第二十五話 白銀の母と黒衣の男
リリアナ一行が聖騎士達と共に旅立った夜、ディアルナはひとり、応接室である人物が訪れるのを待っていた。
その人物が来ると予告したわけでも、誰かがそう教えてくれたわけでもない。
だが彼女は確信を持って、ソファーに身を沈めていた。
室内が薄暗いことを差し引いても、ディアルナの顔は青白い。窓から差し込む月明かりを浴びて、血の気の無い肌は陶磁器のような白さを見せている。
ぐったりとソファーに身を預けている姿は、瞬きや呼吸音があるにも関わらず死体のようだ。しかし不気味さは不思議と無く、芸術作品のような優美さがあった。
やがて。
「……まさか、待っているとはな」
ひとりの男が、音も無く応接室に現れた。
黒い服に黒い髪、黒い瞳の、闇の中に溶け込みそうな男。
「こんばんは。お久しぶり──と言って通じるかしら」
「……問題無い。覚えているとも」
黒衣の男は扉の前から動かず、ディアルナの微笑みに頷いた。
ディアルナは頬に手を当て、感心のため息をついた。
「十年ぶりね。と言っても、会ったのは一度きりだけど……すっかり立派になって」
「…………」
「ああ、そんな顔しないで。別に皮肉を言ったわけじゃないの」
ディアルナは苦笑して、向かいのソファーを指した。
「座ったら? 紅茶ぐらいは、今からでも用意できるわよ」
「いや、私はここでいい」
黒衣の男は首を振った。そして苦々しげな顔を上げる。
「私の目的は解っているのか」
「貴方というか、貴方の操り主でしょ? ……暗殺、もしくは誘拐。今後のことを考えると、誘拐でしょうね。この状況で暗殺は悪手だもの」
「私が言うのも何だが、誘拐も相当まずい手だろう」
黒衣の男がため息をつくのと、ディアルナが肩をすくめたのは、同時だった。
「でもそうはいかなくなった、でしょ。かなーり暴走しているようね、あの王は。……その一因だと思うと、頭が痛い通り超して思考停止しそうよ」
「おまえのせいではないだろう。これはかの王がひとりで思い詰めた結果だ。おまえに落ち度は無い」
「そう言ってくれるのは嬉しいけどね」
ディアルナは遠い目をした。
「そもそもの始まりは──あの魔女に魅入られた原因は、私が王に一目惚れされたことだもの。私に責任が全く無いなんて言えるほど、自覚が無かったわけじゃないわ」
ディアルナは現王ハリウィム二世と、ほとんど面識が無いと言っていい。
全く無いわけではない。宗主の座を継いだ時、報告として前王の下を訪れたことがある。その際、王子だった彼とも対面した。だがそれは王の横にいただけで彼とは一言も話していないし、声をかけられたことも無い。その後社交の場にも数度出たが、ハリウィムと会うことはついぞ無かった。
そもそもハリウィムは、当時第一王子でありながら、公の場にほぼ出なかった。第二王子の方は積極的に社交を行っていたのに対し、当時からいるのかどうかすら解らないありさまだった。
だが、そのたった一度。その一度の邂逅で、ディアルナはハリウィムの心情が理解できた。できてしまった。
全く視線を合わせなかったのに、あれほど強烈な熱視線は生まれて初めてだったから。
「でも結局、王は私に声をかけることはおろか、手紙を送ることもしなかった。あんな解りやすい目で見ておきながら、花ひとつ渡すことも無かった。渡されたところで応えられなかったけれど、ね」
「だからこそ、あの男は鬱屈した想いを抱え続け、結果魔女に魅入られた。……拒否することもできたはずなのに、欲望に負けた」
「欲望のままに振る舞う勇気も無い癖にね。あの魔女がいつから王の傍にいるのか知らないけど、今に至るまで、ミゼリアのこと以外で関わってきたことなんて無いわよ、あの男」
「……おまえと話していると、あの王がとんだ傀儡だと改めて実感させられる」
黒衣の男は吐き捨てた。無表情だが、それでも隠しきれない嫌悪感がにじみ出ている。
「あはは、実は貴方、結構な潔癖症でしょ」
ディアルナは軽く笑った後、重くため息をついた。
あまりに疲れた風のため息に、黒衣の男は眉をひそめる。
「……大丈夫か?」
「大丈夫……ではないわね。でもそんなことはどうでもいいわ。お互いそんなことを話すためにここにいるんじゃないでしょ。そんな時間無いんだから」
「…………」
黒衣の男の片眉が上がった。
「私はともかく、おまえには時間を気にする必要は無いのではないか」
「あるわ。だって私、もうすぐ死ぬもの」
軽い調子だった。明日の予定でも話すような、天気を予想するような、そんな何でもなさそうな声。
それがずっしりと、黒衣の男の目の前に落ちた。
「……何だって?」
「だからね、私はもうすぐ死ぬの。もともと患っていた病でね」
ディアルナは胸元を撫でた。
「今朝ね、ミゼリア達を見送った後、とうとう血を吐いちゃった。貴方が今夜来てくれたの、実はすっごく助かったわ」
「それは、ミゼリアは」
「知ってるわ、十年前からの長患いだから。もっとも、知っているのはミゼリアも含めてほんの僅かだけどね」
だからディアルナは、ミゼリアに全てを託した。自分にはもう、先に進む力は残されていないのが解っていたから。
自身の権限、財力、地位──消えかけの命が持っていたところで枷にしかならず、持ったまま死ねば、のちの禍根にしかならないのが解りきっていたから。
今ここにいるのは、何の価値も無い女だ。さらったところで、意味は無い。
「おまえは……」
「魔女に伝えなさい。おまえのやろうとしたことは空振りだ、ざまあみろって」
ディアルナはソファーの下から短剣を取り出した。それを見て、黒衣の男は目を見開く。
「何を……!?」
「私が生きている限り、魔女も王も納得しないでしょう。貴方が来たら、もともとこうするつもりだったの」
「っ、やめろ!」
短剣を振り下ろそうとした腕を、黒衣の男は掴もうとした。だがその腕を、逆にディアルナが掴む。
黒衣の男が抵抗するより早く、短剣はディアルナの胸に突き立った。
「ぐ、う……!」
「……! 何をやってるんだっ」
黒衣の男は叫んだ。
「おまえが死んだら、ミゼリアはどうなる! 彼女は……おまえの娘は、おまえが死んで喜ぶのか? 違うだろう!」
「……解ってるわよ、そんな、こと」
ディアルナは笑った。
「私が死ねば、あの娘は哀しむ……自殺だった、なんて知ったら、なおさらね。だから、病死で発表されるよう、手はずはすんでいる……」
「そうじゃないだろう……おまえが死んだら、それだけでミゼリアが傷付くんだ。ならせめて、彼女のために少しでも長く生きればいい。なぜその選択ができない!?」
「解ってる、くせに……」
黒衣の男の叱責にも、ディアルナは揺るがない。
短剣を突き立てたまま、黒衣の男の腕を掴んだまま、青ざめた顔で、ディアルナは笑ってみせる。
「あの娘の邪魔に、なりたくないの。あの娘の枷になる、ぐらいなら……死んだ方が、いい……」
「っ……!」
「っは……約束、しなさい……!」
腕を掴む手に痛いほどの力を込め、ディアルナは黒衣の男を見上げた。
「ミゼリアを、守って……」
「…………」
「貴方があの娘を忘れてないなら……あの時の誓いを、どうか……」
「……忘れるものか」
黒衣の男は呻いた。
「例え呪いでこの身を裂かれたとしても、私はミゼリアを忘れるものか! 彼女がいなければ、私は……」
「……そう」
ディアルナは満足げに微笑んだ。
「なら、いいわ……」
強く握りしめていたはずの手が、落ちた。




