、立ち上がった。その時には、笑みは霞のように消えていた。
「ミゼリア」
「は、はい」
「ブリュドで起きている王と王弟の争いは、裏で魔女が糸を引いている」
ミゼリアははっとして同じく立ち上がった。黒衣の男は厳しい顔で続ける。
「詳細は私も知らないが、王弟の近くに信者がいるはずだ。信者を見付ければ、王弟を止める手段となるかもしれん」
「確かに、魔女信仰は法律で禁止されていますから、もしその者と手を組んでいるのであれば、王弟を追い詰めることができますね……」
「それから、レコキウスでも魔女によって王と王弟の争いが起きている」
「レコキウスでも……!?」
「正確にはその周囲が、だな。そろそろ表面化するだろうから、早めに情報収集と対処をした方がいい」
そこまで言って、黒衣の男は自身の身体を確認した。
「……やはりか」
「どうか……?」
「ああいや、何でもない」
黒衣の男は首を振った。
「では、な」
「え? あの」
「おまえとおまえの主を連れて行くのはやめにする。魔女には一歩遅かったと伝えておく」
「でも、それで……貴方は大丈夫なのですか?」
「ああ、呪縛は解けていたようだし」
「呪縛?」
「こちらの話だ」
黒衣の男は背を向けた。
「ミゼリア」
「は、はい」
「ありがとう」
それだけ言って、黒衣の男は去って行った。外に出てしまえば闇の中にその姿はまぎれてしまう。ミゼリアは彼を見送ることはできなかった。
ほんの僅かの邂逅だったが、そこに詰め込まれた情報の整理を付けて、ほっと息を吐きかけ。
「……笑って、た?」
初めて見た顔だった。今まで見た顔は大半がしかめっ面で、それ以外でも表情が緩むことはあっても、あんな風に笑う顔など見たことが無い。
「あ、れ? 何で私、顔が熱く、なって……」
誰も見ていないのに、顔を覆ってしまう。胸が締め付けられるような感覚に、またも泣きそうになる。
落ち着くまでの半刻、ミゼリアは立ち尽くしたまま、黒衣の男の笑みを思い浮かべて身もだえていた。




